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暁の超特急:吉岡隆徳   伊東浩司 から 桐生祥秀へ



ご隠居さん 「暁の超特急」って何なの?


***



男子 100m走の話題です。100年以上も前のことから始めるから,超後期高齢者の昔話を聞いてよ。


暁の超特急


吉岡隆徳 よしおか・たかよし (1909年(明治42年)-1984年(昭和59年))は,昭和初期に活躍した陸上短距離選手です。東京高等師範学校(現在の筑波大学)を卒業。元東京女子体育大学教授。本名である「たかよし」のほか,通称で「りゅうとく」ともよばれていたんだ。身長165 cm,体重 61 kg。


吉岡 隆徳は,1932年8月,第10回 ロサンゼルス・オリンピックで,東洋人初の100 m 6位入賞を果たしたんだ。

その後,1935年に,10秒3 (手動時計)の世界タイ記録をマークしているんだ。すごいでしょう。小さな身体でね。
  

吉岡隆徳のあと,日本人のオリンピックの男子陸上・短距離種目での決勝進出者は,1992年,バルセロナ・オリンピックで 400m走に出場した高野進まで現れなかったんだよ。

吉岡は,当時のスポーツ記者によって, 「暁の超特急」 とよばれていたんだ。子供の絵本にもなっている英雄だよ。私の子供の時代と重なり,絵本のことを含めてよく覚えています。



日本人選手による記録



1位  10秒00 (風速 +1.9) 伊東浩司 (富士通) バンコク 1998年12月13日

2位  10秒01 (風速 +0.9) 桐生祥秀 (洛南高等学校) 広島 2013年4月29日 

3位  10秒02 (風速 +2.0) 朝原宣治 (大阪ガス) オスロ 2001年7月13日


伊東浩司は,現在,100 メートル走の日本記録保持者。

2009年3月30日より,神戸市教育委員会の教育委員, 2011年4月より,関西学生陸上競技連盟のヘッドコーチ,2011年11月より,日本陸上競技連盟強化委員会短距離部長を務めておられます。

伊東 浩司 いとう こうじ 1970年1月29日生まれ
身長182cm 体重72kg(不確実,ネットに記載されているデータ)


中学時代から全国大会で活躍し 1998年には 200mでも 当時の日本記録を樹立したんだ (現在でも歴代2位)。アジア大会で,現在も日本記録の10秒00を出したとき,実はかなりの余力を残してのゴールだったそうだよ。舞台が準決勝だったこともあり,タイムを意識せず 最後は流してのゴールだったので,もし全力で駆け抜けていたら,9秒台は確実であったと言われているんだ。だけど,済んだことだからね。実際はどうだったかは,今となっては,誰にも分からないよ。

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伊東浩司選手



伊東浩司が10秒00の日本記録を樹立して以降の15年で,伊東を含めて,10秒0台を記録した日本人選手は,現在,大きな期待と注目を集めている 桐生祥秀を加えて7人だけだよ。


桐生 祥秀 きりゅう よしひで
彦根南中(滋賀) → 洛南高(京都) → 東洋大

1995年12月15日生まれ(18歳)

身長 175 cm, 体重 68 kg

100 m, 10.01(2013.4 織田記念国際) 日本歴代2位,ジュニア日本記録,日本高校記録。
200 m, 20.41(2013.6 高校総体近畿予選会) 日本高校記録。

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桐生祥秀選手



10.00 の壁



世界で最初に10秒の壁を破ったのは,45年前,アメリカ のジム・ハインズ (1968年10月14日)。記録は,9.95。1996年に行われたアトランタ・オリンピックの100m決勝では,スタートの反応時間が一番遅かった。特に隣のレーンのフランク・フレデリクスからは100分の3秒ほど遅れてのスタートだったにもかかわらず,優勝。タイムは,当時の世界記録を100分の1秒更新する9秒84の世界新記録。

これは,1968年に100 m に電動計時が導入されて以来,初めてアメリカ人選手以外による世界記録更新という快挙となったんだ。

このあと,9.97 (カール・ルイス,1983年),9.86 (同じくカール・ルイス,1991年),9.79 (モーリス・グリーン,1999年),9.69 (ウサイン・ボルト,2008年),9.58(ウサイン・ボルト,2009年)


