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櫻 を 斬る   五味康祐 の 世界





さまざまの事思ひ出す櫻かな
芭蕉 笈日記 貞亨五年

どこに行っても,櫻が満開のこの時期,ご隠居さんは,何を思い出すのでしょうか。



***



チャンバラの世界から,それまでに誰も描くことのなかった剣の世界を創りだした五味康祐を思い出すね。

荒唐無稽な剣豪小説と言われれば,そうですかと引き下がりますよ。しかし,何事にもすぐに感動してしまう私には,忘れることのできない宝物のような何編かの作品が 『五味康祐代表作集 第1巻』 (新潮社)に収録されているのです。



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五味康祐代表作集 第1巻『喪神 柳生連也斎』 (新潮社,1981)








『櫻を斬る』 (82 ページ) から,引用するよ。


将軍家光の御前試合 満開の櫻の枝を花を散らさずに斬る紀八郎と清十郎




紀八郎 の場合


庭の櫻の下へ歩み寄って,しずかに立停った。そして頭上の,手頃な枝を仰いだ。 一同息をつめて見まもる。 一瞬白い虹が枝に懸ったと見る間に,爛漫の花をつけた枝が,紀八郎の足許に落ちた。彼はゆっくり,その枝を拾い上げ,こちらに戻ってくる。無論,花一つ散らない。



清十郎 の場合


これも 櫻の下に佇むと,手頃の枝を見上げていた。紀八郎より背が低い。 やがて,清十郎は,しずかに太刀を抜くと,八双の身構えから,まるで高速度写真をみるようにゆるく一枝を斬った。枝は音もなく落ちた。清十郎は太刀を鞘に収めると,これも枝を拾い上げて,ゆっくりこちらへ歩みだした。二三歩来たとき,一斉に,泣くが如く降るが如く全木の花びらはハラハラと散った ―



審判の声


「おお・・・・・」

粛然として,思わず嘆声を漏らす一同の耳に,

「油下清十郎の勝ち」

凛とした審判の声が響いた ―



*



同じ 『櫻を斬る』 から,もう一か所 (78ぺーじ) 引用します。

橋のらんかんから,来る日も来る日も,川に飛び込みながら,居合抜の修業を積んだ結果,紀八郎がたどりついた境地を描く場面も印象深いよ。


らんかんを蹴って水に突込む紀八郎の身辺に,

二度,稲妻の閃くのが見えたという。

太刀を振る手捌さばきも何もない。

すーっと墜ちる空間に,

二度,夕映えが反射したというのである。





*



昭和27年 (1952年),私が大学に入学した年,五味康祐 は 『喪神』 で,松本清張 は 『ある小倉日記伝』 で,ともに芥川賞を受賞しました。いずれも新鮮な発想で,時代を切り開く素晴らしい作品だったよ。


文庫版 『秘剣,柳生連也斎』 が新潮社から出版されています。文庫版は 昭和33年の初版以来,版を重ね,筆者の手元にあるのは 平成4年発行の 第46刷 です。いかに多くの読者に読まれたがわかるよね。現在は絶版だけど,古書として,インターネットで簡単に入手可能です。



追記

康祐の祐は,旧字体のしめす‐へん 【示偏】 が使えないため,やむなく新字体になっています。




おしまい

by yojiarata | 2015-03-31 16:10 | Comments(0)

後期高齢者 の 嘆き   首が回らない



ご隠居さん あまり景気の良い話ではなさそうだね。


***


全くね。だけど,極めて長時間,この世に生息しているんだから,半分諦めています。


何が問題かって。


最近,首が回らないんだよ。ちょっと後ろを振り向いて,何かを取ろうとすると,飛び上がらんばかりに痛いんだよ。

週2回,リハビリに通って体操などしているんだけど,マッサージ担当の方に首が回らなくて困っているといったら,待ってましたとばかりに,首の周りをグイグイ揉んだんだ。揉み終わって,彼の人は,これでOK,安心してくださいと言って,私の首をポンとたたいたんだ。

その日の睡眠時,大事件が発生しました。OKどころの騒ぎじゃないよ。

夜中に目が覚めて,立ち上がろうとすると,体全体が,軟体動物化して,ぐにゅぐにゃになり,動けなくなって,ベッドに後戻り,朝までじっとしていたんだ。恐怖だったね。中枢神経というのは怖いね。

