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安保法制 と 集団的自衛権  9月に最終章へ



ご隠居さん。また,いつもの話ですか。

残念ながら。だけど,今の世の中,呑気なことを言っていられないよ。



例えば,8月27日の朝刊1面のトップに,次のように書かれているよ。


集団的自衛権 揺れる事例

米艦保護
昨年の首相 「日本人の命守る」

防衛相 「邦人乗船,絶対でない」


他にも,色々,ごちゃごちゃと報じられています。


現政権は,9月の前半までに,安保法制の成立を図りたい考えのようですね。


この問題を考えていくとき,キーワードは,次の3点です。これで,すべてが尽くされているんじゃありませんかね。



***




 ① 日本国家は,アメリカの下部 しもべ である 



この点については,何度も書いたけど,次の記事の主役は,現総理の祖父の岸信介です。東条英機と組んで,満州の関東軍を操り,なぜか,A級戦犯で絞首刑になることを逃れ,1960年の安保改定の主役を演じ,我が日本をアメリカの下部 になることを決定づけた張本人です。


満州の妖怪 と その末裔 安倍一族  巻の1- 巻の6


気が付いてみると,いつの間にか,中東の大火の中にいて,いつの間にか,犠牲者が出ているなんてこともありうるよ。何しろ,後ろには,怖いアメリカさんが 見張っているからね。


沖縄基地問題にしても,官房長官は,記者会見で,1ヶ月の冷却期間を入れて,それから先に進みたいなんて,とぼけたことを言っているけど,ご主人様には,必ず問題を突破することを誓いますので,今しばらくご猶予を,と土下座して謝っているに違いないと思います。




***



アメリカの歴史家 ジョン・ダワー氏 が,2015年8月4日の朝日新聞 (15ページ全面) に極めて重要な記事を寄稿しています。


同氏は,『敗北を抱きしめて』 で,ピュリツァ-賞を受賞しています。ちなみに,ピュリツァー賞 (Pulitzer Prize )は,新聞等の印刷報道,文学,作曲に与えられる米国で最も権威ある賞です。 1917年発足。


Embracing Defeat: Japan in the Wake of World War II, (W. W. Norton, 1999).
三浦陽一・高杉忠明・田代泰子訳 『敗北を抱きしめて ― 第二次大戦後の日本人 (上・下)』 (岩波書店, 2001年/増補版2004年)



ジョン・ダワー氏が朝日新聞に寄稿した記事の一部をここに引用しておきます。


・・・・・ 核戦略を含め,米国の政策を何でも支持するのが日本政府です。その意味で,戦後日本の姿勢は,いわば 『従属的独立』 だと考えます。独立はしているものの,決して米国と対等でない」


「過去を振り返れば,安倍晋三首相がよく引き合いに出す,祖父の岸信介首相が思い浮かびます。岸首相は確かに有能な政治家ではありましたが,従属的な日米関係を固定化する土台を作った人だと私は考えています」


「同様に,孫の安倍首相が進める安全保障政策や憲法改正によって,日本が対米自立を高めることはないと思います。逆に,ますます日本は米国に従属するようになる。その意味で,安倍首相をナショナリストと呼ぶことには矛盾を感じます」


・・・・・




驚くほど,核心を突いた記事です。

ぜひ, 記事の全文(巻末に掲載を読んでほしいと思います。


関連の問題について,ブログに次の記事を書きましたので,併せて読んでいただきたいですね。 アメリカ国家の素顔 と 安倍政権 の 『戦争法案』



➁ 日本人の国民性


我々日本民族は,世界的にみても,素直で人柄の良い人々の集まりだと思います。我々が世界に誇る雅な文化がそれを示しています。そのためかどうかわかりませんが,先月は,デモで盛り上がったかと思うと,もう忘れ始め,新聞によると,低下をはじめた内閣支持率が持ち直しているというじゃありませんか。


何度も引用したけど,伊丹万作が戦後すぐの1946年 (昭和21年) に書いた次の言葉をまた引用します。

きけ 伊丹万作の こえ



多くの人が,今度の戦争でだまされていたという。

いくらだますものがいても,だれ一人騙されるものがいなかったとしたら,今度のような戦争は成り立たなかったにちがいないのである。

「だまされていた」 といつて平気でいられる国民なら, おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや,現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。





