国会ドタバタ劇場 




ご隠居さん 今年の最初のブログで,しばらく政治の世界から離れて話題を選ぶつもりだと言っておられましたね。理由は,世の中,何も変わらないからだということだったと記憶しています。

その通りです。

だけど,ちょうどいま,書いておられる記事は,国会情勢のようですね。

残念ながら,君の言う通りです。

何故なの?

ドタバタがあまりにひどいからね。

項目別に書きます。新聞記事そのものは,・・・で囲んであります。


万死に値する人


文部科学省の組織的「天下り」あっせん問題で,事務方トップだった前川喜平・前事務次官(62)と,仲介役だった人事課OBの嶋貫 しまぬき 和夫氏(62)が国会の場に姿を現した。「責任を痛感する」。2人は淡々と謝罪したが,追及が続くと言葉に詰まる場面も目立った。


この記事の中に,

前川氏は「私の責任は極めて重い。万死に値する」と頭を下げた。

の一行があった。

私は,この目を疑った。超・後期高齢者になり,認知症にでもなったんだろうかと心配になった。

悔しいけれど,「万死」を辞書で引いてみる。間違いない。次のように書かれている。


『罪 ― に価する』罪が,何度死んでもつぐなえないほど非常に重い。
[株式会社岩波書店 岩波国語辞典第六版]


そうですか。じゃあ,この場で腹を切ってください。


短気な私が質問者であれば,こう言ったでしょうね。

ご隠居さん バカなことを言わないでください。これは,官僚や大臣が気軽に使う 業界用語 のひとつ。知らないの? 一言で言い換えれば,ゴメンナサイ と同義語です。

以上,朝日新聞2月7日(火)夕刊,11ページ,社会面。


跡目相続

「大宏池会」うごめく自民
麻生派に甘利氏入会 拡大路線


この派手な見出しの後に,次のように書かれている。


麻生太郎副総理は9日,甘利明・前経済再生相ら5人の麻生派入会を正式に決めた。党内第4派閥となり,旧宮沢派(宏池会)の流れをくむ岸田派,谷垣グループと再結集する「大宏池会」構想や山東派との合流話も再浮上。来年の党総裁選や「ポスト安倍」をにらみ,党内の台風の目となる可能性がある。

甘利氏の入会は,安倍晋三首相が昨年末,麻生氏との会食の席で要請した。(誰が誰に,?,主語不明瞭,筆者注)

・・・「11人になってしまいますよ」と言いつつも入会に同意した。この席には,神奈川県選出の菅義偉官房長官も同席していた。


派閥のことを目にするのは,久しぶりのような気がする。まるで,どこかの跡目相続みたいだね。

それにしても,どうして総理大臣になりたいのかね。何か良いことあるんだろうか。あるんだね。

以上,朝日新聞2月10日(金)朝刊,4ページ,総合4面。


記者の皆さん。もう少し,日本語を勉強してください。とくに,重要な記事を書くときには。誤解を招きますよ。(筆者注)


南スーダン支離滅裂

防衛大臣の意味不明な国会答弁は,ひどいんじゃないでしょうか。


民進・後藤祐一氏 

昨日,稲田朋美防衛相は憲法9条との関係で,こう述べている。「国会答弁する場合にはその法的において,法律においても規定されている(戦闘という言葉は),また,憲法9条上の問題になる言葉を使うべきではない,ということから,私は一般的な意味において武力衝突という言葉を使っております」。憲法9条の問題になるとまずいので国会答弁する場合は「戦闘」という言葉を使わないんですか。


稲田防衛相

その前後の私の議事録をぜひ読んでいただきたい。私はなぜ「戦闘」という言葉を使わないかというと,戦闘行為っていうのは,法律上その定義が決まっていて非常に重い言葉ですよね。戦闘行為が行われていない場所でしか後方支援ができないとか,戦闘行為が行われているか否かというのは非常に重要な,そしてものすごく大きな言葉なんです。なので私は,事実が一番重要です。それは事実が,国または国準(国に準じた組織)との間,また国際紛争を解決する … いや,国際紛争におけるという,その戦闘行為があったかどうかの肝ですね。その国際的な武力紛争の一環かどうかは、非常に法的に重い意味があるので、国会でこういう法律論の議論をやっているわけです。PKO5原則が満たされているかどうかなど,大きな議論を委員と行っている中で,そういった法律的な用語であるところの戦闘行為と混同されかねない「戦闘」という言葉は使うべきではない,という趣旨を申し上げたところでございます。