タコ とイカ は,頭に足が直接つながっているから,頭足類とよばれているんだ。私も,老化によって 頭足類の仲間入りかと思ったよ。カフカの小説のようだね。


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ちょうど,その日,NHKのラジオ深夜便で,タコ と イカ を 何十年も 研究している人の話をきいたばかりだったのです。世の中,色んな人がいるなと思ったよ。

その人の仰るには,何百億年も昔には,タコ と イカ が海を支配していたそうだよ。この 陳述の 根拠は,よく分らなかったけど。


とにかく,年は取りたくないね。




今日のところは,これでおしまい

by yojiarata | 2015-03-25 23:45 | Comments(0)

「上を 向いて 歩こう」 と 60年 安保



ご隠居さん 坂本九の ”大ヒット曲” について,何を話そうというの。


***


永六輔は1958年,石原慎太郎,江藤淳,谷川俊太郎,寺山修司,浅利慶太,黛敏郎,福田善之ら若手文化人らと共に,「若い日本の会」を結成し,60年安保に反対していたんだ。

60年安保闘争 のとき,国会を取り囲むデモに参加していた永六輔は,「上を向いて歩こう」の詩を書き,レコード は,デモの直後の1961年に世に出ました。


当時の勤め先で,あの日,別の仕事が決まっていたんだけれど,仕事を取るか,デモを取るかと,ボスに迫られた永六輔は,デモを取りますの言葉を残して,国会に向かったそうだよ。


そう思って,いま一度,目を閉じて,じっくり 聴いてみてください。




上を向いて歩こう

作詞 永六輔
作曲 中村八大




上を向いて歩こう
涙がこぼれないように
思い出す春の日
一人ぼっちの夜

上を向いて歩こう
にじんだ星を数えて
思い出す夏の日
一人ぼっちの夜
幸せは雲の上に
幸せは空の上に
上を向いて歩こう
涙がこぼれないように
泣きながら歩く
一人ぼっちの夜

(口笛)
思い出す秋の日
一人ぼっちの夜
悲しみは星のかげに
悲しみは月のかげに
上を向いて歩こう
涙がこぼれないように
泣きながら歩く
一人ぼっちの夜
一人ぼっちの夜







未完

by yojiarata | 2015-03-23 20:40 | Comments(0)

古関 裕而 の 白鳥の歌  栄冠は君に輝く



ご隠居さん もう怒りは治まったの。


***


とんでもない。私としては,全く治まっていません。治まるわけがないでしょう。

だけど,昨日のブログに書いたように,現政権は,総選挙の結果,大半の国民に支持されているんだという連れ合いの意見の通り,これ以上暴れても,今のところ,どうにもならないと考えて,今日は野球少年に戻ることにしたんだ。



とは言うものの,今日の朝刊 (3月21日) の第一面の最上段に,巨大の文字 (物差しで測ってみると高さが 3センチ (ポイントで何とあらわすのか知りません)