③ 戦争を商売にする 「死の商人」 の 存在


怖ろしいよね。お互いを殺しあっている武器が,一体どこから来たのか分らないんだよ。日本も大量の武器を作って,輸出しているからね。法律の上では,色々条件が付いているみたいだけど,何がどうなっているか,分ったものじゃないからね。日本で作られた武器が,現在,中東で使われている可能性だってあるし,中東に派遣された自衛隊員が中東で,日本製の武器で命を落とすなんて悲劇がおこるかもしれませんよ。


太平洋戦争の折も,大財閥が武器で大儲けをしてのは,よく知られているからね。その系列の連中が,今でも,死の商人として,同じことをしているんですよ。


世界平和とか何とか,きれいごとをいっているけど,世の中,所詮,これらの連中が動かしているお金ではないか思うよ。


岡倉古志郎 『死の商人』 (岩波新書)を読んでみてほしいです。絶版ですが,アマゾンの古書に入っていて,1円-150円で入手できます。こんな重要な本が,この値段というのは,いささか淋しい気がします。



2015年8月31日執筆






未完


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日本が誇るソフトパワーとは ジョン・ダワー氏に聞く

ニューヨーク支局長・真鍋弘樹

2015年8月4日10時19分



あの戦争が終わって70年,日本は立つべき場所を見失いかけているようにみえる。私たちは何を誇りにし,どのように過去を受け止めるべきなのか。国を愛するとは,どういうことなのか。名著「敗北を抱きしめて」で,敗戦直後の日本人の姿を活写した米国の歴史家の声に,耳をすませてみる。

• 特集:戦後70年

 ― 戦後70年を振り返り,日本が成したこと,評価できることは何だと考えますか。


 「以前,外務省の高官から『日本はソフトパワーを重視している』と聞かされたことがあります。日本車,和食,漫画やアニメ,ポップカルチャー。世界が賛美するものは確かに多い。しかし,例えばハロー・キティーが外交上の力になるかといえば,違うでしょう。世界中が知っている日本の本当のソフトパワーは,現憲法下で反軍事的な政策を守り続けてきたことです」

 「1946年に日本国憲法の草案を作ったのは米国です。しかし,現在まで憲法が変えられなかったのは,日本人が反軍事の理念を尊重してきたからであり,決して米国の意向ではなかった。これは称賛に値するソフトパワーです。変えたいというのなら変えられたのだから,米国に押しつけられたと考えるのは間違っている。憲法は,日本をどんな国とも違う国にしました」


 ― その理念は,どこから生まれたと考えますか。

 「このソフトパワー,反軍事の精神は,政府の主導ではなく,国民の側から生まれ育ったものです。敗戦直後は極めて苦しい時代でしたが,多くの理想主義と根源的な問いがありました。平和と民主主義という言葉は,疲れ果て,困窮した多くの日本人にとって,とても大きな意味を持った。これは,戦争に勝った米国が持ち得なかった経験です」

 「幅広い民衆による平和と民主主義への共感は,高度成長を経ても続きました。敗戦直後に加えて,もう一つの重要な時期は,60年代の市民運動の盛り上がりでしょう。反公害運動やベトナム反戦,沖縄返還など,この時期,日本国民は民主主義を自らの手につかみとり,声を上げなければならないと考えました。女性たちも発言を始め,戦後の歴史で大切な役割を果たしていきます」

 
 ― 政治は何をしたでしょう。

 「私の最初の著書は吉田茂首相についてのものですが,彼の存在は大きかった。朝鮮戦争の頃,国務長官になるジョン・ダレスは,憲法改正を要求してきました。吉田首相は,こう言い返した。女性たちが必ず反対するから,改憲は不可能だ。女性に投票権を与えたのはあなた方ですよ,と」

 「その決断はたいへん賢明だったと思います。もし改憲に踏み込めば,米国はきっと日本に朝鮮半島への派兵を求めるだろうと彼は思った。終戦のわずか5年後に,日本人が海外に出て行って戦うようなことがあれば,国の破滅につながると考えたのです」