朝日新聞デジタル版,2月9日の国会答弁から。
「殺傷行われても,『戦闘行為』は紛らわしい」 稲田氏
2017年2月9日15時31分



管理責任者

安倍内閣 2016年を総括する

読み返してほしい記事が,ほかにいくつもあります。例えば,


アメリカ国家の素顔 と 安倍政権 の 『戦争法案』

中東戦争 どこまで続く泥濘ぞ

安保法制 と 集団的自衛権 9月に最終章へ

自衛隊の海外派兵 心を病んだ自衛隊員 と 自殺





ひとまずおわり















# by yojiarata | 2017-02-12 22:59 | Comments(0)

五味康祐  剣 と 西方の音



ご隠居さん 今日は五味康祐の話ですか。

そうです。何故,五味康祐かは,長年の付き合いの君なら見当がつくでしょう。

何となくね。ご隠居さんが五味康祐のファンだと知っているからね。しかし,突然,五味康祐が登場するのは何故なの。

NHKラジオ第2で,毎週月曜日,「カルチャーラジオ」なる番組が放送されるよ。NHKに保存されている音源をもとに,過去に活躍した作家などの声が聴けるんだ。

宇田川清江さん(フリーアナウンサー)が進行係,番組の主役は,大村彦次郎さん(元・文芸誌編集長)です。大村さんの話が,毎回,実に面白いね。それぞれの作家にまつわる様々なエピソードの語り手をしては,大村さんは,余人をもって代えがたいよ。


今週の「カルチャーラジオ」には,五味康祐が登場したんだ。
2月6日(月曜日)20:30-21:00

直観的に,これは絶対に聞き逃せないと感じたよ。作品は繰り返し読んだけれど,声は聞いたことがなかったんだ。晩年はテレビによく出ていたそうだけど,私は一度も見ていません。

失敗しないように,慎重に録音しました。しばらく前に放送された「サトウハチロー」で大失敗しているからね。

番組を聴いて,今まで知らなかった五味康祐の姿が浮かんできたんだ。

ネットに記述されている諸々のことを含め,以下,順番に書いていきます。




五味康祐の生涯

大正10年(1921)12月20日生まれ
昭和55年(1980)4月20日没
享年 58

五味康祐は,本名は「やすすけ」だけど,大村さんのような専門の雑誌編集者を含めて,世の中では,「こうすけ」と発音しています。

学徒出陣で中国大陸を転戦し,敗戦後南京で捕虜として過ごした後,1946年に復員し,保田與重郎に師事する1947年に亀井勝一郎を頼って上京,東京都三鷹市に住み,太宰治・男女ノ川登三と共に「三鷹の三奇人」と呼ばれる。この頃,関西の出版社の社員として岡本太郎の前衛芸術運動「夜の会」に接近,多くの影響を受ける。

1948年11月,亀井勝一郎から破門を受ける。1949年,歌人前川佐美雄の妻の妹と結婚。

1950年には神戸で放浪生活を送り,覚醒剤中毒で入院。さまざまな職(神主さんのような仕事,学生のための お汁粉屋 もやっていたと大村彦次郎は語っている)を経て,1952年に再び上京,音楽を通じて知り合った新潮社の編集者・齋藤十一の紹介で新潮社の社外校正をしながら小説を書くが, ばかりであった。

その後,齋藤十一の推薦で,ドビュッシー「西風の見たもの」を聴いて着想した『喪神』が1952年12月号の「新潮」「同人雑誌推薦新人特集」に掲載され,1953年,第28回芥川賞を受賞。『喪神』はその年に大映で映画化される。

その後は,『柳生連也斎』など独特の時代小説を発表し,1956年,『週刊新潮』創刊から『柳生武芸帳』を連載して人気を博した。主人公の集団性,禁欲的な剣豪でなく,本能のままに生きる剣豪というとらえ方,そして日本浪曼派の影響の濃い,剣の達人の持つ精神性の表現と,格調高い文体で高く評価されている。色川武大に先んじて本格的な麻雀小説を書いた。

カーマニアとしても知られていたが,1961年5月に飲酒運転で逮捕。1964年1月31日には,三重県鈴鹿市富田町の国道1号で雪駄履きのまま自家用車を猛スピードで運転中にトラックと正面衝突を起こし内臓破裂などで一時重体となった。1965年7月24日には,脇見運転とスピード違反により,名古屋市で60歳の女性とその孫の6歳の少年を轢き殺し,逮捕される。このとき,志賀直哉,川端康成,小林秀雄,井伏鱒二,井上靖,三島由紀夫,柴田錬三郎,水上勉,亀井勝一郎,保田與重郎が連署で執行猶予を乞う上申書を裁判所に提出し,1966年,五味は禁固1年6月、執行猶予5年の有罪判決を受けた。贖罪の心の沈潜した『自日没』(にちぼつより)などの作品が書かれた。


● 五味康祐の人となり

大村さんによれば,文壇一の奇人・変人。奇想天外,放逸無頼ともいうべき天才作家のひとり。

中学生の頃から,ワインガルトナーのベートーベンを聴いていたというから,音楽のことを書かせたら玄人跣。実際,ゴロゴロいる音楽評論家の記事よりもはるかに面白いと評判だったようだよ。カラヤンが嫌いで,その演奏を酷評。

『西方の音 せいほうのおと 』(新潮社,1992年,14刷),『天の聲-西方の音-』(新潮社,1976年,2刷)が我が家の書棚にあるよ。表紙は前者はベートーヴェン,後者はワーグナー。

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改めて読み返してみたけど,五味康祐の面目躍如,素晴らしいよ。


● 芥川賞

昭和28年1月に開催された選考委員会で,松本清張と共に,受賞。
この時,
松本清張 43歳『或る「小倉日記」傳』
五味康祐 31歳『喪神』

時代小説が芥川賞の対象になったことはそれまでになっかこともあってか,選考委員は,五味作品に関心が高くなかったようだね。例えば,丹羽文雄は,決して悪い作品ではない。・・・ これは「時代小説の童話」だといったそうだよ。