これまで10秒の壁を突破した選手は84人。84人のうち2人以外は全てアフリカをルーツとする選手です。



ロンドン・オリンピック


ロンドン・オリンピック 100m決勝では, 出場選手8人中7人が9秒台だったよ。8位のアサファ・パウエル 11.99 は,足の負傷をおして出場した結果だからね。 物凄いレベルだね。


優勝したのは,ボルト。優勝タイムは,9.63。

ボルトは,身長196 cm,体重 94 kg。 短距離選手は身長が180 cm台の選手が多く,190cm 以上の長身の選手はスタート時の静止状態からの加速が鈍くなるため一般に不利とされるるんだけど,ボルトは278 cm の非常に大きなストライド走法を活かしレース中盤から加速して最高速に達し,一気に飛び出す,若しくは他を引き離す後半追い込み型です。

ボルトは,2009年の8月,ベルリンで9秒58(追い風0.9m)の世界新記録を出しているよ。


順位  走行    名前              国名        反射時間     記録
     レイン             

1位   7    ウサイン・ボルト       ジャマイカ       0.165     9.63

2位   5    ヨハン・ブレーク       ジャマイカ        0.179     9.75

3位   6    ジャスティン・ガトリン    アメリカ合衆国     0.178     9.79

4位   4    タイソン・ゲイ         アメリカ合衆国     0.145     9.80

5位   8    ライアン・ベリー        アメリカ合衆国     0.176     9.88
 
6位   9    チュランディ・マルティナ   オランダ         0.139     9.94

7位   2    リチャード・トンプソン    トリニダード・トバゴ  0.160     9.98

8位   3    アサファ・パウエル     ジャマイカ         0.155     11.99

風 +1.5 m/s


表の中の反射時間というのは,私が勝手に考えたのだけど,スタートの合図から,どれくらい素早く走り出せるかの時間だから,大変重要ではないでしょうか。

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ロンドン・オリンピック 100m 決勝 (スタート直後)


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優勝したウサイン・ボルト



ボルト,ブレーク,ガドリン,ゲイの身長,体重


ボルト          195cm,94 kg

ブレーク         180cm,76 kg

ガドリン         185 cm,79 kg

ゲイ           180 cm,75 kg


日本人選手が,身長,体重がひどく劣っているわけでもないんだけどね。身長・体重もさることながら,この「筋肉隆々」をみただけで,コリャとてもカナワンという気がするよ。

  
世界チャンピオン,五輪チャンピオン,世界記録保持者の3つのタイトルを独占した選手がこれまでに,カール・ルイス,ドノバン・ベイリー,モーリス・グリーン,ウサイン・ボルトの4人だけいます。物凄い記録だね。



スポーツと体力



全仏オープンは,パリで第2日を迎え,男子シングルス 1回戦で 第9 シードの 錦織圭が,世界ランキング59位 の マルティン・クリジャン(スロバキア)に 6―7,1―6,2―6 のストレートで敗れたよ。錦織は,全仏オープンは4度目の出場,1回戦で敗退したのは初めて。どこかを痛めていると聞いたけど。

いろいろ事情はあるんだろうけど,それは誰にも同じ。肝心の時になって,色んなところに障害が出るのは,やはり,体力の差だと思うね。

素人の私が意見を述べるのは,変だけど,伊東浩司選手の走り方に,日本の陸上競技・選手が将来歩むべき道があるような気がするんだけど。どうでしょうかね。





未完

by yojiarata | 2014-05-31 17:13 | Comments(0)

怪鳥飛来す 日米安保条約

2014年5月27日
2014年5月28日 追加,改定
2014年5月29日 追加,改定
2014年5月29日 追加,改定





ご隠居さん 最近,晴れやかな顔をあまり見ないね。


***



毎日,毎日,あの御方の演説を見たり,読んだりしているんだよ。晴れやかな顔になれるわけがないでしょう。


(時時刻刻)無人機,中朝探る目 日本に初配備 米,世界展開を加速
2014年5月25日(朝日新聞・朝刊,2 総合)

