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安全保障関連法案  と  死の商人



ご隠居さん しばらくぶりだね。何か新しい話題でもあるの。


「あるの」,どころの騒ぎじゃありませんよ。やっぱりお金だね。今度の安保法案のことも。


?????


君は覚えているかどうか知らないけど,以前,このブログに 【死の商人】  [2013年4月7日],
【戦争と平和と死の商人】  [2014年8月11日]に関する記事を詳しく書きました。



君は,1950年に始まった朝鮮戦争の頃は,まだ,この世に存在しなかったはずだよね。私は,高校の1年生だったよ。映画少年だった私は,映画の前に必ず上映されるニュースも楽しみにしていたよ。当時は,テレビなどないから,映像でニュースを見るのは,この機会を置いてなかったのです。アメリカ軍が艦砲射撃をメチャメチャにやっていたよ。とにかく観ておりました。


結局,1953年7月27日,共産軍(北朝鮮軍・中国人民義勇軍)と国連軍が休戦協定に調印して一先ず幕が下りたよ。


開戦から3年余の間に,死傷者は国連軍が40万6千人,共産軍は189万7千人にのぼった大変な悲劇だったんだ (国連本部発表)。


戦争中,日本製の武器やトラックが戦場に大量に送り込まれてくるのを朝日新聞の記者が目撃していて,次のように書いているよ。


「日本で,日本人の手で造られた兵器,弾薬がここではすでに共産側に向って火を吹いている。ジープはほとんど日本の工場で組立 くみたて ,または修理されたもの,完成年月日と工場名がはっきり刻んである」
 

朝鮮戦争の特需で日本経済は復興への足がかりをつかんだとして,儲かった,儲かったと浮かれていたよね。” 高度経済成長” の始まりです。


だけど,その陰に,230万人以上の犠牲者が出ているんだよ。人の命と引き換えに,金儲けするのは,大砲のクルップの時も,ダイナマイトのノーベルの時も,そして今も変わりがないよね。情けないことに,いつの世も,” 死の商人” が大きな顔をして,ウロウロしているんだ。


*



現政権がどうしてこんなに,安保法制を無理押しするのか分るでしょう。まとめると,おもに,次の二つだね。

アメリカ親父の命令には,絶対服従のために。

太平洋戦争の時もそうであってように,死の商人の金儲けのために。



くどいようだけど,日本の 死の商人のことは, 【死の商人】 【戦争と平和と死の商人】 に詳しく書きました。是非とも,読み返してください。


要するに,現国会の騒ぎも,何もかも,もとの,また,その大本は, 死の商人の存在ではありませんかね。






終わりのない終り

by yojiarata | 2015-06-18 23:54 | Comments(0)

サトウハチロー  母の詩



ご隠居さん 今日はサトウハチローさんの話ですか。


たまには,日本の総理大臣の顔を思い出さなくてよい時間を過ごしたいからね。


ハチローさんは,文字通り,波乱にとんだ一生を送ったんだけど,私は,ハチローさんの大ファンです。


何故かって?


これから書く記事を読んで下さい。



*



詩人,作詞家の サトウハチローさん が遺した作品には,子供の頃に,父・紅緑に離縁され若くして世を去った母親・ハルの面影が色濃く反映しています。


ハチローさんについては,ハチローさんの異母妹である佐藤愛子さんが,『血族』 に詳しく書いておられます。これは,実の妹でなければ絶対に書けない著作です。とくに,ハチローさんと母・ハナの心理的葛藤の描写は見事と言うほかありません。私も,若くして母を亡くしていますので,よくわかる部分が少なからずあり,いたく感銘を受けました。『血族』は,佐藤愛子さんの最高の作品です。

佐藤愛子 『 血族 』 (文春文庫,上,中,下,2005)



生い立ち



父親の佐藤洽六 (紅緑) (1874-1949) は,メチャメチャな男で,サトウハチロー,作家の佐藤愛子,脚本家で劇作家の大垣肇の父。3人とも母親が違うのです。


別居していた肇以外の子供,長男ハチローをはじめ4人の息子たちは,そろいもそろって,手のつけられない道楽者の不良少年。


両親の不和が思春期のハチロー少年に影響を及ぼし,早稲田中学1年で退学。立教中学に入りなおし,また退学,早稲田,立教と何度も転入学を繰り返し,警察沙汰を起こして一度ならず留置所送り。


ハチローは,詩人,作詞家,仏文学者である西條 八十 さいじょう やそ (1892年(明治25年)- 1970年(昭和45年))に弟子入りして,後に詩人として一家をなしたけど,他の3人の息子は乱脈な生活を続けた生活無能力者だったようです。