自衛隊 海外活動拡大へ



が並んでいて,


憲法解釈の変更 法制化




となると,恐ろしくて震えがくるよね。太平洋戦争の犠牲になった200万人もの人たちが,あの世で泣いていますよ。

それに,海外に派遣された自衛隊員が,怪我,あるいは最悪の場合,命を落とすという事態になると,どう申し開きするんだろう。



君はどう。

そのうち,徴兵 だのなんだのということになるかも知れないんだよ。

これは,私の作り話じゃなくて,去年の5月


加藤紘一・元・衆議院議員


が言っておられたことです。


いくら総選挙に大勝した政党といっても,やっていいことと,そうではないことがあるんじゃありませんかね。

実際には,心配になる日本国民もいると思うんだけど。誰に聞いても,戦争は絶対反対だという答えが,必ず返ってくるからね。





***



春の選抜高校野球が始まったね。甲子園,高校野球といえば,


栄冠は君に輝く


雲はわき 光あふれて
天たかく
純白のたま きょうぞ飛ぶ
若人よ いざ
まなじりは 歓呼にこたえ
いさぎよし ほほえむ希望
ああ
栄冠は 君に輝く


風をうち 大地をけりて
悔ゆるなき
白熱の 力ぞ技ぞ
若人よ いざ
一球に 一打にかけて
青春の 賛歌をつづれ
ああ
栄冠は 君に輝く


空をきる たまのいのちに
かようもの
美しく におえる健康
若人よ いざ
みどり濃き しゅろの葉かざす
感激を まぶたにえがけ
ああ
栄冠は 君に輝く





この曲を作曲したのは古関 裕而です。作詞は加賀大介,最初に唄ったのは伊藤久男(1948年)だそうです。

古関 裕而 (こせき ゆうじ)(1909年(明治42年)8月11日-1989年(平成元年)8月18日)は,本名・古關 勇治。1969年(昭和44年)に紫綬褒章,1979年(昭和54年)に勲三等瑞宝章を受賞しておられます。

応援歌,軍歌,歌謡曲など,作曲した曲は 5000曲に及ぶそうだよ。


その中で,自分の心に今,最も残っている曲はと問われた古関 裕而 は,


 「長崎の鐘」  (1949年,作詞:サトウハチロー,歌:藤山一郎)

 「オリンピック・マーチ」  (1964年,演奏陸上自衛隊中央音楽隊)


の二曲は,自分の 「白鳥の歌」 であると仰ったそうです。

この点は,3月20日のNHKラジオ深夜便で聴いたことです。なお,番組を担当された女性・アナウンサーの方は,白鳥(はくちょう)の歌と付け加えられたように聴こえました。この部分の発音は不明瞭。だけど,これは,ちょっと変なんだよ。

古関 裕而の作品のリストを調べてみると,確かに,

白鳥の歌(作詞 若山牧水,歌 藤山一郎,1947)

が入っているよ。だけど,もし,牧水の歌詞に,古関 裕而 が曲を付けたんだとすると,これは,白鳥 (しらとり) の歌ということになるよ。アナウンサーさんの読み違い(思い違い)だね。



白鳥 (しらとり) は かなしからずや
空の青
うみのあをにも
染まずただよふ

若山牧水 (1885-1928)



*



『白鳥の歌』 (はくちょうのうた,Schwanengesang ) は,フランツ・シューベルトによる遺作の歌曲集です。白鳥は,この世を去る時,最も美しい声で鳴くという言い伝えが,この歌曲集の名前の謂われです。

『美しき水車小屋の娘』,『冬の旅』 とは異なり,『白鳥の歌』 はシューベルトの死後に出版されたものです。そのうちで,「ハイネの詩による歌曲」(6曲)がいいね。なかでも,私には,街(Die Stadt)が特に心に響くね。ジェラルド・ムーアのピアノの上を流れるディートリッヒ・フィッシャー・ディ-スカウ のバリトンが忘れがたいよ。






おわり

by yojiarata | 2015-03-21 23:18 | Comments(0)

安倍大臣閣下 貴殿は日本をどうされようというのですか



ご隠居さん 顔が真っ赤だよ。どうしたの。


***


どうしたも,こうしたも,ありませんよ。

昨日(3月18日)の朝刊のトップ記事には驚いたね。これまで,このブログで何度も書いてきたことなんだけど,世も末だね。



米軍に弾薬提供可能に


日米防衛指針 地理的制約なくす


4月にも改定合意見通し






***



昔,小沢昭一がテレビに出演し,余り何度も聞きたくない,ヘンテコリンなコマーシャルをやっていたんだ。聞いた後で,やれやれ終わったと思ったら,

またやるよ!

で,おしまいになるんだ。


すでに何回も,伊丹万作が,日本国民に残した言葉 を,このブログに書きました。だけど,今日,

また書くよ!





多くの人が,今度の戦争でだまされていたという。

いくらだますものがいても,だれ一人騙されるものがいなかったとしたら,今度のような戦争は成り立たなかったにちがいないのである。

「だまされていた」 といつて平気でいられる国民なら, おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや,現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。



アメリカにノコノコついていって,結局泣きを見るのは,我々と子供たちだからね。


ふと気が付いたんだけど,今,ミッシェル・オバマ大統領夫人,クリントン・元・アメリカ大統領が東京にいるよね。何しているんだろうね。どこに存在していても,分刻みで走り回っている人が,日本にただ遊びに来たとは,考えにくいんだけどね。


