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ハーバー と ボッシュ と 第一次世界大戦  毒ガス戦を演出した科学者たち



ご隠居さん 何をしておられるのですか。

先日,神田の三省堂の6階で,新年度の高校の「化学」の教科書を入手しました。6種類あるんだけど,どれも,同じ大きさ,同じ値段で,すっしりと重いんだ。それで,今,目方を計っているところなんだ。

目方ですって?!

世の中には変わった人もいるもんだね。中身じゃなくで,まず重さだなんて。


君だって,重さは気にならない?

気にならなきゃ,それでいいんだ。


私が購入した東京書籍版は,値段は1085円(税込み)。627グラムです。ほかの5冊も,同じ値段で,同じくらいの重さだと思うよ。

最近感じるんだけど,本はどうしてこんなに重いんだろう。PCのマニュアルなんかも重くて,困っているんだ。もっとも,連れ合いは,超後期高齢化したために,筋肉が弱って,そう感じるんだというんだけど。

紙のつやを出すために,バリウムか何か,金属が混ぜてあると聞いたことがあるけどね。


***


それはそれとして,高校化学の教科書を,どうしてご隠居さんが今頃になって買う気になったの?

戦争に夢中になっていて,これから何をやりだすか分からない我らの ”最高指揮官” の振る舞いを眺めていて,100年前の戦争のことを思い出したんだよ。

順番に書いていくから,ゆっくり読んでください。なお,執筆にあたっては,宮田新平『毒ガス開発の父 ハーバー』(朝日新聞出版,2007)を参考にさせていただきました。



その1 栄光編

ハーバーとボッシュのノーベル賞

 


20世紀の初め,窒素肥料の枯渇が,心配になっていたんだよ。食糧危機に繋がるからね。

窒素と水素からアンモニアを合成する方法を1903年から研究していたフリッツ・ハーバー(Fritz Haber, 1868年12月9日 - 1934年1月29日,ドイツ生まれの化学者)は,1908年,650 ℃ の高温で,オスミウムを触媒に用いるアンモニアの合成に成功し,特許も取得しました。

空中窒素の固定に成功したハーバーの研究によって,人口増加による食糧危機は回避されることになりました。この成果を工業的の実用化するためには,ハーバーの従弟のボッシュが大きな貢献をした。

ハーバーは1918年,ボッシュは1931年,それぞれ,ノーベル化学賞を受賞しました。

 

その2 日本で現在使われている高校の化学の教科書
 


このころの出来事を,現在使われている高校の化学の教科書ではどのように記述しているのかに興味があったんだ。

東京書籍
『 化学 Chemistry 』(著作者,竹内敬人 ほか17名,平成28年2月10日発行,162ページ)
アンモニア合成の歴史 より

アンモニア合成の工業化とその影響

・・・・・ こうして,1911年から,アンモニア合成の試験操業が開始された。この朗報を聞いたドイツ皇帝ウィルヘルム2世は,大量生産されたアンモニアがあれば,窒素肥料と爆薬の自給が可能と考え,1941年,第一次世界大戦の開戦を決意したと言われている。


以上,ハーバーとボッシュに関する記述の全文です。



その3 毒ガスの開発



フリッツ・ハーバーは,第一次世界大戦時に塩素を始めとする各種毒ガス使用の指導的立場にあったことから「化学兵器の父」と呼ばれることがあるよ。ユダヤ人だけど,洗礼を受けユダヤ教から改宗したプロテスタントになったんだ。


第一次世界大戦下,史上初の毒ガス戦がヨーロッパで繰り広げられました。

NHK で放送された 新・映像の世紀 の第1集には,この毒ガス戦の映像が生々しく再現されています。



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付記

第1集  第一次世界大戦・100年の悲劇はここから始まった 2015年10月25日 21:00 - 22:15
第2集  グレートファミリー・超大国アメリカの出現     2015年11月29日 21:00 -21:50
第3集  第二次世界大戦・時代は独裁者を求めた       2015年12月20日 21:00 - 22:15
第4集  冷戦・世界は秘密と嘘に覆われた          2016年1月24日 21:00 - 21:50
第5集  若者たちの反乱・若者の反乱が世界に連鎖した    2016年2月21日 21:00 - 21:50
第6集  21世紀の潮流・あなたのワンカットが世界を変える 2016年3月20日 21:00 - 21:50

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最初に使われたのは, 塩素ガス ,ハーバーは戦いの前線で自ら,指揮をとったそうだよ。


続いて,毒ガスが次々に開発されて,第一次世界大戦で使用されたんだ。

塩素ガスの他に,次に掲げるように,実に様々な毒ガスが使われているよ。


塩化水素

一酸化炭素

シアン化水素

塩化水素

有機リン系の下記の諸々の神経ガス

ホスゲン

ジホスゲン

サリン



サリンという名は,ナチスのサリン開発に携わったシュラーダー (Gerhard Schrader),アンブローズ(Otto Ambros),リッター (Gerhard Ritter),フォン・デア・リンデ (Hans-Jürgen von der Linde) の名前を取って名付けられた。