しかし,佐藤春夫,坂口安吾の二人が,非凡な表現力とポエジーが素晴らしいと強く推した。

従来の剣豪小説と全く異なる新たな世界は,芥川賞受賞作『喪神』で始まったと言っても過言でない。  

1962年に初上映された『座頭市物語』(勝新太郎の代表作),黒澤明の『用心棒』などの作品は,五味康祐が描いた「剣の世界」に,大なり小なり影響を受けていると,不肖・荒田洋治は信じております。

五味康祐の『柳生武藝帳』は,人間関係が大変に複雑怪奇な長編で,初めから終わりまで辛抱して読んだ人はそんなに多くないと思います。私もその一人だけどね。 

映画化されたとき(稲垣浩監督,三船敏郎主演[1957年(昭和32年4月23日公開)]),脚本が簡潔に整理され,分かりやすい作品に仕上がったんだ。この映画を見た五味康祐は,

これで,この長編の筋書きがよく理解できた。

と,とぼけていたそうだよ。(長女の話)

娘さんといえば,五味康祐は,長女 ゆうこさん(漢字?)の手相を見て,こんなことを言ったそうだよ。(これも,大村さんの話)。

2本の平行線が狭い間隔で走っている。これは,ヒットラーの手相と同じ。お前は女に生まれてよかったよ。



● 五味康祐の肉声を聞く

録音で,五味康祐の声を初めて聴いたんだ。宇田川さんが

「優しい声」ですね。

仰っておられましたが,私もまったく同感。こんな声の人だったとは,全く想像できなかったね。例えて言えば,高校の歴史の先生。

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五味康祐(1921-1980)





● 五味康祐が切り拓いた「剣」の世界


戦前の剣豪小説と全く異なる新たな剣豪小説の世界は,芥川賞受賞作『喪神』で始まったと言っても過言ではありません。

次の二つの私の書いたブログの記事を読んで下さい。

櫻を斬る 五味康祐の世界




桜の季節になると,チャンバラの世界から,それまでに誰も描くことのなかった剣の世界を創りだした五味康祐が頭に浮かびます。何事にもすぐに感動してしまう筆者には,忘れることのできない宝物のような何編かの作品が 『五味康祐代表作集 第1巻』 (新潮社)に収録されています。


● 遅筆とオリジナリティ

大村さんによれば,五味康祐の遅筆は編集者泣かせであったという。

私は,個人的には,遅筆の原因は,五味康祐が無から有への実現しようと苦しんだ結果だったと思っています。この意味では,五味作品はいずれも,「作り出した」ものではなく,苦しみの結果「出来た」作品だったのではないでしょうか。


***



ブログの結びに,自然と剣の闘いを描いた 『柳生連也斎』 について書きます。

佐藤春夫,坂口安吾両氏が仰るように,非凡な表現力とポエジーが素晴らしいね。



柳生新影流五世・柳生連也斎と,新免武蔵直伝の見切の秘太刀を使う鈴木綱四郎光政が天白ヶ原で刃を交える。

連也斎の父 如雲の教え


「見切を制覇するには「影を斬るのじゃ」

「よいか,工夫は其方がする事じゃ。必ず,相手の影を斬れい」


***



・・・・・ 連也斎がひそかに工夫を重ねて尚解けなかったのは,父 如雲が教えた「影を斬れ」の謎である。 渠(かれ)は「影を斬る」この秘太刀が会得出来なかったので,池鯉鮒(ちりふ)に戻った時馬を捨て(三月廿日深夜),東海道を採らず当初は東郷から赤池の道を天白ヶ原への東口へ出るつもりで歩いた。東口からなら,太陽を背に受けて敵対する。この地の利を知らぬ武芸者もあるまいが,だから東口への道を連雲斎も採った。


綱四郎は朝陽を背に構えている。足元から影が連也斎の足元まで延びている。連也斎はその陰の先端を踏んでいる。太陽はわずかにわずかに昇る。影はちぢまっていくだろう。その太陽の昇るにつれて短くなる綱四郎の影の長さだけ,連也斎は進んだ。兵法者は進退に剣の一切を賭けている。武蔵の見切は,敵のそういう進退を見切るのである。 ・・・・・ 連也斎は,進退をただ天の運航に託したのである。太陽は昇りつづける。森羅万象は運行を偕(とも)にする。動かぬと見えて,影はすこしずつ縮まり連也斎は綱四郎に詰寄っているのである。

・・・・・

綱四郎はまっ青になり脂汗が顔面に流れた。時は容赦なく過ぎた。綱四郎は次第に追い詰められた。

・・・・・ 併し,・・・・・ 太陽が雲に翳れば森象の影の圧力も忽ちにきえる。剣技を無視した接近は,だから太陽を失えば一瞬にして復讐される道理である。この試合の勝負の鍵を握っているのは,あく迄も天体である。

・・・・・ この時雲が次第に太陽に近づいていた。雲は風で次第に動きを速めている。地上の二人の兵法者の間も殆んどもう一方の太刀が相手を斃す近さに接近していた。太陽がより早く昇れば連也斎が勝つ。より早く曇れば綱四郎が勝つ。・・・・・