次男・節 たかし は,愛人と廣島で原爆に遭い死去。三男・弥 わたる は,五歳で叔父の家に送られ,フィリピンで戦死,四男・久 ひさし は,十九歳で女と心中。紅緑は生涯,彼らの借金の返済に追われたということです。

次に,『血脈』上,下から,何か所か引用させていただきます。赤字で,ページ番号を付してあります。



*



ハッチャン と 八郎君






『血脈』上,237-238

(佐藤家にあって,紅緑の絶大な信頼を受け,佐藤家の厄介事の始末を引き受けた)福士幸次郎のことば。



 「ハッチャンはね,ハッチャンは悪い子じゃないんだよ。悪い子じゃないけど悪いことをしてしまうんだなあ」

と幸次郎はいった。

「悪い子だから悪いことするんだろ?」

「ちがうんだよ。悪い子じゃないんだけど,悪いことをしてしまうんだよ」

「悪いことをするのは悪い子じゃないか」

「ちがうんだよ。ちがうんだよ。悪い子じゃないのに,悪いことをしてしまうんだよ」

幸次郎はそういったが,洽六(筆者注 ハチローの父・紅緑)はあんな奴はダメだ,徹底的に懲らしめてやるといって勘当をいい渡した。

「帰れというまで帰ってくるな」といい,

「父島には感化院(筆者注 児童自立支援施設の旧称,広辞苑第六版 による)がある。丁度いい,そこへ入っちまえ!」

と叫んで,八郎を殴った。殴られることには馴れていたが,感化院という言葉は父の拳固よりも応えた。泣きながら福士幸次郎に訴えると,幸次郎はいった。

「ではハッチャン,こうしよう。ぼくも一緒に父島へ行こう」

「福士さんも感化院へ一緒に入ってくれるのかい」

すが る思いでそういうと,幸次郎は笑った。


「感化院なんていうのはお父さんの脅 おど しだよ。ぼくと一緒に父島へ行ってみようじゃないか。きっといろんな発見があると思うよ。今までの生活とは違う生活に入ってみるというのも面白いものだ。そこには汚れていない自然,人の手が加わっていないありのままの自然がある。素晴らしいじゃないか!そこで原始の暮しを偲ぼうよ。きっと何か,素晴らしいものが見つかるよ ・・・・・ 」



だけど,ハチロー少年は,小笠原諸島の生活を楽しんだようですよ。ハチローが後年発表した詩には,”青い空” という表現が頻繁に出てきますが,これはどうやら,小笠原諸島で見た青い空のことのようです。


幸次郎は話しかける時,

「ハッチャン,ハッチャン」

と,必ず名前を二度呼ぶのが癖でした。ハッチャンは怒り狂って,幸次郎とよく喧嘩をしました。

よくよく腹に据えかねる時,幸次郎は 「ハッチャン,ハッチャン」 といわずに,「八郎君」と呼んでいたそうです。





*



母の涙




『血脈』下,268-274


 ・・・・・ 片柳忠男は広告代理店オリオン社の社長で,五年前にTBSの連続ドラマ「おかあさん」のイントロで流す「お母さんの詩」を八郎に依頼したのが評判になり,詩集を作って出版すると爆発的に売れた。一集,二集と版を重ね,近々三集が出る予定である。

・・・・・

夏になって第三集が発行された詩集「おかあさん」は印刷が間に合わないほど売れた。



詩集の中のひとつ。



一番苦手なのは

 おふくろの涙です

何もいわずに

 こっちを見ている

          涙です


その涙に

 灯りが

 ゆれたりしていると


そうして

 灯りが

 ふくらんでくると ・・・・・

 ・・・・・ これが一番苦手です




この詩に感動したという読者と道で会った。プラタナスの影からふとふり向いて,「ハチロー先生でしょう」と声をかけてきた中年の女だった。このハチロー先生の気持ちは私の気持ちとぴったり同じです。そういっただけで女の目から涙が流れた。

「わたし,いけない娘だったもんですから」

女の涙を見てハチローは涙ぐんだ。しみじみと嬉しかった。それが彼の空想の産物であることを忘れ,本当にそんな時があったような気がしているのだった。




ハチローさんの詩は,” 空想の産物 ” だったかもしれないけれど,愛子さんは,次のように書いておられます。



『血脈』下,274-277


誰も知らないが八郎の胸の底には,長い間埋めてきた古甕 ふるがめ がある。いつそれを埋めたのか,八郎には思い出せない。しっかり密閉して,埋めてきりにしてしる。


だが時々その甕の蓋がうっすらと開きそうになる時があって,そんな時は慌てて押さえた。中を見てはならなかった。忘れてしまいたかった。そんなもの,なかったことにしたかったのだ。