今にして思うと,現総理大臣の ”岸信介おじい様” が,60年安保でやったことが,源流だよね。彼氏は,東条英機をともに絞首刑になるはずだった 「A級戦犯」 だからね。


それにしても,


信介さんの孫の晋三さんは,歴史に何を学んだんだろうね。



おしまいに聞くけど,君は,黙って 安倍晋三総理大臣と心中するつもりですか。




追記

連れ合いの意見

現在の内閣は,総選挙の結果,つまり国民の総意を得て出来上がったのです。すなわち,貴殿の意見は,ひどく偏っています。言い換えると,国民の大半は現政権を支持しているんです。





終わりのない終り

by yojiarata | 2015-03-19 15:24 | Comments(0)

温顔の大平正芳・宰相 は アンパン と 大福 が お好き



ご隠居さん 今日は,ゆったりした気分で読めそうな題ですね。


***



怒ってばかりでは,自分でも情けなくなるからね。

内閣総理大臣にもいろいろな人がいることを書いておきたくてね。



故・大平正芳(元)内閣総理大臣について,大平さんのお嬢さんがこんなことを書いておられました。


大平さんの帰宅をお嬢さんが出迎えられると,決まって,「お母さんは」と聞かれたそうだよ。

好物は,アンパンと大福。

私はそれ以来,大平さんのファンになったんだ。

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大平正芳・第68,69代 内閣総理大臣(1910-1980)



大平さんは,1980年の選挙中に倒れ,心筋梗塞による心不全のため,その年の6月12日に逝去されました。享年70。


*



1978年 (昭和53年) の9月に,奈良の奈良ホテルで,我々の専門分野の国際会議が開かれて,チンピラの私も手伝いに走り回っていたんだ。その時,ふとホテルの入口の方を見ると,何と,大平さんが入ってこれらたんだ。今と違って,大げさな警備はなかったようだったよ。40年近く前のことです。

その時の,ニコニコ顔の大平さんを,偶々持っていたカメラで撮影した写真があるはずなんだけど,引越ししたためもあり,今回のブログのために,徹底的に家宅捜索したんだけど,残念なことに,見つからないんだよ。

見つかれば,今使っている写真を直ちに差し替えます。



なお,波多野精一 『時と永遠』 (岩波書店) は,大平さんの愛読書の一つだったとお嬢さんが書いておられます。私の手元には,第九刷 (1980) がありますが,現在,絶版です。その後,文庫版として出版されたようです。





未完













































































































by yojiarata | 2015-03-15 12:53 | Comments(0)

人生は一局の将棋なり  指し直す能わず



ご隠居さん。変な題だけど,いったい何を書くつもり。


***



すぐ前のブログで,菊池寛のことを書いたけど,「人生は一局の将棋なり  指し直す能わず」は,将棋好きだった菊池寛が遺した言葉だと言われているんだ。


最近,内閣支持率が50%を超え,自信に満ちた顔付きになってきた安倍大臣が,「憲法改正」,「日本の再軍備」に向かって,坂道を転がり落ちるように爆走しているよ。これまでに何度も,繰り返し,このブログで書いてきたから,繰り返すのが嫌なんだけど,書かないと気分が収まらないので,この題をつけて,聞き捨てならないボス殿の発言,行動を,項目だけを引用することにしたのです。


*


以下,新聞記事の見出しなどを再現するよ。



3月8日(朝刊)


①  安倍政権がめざす安全保障政策
    → 「切れ目のない安全保障法制の整備」
    → 新たな安保法制を可能にする閣議決定
       憲法解釈変更で集団的自衛権の行使容認




3月7日(朝刊)


➁  飯塚繁雄代表と面会する山谷えり子拉致問題担当相 【写真付】

    拉致再調査 報告なく焦り
    家族会,首相面会と制裁復活を要請



③  運用権限 制服組に集中
    改正案閣議決定 「文官統制」撤廃
    防衛相に一層の責任



④  政府、派遣要件など提示へ 安保法制7分野で 公明要望受け
「存立事態」新設提案へ 集団的自衛権行使向け 現行法を改正方針




3月5日(朝刊)