わずかにわずかに太陽は昇った。雲は近寄った。太陽は照りつづけた。雲は近寄った。連也斎は青眼に構え,綱四郎は八双に構えていた。・・・・・

雲が太陽に追いついたと殆んど同じ瞬間,地上では二つの太刀が閃いたのであった。

綱四郎と連也斎はどちらもだらりと太刀を垂れ,身を接する近さで互いの眼と眼が睨みあっている。ずい分と長い間二人はそうしているように思えた。

やがて,一人の額から鼻唇にかけてすーっと一条の赤い線が浮上った。線から,ぷつりぷつりと泡が吹き出した。するとその武士はニヤリと笑い,途端に,顔が二つに割れ血を吹いて渠(かれ)はどうと大地に倒れた。

『柳生連也斎』はここで終わる。




***




五味康祐代表作集 第1巻(147-178 ページ)
『喪神 柳生連也斎』
新潮社(1981)

文庫版 『秘剣,柳生連也斎』 が新潮社から出版されている。文庫版は昭和33年の初版以来,版を重ね,筆者の手元にあるのは平成4年発行の第46刷である。いかに多くの人に読まれたがわかる。現在は絶版であるが,古書として,インターネットで入手可能である。


● 惜別

五味康祐は,1980年,肺がんのため死去。享年 58。墓は鎌倉市建長寺の回春院にある。

病床で最後に聞いた曲は,ベートーヴェンのピアノソナタ 第32番 作品111 だったという。五味康祐も,あのフーガに魅かれていたんだと思うと,上に書いた 「お汁粉屋」 の件を思い出し,懐かしさが増す。





未完

# by yojiarata | 2017-02-11 17:22 | Comments(0)

荒俣宏  ドン・キホーテ と セルバンテス を スペイン に 追う




ご隠居さん このところ,録画した番組を繰り返し,熱心に見てたけど,一体何を見ていたの。

2017年1月4日(18:00-19:55)に,BS フジ で放映された



荒俣宏 トラベルミステリー

ドン・キホーテ 400年目の真実

~ 作家セルバンテス 謎の人生~



が,あまりにも面白いので,何度も繰り返して楽しんでいたんだ。


これまでにも何度も,このブログで君に話した記憶があるんだけど,ドン・キホーテは,私の精神的な師匠で,ドン・キホーテと聞けば,その場で「固まってしまう」んだよ。

それに,番組を取り仕切るのが,日本の博物学の巨人,荒俣宏と聞いてはね。彼のひっくり返りそうな広範囲の興味,物凄い人だからね。

そこらのチンピラ・タレントが,チョコっと外国を見て歩いて,すごいだの,素晴らしいだの騒ぐのと,次元が違うんだよ。


***



このブログでは,番組のなかの重要なキーワードを抜き書きします。


● 作者 ミゲル・デ・セルバンテス(1547-1616),すなわち,去年がセルバンテスが他界してから400年目の記念の年だったんだ。


● スペイン発行のユーロコイン,10,20,50セントの裏には,いずれもセルバンテスの姿が刻まれている。


● 本の名前は,正確には,機智に富んだ郷士ドンキホーテ・デ・ラ・マンチャ


● 80ヵ国以上で翻訳され,400年以上にわたって読み継がれてきました。


● 世界で,聖書のつぎに読まれている大ベストセラー。


● 1605年発行の初版本が国立図書館の「セルバンテスの部屋」に保管されている。そのうちの一冊。日本のテレビ初公開。初版本は30冊が現存するそうです。


● これまで天才が創造した書物の中で,最も偉大で,最も憂鬱な書物だ(ドストエフスキーが残した言葉)


● レバントの戦いに従軍 オスマン帝国に勝利するも,腕に大きな負傷して帰国。


● 戦いで大功績を挙げたわけでもない。従って,ドン・キホーテを書かなければ,セルバンテスの名前が歴史に刻まれることはなかったのです。


● セルバンテスは,「不運にも」,教養があり,字が書け,読めたため,捕虜になって保釈される時,単なる一兵卒よりはるかに不利な条件をかせられた。


● 貧乏のまま,一生を送る。ドン・キホーテの出版にあたって,資金がなかったため,版権をフランシスコ・テベロなる人物に売ってしまったのだそうです。だから,ミリオンセラーになっても,収入はなく,貧乏のまま。


● 要するに,セルバンテスは,何一つ良いことなく,「踏んだり蹴ったり」の生涯を送る。


● 王立武具博物館を訪ね,ドン・キホーテの名前の由来を知る。ドンは貴族の称号,キホーテは甲冑の片足の部分を指す。すなわち,あっても役に立たないことを意味する。


● 400年前の洗礼記録をもとに,セルバンテスの家系を追跡,子孫と会う。


● ほかに,実に多くのことを,知ることができます。あれもこれも,それを引き出した荒俣宏の実力だね。それに,彼の話術が凄いね。人の心をとらえるハイレベルな話術です。

(敬称略)