甕の中に押さえ込んだものは,誰からも愛されなかった「哀れな母」だった。父からうとんじられ,子供の誰からも慕われなかった。いつもグチグチこぼしてばかりいて,口を開けば父さんの悪口をいう母だった。

・・・・・

そんな母が嫌いだった。ヤキモチで頭の中が一杯になっていて,子供のことなんか考えなかった母。八郎の悪戯を叱る気さえなく,何をしてもただ溜息をつくだけで,だから八郎はもっともっとと悪戯をしまくったのだ。

・・・・・

足袋が八文 やもん 半。背丈は五尺足らず。体重は八貫か,九貫か。

・・・・・

ふと気がつくと ・・・・・ 甕の中にいる筈の「ちいさい人」が立っていた。・・・・・ 

甕に戻そうとしてももう遅かった。・・・・・

「ちいさいちいさい人でした。・・・・・ ほんとにちいさい母でした」

ひとりでに,そんな言葉が流れ出てきた。 


・・・・・

それから何日かして,八郎は 「ちいさい母のうた」 を書いた。


ちいさい ちいさい人でした

ほんとに ちいさい母でした

それより ちいさいぼくでした

おっぱいのんでる ボクでした

   かいぐり かいぐり とっとのめ

   おつむてんてん いないいないバア





私は,佐藤愛子さんが書いておられる 「古甕」 の話は,何だか分るような気がします。「甕の蓋」 が私の心の奥にもあって,その蓋がうっすらと開きそうになる時がありました。そんな時は,ハチローさんと同じように,慌てて押さえたものです。


私の場合には,ハチローさんの場合とは違います。異母兄弟・異母姉妹がいるわけでもないし。だけど,私の「ちいさい母」も,何かというとすぐ泣くのには閉口しました。大学に入った頃を境に,母と疎遠になってしまったのはそのせいだったように思います。優しくて周りの誰からも慕われていた母を,もう少し優しくしてやればよかったのにと,超後期高齢者になった今でも,後悔の念と共に,ふと,50年前を思い出すことがあります。
 


もしよかったら, 2011年にこのブログに書いた 柞葉 ははそば の母小雨の丘 を読んで下さい。


ハチローさんの処女詩集 「爪色の雨」には,母を偲ぶ三つの詩が載っています。その内の一つ。


『血脈』上,382-383




「亡き母よ ・・・・・ 一」


足にくづれる白い砂

ゑりあしに

しみる松の匂い


あゝ

風は吹く 風は吹く

風ぞ吹く


子守唄は

二つとなきものぞ

亡き母よ
  





小雨の丘
(サトウハチロー作詞,作曲 服部良一,昭和15年, YouTube より)には,ハチローさんの思いが,ストレートに表現されています。1940年(昭和15年)に,当時の宝塚のトップスター・小夜 さ よ 福子さんによって吹き込まれた絶品です。SP盤からの音声の復元は見事です。写真もきれいに再現されています。この曲はその後,実に大勢の歌手によってレコード化されていますが,私に言わせれば,100年以上も前に生まれた小夜福子さんの作品を凌ぐものはありません。




ハチローさんの 『爪色の雨』 (1926年,大正15年)に 伊藤翁介 が曲を付けた 『爪色の雨』 (歌 ボニージャックス) も YouTube で聴くことが出来ます。


ハチローさんは,大正十五年五月,父親・紅緑にこの詩集を送っています。この時,ハチローさんは23歳。


『血脈』 上,380


「お父さん。

僕の生まれてはじめての詩集ができました。 ・・・・・ 出版記念会をみんながしてくれ,(今)東光さんをはじめ西条(八十 やそ )さん,宇野(浩二)さん,北原(白秋)さんらが来てくれました。白秋さんは 『爪色の雨』 とは新しい色の発見だといって褒めてくれました」


*



「長崎の鐘 (サトウハチロー作詞,古関 裕而作曲,1946年,GHQの許可が下りた1948年 (昭和24年) に発表)」のあとは,ハチローさんは童謡以外の詩は書いていません。


残されている童謡は,


「ちいさい秋みつけた」



「かわいいかくれんぼ」



「とんとんともだち」



「夕方のお母さん」



など,(いずれの曲も,作曲は中田喜直),” 日本人に生まれて良かった!” と思う歌ばかりです。” 日本人に生まれて良かった!” だなんて,むかし流行った三木のり平のコマーシャルみたいだけど。YouTube にリンクが張ってありますので,聴いてください。