サリンはもともとは1902年にすでに合成されていたんだけど,当初その毒性は知られていなかったようです。毒性に最初に着目したのはナチス・ドイツ軍で,第二次世界大戦中に量産を計画し,敗戦までに7000トン以上の「サリン」を貯蔵していたにもかかわらず,終戦まで一度も使うことはなかったそうです。

アドルフ・ヒトラーの側近だったヨーゼフ・ゲッベルスは「サリン」投入を主張したんだけど,第一次世界大戦で毒ガスによって視神経や脳神経に一過性の障害を負い喉や眼を負傷した経験を持つヒトラーは彼らの進言を全く聞き入れず,「サリン」を戦争やユダヤ人の殺害に使用することはなかった。また,同じ枢軸陣営であった,日本軍にも「サリン」の技術は提供されなかったと言われています。

宮田新平『毒ガス開発の父 ハーバー』


そして,イギリス軍が マスタード・ガス ,フランス軍が イペリット とよんだ 究極かつ最悪の毒ガス


1917年,主としてイギリス軍の塹壕に向けて発射されたマスタード・ガス(イペリット)は恐ろしいものだったよ。目と呼吸器,皮膚のただれ。どんなガスマスクでも防げないのです。

ドイツでは。エミール・フィッシャーが製造を指導し,1859年に完成した。化学を学んだ人なら,エミール・フィッシャーを知らない人はいないと思うけど。



その4 20世紀前半まで,医学,有機化学を含めたドイツのサイエンスは世界を制覇していた。



君もよく知っていると思うけど,戦前の医学は,ドイツ医学そのものだったよ。小さな町医者の私の父親も,ドイツ語でカルテを書いていたよ。家事兼,薬剤師兼,看護婦兼の私の母親も,テーベー,シャッテン,ワッセルマン ・・・ なんて言っていたよ。

今は,太平洋戦争終結とともに入ってきた実利的なアメリカ医学が世界を制覇してしまい,医者もドイツ語を書けないし,書けないから使わないよ。


毒ガスの研究に多少なりとも関りのあった化学者の名前を挙げてみようか。(順不同)


ロベルト・ヴィルヘルム・ブンゼン

グスタフ・キルヒホフ

エドゥアルト・ブフナー

ヴィクトル・グリニャール

オットー・ジムロート

ヴィルヘルム・オストワルド

カール・エングラー

ハンス・ブンテ

スヴェンテ・アレニウス(スエーデン)

ヴァルター・ネルンスト

ロベール・ル・ロシニョール

フリードリッヒ・ベルギウス

エミール・フィッシャー

エルンスト・ベックマン

リヒャルト・ヴィルシュテッター

オットー・ハーン

アドルフ・フォン・バイヤー


この方々の中から,多数のノーベル賞受賞者が出ています。化学をちょっとでも経験した人なら,自分の使った器具に名前を残しているのに気が付くでしょう。



ちなみに,マスタード・ガスの製造を指揮したのは,エミール・フィッシャーだと言われているよ。



その5 ハーバーとその家族を襲った悲劇



ハーバーの最初の妻,クララは,ドイツで最初に博士の学位をとった化学者だったんだ。彼女は,周囲を顧みることなく,毒ガスの開発に暴走する夫のハーバーの,毒ガスから縁を切るように何度も懇願したそうだよ。耳を貸そうとしない夫が,自宅で毒ガス開発成功のパーティーを開いている時,クララは,夫の部屋から拳銃を持ち出し,自らの胸に向け発砲し自死したと記録は伝えています。



その5 晩年



ハーバーについて,ウェッブ・ページなどを見ると,次のように書かれています。


愛国的科学者として名声の絶頂にあったハーバーだが,1933年にその生涯は暗転した。ナチスが政権をとると,ユダヤ人の多かったカイザー・ヴィルヘルム協会への圧力が強まった。ハーバーは,第一次大戦の従軍経験が考慮されたために自らが解雇されることはなかったが,研究員におけるユダヤ人の割合を減らすよう求められた。しかしハーバーは,この要求は受け入れなかった。

1933年4月,ハーバーは,研究員を採用するにあたって今まで自分はずっと人種を基準にしたことはなかったし,その考えを65歳になった今になって変えることはできない,さらに,「あなたは,祖国ドイツに今日まで全生涯を捧げてきたという自負が,この辞職願を書かせているのだということを理解するだろう」と記した辞職願をプロイセン州教育大臣に提出した。