***



● 荒俣さんへのお願い

行く先々で,パクパク召し上がっておられましたが,その量は並ではないようにお見受けしました。

小生も,ヨーロッパ,アメリカを旅しましたが,量には常に圧倒されました。何とか対応して,ご馳走様と思ったのが大間違い,次にメイン・ディッシュが出てきて,卒倒しそうになった記憶があります。

荒俣さんには,全く問題ないようにお見受けしました。どうかこれからも,食べ過ぎに注意され,大活躍して,私たちに面白い話を聞かせてください。





おわり












# by yojiarata | 2017-02-03 00:26 | Comments(0)

大統領令9066 に署名した アメリカ・ルーズベルト大統領



1942年2月19日,アメリカ合衆国大統領フランクリン・ル-ズベルトは 大統領令 9066に署名した。これによって,12万人の日系人が,アメリカ中西部に設けられた10ヶ所の

【日系アメリカ人強制収容所】

に移送された。


***


戦前,私の父方の叔父夫婦はアメリカに移住し,「日系アメリカ人」として,カリフォルニア州・ローダイで,葡萄園を経営していた。

当然,叔父一家全員(親類縁者を含め)も,この大統領令の対象となった。一家全員,アーカンソー州の強制収容所(通称,キャンプ)に送られ,苦難の時を過ごした。とくに,極寒の寒さは耐え難かったという。


1970年代の初頭,カリフォルニア・スタンフォード大学・メディカルセンターに客員として滞在して時,私たち一家でローダイを両三度訪ね,叔父一家全員と語り合った。

詳しい状況は,

昭和平成春夏秋冬 としつき

に記述した。

ちなみに,キャンプに送られたのは「日系アメリカ人」だけで,アメリカと戦争状態にあったドイツ,イタリア系の「アメリカ人」が,キャンプに送られたという記録はない。





未完











# by yojiarata | 2017-01-29 22:25 | Comments(0)

雪 と 人々




ご隠居さん 何かブツブツ,モゴモゴ呟いているけど,どうかしたの?

年々気候が変になっていくのは,どうしてかなと考えていたんだ。

例えば,雪。やたらに降るよね。今まで,あまり降らなかったとこにも大量に積もって,みんな困っています。


雪については,洋の東西を問わず,大勢の人が記録を残しています。

昭和平成春夏秋冬 学ぶ の中の「ケプラーと雪の六角形」,「雪と殿さま」,「雪に魅せられた人々」では,様々な人々が歴史にその名を残している様子を紹介しました。ぜひ読んで下さい。


雪の結晶の真の姿を見るには,東京のような都市では無理です。コロラド州の山の中で学会が開かれた時,真夜中に窓を開けて,雪を紙の上に採取し,予て用意していた虫眼鏡で,寒さの中,眺めたときの感動を忘れません。30年以上も前のことです。






今日はここまでにします

# by yojiarata | 2017-01-29 15:00 | Comments(0)

昭和一桁最終便覚え書 ー 改訂・Web 版(2016)



ご隠居さん 私の記憶によれば,『昭和一桁最終便覚え書』は,随分前に書かれた本ですね。

そうです。この本の校正をしていた頃,阪神・淡路大震災が起きて,大変なショックを受けました。

読んで下さった方々には,自分でいうのも変ですが,概ね好評でしたが,いろいろな事情があって,今では入手できません。

自分でも気に入っているこの本が,路頭に迷うと思うと些か悲しいので,Web 版として残しておくことにしたのです。その際,20年以上も前に書いた本の内容に大幅な改訂を加え,『昭和平成春夏秋冬 改訂・Web 版(2016)』 としました。


読んでいただけると嬉しいですね。




おわり

# by yojiarata | 2017-01-27 23:37 | Comments(0)

がん細胞 に 聴く  吉田富三・門人 との 対話 を もとに  巻のⅠ




ご隠居さん。お汁粉の次は何の話?

「がん」について書くよ。

ご隠居さん。高齢のため,アタマのほうに少々問題が出てきたんじゃないの。だって,ご隠居さんは,化学が専門でしょう。お医者さんでもないご隠居さんが,がんの話をするのは,滑稽で,とんでもないお門違いじゃありませんか。

ところが,そうでもないんだよ。

科学一般を専攻した人でないと書けない部分があるんですよ。私の頭に問題があるかどうかは,今から書く記事を読んでから決めて下さい。



***




その一 がんと日本人


がんは1980年頃を境として,日本人の死亡原因の第1位になり,その後も増加の一途を辿っています。現在では,日本人の死亡原因の1/3にはがんが直接,間接に関わっているといわれています。現代に生きる我々は,がんと無縁ではありえないのです。

詳細な統計データが,厚生労働省のウェッブ・ページに掲載されています。篤とご覧ください。



平成26年度 人口動態統計特殊報告
「日本における人口動態 -外国人を含む人口動態統計-」の概況
(厚生労働省)



このような状況にあって,多くの人が,がんとは何か,現代の科学ががんとどう向き合っているのか,今後の展望はどうかなど,がんに関する教養を身に付けたいと希望しているのではないでしょうか。

事実,一般読者を対象として,がんの著書が数知れず出版されています。これらの著書は全て医師によって執筆されたものです。私は可能な限りこれらの著書に目を通しましたが,残念ながら,一般読者の疑問に応えうるものに出会うことはありませんでした。