 「その決断の後,今にいたるまで憲法は変えられていません。結果,朝鮮半島やベトナムに部隊を送らずに済んだ。もし9条がなければ,イラクやアフガニスタンでも実戦に参加していたでしょう。米国の戦争に巻き込まれ,日本が海外派兵するような事態を憲法が防ぎました」


    ■    ■


 ― 現政権が進める安保法制で,何が変わるでしょうか。

 「日本のソフトパワーが試練にさらされています。集団的自衛権の行使に踏み込み,日本を『普通の国』にするというのが保守政治家らの考えですが,普通とは何を指すのか,私には分かりません。国際的な平和維持に貢献するといいつつ,念頭にあるのは米軍とのさらなる協力でしょう。米国は軍事政策が圧倒的な影響力を持っている特殊な国であり,核兵器も持っている。そんな国の軍隊と密接につながるのが,果たして普通なのでしょうか」


 ― 戦後の日本外交は,米国との関係を軸にしてきました。

 「日本の外交防衛政策を知りたければ,東京でなくワシントンを見ろとよく言われます。環太平洋経済連携協定(TPP)への参加しかり,アジアインフラ投資銀行(AIIB)加盟についての判断しかり。核戦略を含め,米国の政策を何でも支持するのが日本政府です。その意味で,戦後日本の姿は,いわば『従属的独立』だと考えます。独立はしているものの,決して米国と対等ではない」

 「過去を振り返れば,安倍晋三首相がよく引き合いに出す,祖父の岸信介首相が思い浮かびます。岸首相は確かに有能な政治家ではありましたが,従属的な日米関係を固定化する土台を作った人だと私は考えています」

 「同様に,孫の安倍首相が進める安全保障政策や憲法改正によって,日本が対米自立を高めることはないと私は思います。逆に,ますます日本は米国に従属するようになる。その意味で,安倍首相をナショナリストと呼ぶことには矛盾を感じます」


 ― 現在のアジア情勢を見れば,米軍とのさらなる協力が不可欠だという意見もあります。

 「尖閣諸島や南シナ海をめぐる中国の振る舞いに緊張が高まっている今,アジアにおける安全保障政策は確かに難題です。民主党の鳩山政権は『東アジア共同体』構想を唱えましたが,それに見合う力量はなく,米国によって完全につぶされました」

 「だからといって,米軍と一体化するのが最善とは思えません。冷戦後の米国は,世界のどんな地域でも米軍が優位に立ち続けるべきだと考えています。中国近海を含んだすべての沿岸海域を米国が管理するという考えです。これを米国は防衛と呼び,中国は挑発と見なす。この米中のパワーゲームに日本が取り込まれています。ここから抜け出すのは難しいですが,日本のソフトパワーによって解決策を見いだすべきです」


    ■    ■


 ― 対外的な強硬姿勢を支持する人も増えています。

 「今,世界のいたるところで排外主義的な思想がはびこり,右派政治の出現とつながっています。ナショナリズムの隆盛は世界的な文脈で考えるべきで,日本だけの問題ではありません。グローバル化による格差が緊張と不安定を生み,混乱と不安が広がる。そんな時,他国,他宗教,他の集団と比べて,自分が属する国や集まりこそが優れており,絶対に正しいのだという考えは,心の平穏をもたらします。そしてソーシャルメディアが一部の声をさらに増殖して広める。これは,20年前にはなかった現象です」

 「北朝鮮や中国は脅威のように映りますが,本当に恐ろしいのはナショナリズムの連鎖です。国内の動きが他国を刺激し,さらに緊張を高める。日本にはぜひ,この熱を冷まして欲しいのです」


 ― では,日本のソフトパワーで何ができるでしょうか。

 「福島で原発事故が起き,さらに憲法がひねり潰されそうになっている今,過去のように国民から大きな声が上がるかどうかが問題でしょう。今の政策に,国民は疑問を感じています。安倍首相は自らの信念を貫くために法治主義をゆがめ,解釈によって憲法違反を続けている。そこで,多くの国民が『ちょっと待った』と言い始めたように見えます」

 「繰り返しますが,戦後日本で私が最も称賛したいのは,下から沸き上がった動きです。国民は70年の長きにわたって,平和と民主主義の理念を守り続けてきた。このことこそ,日本人は誇るべきでしょう。一部の人たちは戦前や戦時の日本の誇りを重視し,歴史認識を変えようとしていますが,それは間違っている」