ハーバーは9月までベルリンに留まり,他のユダヤ人研究者の転職先を探すなどの活動を続けた。その間,自らの職も求めたが,ハーバーはすでに高齢で健康状態が悪化しており,しかも毒ガス開発にかかわったことによって印象を悪くしていたせいもあって,思うような仕事を見つけることは出来なかった。10月にはドイツを離れ,息子ヘルマンのいるパリや,スイスなどで生活した。

その後ウィリアム・ポープからケンブリッジ大学への誘いを受けて一旦イギリスに渡った。ケンブリッジでは触媒を使用した過酸化水素の分解の研究に携わった。しかしイギリスでは毒ガスの件で風当たりが強く,たとえばアーネスト・ラザフォードにはこの理由により会うことを拒まれた。さらにイギリスの気候もハーバーには合わなかった。

ハーバーはスイスにいた時に,シオニズム運動家のハイム・ヴァイツマンと出会っており,ヴァイツマンからパレスチナへ来るよう誘いを受けていた。そのため1934年1月,パレスチナへ向かおうとして,いったんスイスのバーゼルへと移った。しかしその移動中に体調を崩し,1月29日,バーゼルのホテルで睡眠中に冠状動脈硬化症により死去した。享年65。



その6 終結



ところで,ドイツにも,毒ガスの開発,使用に反対した化学者もいたんだ。ヘルマン・シュタウディンガーは,その一人だったそうです。今から50年以上も前,私が進学した薬学部の落合英二先生は,シュタウディンガーの研究室でポスドクをなさったと聞いています。

シュタウディンガーは,スイス国内に本部のある「赤十字」に訴えたと伝えられているよ。

イギリスがマスタード・ガスの開発に成功した頃,サラエボの1発の銃弾に端を発し,1000万人近い犠牲者を出した第一次世界大戦は終わったんだ。


好むと,好まざるに関わらず,サイエンスは戦争と無縁ではいられないんだ。

続きのブログで書くつもりだけど,化学,物理学を学ぶ時に,神様のような存在である ウェルナー・ハイゼンベルグ もナチスドイツに原子爆弾の製造を提案したんだそうだよ。このため,彼を暗殺すべく追いかけたアメリカの諜報機関に付け狙われ,結局,イギリスの田舎に匿われ,その一生を終わったと聞いています。

そんなことを言えば,ルーズベルト大統領に原爆を開発するように進言したアインシュタインだって同罪だよね。


***



残念ながら,話はここで終わらないんだ。実際には,もっと厄介で深刻な問題に人々は悩まされることになるんだ。

続編にいろいろ書くつもりだから,ぜひ読んでください。




ブログ執筆にあたっては,宮田新平『毒ガス開発の父 ハーバー』,インターネットの記事などを参考にさせていただいた部分があります。記して感謝の意を表します。






つづく

by yojiarata | 2016-04-24 21:30 | Comments(0)

戦争終結後に残された 大量の毒ガス兵器 の 処理




第一次世界大戦の開始から第二次世界大戦の終結までの百年余りの間に製造され,使用された化学兵器は,戦争終結とともに,それぞれの国に大量に残されました。猛毒の化学兵器を如何に処理するかは,すべての国とって,頭の痛い問題になりました。


残された化学兵器がどのように処理されたかについて,2014年3月10日,NHKスペシャル

海底からの警告
-化学兵器 大量放棄の実態-

国際共同制作
Georam TV Productions
NHK/ARTE France
2014


が放送されました。

これまで語れる機会の少なかったこの話題を積極的に取り上げだこの番組は,極めて意義深いものでした。我ら国民も,是非とも頭の隅に入れておくべき点たと思います。

以下,読者のために,要点を整理します。


前回の記事 『ハーバー と ボッシュ と 第一次世界大戦 毒ガス戦とその結末』

の続編として読んでください。



§1 毒ガス製造の歴史 


第一次世界大戦において,化学兵器が本格的に使われました。塩素系ガスやマスタード・ガスによる死傷者は130万人以上に達したと言われています。


日本が通ってきた道

第二次世界大戦前から,広島県竹原市沖合の大久野島 おおくのしま で,密かに,大量生産されていました。

これは軍の最高機密であり,大久野島は地図から消されていました。製造が始まったのは,1929年,6千トン以上マスタード・ガス,ルーサイドなどが作られました。これは,軍が作った毒ガスの9割にあたります。
 
島には,100棟以上の建物があり,6000人以上が毒ガスの製造のために働いていたということです。毒ガスは,北九州市苅田(かんだ)港から,全国へ運ばれていったということです。