⑤  (安全保障法制)乱立,五つの「事態」 集団的自衛権行使へ改正案

    新たな安全保障法制をめぐり,政府は現行の武力攻撃事態法を改正し,集団的自衛権の行使を可とする方針を固めた。日本が直接攻撃される武力攻撃事態に加え,日本の存立が脅かされる「存立事態(仮称)」なども加わり,複数の事態をいかに整理するのかが課題となる。



⑥  陸自に「陸上総隊」新設 17年度までに 命令系統を一元化
    自衛隊の命令系統

   防衛省は2017年度までに,陸上自衛隊の命令系統を一元化する「陸上総隊」(仮称)を創設する方針を固めた。現在,統合幕僚長から全国5区域の方面総監にそれぞれ伝えている陸自への命令を陸上総隊司令官に一本化することで,離島などへの攻撃にも素早く対応する態勢をつくるのが狙い。防衛省が4日,自民党国防部会で示した。




自信に満ち溢れた顔付きしているけど,彼の人は, 人生は一局の将棋なり 指し直す能わず】 を承知の上で,坂道を転がり落ちているんだろうか。



いずれにしても,アメリカさんの コートに摑まって,引きずられている だけなんだけどね。
 

ちなみに,この表現 ” コートに摑まって,引きずられている” は,1970年の初めにアメリカにいた頃,ちょうど大統領選挙があって,その時,学生からオリジナル(英語)版を教わりました。我らがボスが,目を白黒させながら,” ア・ベノミ・ックス ・・・・・ 三本目・の ♪ 矢 !! ・・・・・ ” と 叫び声をあげながら,地面をひきずれていく滑稽な有様が目に浮かぶようだね。


念のために,Merriam-Webster Online のウェブサイトを書いておくから,そこの説明を読んで下さい。


Merriam-Webster Online


a long piece of cloth that hangs down at the back of a man's formal coat
coattails

the help or influence of another person's work, ideas, or popularity

plural : the influence or pulling power of a popular movement or person (as a political candidate)


どうも,この表現は,今や,cliché と言われるようになっているらしいよ。要するに,永年にわたって使い古された表現だね。


私が この PC にコピーして使っている 「OEDのCD-ROM版」 には,14 例 が記載されているよ。流石は,OEDだね。

もっとも古い用例:

1600年 詩の一部  

Still on his owne cott tail he satt.


最も新しい用例:

1966年 Listener 17 Mar.

May they not have tied themselves to the coat tails of a dangerous American policy in relation to China?



偶々,この最後に引用されている用例は,今日のブログにぴったりだね。




未完

by yojiarata | 2015-03-08 16:13 | Comments(0)

文学作品 における プライオリティー  吉村昭 と 菊池寛



ご隠居さん 今日は,やけに改まった話のようだね。


***



そうでもないんだけど,私が何故この記事を書くのか,最後まで読んでもらえば,君にも分ってもってもらえると思うよ。

自然科学でも,社会科学でも,そのアイディアを誰が最初に出したのか,つまりプライオリティーは誰に属するかは,物事の本質に関わる大事な問題だよね。



以前,このブログに  『吉村昭,菊池寛,永井荷風』  を書いたけど,覚えている。


このブログで書いたことを念頭に置いて,プライオリティーの観点から,改めて考えてみたいんだ。


まず,問題のブログから,今日の話題と直接関係のある部分を,要約するよ。


*



吉村昭は1974年, 『冬の鷹』 を出版しました(新潮文庫)。この作品は,『解体新書』 の翻訳・出版に至るまでのいきさつを,一日も早く 『ターフェルアナトミア』 の翻訳・出版に漕ぎ着けたいという,極論すれば営業マンのような男・杉田玄白,翻訳出版に協力しつつも,これを機会に,オランダの文化など,蘭学から学ぶべき哲学などを含めたより広い視点で日本に紹介すべきだとして,杉田と対峙する前野良沢の確執を見事に描き,大きな評価を得たんだ。


一方,菊池寛は,1947年, 『蘭學事始』 を春陽堂より出版しているよ。私は,この春陽堂版をネットの 「日本の古本屋」 から購入したんだ。念のため,菊池寛 『藤十郎の恋・恩讐の彼方に』 (新潮文庫,1970)に収録されている 『蘭学事始』 と比較し,字句の用法のほかは,両者が完全に同一であることを確認しました。