 「本当に偉大な国は,自分たちの過去も批判しなければなりません。日本も,そして米国も,戦争中に多くの恥ずべき行為をしており,それは自ら批判しなければならない。郷土を愛することを英語でパトリオティズムと言います。狭量で不寛容なナショナリズムとは異なり,これは正当な思いです。すべての国は称賛され,尊敬されるべきものを持っている。そして自国を愛するからこそ,人々は過去を反省し,変革を起こそうとするのです」

     ◇

 John Dower 38年生まれ。マサチューセッツ工科大学名誉教授。著作に「吉田茂とその時代」,ピュリツァー賞受賞の「敗北を抱きしめて」など。

■ 取材を終えて

 とても大切なものなのに,思いのほか,本人は気づいていない。外から言われて,かけがえのなさを知る。よくあることだ。敗戦後に日本が手にしたものこそ世界に誇りうる,という指摘にはっとした。そうか,自分たちの手元を見つめればいいんだ。

 戦後の日本人は立場を問わず,自らの国を愛することに不器用になっていたのだろう。反発したり,逆に突っ走ったり,どこかの国に依存したり。愛国という言葉に素直になれない。70年前,形容しがたいほど惨めで痛ましい敗戦を経験し,国家への信頼を一度,完全に失ったのだから,それも当然なのだが。

 戦後70年の夏は,この宿題に向き合う好機かもしれない。国家という抽象的なものではなく,戦後を生き抜いた一人ひとりの道程にこそ,よって立つ足場がある。(ニューヨーク支局長・真鍋弘樹)
by yojiarata | 2015-08-31 20:51 | Comments(0)

辻井伸行氏への期待  日本の文化遺産の世界への発信



ご隠居さん。今日は,ピアノの話ですか。意味不明の話だったら聞きたくないよ。


マ,落ち着いてください。


*



しばらく前のことになるけど,NHKのラジオ深夜便で,辻井伸行氏の母親いつ子さんの話

ピアニスト辻井伸行と共に歩んだ26年

を聴いたんだ。


母親のいつ子さんは,生後まもなく息子の伸行さんが全盲とわかり,絶望と不安に襲われたんだけど,それでも"親ばか子育て法"なる育児法を実践し,プロのピアニストと二人三脚で,伸行さんを素晴らしいピアニストに育てられるまでの経験談でした。


私は,音楽の完全な素人ですが,辻井信行氏の現在の活躍ぶりを100%認めたうえで,彼の将来に期待したいことがあります。


辻井氏の演奏を聴いている時,フランスのピアニスト リチャード・クレイダーマン のことがふと頭に浮かびました。


リチャード・クレイダーマン (1953年生まれ) のデビュー曲(1976年発表)「渚のアデリーヌ」 は,世界的な大ヒットとなりました。ほかに,「星空のピアニスト」などの透明で静かな曲が沢山あるあります。日本にも,現在は,同じような感じのピアノ曲を演奏する人が少なからずいるけれど,”本家” はクレイダーマンです。


リチャード・クレイダーマンは,現在還暦を過ぎたばかりです。最初は天才ピアニストとして称賛され,クラシックの世界でデビューしたんだけど,事情があって,ポピュラー音楽に転向して,大成功したんだ。


君も,YouTube で聴いてみてよ。素晴らしいから。


辻井氏は,素晴らしいよ。だけど,日本の文化遺産に係わる貢献をしてくれると,もっと素晴らしいと思うんだけどね。彼の腕で,日本の文化遺産から,彼独自のモノを紡ぎ出してほしいんだよ。


古事記,日本書紀などにはじまって,万葉集なと,日本の古典の可能性は無限にあると思うんだけどね。


是非とも,日本の優雅な文化遺産を世界に発信してほしいんだ。世界が注目することは,保証します。素人の私が保証しても,滑稽なだけで,何の助けにもならないことは,百も承知の上だけど。





期待と共に

by yojiarata | 2015-08-24 22:37 | Comments(0)