島にある【毒ガス資料館】には,当時の資料が展示されています。


アメリカ,ドイツ,フランスなどの諸国も,それぞれ大量の化学兵器を作っていました。


§2 毒ガスのもたらした大惨事


第二次世界大戦最中の1943年12月,連合軍が占領していたイタリアの港をドイツ軍が爆撃しました。アメリカ軍のジョン・ハーベイ号が1000発以上の中型爆弾を搭載していました。爆弾には,マスタード・ガスが充填されていました。

爆撃により,船は真っ二つになり,連合軍側に600人以上の死傷者が出ました。この爆撃で,イタリア市民数百人にも被害が及ぶヨーロッパ史上最悪の大惨事とたったのです。被害者の治療にあたった医師たちは,直ちに,化学兵器の存在を疑いました。

この時点で,化学兵器の存在は秘密とされ,公安当局・軍関係者にも知らされていませんでした。。


§3 残された大量の化学兵器の処理

 
第二次世界大戦のあと,それぞれの国では,大量の化学兵器が残され,どの国もその処理に頭を悩ませることになります。

総量100万トンもの化学兵器をどうするか?

当時は,海洋投棄が最も安全な方法であるというのが世界共通の理解でした。こうして,

日本沿岸
インド洋
バルト海
北海

など,世界中の海が毒ガスの墓場となったのです。


ヨーロッパ北部のバルト海には,ドイツ軍が大量の化学兵器を廃棄しました。この結果,バルト海は,世界で最も危険な海になりました。


§4 毒ガス兵器の海洋投棄によって回って来た付け


爆弾の腐食が進み,中の有毒な物質漏れ出し,イタリアの漁民にまず被害が発生しました。それまで経験したことのないにおい,めまい,焼けつくような痛みに加えて,目が見えにくくなる,息が苦しくなる,水ぶくれなど,皮膚の損傷が起こりました。

濃い茶色の物質が網に付着し,2008年8月から12月までの間,事故で命を落とすこともあったと記録されています。

これは間違いなく第二次世界大戦後に始まりました。

漁民は,だれも海に出なくなりました。魚業で成り立っている漁民たちが仕事を失うからです。被害は記録に残ったものだけでも250件ほどで,1952,3年の間,漁師全員が死亡する悲劇が起きました。あの物質への接触が原因であることが分かりました。

この時点で,イタリア政府は調査に乗り出しました。1997年,50年の時を経て最も大掛かりな調査が始まったのです。海底を調べた結果,兵器の腐食が進み,内容物がむき出したり,漏れ出したりしていることが分かりました。毒ガスは,50年たった現在も活性,比重が重いため,沈殿していました。

穴に入る習性のあるヨーロッパアナゴ,ラプラタユメカサゴは,穴の開いた爆弾に入るため,皮膚が損傷していました。

事故が起きた後も,漁師達は,だれも被害のことを口にしませんでした。生計を立てるための仕事を失うからです。こうしているうちに,化学兵器は別の場所に捨てられ,汚染が広がっていったのです。

それから60年,被害発生が続き,イタリアでは,知られているだけでも,250件以上に上りました。


観光地の海岸には,看板が建てられています。日本人観光客に配慮してか,看板には日本語も書いてあります。


Comune di MOLFETTA
PERICOLO
危険
水中に不発弾あり
遊泳禁止





アメリカ,カナダでは,海洋投棄されたことは,分かっているのですが,処理はまだ始まっていません。

日本でも,昭和21年,米軍GHQの命令により,爆弾を船に積み,船ごと,土佐の沖合に沈められました。化学兵器の大半が製造された広島県竹原市沖合の大久野島 おおくのしま で,近くの海に,海洋兵器の投棄が行われました。

現在まで,日本では,最先端技術を投入し,一部の化学兵器を無害化を行っていますが,殆どの化学兵器は海底に眠ったままです。


§5 日本の貢献


2004年,神戸製鋼所が化学兵器の処理に参入することになります。2013年。国から委託を受け,480億円投入した爆破処理などの化学兵器の処理のための研究を行いました。


しかし,1940年代,化学兵器の海洋投棄の実態については,軍は内情を全く知らなかったようです。


§6 デンマーク 漁師を守る対策


ポーランドを中心にバルト海を囲む国々の11の研究機関が共同で調査にあたることになりました。

デンマーク領のバレンボム島では,漁業と農業が主な産業です。ほど近い現場には,バルト海で最も多い3万トンが廃棄されました。海底には水の流れがないとされてきたのですが,実際には,廃棄された化学兵器は広い範囲に拡散していることが分かりました。


§7 国際社会の対応 


アメリカにおける調査の結果,数十に及ぶ投棄場所が特定されました。化学兵器は,11の州の沿岸,さらには他の数か国に及んでいることが明らかになりました。

アメリカの調査は,極めて杜撰でした。数千トンに及ぶ化学兵器が廃棄されたという記録はあいまいで,何処に,何を,どれだけ捨てたのか,分かりませんでした。

しかし,連合軍側は,1947年まで,海洋投棄の事実を秘密にすることを決定しました。米・英両国は,さらに,20年間,延長することにしました。つまり,根本的対策は何も進んでいないのです。