無人機,中朝を探る目(時時刻刻)

を読んでいるうちに,恐ろしくなってきたんだ。


米軍の無人偵察機グローバルホーク(GH)が24日,日本に初めて一時配備された。米側は東アジア地域に照準を合わせ,北朝鮮情勢や台頭する中国を念頭に日本を拠点とした偵察活動を本格化させる構えだ。同盟強化をかけ声に安倍政権も足並みをそろえ,無人偵察機の導入を見すえている。

24日午前6時すぎ,朝もやの残る青森県三沢市の在日米空軍三沢基地。全長14メートル余りの機体に対して,翼の端から端まで40メートルもある長い両翼を備えた濃いグレーの機体が滑り込むように滑走路に進入した。

到着したのはグアムのアンダーセン米空軍基地所属の1機で,28日に2機目が三沢入りする予定。三沢基地内の地上施設でパイロットが操縦に当たり,一定高度以上になると,米カリフォルニア州にある空軍基地から衛星通信を通じて遠隔操作する。すでにパイロットや整備士ら約40人の米軍人らが三沢入りしており,来月上旬から偵察活動の本格運用が始まる。

   *

三沢配備の理由の一つが台風の影響だ。グアムは5~10月ごろに台風に見舞われることが多いため,この時期だけ拠点を日本に移し,GHの稼働率を高める狙いがある。

米国防総省のカービー報道官は22日の記者会見で「GHの配備により,海域の状況把握から災害復旧まで様々な活動における我々の監視能力を高めることになる」と語った。

   *

英紙ガーディアン(電子版)によると,公表されているだけで少なくとも11カ国が計約800機の無人偵察機や無人攻撃機を保有。このうち8割以上は米国で,無人機の世界展開を加速させている。

今年2月にシンガポールであった航空産業展には,米国など世界の有力企業がこぞって無人機を出展した。無人機の先進技術で知られるイスラエルの担当者は語った。「軍事予算が増加しているアジアは,日本も含めて重要な市場だ」


自衛隊との一体化進む



自衛隊は来年度に無人偵察機3機を導入する計画だ。「米軍との連携を考えればGHしかあり得ない」(自衛隊幹部)という。配備先は三沢基地が有力だ。

自衛隊が無人偵察機の導入を急ぐのは,情報収集分野で中国が台頭しつつあるからだ。昨年9月には尖閣諸島周辺を中国の無人機が初めて飛び,日本政府内に危機感が広まった。中国の公船が日本の領海に侵入する事態も頻繁に起きている。中国の動きをどうとらえるかは,日本の安全保障上,大きな問題だ。

   *

さらに日本政府は,米国との同盟強化の意味でも重要と見る。中国に加え,核・ミサイル開発を続ける北朝鮮に対抗するために,情報収集に日米の協力が欠かせないと考えるからだ。自衛隊幹部は「日米が同じ装備を持てば,偵察する地域や時間など役割分担して活動が広がる。より米軍と一体化し,抑止力が高まる」と語った。米軍の無人機が集めた極秘情報の提供をさらに受けられるという計算もある。

しかし,日米で軍事情報の共有が進むことは,自衛隊と米軍がより一体となって軍事行動を取ることにつながる。安倍政権は,武力で他国を守る集団的自衛権を行使できるようになれば,無人偵察機の役割はさらに広がると考えている。

政府は行使が必要として,与党に示す事例の中に,米国に向かう弾道ミサイルの迎撃や米艦船の防護などを挙げる。防衛省は,こうした有事(戦争)で無人偵察機は中心的な役割を果たす,と考えている。

海上保安庁や警察などでは対応できないが,戦争までには至っていない「グレーゾーン事態」でも無人偵察機を使う考えが防衛省内にある。尖閣諸島での中国との対立を念頭に,武装集団が不法上陸した際や,不法上陸に至るまでの情報収集に役立てる考えだ。
 

しかし,グレーゾーン事態で自衛隊が前面に出れば,かえって軍事的緊張が高まる,という議論もある。与党協議でも,公明党は自衛隊の活用より,海上保安庁の態勢強化を主張している。身近な「危機」を強調し,高価な兵器購入を進めようとする政府側の意図も透けて見える。