筆者が読む限り,『蘭學事始』に述べられて菊池寛の論旨は,吉村昭の著作と全く変わりがないんだ。

以下,『蘭学事始』 (新潮文庫版) の192-195ページから 引用します。


 ・・・・・ 最初,一二年は,良沢と玄白との間に,何等意見の扞格(かんかく)もなかった。が,彼らの力が進むに従って二人はいつも同じような口諍(くちあらそ)いを続けていた。

「この処の文意はよく解り申した。いざ先へ進もうでは御座らぬか」

玄白は常に先を急いでいた。が,良沢は,悠揚(ゆうよう)として落着いていた。

「いや,お待ちなされい。文意は通じても,語義が通じ申さぬ。凡(およ)そ,語義が通じ申さないで,文意のみが通じるのは,当推量(あてずいりょう)と申すもので御座る。

良沢は,頑(がん)として動かなかった。

四年の月日は過ぎた。

玄白は、ターヘルアナトミアの稿を更えること十二回に及んだ。が、篇中、未解の場所五カ所,難解の場所十七カ所があった。玄白は、ひたすらに上梓を急いだ。が,良沢は、未解難解の場所を解するまではとて,上梓を肯(がえ)んじなかった。

良沢と玄白とは,それに就(つい)て幾度も論じ合った。が,二人は幾何(いくら)論じ合っても,一致点を見出(みいだ)さなかった。それは,二人の蘭学に対する態度の根本的な相違だった。

玄白は、とうとう自分一人の名前で,ターヘルアナトミアの翻訳たる解体新書を上梓する決心をした。

が、さすがに彼は,良沢の名を無視するわけにはいかなかった。翻訳の筆記こそ,玄白の手に依(よ)って行われたものの,翻訳の功は,半ば良沢に帰すべきものだったから。

玄白は,良沢を訪(おとの)うて序文を懇願した。が,良沢は序文をも,次のようにいって断った。

「いや,拙者かつて九州を歴遊いたした折,太宰府の天満宮へ参詣いたした節,斯様(かよう)に申して起誓したことが御座る。良沢が蘭学に志を立て申したは,真の道理を究めよう為で,名聞利益(みょうもんりやく)のためでは御座らぬゆえ,この学問の成就するよう冥護(みょうご)を垂れたまえと,斯様に祈り申したのじゃ。この誓いにも背(そむ)き申すゆえ,序文の儀は平に許させられい!」

それをきいた玄白は,寂しかった。が,彼は自分の態度を卑下する気には,少しもなれなかった。彼は良沢の態度を尊敬した。が,それと同時に,彼は自分の態度を肯定せずにはおられなかった。

彼は,晩年蘭学興隆の世に会った時の手記に,自分の態度を,次のように主張した。

『翁(おう)は,元来疎慢にして不学なるゆゑ,可成りに蘭説を翻訳しても,人のはやく理解し,暁解するの益あるようになすべき力はなく,されども人に託しては,我本意も通じがたく,やむことなく拙陋(せつろう)を顧みずして,自ら書き綴れり。其(その)中に精密の微義もあるべしと思えるところも,解しがたきところは強(し)いて解せず,ただ意の達したるところを挙げ置けるのみ。

譬(たと)へば,京へ上らんと思ふには,東海東山二道あるを知り,西へ西へと行けば,終(つい)には京へ上りつくと云うところを,第一とすべし。その道筋を教える迄(まで)なりと思へば,その荒増しあらましを唱へ出せしなり。首(はじ)めて唱る時に当りては,なかなか後の譏(そしり)を恐るるようなる碌々(ろくろく)たる了見にて企事(くわだてごと)はできぬものなり。くれぐれも大体に本(もと)づき,合点の行くところを訳せし迄なり。梵訳(ぼんやく)の四十二章経も,漸(ようや)く今の一切経に及べり。之が,翁が,その頃よりの宿志にして企望せしところなり。世に良沢と云う人なくば,此道開くべからず。されど翁のごとき,素意大略の人なければ,此道かく速かに開くべからず,是もまた天助なるべし。』 ・・・・・ 



*




菊池寛の著書と吉村昭の著書の発表には,30年近くの時間しか経過していないんだ。にもかかわらず,吉村昭の新潮文庫版には,「あとがき」 を含めて,菊池寛 『蘭學事始』 について,一言も言及もされてないんだよ。どうしてなんだろう。不思議だね。