このため,アメリカとソ連では,1960年代まで,海洋投棄が続くことになりました。

アメリカでは,メリランド州のアバディーンに陸軍の兵器実験場があり,大量の化学兵器が製造されました。第二次世界大戦終結後は,9000トンにも及ぶ化学兵器が海洋投棄されました。廃棄の場所は数十か所,投棄された化学兵器は,海底3000メートル以上であるとアメリカは主張しています。しかし,3000メートル以上という証拠はないのです。

驚いたことに,アメリカ連邦議会は海洋投棄,汚染の実態を全く知らなかったのです。アメリカ市民はいうまでもありません。

アメリカでは,

Operation Chase
Cut Holes And Sink ‘em 作戦

の「掛け声」のもとに,化学兵器に対処すべく,作戦が始まりました

1969年,陸軍はアメリカ科学アカデミーに研究を依頼しました。答えは,分解があるか,全容が明らかでないのであるから,海洋投棄を勧告するということでした。

これらの結果を受け,アメリカ議会上院公聴会が開かれ,現時点では,地下に埋められた化学兵器のみを対象とし,海に廃棄された化学兵器はそのままにしておくことが決まりました。


1972年,アメリカ議会により,化学兵器の海洋投棄は違法と定められ,以後,禁止となりました。

この時点以来,アメリカでは,化学兵器の海洋投棄は行われていません。


§8 2013年のノーベル平和賞


アメリカの元・新聞記者 ジョン・ブルの粘り強い調査から始まりました。この人物は,ヨーロッパのどこの国を責任を負わない,ならば,自分がやろうと決めたのです。

調査が始めてみると,重要な資料が次々に得られました。1940年から1960年にかけて撮影された証拠写真が続々と出てきました。

船に積み上げられたマスタード・ガス,ルイサイト,フォスゲンが船に積み上げられた写真,マスタード・ガスの容器を海中に投棄する写真などです。


これらの結果をもとに,化学兵器禁止機関 OPCW が発足しました。

化学兵器禁止機関:Organisation for the Prohibition of Chemical Weapons, OPCW)は,化学兵器禁止条約(CWC)に基づき,1997年に設立された国際機関です。化学兵器の禁止と拡散防止のための世界的な活動を目的とする機関で,本部はオランダ・ハーグ市。職員は約500人です。

2013年オランダハーグで会議が開かれ,化学兵器の全面禁止が採択されました。

化学兵器禁止機関 OPCW には,2013年12月,ノーベル平和賞 が授与されました。



§9 カナダの先住民族の祈り


カナダのケープ・ブレトン島にあるブラドー湖の一帯の湖畔には,先住民族ムースー族が数世紀にわたって暮らしてきました。

ブラドー湖でも,70年に化学兵器の投棄が始まりました。廃棄場所は5か所,先住民には知らせないで投棄が始まったのです。2013年夏まで,10年間にわたって3000発が投棄されました。第2次世界大戦がそのひとつ湖畔の町・ジョーンズタウンに化学兵器製造工場があり大量の化学兵器が製造されていたことを住民たちは知りませんでした。

先住民たちは,確かな異変を感じています。村の長老・アルバート・マーシャルは,次のように話しています。

変わった病に我々は悩んでいます。例えば,私の家族7人は,全員,がんに侵されるました。孫娘も入院して,死を待つばかりです。

長老の言葉。私たちの受けてきた自然の恩恵,命の泉,は未来の世代に残さねばなりません。

ムースー族の祈りの唄がながれるなか,番組は終わります。


偉大なる大自然よ
願いをお聞きください

戦いに勝つための
強さと勇気をお与えください

子供たちのため
清らかな水を この大地にお戻しください







つづく

by yojiarata | 2016-04-24 21:28 | Comments(0)

4月4日 は アンパンの日




ご隠居さん。大変なニコニコ顔ですね。ご機嫌麗しいお姿を拝顔するのは久しぶりですね。

何かあったの。

君は アンパン は好きですか?

何です。藪から棒に。

大平正芳・元総理 が,奥方の次に愛しておられたのがアンパンです。それ聞いただけで大平さんはいい人だとわかるね。


何故なの?

大平さんのウェブを読んでください。




それで,何故,4月4日がアンパンの日ですか?