阪神甲子園球場  高校野球選手権大会の今昔





◆ 野球少年の巻


私は,中学生の頃からの野球少年です。つまり,超後期高齢者の野球少年です。


野球に初めて接したのは,NHKラジオの中継です。始まりは,京都二中,田丸君。


戦争で,岡山市の家を焼け出され,母の実家の岡山市郊外の田んぼのなかに居候して,一里あまりの道を歩いて中学に通い始めた頃です。往復8キロ以上の道を毎日歩いて中学に通い,夏休みには,毎日,午後は,近くの旭川で泳いでいたのが,超後期高齢者になった今も,何とか生き永らえているエネルギーの一端になっているのかもしれません。


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1946年,戦後初の大会に出場した京都二中のエース・田丸道夫君 【写真は共同】



親子鷹のハシリともいえる田丸道蔵監督・エース田丸道夫のコンビを中心に成田中(千葉),桐生工(群馬),鹿児島商(鹿児島),下関商(山口)を撃破。決勝では,浪華商(大阪)に0対2で敗れたけれど,朝日新聞記者の飛田穂洲が 「平古場(昭二/浪華商のエース)を相手にここまで戦い得たのは京都二中以外になかったであろう」と賞賛した準優勝だったよ。


京都二中     0 0 0 0 0 0 0 0 0   0

浪華商      0 0 0 0 0 1 0 1 X   2

(京) : 田丸 - 金森
(浪) : 平古場 - 広瀬

審判: 球審 浜崎,塁審 伊達・牧野・弘世


平古場投手は,我ら野球少年にとって,神様のような存在だったんだ。神様は,2007年8月12日,香川県小豆島で ひっそりとお隠れになられた。 享年79。


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◆ 球友・中村泰男君の巻


中村君は,60年近くに亘る球友です。野球のことになると,会話スタート後,直ちに話が通じます。


その中村君からメールが届きました。


あんなに好きだった高校野球も,最近はほとんど見てません。昨日の興南-関東を途中から見たのが今夏最初の甲子園です。ものすごく技量が発達し,なんだか別世界の野球のようです。へたくそ感のなくなった高校野球は寂しいです。


地方大会では,公立の熊谷(=浦高のライバル,ちなみに私の代では春ベスト16だが,2回戦で浦高がコールド勝ちした)がベスト8,松山がベスト4,ノーシードの白岡 (実家のある蓮田の隣町) がプロ高校野球の浦和学院を破って決勝進出と,幾分意外性が残っていますが,最後はプロにやられてしまいますね ・・・・・ 浦高も 3回戦まで行けば応援に行くのに ・・・・・ 



私も,中村君の意見に賛成です。

技術が物凄く向上し,プロ真っ青のプレイが出るかと思えば,つまらないエラー,フォアボールなどで失点してゲームが決まってしまうんだ。例えば,準々決勝の4試合,結果だけ見ると,どの試合も1点を争う好ゲームであるかのような印象だけど,やはり,中身は薄いんだよ。



***



私がこれまでにこのブログに書いた記事から。


枯葉

木枯らしといえば,二葉あき子さんの 『別れても』 を思い出す。


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前にも書いたが,私の中学生活は,明けても暮れても,野球とともにあった。戦災で焼け出され,母の実家のある田舎の家を早朝6時にでて,一里(約4キロ)のまだ暗い道を歩いて,入学したばかりの中学に行く。中学と言っても,全焼して校舎はなく,グランドはやけに広かった。仲間が大勢集まっている。授業が始まるまで,布で作ったボールと竹のバットで野球。授業が終わった後は,また野球。薄暗くなってから,田舎の道を歩く。木枯らしの頃の寒さは格別だった。家に駆け込み,コタツに潜り込む。


「空になる凩,雨戸うつ吹雪 ・・・ 」 は,まるで子守唄のように,野球少年だったあの頃を思い出させる。


ほかにも,『水色のワルツ』,『夜のプラットホーム』などを遺した二葉あき子さんは,今年8月16日,心不全のため他界された。今の世にはもはや存在しない上品で透明な声の歌い手だった。




野球少年 正岡子規の巻


小雨の丘


野球少年 甲子園の一球の巻


野球少年の記憶 土井垣武





by yojiarata | 2015-08-24 22:25 | Comments(0)