その二 歴史のなかのがん


がんは先史時代から人々を悩ませていたようです。ジャワ原人の骨やスイスのミュンジンゲンで発見された新石器時代の戦士の上腕骨に「骨肉腫」(骨の悪性腫瘍)の痕跡が認められるということです [→ ピエール・ダルモン(河原誠三郎,鈴木秀治,田川光照訳)『癌の歴史』(新評論,1997,29-30ページ)] 。


医学の祖あるいは医術の父と称される 古代ギリシアの医師 ヒポクラテス (前460頃ー前375頃)の著作には,すでに 乳がん についての記述があります。『ヒポクラテス(小川政僑訳)古い医術について 他八編』(岩波文庫,1963)。

体の表面に出来た 乳がん のかたちが,甲羅から足を伸ばしたカニのかたちに似ているところから,カニを語源とする cancer(英語), Krebs(ドイツ語),Carcinoma(ラテン語)が用いられることになったようです。



その三 腫瘍とは何か


腫瘍(tumor)とは,読んで字の如く「はれもの」です。細胞分裂時の突然変異によって発生した腫瘍細胞が,免疫系の監視を潜り抜けて,生体から排除されることなく分裂を繰り返し増殖し,はれものとなります。健康な人の細胞が備えるべき秩序が失われると,細胞が闇雲に突っ走る結果として腫瘍が形成されるのです。

腫瘍(tumor)は,地理的にはある国の一部でありながら,独立を主張し,その国の憲法を全く無視して勝手気ままに勢力を拡大していく 革命自治政府 のようなものです。


腫瘍は,“新生物”(neoplasm)と “悪性新生物”(malignant neoplasm)に分類されます。


新生物は,腫瘍が発生した部位の正常の細胞と姿,かたちがほとんど変わらない細胞から成り立っています。新生物は 良性腫瘍(benign tumor)と同義語です。

良性腫瘍の細胞は増殖が遅く,腫瘍が一定の大きさに達すると増殖が止まります。その結果として腫瘍は局所にとどまり,浸潤も転移も起きません。

良性腫瘍は,必要なら手術によって摘出することも可能です。特別の場合を除いては,良性腫瘍が致命的になることはありません。よく知られた例外は脳腫瘍です。硬くて狭い閉鎖空間に発生した腫瘍は,たとえ良性であっても一命に関わることがあります。

一方,悪性新生物すなわち 悪性腫瘍 は,自らの周りの組織を破壊しながら増殖を続け,さらに血液,リンパ,体腔などを介して身体の様々な場所に飛び火します。悪性新生物,悪性腫瘍(malignant tumor),がん(cancer)は全て同義語です。



その四 ほとんどのがんは,体の「表面」から発生する


人の身体の至るところからがんが発生します。しかし,はっきりといえることがあります。それは,結合組織や支持組織などからも,がんは発生するけれど,ほとんどのがんは身体の表面を覆っている上皮組織から発生するという経験的事実です。

すなわち,身体の「表面」は,がんの多発地帯なのです。身体の表面は皮膚で覆われています。皮膚の驚くべき多様な機能については,傳田光洋『皮膚は考える』(岩波科学ライブラリー,2005)に興味深く綴られています。

ここで私がいっている表面は,皮膚のように,われわれが目で見たり手で触ったりして,直感的に理解できるものばかりではありません。つぎのような仮想の実験を想像してください。

体内の組織に触っても傷つけないように注意して作った細くて軟らかいプラスティックの長い棒を口からそっと差し込んでみます。この棒は食道から,胃,小腸,大腸,肛門を通って身体の外に出ます。棒の先端が接触できる食道から肛門にいたる消化管の上皮組織はすべて身体の表面です。

肝臓細胞も上皮細胞すなわち表面です。お酒が過ぎると,胃液や胃の内容物と一緒に,胆汁を吐きます。肝臓細胞が口につながっているからです。人の身体からは尿も出れば,汗も鼻水も出ます。体液が出てくるところは,すべて表面です。似たような状況を想定すれば,子宮頸部,子宮体部の上皮組織はいずれも表面であることが理解していただけるでしょう。子宮体部の上皮組織を形成する子宮内膜は,生理のたびに剥がれ落ちて,血液とともに体外に流れ出ます。

別の例を挙げれば乳管です。母乳を作る乳管細胞が乳頭を通って外に繋がっていなければ,おなかを空かせた赤ちゃんの口に母乳は入りません。肺の上皮組織も表面でその機能を発揮します。酸素を取り込み,二酸化炭素を吐き出すためには,肺胞の表面が口,鼻につながってなければなりませんから。

余談ですが,乳がんは男性にも発症します。立派に乳腺が存在しますから。もっとも,確率的には,女性の場合の 1/1000 程度です。



その五 実質とストローマ


上皮組織は,たとえば胃では粘膜上皮組織として,消化酵素の分泌などに関わっています。このように,ひとつの塊となって,生きていくための機能を発揮する細胞の集団を 実質 とよびます。

一方,結合組織は身体が出来上がっていく過程で生じた細胞間の空隙を埋め,身体を支える役割を果たします。ここで注意していただきたいのは,上皮細胞には,自分自身の活動を支えていくために必要な酸素と栄養の補給路が備わっていないということです。このため,上皮細胞の生存に必要な酸素と栄養は,結合組織に大量に存在する血管によって供給されています。