今から百年ほど前の明治の初めの4月4日,木村屋のボスが,自分のところのアンパンを明治天皇に献上したそうです。そうしたら,明治天皇がいたくお気に召して, アンパンは木村屋に限る と仰せになったんだそうです。

桜の葉の塩付けにした美味なおへそが中心にポコンと位置していて,思い出すだけで,飛びつきたくなるんだ。

君もどう。美味しいよ。





おしまい

by yojiarata | 2016-04-04 23:58 | Comments(0)

忘却とは忘れ去ることなり 60年安保 から 安保法施行まで  巻の1




ご隠居さん ひどくご機嫌が悪いようだけど,どうかしたの。

どうしたも,こうしたもありませんよ。

平成28年度予算が成立した3月29日,夕方のテレビで,安倍総理大臣の記者会見なるものを,篤と拝聴しました。


それで,ご隠居さんのご機嫌が悪くなったの。

そうです。

記者会見なんて,いつもやっていて,ご隠居さんはそのたびに怒っておられるじゃないですか。

そうだよ。

それなのに,今回はひどくお怒りのようですね。何故なの。


あまりにもひどいからです。この人が,一国の総理大臣かと思うと,涙が出るよ。


もっと具体的に説明してください。


一言でいえば,「あれもできるこれもできる しわが一晩で消える。美人になれる」というテレビのコマーシャルだね。

「バナナのたたき売り」だね。君は見たことないと思うけど。「チンドン屋」といってもいいね。

そんなにひどいの。




首相官邸のウェッブページ
を見てよ。

涙が出てくるよ。

情けなくて,悔しいから,次に引用するよ。呆れて声が出なくなるよ。


***



【安倍総理冒頭発言】



 本日,来年度予算が成立いたしました。この予算によって一億総活躍社会の実現に向けた新しい取組が始まります。

 介護休業中の皆さんに支払われる給付は, 賃金の40%から67%へとアップ します。2020年代初頭までに 50万人分の介護の受け皿を整備し ,25万人の介護人材を確保するとの目標に向かって取組を一層加速いたします。

 介護しながら仕事を続けることができる。来年度予算は 「介護離職ゼロ」の実現 に向けて大きな一歩を踏み出す予算であります。

  中小・小規模事業者の皆さん が成長のための設備投資を行う場合, 固定資産税は半分に軽減 されます。自らのアイデアで 地方創生にチャレンジする自治体を自由度の高い交付金で応援する新しい制度 が動き出します。

  アベノミクスの温かい風を全国津々浦々に広げていく 来年度予算は,「戦後最大のGDP600兆円」に向けて「強い経済」を確かなものとする予算であります。

 子供が欲しいと願い, 不妊治療 を初めて受ける方には, 治療費のほぼ100%に相当する30万円 を助成します。

 この3年間, 民主党政権時代の2倍以上のスピード で,30万人分の保育の受け皿を整備しています。来年度もこのペースを維持し, 更に10万人分以上の保育の受け皿 をつくります。 病気になった子供たちの保育も拡充します。

 安心して子供を産み育てることができる社会を創る。来年度予算は「希望出生率1.8」という「的」に向かって力強い「矢」を放つ予算 であります。

  幼児教育の無償化を一層進めます。所得の低い世帯では,第二子は半額,第三子以降は無償とします。ひとり親家庭への児童扶養手当の加算を倍増します。第二子は36年ぶり,第三子以降は22年ぶりの引上げとなります。


 家庭の経済事情にかかわらず,全ての子供たちが夢に向かって頑張ることができる社会を創る。 そのための来年度予算です。

 3年間のアベノミクスによって国民総所得は40兆円近く増加し,国の税収は15兆円増えました。

 このアベノミクスの果実を活かし, 誰もが活躍できる一億総活躍の時代を切り拓くための力強いスタートを切る, それが本日成立した28年度予算であります。

 日本の未来を創るのは,他の誰でもありません。私たち自身であります。少子高齢化の流れに歯止めをかけ,誰もが生きがいを感じられる社会を創る。これは立場の違いを超えた共通の目標であり,私たちが力を合わせて実現すべき課題であります。

 予算案の国会審議では,与党だけでなく,野党の皆さんからも建設的な意見をたくさんいただきました。

 さらに, この半年間,私は対話を重ねてきました。

 20代の若者たち,子育て中のお母さん,介護をしている皆さん,高齢者の方々,難病や障害のある方々,パートタイムや契約社員として働いている皆さんなど,様々な状況に置かれている方々から直接お話を伺うことができました。

 就職の際に新卒者が優遇される文化,再チャレンジを阻む「壁」,子育てや介護との両立という「壁」,定年退職・年齢の「壁」,やりたいと思うことがあっても,様々な「壁」が立ちはだかる現実を改めて実感いたしました。

 こうした「壁」を一つ一つ取り除く。「 ニッポン一億総活躍プラン」を策定します。

 最大のチャレンジは「働き方改革」 であります。

 多様な働き方が可能となるよう,労働制度や社会の発想を大きく転換しなければなりません。時間外労働の規制を見直し,長時間労働や働き過ぎを是正します。再チャレンジ可能な社会を創るためにも,「正規か非正規か」といった雇用の形態にかかわらない均等待遇を確保する。そして,同一労働同一賃金の実現に踏み込む考えであります。