安倍談話が映しだす リーダーの要件



ご隠居さん やけに元気がありませんね。殆ど ”涙目” だけと,眼科で診てもらったら。



*


安倍談話については,新聞,テレビなどで 一大ディスカッションが行われているけれど,私の肩の力が,ガックリ抜けたのは,一国のリーダーとしての彼の人の資質です。暗澹たる気持ちになったんだ。この男が,日本の今後に関わると思うと,悲しくなるんだよ。涙目になるんだよ。



彼の人は,まるで他人事のように,20分以上もかけて,ダラダラと同じことを繰り返していたでしょ。官僚が書いた文章を読んでいるんだ。何だか,疲れ切って,目のまわりはクマだらけ,目に輝きがないし,背中をポンと押すと倒れそうだったよね。威厳もなければ,迫力もない。醸し出す雰囲気も,私たち後期高齢者と同じ,ヨボヨボの爺さんですよ。去年,還暦を迎えたばかりなんだけどね。



「オマケ」に,以前,このブログに書いた 青春 から,青春の詩を引用しておくよ。占領軍総司令官として,元・第一生命ビルに居を構えていたダグラス・マッカーサーのオフィッスの壁には,この詩のコ ピーが貼られていたそうだよ。


還暦を迎えたばかりの 「精神的高齢者」 の彼の人も,マッカーサーの真似をして,総理大臣室に青春の詩を貼り付けておいたらどうでしょうね。


青春の詩


青春とは人生のある期間をいうのではなく,心の様相をいうのだ。

優れた創造力,たくましき意志,炎ゆる情熱,・・・・・

こういう様相を青春というのだ。

年を重ねただけでは人は老いない。・・・・・

歳月は皮膚のしわを増すが,情熱を失う時に精神はしぼむ。

人は信念とともに若く,疑惑とともに老いる。

人は自信とともに若く,恐怖とともに老いる。

希望ある限り若く,失望とともに老い朽ちる。


サムエル・ウルマン (アメリカの詩人,1840-1924) 『青春』 岡田義夫訳)

宮澤次郎『感動の詩賦 青春』(糸井出版,第十一刷,1989)




いまから百年近くも前に書かれたこの詩は,世界中の多くの人々の共感をよび,いまも愛誦され続けているよ。信念を失って干涸びた二十歳の老人がいてもおかしくないし,希望に燃える八十歳の青年がいてもおかしくないんだよ。





質問が官僚によって取り仕切られていたけど,通信専門の時事通信などではなく,新聞,テレビなどのメディアのなかから,産経新聞,日本テレビなどが質問するようにできているんだ。どう考えてみても,これはやらせですよ。

総理大臣の記者会見と称するものが度度あるけど,いつも,パターンはいつも同じだね。官僚に取り仕切られた 猿芝居 以外の何物でもないね。


ついでに,この前書いた 蒟蒻問答 をもう一度読んでください。


これ以上書くことはよして,このブログで私が繰り返し書いてきたことのなかから,2点だけ再現しておきます。




***




勝海舟のことば


おれが始めて亜米利加へ行って帰朝したときに,御老中から,「その方は一種の眼光を具えた人物であるから,さだめて異国へ渡りてから,何か目をつけたことあろう。つまびらかに言上せよ」とのことであった。・・・・


再三再四問われるから,おれも,「さよう,少し目につきましたのは,亜米利加では,政府でも民間でも,およそ人の上に立つものは,皆その地位相応に怜悧でございます。この点ばかりは,全くわが国と反対のように思いまする」と言ったら,御老中が目を丸くして,「この無礼者控えおろう」と叱ったっけ。ハハハハハ

高野澄(編訳)『勝海舟文言抄』(徳間書店,1974,238ページ)


*



伊丹万作のことば



伊丹万作が,太平洋戦争終結の直後の 昭和21年 (1946年) に書いた記事には,ドキッとさせられるよ。詳しいことは,ブログそのものを読んでほしいだけど,要点を書いておきます。


多くの人が,今度の戦争でだまされていたという。

いくらだますものがいても,だれ一人騙されるものがいなかったとしたら,今度のような戦争は成り立たなかったにちがいないのである。

「だまされていた」 といつて平気でいられる国民なら, おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや,現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。