ただ,巻末の「解説」(上田三四二による)に次のように書かれているよ。

 ・・・・・ 玄白には,晩年になって当時を回顧した『蘭学事始』(蘭東事始)があって広く読まれており,・・・・・ 中学の国語の教科書に出ていた記憶がかえってくる。

菊池寛が同じ題をもつ短編小説を書き,玄白と良沢の,仕事をとおしてかもしだされる心理上の葛藤を取り上げたことでも知られている。 ・・・・・ 


些か歯切れが悪いと印象をもつのは,私の偏見だろうかね。


断っておくけど,吉村昭に悪意があったとは,これっぽっちも思ってないよ。

吉村昭の大のファンの友人によると,吉村昭が 『冬の鷹』 を書いていた頃,山のような資料が持ち込まれていたと言うんだよ。友人が,実際にその現場を見たのかどうかは聞いてないけど。


しかし,もしも 『冬の鷹』 で菊池寛の著作に一言の言及もされていないとすれば,結果において菊池寛に礼を失したことになるのではありませんかね。


吉村昭が大作家であることは,完全に認めるよ。吉村にも言いたいことがあると思うんだけど,今やこの世にない吉村に確かめるすべはないよ。


ちなみに,吉村昭は,1973年に 「菊池寛賞」 を受賞しています。


二,三付け加えておきたいことがあるよ。


ブログ 『吉村昭,菊池寛,永井荷風』 に書いただけど,永井荷風は,菊池寛のことをメチャメチャに貶すんだ。だけど,私は,そうは思わないよ。例えば,『恩讐の彼方に』 は素晴らしいじゃありませんか。逆に,少なくとも個人的には,日記,エッセイを除くと,荷風の世界には近づきたくないね。



以下,ウェブから,二三の記事を引用するよ。

菊池寛は,太平洋戦争中,文芸銃後運動を発案し,翼賛運動の一翼を担ったために,戦後は公職追放の憂き目に遭い,1948年(昭和23年)に失意のうちに没した。享年59。


「我々は誰にしても戦争に反対だ。然し,いざ戦争になってしまえば協力して勝利を願うのは,当然の国民の感情だろう」 とは戦後の本人の弁である。


将棋にいれこんでいた菊池寛は,「人生は一局の将棋なり 指し直す能わず」 という詞を書き残しているそうだよ。


付け加えておきたいんだけれど,菊池寛は,1923年(大正12年)に私費で雑誌『文藝春秋』を創刊し,日本文藝家協会を設立。芥川賞,直木賞の設立者でもあるよ。広い範囲で,貢献大だね。






未完

by yojiarata | 2015-03-03 18:28 | Comments(0)

夜のプラットホーム  二葉あき子  国鉄・宇野線  滝田ゆう



ご隠居さん 今日は何だかゴジャゴジャ入っている 「混ぜ御飯」 のような話のようですね。


***



そう言えなくもないだけど,筋は通っているつもりです。ま 読んでみてよ。私が書くんだから,行きつく先は想像できると思うけど。


この間,いつものように,NHK第1のラジオ深夜便を聴いておりました。そこで,聞こえてきたのが,二葉あき子が唄う『夜のプラットホーム』。それとともに,いろんなことが,ワーッと頭の中を駆け巡り,ブルブルっと震えがきたよ。


『夜のプラットホーム』 (奥野椰子夫作詞,服部良一作曲)は,1947年(昭和22年),二葉あき子が歌って大ヒットしたんだ。私が中学2年の頃だね。



♪ 星はまたたき 夜ふかく

鳴りわたる 鳴りわたる

プラットホームの

別れのベルよ

さよなら さよなら

君いつ帰る

・・・・・





ネットに載っている,大きな針音とともに聴く 二葉あき子 は実に素晴らしいよ。


*



話は,70年前にさかのぼるよ。

私たち一家は,1945年6月28日の早暁,B29の焼夷弾攻撃によって,岡山市が全焼した後,母の実家に居候していました。私は朝早く起きて,一里(4キロ)の道を歩いて,入学したばかりの中学校に通っていたんだ。子供の急ぎ足で,大体1時間の距離だね。ときには,国鉄・宇野線 (岡山駅-宇野) で 大元 (おおもと) ― 岡山駅間を利用することもあったよ。運転間隔が空いていたから,滅多に乗ら (れ) なかったんだけど,汽車のことは,何故か鮮明に記憶しているんだ。