ただし,YouTube にアップされている曲は,突然消えてしまうことがよくあるので,その時には,ネットで曲名を入力して検索してください。







つづく

by yojiarata | 2015-06-08 13:13 | Comments(0)

サトウハチロー  特別に神に祝福された人だった





サトウハチローの生涯は,青少年時代も波乱万丈だったけど,終りも劇的でした。佐藤愛子は, 『血脈』 (文春文庫 下 486-490)に,次のように書いています。



*



「おう,愛子,オレ,勲章貰っちゃたよ,勲三等瑞宝章ってやつ」

「あらまあ,それはおめでとう」

愛子はいった。

「でも兄さん,不良少年の代表が勲章を貰うなんて,日本も変わったわね」

その冗談にすぐに乗るには八郎は素朴に喜びすぎていた。一瞬,応酬に詰った兄の気配をす早く察して,愛子はいい足した。

「でも,お父さんが生きてらしたらどんなに喜んだか ・・・・・ 」

「うん」

率直に八郎はいった。

「オレもそう思ったよ」

・・・・・

十一月に入って間もないある日, ・・・・・ 外出の支度をしている蘭子(筆者注 ハチローの三番めの妻)を見ていった。

・・・・・

八郎はいつになく弱気にいった。

「今日は家にいてくれないか。どうも脈がね ・・・・・ おかしいんだ ・・・・・」

・・・・・ また例によっていつもの癖が始まった,人が出かけようとするとコレだ,とおもいながら 蘭子は外出をやめ,念のために主治医の細部を呼んだ。細部は八郎の脈と呼吸の乱れ方を見て即刻入院を勧めた。入院先は前にも入ったことのある築地の聖路加病院である。病院に着くとすぐ,待ち構えていたスタッフによって八郎は集中治療室に運ばれた。その時の病名は「不整脈」である。しかし一週間も経つと脈拍は正常になり,八郎は元気をとり戻した。何しろ騒ぎが大きいものだから,と蘭子は苦笑しながら安心し,医師も こうして 時々調子を崩す心臓を抱えたまま,大事にすればこの先まだまだ長生きされるでしょうと保証した。




・・・・・ 蘭子に原稿を渡しながら,

「オレ,飯食うよ」

といった。午後の診察を受けてから退院する手筈になっていた。

蘭子が牛肉を焼いて昼食の膳に添え,ベッドに運んで来た。牛肉は食べ易いように切ってある。その一切れを口に入れ,左手に茶碗を持ったまま,突然彼は前に突っ伏した。蘭子は驚愕して「パパ!」と叫び,廊下に走り出た。我を忘れて叫んだ。

「誰か来てえ! 誰か ・・・・・ 」

看護婦と医師が飛んで来た。八郎の心臓は既に止っていた。

それは叙勲伝達の日だった。ラジオやテレビはサトウハチローの叙勲を告げ,ついで死を告げた。

・・・・・

死去したことで八郎は正五位に叙せられ,宮内庁からの使者が「正五位勲三等瑞宝章」を持参して来た。

・・・・・

八郎の死はあえて名をつけるとしたら「心臓急停止」というほかない死だったと主治医はいった。

「心臓はよくなっていたのです。ですから病名はつけられません。これは千人に一人か二人という,まことに楽な亡くなり方です。時計が止まるように,コトンと止まったのです」

それを聞いた人々はみな,やっぱり彼は特別に神に祝福された人だった,といい合った。

八郎の遺体ははじめは二階の座敷に置かれていたが,あまりの弔問客の多さに築後八十年という古家の二階の床がぬけはしまいかという心配から,玄関脇の応接間に移された。 ・・・・・



*



前にも書いたように,私は中学生の頃,ラジオでハチローさんの話を聞いていました。何とも面白い人だったね。話は,少年の頃から 大変面白かったらしいよ。同じ話題でも,ハチローさんが話すと,周りのみんなが膝を乗り出して大爆笑。


佐藤愛子は,次のように書いています。

『血脈』中,71


 ハッチャンの口にかかると何でもない話がとんでもない話になり,真面目な人が奇人にされてしまう,と皆はいったが,そういいながらも話の面白さにつられて,ネタにされた本人まで笑いこけてしまうのである。  



サトウハチロー,徳川夢声,堀内敬三さんなどが集まって,談論風発。面白くて毎週,この番組を楽しみに聴いたよ。記憶によると,この連中には,天皇陛下(昭和天皇)からお声がかかり,宮中に参内して,いつもの調子のままに大放談,これには,天皇陛下も大笑いされたそうだよ。