*



詳しいことは,下記のブログの記事に書きました。


勝海舟のことば


伊丹万作のことば






おわりのないおわり

by yojiarata | 2015-08-15 23:49 | Comments(0)

王さんの甲子園  遠い記憶





王さんの始球式,実に見事だったね。78歳であのストライクですからね。


王さんと甲子園といえば,必ず思い出すことがあります。あれから,60年近く経つけど。


1年生の秋よりエースとなる。久保田高行総監督・宮井勝成監督の指導のもと,ノーワインドアップ投法を身に付け,投球に安定感が増した。春の甲子園で準決勝まで 3 試合連続完封。高知商業高校と対戦した決勝戦では,8回 に3点を奪われて4試合連続完封を逃したものの,5対3 で完投勝利し,優勝を果たす。・・・・・・


2年夏の甲子園では 2 回戦の寝屋川高校戦で延長11回を完投し,ノーヒットノーランを達成。延長戦でのノーヒットノーラン達成は,甲子園では春夏を通じて唯一の記録である。後年,王は「高校2年の頃が投手としてピークだったと思う。この後バッティングは良くなっていったけど,ピッチングはどことはいえないが,どこかおかしくなっていった」 と語っている。


・・・・・


3年生時の選抜大会では打者としても活躍し,30年ぶりとなる2試合連続本塁打を放った (なお、当時の甲子園球場はラッキーゾーンはあったが,高校野球も木製バットを使用していた。金属バットの使用が認められるのは1974年からである) 。


3年生の夏は、東京都大会の決勝戦で明治高校と対戦,1 対1で迎えた延長12回表に4点を奪いながらその裏に5点を奪われて逆転サヨナラ負けを喫し,5季連続の甲子園出場は果たせなかった。この時,早実の野球部長の音頭により,甲子園本大会に向けて大阪に出発する明治高校ナインを早実野球部員全員で東京駅にて見送った。



以上の記事は, ウィキペディアの記事 そのものなんだけど,どうも私の記憶と重要な点が違うんだよ。



私の記憶 


余りにショッキングな敗戦を喫したにもかかわらず,翌朝,王さんは ただ一人 東京駅に出かけ,明治高校ナインを見送ったんだ。このことを新聞記事を読んだとき,私は大変感銘を受け,この人は只者ではないと思ったんだ。その後のことは,日本人なら誰もがよく知っていることです。


本来なら,国立国会図書館に行って当時の新聞をチェックするところだけれど,残念ながら,私は,超後期高齢者のため,足腰不如意でそれが出来ないんだよ。だけど,私は,私の記憶に間違いはないと信じています。


ちなみに,王さんは,8月7日の朝日新聞のスポーツ欄 王貞治さんと見る 高校野球100年 の記事 によると,次のように言っておられます。


僕は3年生の夏に甲子園に出られなかったけど,5回目も出ていたら人生は変わっていたと思う。出なかったからこそ,今の野球人生があるのだと思います。試合に負けた悔しさが,次のステップに向かって頑張ろうという気持ちにつながったと思うんです。


王さんは,やはり途轍もなく凄い人ですね。





おわり

by yojiarata | 2015-08-09 22:23 | Comments(0)

TPP交渉  薬価と新薬開発




ご隠居さん。 しばらくお姿をお見かけしませんでしたね。熱中症で病院に担ぎ込まれたのかと心配していました。

水を飲みすぎて,お腹が膨らんで不愉快だったけれど,なんとか,生き延びています。


ところで,今日はTPPなんて,複雑怪奇なことに挑戦するのですか。何故TPPで,何故新薬なんですか。


最近の新聞には,TPPのことが毎日のように話題になっているよね。



たとえば,7月25日の記事


環太平洋経済連携協定(TPP)の参加12カ国による首席交渉官会合が7月24日(米国時間),米ハワイ州のマウイ島で始まった。4日間の日程で難航する分野を中心に話し合い,28~31日の閣僚会合での全体合意をめざして,詰めの協議を進める。


実務者同士で話し合う首席会合では,知的財産権の保護や国有企業の優遇措置などが主なテーマ。知財分野では,新薬のデータの保護期間をめぐり,新薬メーカーを抱えなるべく長くしたい米国と,安価な後発薬の利用が多く,期間を短くしたいオーストラリアや新興国などとの対立が続く。