結合組織は 間質 あるいは ストローマ (stroma) と総称されます。以下の文章では,ストローマを統一して用いることにします。ストローマは,実質が心おきなくその使命を実行するために用意された,普遍的かつ必要不可欠な組織です。

例えて言えば,登山する部隊(実質)に食料などの支援をする基地に設置されたキャンプがストローマと考えればよいと思います。

上皮とストローマは,基底膜 とよばれる薄い膜によって隔てられています。電子顕微鏡で見ると,基底膜はコラーゲン,ラミニンなどの線維から作れている目の粗い網です。

強調しておきたいことは,「上皮のあるところにストローマあり」ということです。すなわち,上皮とストローマはつねに一組のセットとして考えるべき存在です。基底膜によって隔てられた 上皮とストローマ の関係は,正常組織の場合であっても,悪性腫瘍の組織であっても概念的には変わりはありません。

付け加えておきますと,今 筆者がブログを書いている PC には,オックスフォード英語辞典 の CD-ROM版がアップロードしてあります。そこには,stroma は「座ったり,寝そべったりするために拡げられた敷物」を意味するギリシャ語に由来するとあります。成程と納得させられる説明です。座ったり,寝そべったりするのは実質である上皮細胞,敷物は防波堤である基底膜を最前線に配備したストローマです。



その六 癌と肉腫


読者はすでに気にされていることと思いますが,これまでに,腫瘍,悪性腫瘍,良性腫瘍,がん,癌という表現をとくに断りなしに使ってきました。ここで,この点を整理しておきます。

 上皮細胞を故郷とする悪性腫瘍を癌とよぶ

上皮から発生する悪性腫瘍は漢字を使って と表現します。すなわち,癌細胞の故郷は上皮細胞です。悪性腫瘍の大半は上皮組織から発生します。すなわち,悪性腫瘍といえば,ほとんどの場合,癌を指すと考えてよいのです。

活発に分裂を繰り返しているあらゆる上皮細胞から癌が発生します。悪性化は1個の細胞から始まりますが,分裂しない細胞は悪性化しません。例えば,心筋細胞は分裂しませんから,心筋から悪性腫瘍が発生することはないのです。また,分化の進んだ上皮細胞ほど,悪性化し難いのも事実です。例えば,眼の角膜は分化が極度に進んでいて,核が存在しません。したがって癌にはならないのです。切っても痛くないことからわかるように,爪や髪の毛は死んだ細胞であり,やはり癌にはなりません。

癌はからだのあらゆる部分にできてもよさそうなものなのに,何故ことさら上皮から発生するのでしょうか。上皮は,外界との絶えざる接触に曝されている身体の「最前線」に配備された防人 さきもり であり,外界からのさまざまな刺激を受けて,何らかのトラブルがつねに発生している場であると考えてよいでしょう。


● 非上皮組織から発生する悪性腫瘍を肉腫とよぶ

上皮から発生する癌に対し,ストローマを含む非上皮組織(骨,軟骨,血管,筋肉,神経など)から発生する悪性腫瘍を 肉腫 とよびます。

一見悪そうに見えなくても,「悪い奴」であることには何らかわりがない,というのが肉腫の,なんともやっかいな点です。人間の社会でも,何となく頼りなげでしかも礼儀正しく,つい声をかけたくなる「二枚目」に,“ まさかあの人が ” というような場合がありますので,気を付けて下さい。

経験的には,肉腫は癌に比べて発生頻度が圧倒的に低いことが知られています。成人の場合,悪性腫瘍のなかで肉腫の占める割合は10%をはるかに下回ります。しかし,小児に限っていえば,何故か,肉腫は悪性腫瘍全体の15-20%に達します。



その七 癌 と がん と ガン


現在,書籍,新聞などでは,癌 と がん と ガン という風に,漢字と平仮名と片仮名を見かけます。

かって,東京の大塚にあった 癌研(財団法人癌研究会癌研究所)は,漢字の 癌 を使っていました。吉田富三先生が所長をしておられた頃から,癌には肉腫が入らないから困るといって,気にされていたということです。現在,癌研は東京都江東区有明に移転し,名前も 「がん研有明病院」と変わりました。

「国立がん研究センター」 は,中央病院が東京都中央区築地,東病院が千葉県柏市にあります。


つまり,現在では,癌と肉腫いずれの場合にも 「がん」 とよぶことに統一されました。

片仮名の「ガン」は病理の専門家は使いません。



その八 浸潤,転移,播種


がんはいったいどこから来て,どこへ行くのでしょうか。がん細胞が最初に発生する場所を 母地 ぼち とよびます。例えば,胃がんの発生母地は胃の腺上皮です。

発生母地 から,がんがストローマの中を拡がっていくのが 浸潤 しんじゅん です。浸潤 は発生母地から連続して起こります。あたかも,騎兵部隊(がん細胞)が 砂塵 ( ストローマ ) を巻き上げながら原野を駆け抜ける感があります。