   *

また航空法ではGHのような大型無人機の位置づけが定まっていない。米軍のGHは日米地位協定の特例法により運用を始めるが,自衛隊への導入に向けても同盟重視が先走るあまり,安全確保がおろそかになるおそれもある。自衛隊内には,将来的には無人攻撃機の保有も考えたいという声もあるが,「専守防衛」から大きく逸脱する考えだ。


ところで,大型無人機GHは,日本から,8000キロ以上も離れたアメリカ・カリフォルニアの米軍の基地から遠隔操作されるんだ。つまり,モニターを見ながら昼寝でもしていればいいんだよ。この,バケモノのような無人機に何が起ころうと,痛くも,痒くもないんだ。困ったことだね。これも,安倍御爺様が結ばれた日米安保条約のなせるわざだからね。

この間,騒音のため,夜間の自衛隊機の飛行は「マカリナラン」という判決が出たけど,防衛大臣は,緊急事態ということもあるから,受け入れられないと涼しい顔付きだったよ。第一,この判決は,アメリカの飛行機とは無縁だからね。日米安保に従いますので,アメリカ様,どうぞご自由に,昼でも,夜でも,ガーガー飛んでくださいというしかないんだよ。

残念だね。無念だね。




*



と,言っているうちに,ひっくり返らんばかりの記事が今日の夕刊に出たので,急遽追加します。

2014年5月28日(水曜日,夕刊 1面)



邦人乗らぬ米艦も護衛 集団的自衛権 首相,国会答弁



邦人乗らぬ米艦も護衛 
集団的自衛権 首相,国会答弁 


他国を武力で守る集団的自衛権について,安倍晋三首相が行使の検討を正式に表明してから初めての国会論戦が始まった。首相は28日の衆院予算委員会で,朝鮮半島有事を念頭にした米艦船について,日本人が乗っていなくても守る考えを示した。さらに首相はペルシャ湾の「ホルムズ海峡」と具体的な地名を挙げ,機雷の除去やタンカーなどを守るため集団的自衛権の行使が必要との考えも示した。

首相は「日本の近国で紛争が起こり,その国から逃れようとする邦人を日本に輸送する米国の船を自衛隊が守れなくてよいのか」と指摘。さらに首相は15日の記者会見で 母子らが乗った米艦のパネルを示し,行使が必要な事例とした件に関して,「『日本人が乗っているから守る』『日本人が乗っていないから駄目だ』ということはあり得ない。極めて明確な例として 『邦人』 を示した」と述べ,日本人が乗っているかどうかは米艦を守ることと関係ない,との考えも示した。

首相はさらに「外国の船を雇うこともある。それは米国船ではない」とも述べ,邦人が乗っていれば,米国以外の国の船も集団的自衛権を使って守る考えを示した。「私は米国の船以外は駄目だと言ったことはない。米国のみが集団的自衛権の対象になるわけではない」 とも強調した。

また,首相は「機雷によってホルムズ海峡が封鎖された場合,ここを通るタンカーによって日本のエネルギーは供給されている。各国が協力して機雷掃海を行っているのに我が国ができなくても いいのか。我が国を含む船舶の護衛に参加しなくていいのか」 と強調した。

一方,首相は中国軍機による自衛隊機への異常接近について「偶発的事故につながりかねない危険極まりない行為があった」と述べた。


また出たよ。

自衛隊派遣,中東も想定 集団的自衛権 首相,国会で答弁


2014年5月29日(木曜日,朝刊 1 面)


安倍晋三首相は28日の衆院予算委員会で,他国を武力で守る集団的自衛権の行使が認められた場合,自衛隊を中東・ペルシャ湾のホルムズ海峡へ派遣することを想定している,と明らかにした。首相は日本から遠く離れた地域へも自衛隊を派遣する可能性を示し,米国以外の国を守る考えにも踏み込んだ。



日米指針見直しに「間に合うように」 集団的自衛権,首相が答弁


2014年5月29日 (夕刊,1面)