赤いランプを付けてホームから遠ざかっていく汽車を,観るとはなしに見送っていた記憶があるんだね。『夜のプラットホーム』 の記憶が頭に焼き付いているのは,そのためじゃないかと思うよ。

その記憶は,今,私の手元にある,

滝田ゆう 『昭和ながれ唄』 (旺文社文庫,1983)

の表紙の絵とピッタリ重なるんだ。


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わたしは,滝田ゆう (1931-1990)は凄い人だと尊敬しています。お酒を飲みすぎて早死にしてしまったのが残念だね。玉ノ井遊郭のど真ん中に生まれて育った滝田ゆうの生活ぶりは,『寺島町奇譚』などの著作に残されています。私の本箱には,ハードカバー,文庫本など10点近くが並んでいるよ。

滝田ゆうは,戦前,戦後の日本の精神的な惨状,戦争の悲惨さを,ユーモアいっぱいに書き残しています。凄いよね。


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話を,『 夜のプラットホーム 』に戻すよ。

当初 は1939年(昭和14年)公開の映画 『東京の女性』 (主演:原節子)の挿入歌として淡谷のり子が吹き込んだけど,出征する人物を悲しげに見送る場面を連想させる歌詞があるとして,戦時下の時代情勢にそぐわないと検閲に引っかかり,同年に発禁処分を受けたと,ウェブサイトに記載されています。

とくに,3番まで,歌詞の結びに出てくる


♪ さよなら さよなら 君いつ帰る



が,検閲にあたった内務官僚の連中のお気に召さなかったようだね。自分の娘だったら,彼らもそんなことが出来たのだろうか。


急に思い出したんだけど,小林多喜二を惨殺した特高の連中は,相手がたとえ自分の息子であってもそうしただろうか。あり得ないよね。すべて他人事だからできるんだよ。


断っておくけど,「あれは,戦争中の出来事だった,心より反省しております」 とテレビカメラの前で,心にもないことをもぞもぞ喋りながら,最敬礼する次元の話ではないからね。


最近目立つのは,何か,お気に召さないことがあると,政府筋は,マス・メディアに何かと口を出すようになったでしょう。そのための法整備は,着々と進んでいるよ。安倍大臣を頂点とする今の内務官僚の連中も,頭の中身は,特高警察の頃と,本質的には,何も変わってないんじゃないの。


”津波被害を最優先の課題として取り組んでまいります”,”拉致問題に解決がなければ,わが内閣は成り立たないのであります” ・・・・・ 映画でいえば,「予告編」のようなもので,派手な宣伝ばかりで何も実現してないじゃありませんか。


自分の宣伝となると,実に見事で,イギリスの王子様と福島に現れて,記者会見で,あること,無いことをぶちかますんだ。そのあと,素早く,どこかの高校の卒業式に出席して,将来の日本を背負ってほしいと,”歯の浮く”ようなことを言っていたね。テレビのコマーシャルは五月蝿いけど,人畜無害だよ。だけど,この手の宣伝は,有害以外の何物でもないね。この男が,一国のボスだと思うと,恥ずかしいよね。怖いよね。


空いた口が塞がらないとは,このことだね。


落語じゃないけど,「馬鹿馬鹿しいお笑い」になるから,これで止めます。


止める前に一言。

『夜のプラットホーム』 のあとに 二葉あき子が発表した 『 別れても 』 も,私の少年時代の記憶に残る曲です。大人の唄だけどね。



♪ 空になる凩(こがらし)

雨戸うつ吹雪

冬の夜は更けてゆく

・・・・・





最初に書いたけど,一里の道を歩いて中学に通っていたんだけど,ぴゅうぴゅう凩が吹く晩秋から冬の頃は参ったね。

宇野線は運転間隔があいていて,滅多に利用できないし。そんな時,何とか家にたどり着いて,コタツにもぐりこんだんだけど,記憶は,何故か,ラジオで聞いた 『 別れても 』 に戻るんだ。記憶というのは,不思議なものだね。


 


未完

by yojiarata | 2015-03-01 23:03 | Comments(0)