 「生涯現役社会」を実現するため,定年引上げや雇用継続の延長に向けた環境を整えるとともに「働きたい」と願う高齢者の皆さんへの就職支援も充実する 必要があります。

 若者たちにチャンスあふれる社会を創る。多子世帯への支援,子育てや教育への支援を抜本的に拡充してまいります。

 家庭の経済事情に関係なく,希望すれば誰もが大学にも専修学校にも進学できるようにしなければなりません。本年から,児童養護施設や里親の下で育った子供たちが進学した場合,毎月家賃相当額に加えて5万円の生活費を支給し,そして,卒業後,5年間仕事を続ければ,その返還を免除する新しい制度を始めました。本当に厳しい状況にある子供たちには,返還が要らなくなる給付型の支援によってしっかりと手を差し伸べてまいります。

 そして,可能な限り速やかに,必要とする全ての子供たちが利子の無い奨学金を受けられるようにしてまいります。返済額についても,社会に出た後の所得に応じて変化させることで,過度な負担とならないように配慮いたします。

 介護や子育てをしながら仕事を続けることができる,そうした社会を創るためにも介護や保育の受け皿整備を一層加速します。未就学児のみならず,小学生の学童保育も含めた「待機児童ゼロ」の実現を目指してまいります。

 介護福祉士を目指し,専門学校で学んでいる一人の学生と先日,出会いました。

 「4月から介護の現場で働くことに大きな期待を感じています。」

 小金さんは最後にこう締めくくりました。

 「高い意識を持って,介護の現場で長く働いている人が数多くいる。」「介護の仕事は素晴らしく,本当にやりがいのある仕事だということを国民の皆さんに正しく理解してもらいたい。」
 「そして,介護の仕事を積極的に目指す人が一人でも増えることを願っています。」

 高い使命感と希望を持って,介護福祉士や保育士の道を選んだ人たちを私たちは国を挙げて応援していかなければなりません。経験に応じた給料アップの仕組みをつくりながら,処遇の改善にもしっかりと取り組んでまいります。さらに,保育補助者の活用などにより,「質」の向上を図りながら,現場の皆さんの負担を軽減いたします。

 10年先の未来を見据えながら,これまでの発想にとらわれない大胆かつ総合的な政策を「ニッポン一億総活躍プラン」として5月に取りまとめたいと考えています。

 さて,私はこれまで繰り返し,「来年度予算の早期成立こそが最大の経済対策」であると申し上げてきました。

 その実を挙げるためには,この予算を早期に執行することが必要です。可能なものから前倒し実施するよう,財務大臣に早速指示いたします。

 今年の春闘では3年連続多くの企業でベースアップが実現しました。民主党政権時代はもとより,それ以前も10年間達成できなかった,今世紀に入って最も高い水準の賃上げが3年続いています。

 さらに,連合の調査では,今年,非正規労働者の皆さんの賃上げ水準は正規労働者を上回った。給料アップの流れはその裾野をどんどん広げています。

 有効求人倍率は24年ぶりの高い水準です。就業地別で見れば47の都道府県のうち46で1倍を超えている。一人の求職者に対して一つ以上の仕事がある状態となっています。

 こうした中で,昨年は正規雇用が8年ぶりに増加に転じ,26万人増えました。「非正規労働者ばかりが増えている」という批判もありましたが,昨年は非正規雇用の増加よりも正規雇用の増加が上回った。これは21年ぶりの出来事であります。

 我が国の雇用・所得環境は順調に改善を続けており,日本経済の回復傾向に変わりはないと考えております。

 他方で年明け以降,中国の景気減速への懸念,原油価格の低下などを背景に我が国を含め世界的に市場が大きく変動しており,世界経済の不透明さが増していることも事実であります。

 先月のG20でも世界経済の「下方リスクと脆弱性が高まっている」との認識で各国が一致いたしました。

 5月の伊勢志摩サミットでも現下の経済情勢が最大のテーマとなることは間違いありません。

 現在,ノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツ教授やクルーグマン教授など,国内外の有識者から現下の世界の金融経済情勢と,とるべき方策について直接話を伺い,率直な意見交換を行っています。

世界経済の持続的かつ力強い成長を実現するために,今,G7の政策協調が求められている。伊勢志摩サミットの行方に世界中が注目しています。そして,議長国・日本への大きな期待を感じています。

 明日からのワシントン訪問でも世界のリーダーたちと可能な限り首脳会談を行い,現下の経済情勢について忌憚のない議論を行う考えです。さらに,このチャンスを生かし,国際金融・経済に詳しい著名な有識者と意見交換をする機会も設けたいと考えています。