転移 は,がん細胞が発生母地から非連続的に移動する現象です。非連続的というのは,血液,リンパの流れに乗って,遠く離れた場所へ飛び火することを意味します。

がん細胞は,最後に器官の壁を突き破って器官の外に散らばっていく場合があります。この現象は 播種 はしゅ とよばれます。

図には,がん細胞が浸潤に続き,胃壁を破って腹腔に拡がる播種が描かれています。播種によって,がん性腹膜炎が惹き起こされます。肺がんの場合も同様にして,がん細胞が胸腔内に拡がります。浸潤の究極の姿である播種への移行によって,がんは終幕へと進みます。


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播種の模式図:青木幹雄博士による


がんは何故,浸潤,転移するのでしょうか。あるいは,がんは何故,浸潤,転移しなければならないのでしょうか。吉田富三門下の佐藤春郎博士は次のように書いておられます [→ 佐藤春郎『がん細胞の営み』(朝日選書324,1987,113-124ページ)] 。

《がんの転移を考えるとき,ふと海外への移民を連想することがある。・・・がんの細胞も生まれ故郷(原発巣)から遊離して体内を巡るが,転移巣を築くまでの一生は,まさに流浪の民といってもよい。定着して転移巣を形成できる“成功者”はどれくらいあるのだろうか。成功の条件は何なのか。・・・ がん細胞が故郷(原発部)を離れて,流浪の旅にのぼるのも,何かやむにやまれぬ理由があるのではないだろうか。・・・》

転移して別の臓器に移っても,がん細胞は故郷にいた頃の姿,形を保っていることが少なくありません。したがって,組織標本をみれば,この細胞はどこが故郷か,つまり,発生母地はどこかが分かります。遠く故郷を離れても,故郷のしきたりを守り続けるがん細胞の性質が,がんの診断に役に立つのです。

肝臓細胞は,胎児のときとがん化したときに限って,タンパク質・αフェトプロテインを作ります。したがって,がん化した肝臓細胞は,免疫染色によって区別できます。胃の上皮細胞は,たとえがん化しても,αフェトプロテインを作ることなど絶対にありません。ところが,肝臓へ転移したあと,もともとは胃の上皮細胞でありながら,αフェトプロテインを作りはじめることがあります。つまり,この細胞は,肝臓に移り住んだあとは,自らが胃上皮を故郷とすることを忘れてしまっているのです。このように,別の国に移り住んで,その国に同化していく場合もあります。これも移民の一つの姿かもしれません。

浸潤,転移があれば,がんだと断定できます。

吉田富三門下の友人の話ですが,組織標本を顕微鏡の下で傍若無人に浸潤,転移していくがん細胞をなすすべもなく見ていると,あの狂乱の時代に生きたアドルフ・ヒットラーのことがふと頭をよぎることがあるそうです。

浸潤とか転移は,場合によって,速かったり,遅かったりします。臓器によっても差があります。一般的にいって,自然科学では原理・原則をもとにものごとを考えます。ところが,困ったことに,がんの場合には,その原理・原則が見付からないのです。がんがどこにできて,そしてそのあと,一体どのように浸潤していくのか,どこに転移するのか,まったく予測がつかないのです。

肉腫は血管に入りやすい性質があります。従って,肉腫は血管を伝わって転移して行きます。これに対して,胃がん,子宮がん,乳がんなどはリンパ管を伝わって転移することが多いのです。乱暴に割り切っていえば,肉腫細胞は血管を好み,がん細胞はリンパ管を好みます。これは悪性腫瘍の病理学の大原則です。無論,御想像いただけるように例外は少なくありません。

ここで,転移について付け加えておきたいことがあります。脳腫瘍には,そのほかの悪性腫瘍にない特徴があります。脳の実質内に発生した悪性腫瘍は,脳の外へ転移することは極めて稀です。逆に,脳以外の臓器に発生した悪性腫瘍が脳へ転移する場合,脳血管への腫瘍塞栓が大半で,髄液を介して脳に直接浸潤することは極めて稀です。首から上に発生した副鼻腔がん、舌がん、唾液腺がんなどは、局所再発だけでなく,肺にも転移します。



その九 漢字の癌について


『安藤博 乳腺疾患の歴史 - 主に外科史を中心に -』(癌の臨床 別集21,篠原出版,1992)には,中野操博士の報告『癌という漢字について』(日本医事新報 No.2248,43ページ,1967)が引用されています。中野博士の報告の要点は以下の通りです。

 癌という文字は中国で最初に用いられた。

● 最古の例は,南宋の時代の1264年の文献にみられる。

● 日本での初出はそれより遙かにあとの寛文6年(1666)で,その頃には,岩,巌,癌の三通りの書き方が使われていた。

● その後,慶應から明治にかけて,医書のなかで癌に統一された。


小川鼎三『医学用語の起り』(東書選書,1990,23ページ)によると,華岡青洲(1760-1835)の著書の題名は『乳巌治験録』(1805)であり,広田憲寛の『改正増補訳鍵』(1857)には「乳岩の一種」という言葉が使われています。後で述べますが,乳がんが進行すると,乳房が岩のように硬くなります。岩と巌はともに,言い得て妙です。






つづく

# by yojiarata | 2017-01-18 23:59 | Comments(0)