また,今秋に総選挙を控えるカナダが,乳製品や鶏肉の市場開放で態度を硬化させ,他国との交渉に与える影響が懸念されている。


主要国である日米の協議では,日本が輸入するコメ の扱いが焦点だ。日本側は関税をゼロか低くする新たな優先輸入枠をつくることを検討しているが,両国の主張には隔たりが残る。




今朝 (8月2日)の新聞には,

TPP,月内にも再会合

合意見送り 新薬・乳製品で溝


とあります。



*




アメリカでは,薬価を決める連中が,ひどく権力を持っていると聞いています。薬価とTPPの関連の問題は,知らない人があまりに多すぎます。そして,知らないで済ますには,事は余りにも重大すぎます。


日本ではどうなのかを含めて,出来るだけ大勢の先輩,友人に話を聞いてみました。

その結果を私なりに編集して,以下に収載います。



今回のTPP交渉は医薬品の特許で保護される期間の交渉が問題になっているのだと新聞記事から判断されます。


特許解禁期間が短くなれば価格の安いジェネリック品がでまわり新薬創出国のアメリカは損をすることになり,オーストラリアと新興国は得をすることになるからです。しかし,今回のTPP交渉ではアメリカと他の国との薬価差は議論対象になっていないと私は推測しています。


現実的には別の意味で日本の厚労省は超高薬価のアメリカ製の薬の日本での発売をすぐには認めない態度を最近はとっています(日本流のpending)。


理由は単純でこれらを科学的根拠に基ずいて許可すると日本の医療費がパンクして日本の健康保険制度が崩壊するからです。以上の理由で今回のTPP交渉とアメリカの超高価薬(スカイロケット薬)は全く別項目として取り扱うべきと思います。


アメリカでは,億万長者,アメリカの中流以上でかなり高額の民間健康保険に入っている人しか使用できません。「1年の延命で1500万円?」の表現を目にします。制がん剤に限定した表現で,ご存じのように,がんは早期発見手術以外は薬での効果は 20-30 % ぐらいしか期待できないからです。それも中期以降のがんでは薬での完治はむずかしいにもかかわらずこれだけの高額の費用がかかるからです。


日本での薬価は製薬会社が開発にかかった費用と希望するもうけの費用の合計を申請しこれがあまりにも高額の場合は差し戻しとなり協議・交渉となります。アメリカでは製薬企業が申請する費用がそのまま認められることが多いので,スカイロケットとなる訳です。アメリカの自由主義は民間会社の製品の値段に政府が介入することは許されません。値段が高すぎれば売れないだけと判断されます。


現在のところ,新薬の開発では,アメリカが独走態勢にありますからね。

今後は,大金持ちがお金で命を買う事態と,お金がなく,死ぬとわかって,死を待つ事態に分かれていくのかもしれません。


アメリカでの薬価が日本での常識では考えられないくらい高額です。


いずれにしても年間コストはスカイロケットそのもので米国での民間保険に入っていなければ支払不可能と思います。私も米国でのオバマケアとか民間の健康保険制度をもう少し勉強しなければならないと思っています。



この記事の執筆に当たっては,平岡哲夫博士の資料など,提供いただきました。記して感謝の意を表します。






未完

by yojiarata | 2015-08-04 18:11 | Comments(0)

坂上二郎  ♪ 学校の先生 ♪  を唄う




今日は,コメディアンの二郎さんのことを話題にするの?


そうです。国会での現政権の立ち振る舞いは,絶望的だからね。どうにもなりませんね。それで,” 口直し” に何かないかと思って思い出したのが,坂上二郎さんなんだよ。


坂上二郎さんの何を書くつもりなの。


二郎さんは,元々歌手になりたくて故郷の鹿児島から上京したんだ。後にコメディアンになったんだけど,歌唱力は抜群です。


YouTube の学校の先生 を聴いてください。



いい曲だね。1974年に発売されたんだけど,実に30万枚を売り上げる大ヒットになった理由が分るよ。


なつかしい人 坂上二郎さんは,2011年の3月10日に他界されました。享年 76。





by yojiarata | 2015-08-04 17:02 | Comments(0)