 こうした様々な議論を踏まえて,G7の議長国として新たな局面に入った,世界経済の舵取りにしっかりとリーダーシップを発揮していきたいと考えています。

 私からは以上であります。



***



このあと,内閣広報官を名乗る人物(記者会見の司会者)が,次のように発言するよ。


【質疑応答】
(内閣広報官)
 
それでは,皆様からの質問をいただきます。官僚独特の慇懃無礼という感じだね。


 初めに幹事社からの質問をいただきます。質問される方は,所属とお名前を明らかにしてからお願いいたします。どうぞ。

・・・・・

安倍氏が20分以上発言し,残りの数分を使って5人の記者が質問するいつものパターンで,30分の記者会見が終わりました。

君は知らないと思うけど,内閣広報官というのは,昔の言葉で言えば,内務官僚,例えば,特高警察の親玉です。




***




実際には,ここから本題に入るんだけど,一つのブログの記事には字数制限があるので,続きの【巻の2】を読んでください。

次に進む前に,一つだけ書いておきたいことがあります。

小生,超後期高齢者のため,週2回,デイケアサービスに通っています。ところが,今月になって,予算が大幅に削られ,ここを細々と運営している責任者は,真っ青になっています。これだって,安倍氏が記者会見で言っておられることと,逆の方向じゃありませんかね。








つづく

by yojiarata | 2016-04-03 22:13 | Comments(0)

忘却とは忘れ去ることなり 60年安保 から 安保法施行まで  巻の2 




まず,3月29日(2016)の朝刊第1面から。

安保法 施行

集団的自衛権容認,専守防衛を転換



これによって,自衛隊の海外での武力行使や,米軍など他国軍への後方支援を世界中で可能とし,戦後日本が維持してきた「専守防衛」の政策を大きく転換した。 ・・・・・

これは大変なことだよ。安倍大臣は,それが分かっていながら,アメリカさんの後を,ヒョコヒョコとついていっているんだ。何だかよく分からないんだけど,日本は 有志連合 の一員のようですね。何か起きたら,彼の人はどう責任をとるんだろうね。


このブログの半分以上を費やして書いてきたことを,篤と読み直してほしいね。

2014年の5月から10月の間に書いた記事が,次のブログにまとめてあるよ。


日本よ 黙って 安倍晋三総理と 心中するつもりですか

この後も,現在に至るまで,いくつも記事を書いています。すでに発表したページを追っていってほしいですね。

ここで特に読んでほしいと思う記事を挙げておくよ。


アメリカ国家の素顔 と 安倍政権の『戦争法案』


安保法制 と 集団的自衛権 9月に最終章へ


安倍晋三総理大臣に捧ぐ 安保法成立にあたって


経団連 武器など防衛装備品の輸出を「国家戦略として推進すべきだ」



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ここで,1930年代,満州で何が起こっていたかに触れないわけにはいきません。それには,次のページをじっくり読んでほしいのです。続き物のブログですが,ここで直接関係あるのは,巻の1です。


満州の妖怪とその末裔 安倍一族 巻の1


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再読しながら思ったのは,砂川事件も,60年安保も,犠牲になった樺美智子さんのことも,潮が引くように,人々の記憶から消えていくよね。ついこの間の,安保法成立の時のデモも, ・・・・・

人間の記憶というのはそのようにできているんだろうね。だから, 歴史は何度でも繰り返されるんだね。

それでも,粘り強く独自の目で時代を観察,軍が支配していた時代の記録を,軍事政権からの圧力に抗して堂々と記録に残している人物がいるよね。

人 と 言葉 永井荷風 :断腸亭日乗を読む。巻の一 - 巻の十三 には,太平洋戦争の真っ直中からアメリカ軍占領下の騒然とした時代を淡々と醒めた目で淡々と記述されています。


吉田秀和の妻・バーバラ(ドイツ生まれ,2003年 死去)は批判の心をこめて,「日本が戦争に突き進む決定的な年」と考えた1937年に焦点を当てて,断腸亭日乗の翻訳に最後の情熱を預けたという。
(吉田秀和 ④,朝日新聞夕刊,2016年3月28日,第3面)


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ここで,これまで何度か引用した次の記事をもう一度読んでほしいんだ。


きけ 伊丹万作 の こえ


伊丹万作『戦争責任者の問題』
(『映画春秋』創刊号・昭和二十一年八月)


大事な部分をもう一度,再現しておきます。

多くの人が,今度の戦争でだまされていたという。

いくらだますものがいても,だれ一人騙されるものがいなかったとしたら,今度のような戦争は成り立たなかったにちがいないのである。

「だまされていた」 といつて平気でいられる国民なら,おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや,現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。









未完

by yojiarata | 2016-04-03 22:11 | Comments(0)