話術について言えば,私が尊敬する 五代目古今亭志ん生さん の場合ももそうだけど,若い頃の苦い経験や苦労が話術を育てるよ。勿論,持って生まれた話術の才能が最優先するけど。


*



サトウハチローの多くの詩に曲を付けた中田喜直の言葉が遺されています。


ハチローさんの詩は,見た瞬間に,

ハチローさんの頭にある メロディーが浮かんでくる。





ハチローさんの葬儀では, 「夕方のお母さん」 (サトウハチロー作詞,中田喜直作曲)が歌われたと聞いています。






おわり

by yojiarata | 2015-06-08 13:11 | Comments(0)

有識者の選択と失敗  ” 安保法制は違憲である ”




ご隠居さん。今日は何の話ですか。何だか変なタイトルだけど。


政治のニュースで,有識者 と称する先生方が,のべつ幕無しに登場するでしょう。



*



考えてみれば,妙な名称だね。名刺に,有識者と書いてあるのを見たことがないところをみると,職業ではないようですね。だけど,これによって,金額は別にして,収入を得ていることも確かです。すなわち,有識者とは,何かほかのことを生業とし,かつこの称号を副収入の源としている人々の集合名詞ということになるようだね。実体はないから,遠くから,ぼんやり見たときにだけ存在する,いわば蜃気楼のような存在ではないでしょうか。


現在の内閣の場合にも,有識者なしには,政治は動かないようだね。例えば,文部科学省の場合,小学生の頃から,英語を教えるとか,教えないとかを決める時に登場するのが有識者です。だけど,一体,選ばれた連中が,英語についてどれほどの造詣をもっておられるのか,(私は疑問に思うことが多いけど),一般の国民は,偉い先生が決められることだからと,気にも留めていないのではないでしょうか。

政治を動かす側としては,自分たちの考えていることを,どれだけ思い通りに具現してくれるのかが最大の関心事なのです。

しかし,思惑が外れて大失敗ということもあるようだね。昨日(6月5日),新聞の1面に報じられた例など,何とも滑稽だよ。上手の手から,水が漏れるというのかね。


*



新聞の報道から

衆院憲法審査会で4日,自民党など各党の推薦で参考人招致された憲法学者3人が,集団的自衛権を行使可能にする新たな安全保障関連法案について,いずれも「憲法違反」との見解を示した。国会の場で法案の根幹に疑問が突きつけられたことで,政府・与党からは,今国会中の成立をめざす法案審議に影響を及ぼしかねないと,懸念する声が上がっている。

参考人質疑に出席したのは,自民推薦の長谷部恭男・早大教授,民主党推薦の小林節・慶大名誉教授,維新の党推薦の笹田栄司・早大教授の3人。

憲法改正に慎重な立場の長谷部氏は,集団的自衛権の行使を認める安保関連法案について「憲法違反だ」とし,「個別的自衛権のみ許されるという(9条の)論理で,なぜ集団的自衛権が許されるのか」と批判。9条改正が持論の小林氏も「憲法9条2項で,海外で軍事活動する法的資格を与えられていない。仲間の国を助けるために海外に戦争に行くのは9条違反だ」との見解を示した。笹田氏も,従来の政府による9条解釈が「ガラス細工と言えなくもない,ぎりぎりで保ってきた」との認識を示し,法案について「(これまでの定義を)踏み越えてしまっており違憲だ」と指摘した。

また,重要影響事態法案などで,米軍などを後方支援する自衛隊が「現に戦闘行為が行われている場所」以外なら活動できるとした点についても,小林氏らは「(武力行使との)一体化そのものだ」などと発言。3人とも違憲や違憲のおそれがあるとの認識を示した。



だけど,官房長官は,次のように,とぼけるというか,開き直るんだ。



 自民推薦も含む参考人から法案の違憲性を指摘されたことに,与党は今後の法案審議で「野党に追及の材料を与えてしまった」(自民国対幹部)と危機感を募らせる。菅義偉官房長官は4日の会見で「違憲という指摘は全くあたらない」と反論し,法案審議には影響がないと強調した。


要するに,人選を格の低いチンピラ官僚に任せておいたため,こんなことになったらしいんだ。

官房長官も,官房長官だね。法案審議には影響がないと,開き直るんだよ。そんなことなら,元々,有識者を集めて意見を聴くなど,大げさなことをやらなけれぼよいのに。余りにも,国民をバカにしているんではありませんかね。





終りのない終り

by yojiarata | 2015-06-06 17:07 | Comments(0)