ついに出たね。これで,ダメ押しだね。最終版。語るに落ちるとはこのことだよ。ゆっくり読んでちょうだい。


安倍晋三首相は29日の参院外交防衛委員会で,他国を武力で守る集団的自衛権の行使などをめぐる審議に臨んだ。日米防衛協力のための指針(ガイドライン)を年末までに見直すことで合意したことに触れ,「それに間に合うように,本件についての方針が固まっていくことが理想的だ。与党で協議が進むことを期待している」と答弁した。

首相は「新しい観点に立って安全保障政策を構築することが可能となれば,それを踏まえたガイドラインの見直し作業を進めていく」とも述べた。

朝鮮半島の有事(戦争)で北朝鮮に武器弾薬を運ぶ船舶を念頭に,強制的に検査する「臨検」についても「米国が隣国で攻撃を受けた際,敵対的な国に武器などが持ち込まれる可能性がある中で,できなくていいのか」と主張した。

首相はまた,15日の会見で示した日本人を乗せた米輸送艦を自衛艦が防護する事例について「リアリティーがどのくらいあるのか」(民主党の福山哲郎氏)と批判され,「最初から『こういう事態はない』 と排除していく考え方は,『嫌なことは見たくない』というのと同じことだ。あらゆる事態に対応できる可能性,選択肢を用意しておくことは当然だ」と反論した。


*



もう一度,次の記事を読み直してほしいよ。


集団的自衛権の行使  安倍内閣総理大臣の記者会見


NHKクローズアップ現代 4月16日の変


死の商人


より美しい 誇りのある国 



もう世も末だね。この男,到頭 頭がおかしくなったよ。彼はどうなってもいいよ。自業自得だからね。だけど,アメリカの命令で,ノコノコついていって,日本がまた,戦争に巻き込まれ,多くの人の命が喪われることを,心配しなければならない時代になってきたのは,彼の責任だよ。これは絶対に許せないよ。


昔,「その男,凶暴につき」(1989年公開)という北野武監督・主演の映画があったけど,国会答弁をみていると,彼の人の態度が段々とデカくなってきたことは確かだね。何しろ,後ろからアメリカが見張っているんだから。せめて態度をデカくして,アメリカ様,こんな具合でよろしうございますかと,ご機嫌伺いしてるんだからね。態度がデカくなればなるほど,頭の中身のない,威張っているだけのサル山のボスザルのようで,滑稽だね。



未完

by yojiarata | 2014-05-27 21:33 | Comments(0)

有識者 と 原子力委員



ご隠居さん どうしたの。ご機嫌斜めだね。


***


ニコニコしている場合じゃないよ。

さっき来た夕刊に,怖ろしい記事が掲載されていたよ。君は読んだかい。

いまに始まったことじゃないけど,”殿 ご乱心”  ・・・・  という事態だね。

よく読んでみてよ。


規制委員に元原子力学会長 「審査厳格」の1人退任
人事案 「審査厳格」 の1人退任
朝日新聞 夕刊 2014年5月27日 2 総合 

安倍内閣は27日,原子力規制委員に田中知(さとる)・東京大教授(64)=原子力工学=と石渡(いしわたり)明・東北大教授(61)=地質学=を任命する国会同意人事案を衆参の議院運営委員会理事会に示した。

田中氏は日本原子力学会の会長を過去に務め,原発は必要との立場。一方,審査が厳格だとして再稼働を求める議員らから交代を求める声が出ていた地震学者の島崎邦彦委員長代理(68)は退任する。

交代するのは委員5人のうち,島崎氏と元国連事務次長の大島賢三委員(71)で,いずれも9月で任期切れになる。田中氏は,エネルギー基本計画を作る経済産業省審議会の委員を務めた。石渡氏は原発敷地内の断層問題の審議を第三者の立場から検証する規制委の会合の座長を務めた。

島崎氏は,活断層問題や再稼働の前提となる審査で,電力会社に対して厳しく慎重な姿勢で取り組んできた。このため,原発の早期再稼働を臨む関係者から批判が出ていた。



自分の思い通りになる「有識者」だけを集めて,表向きは公平にことを進めるんだから,悪質だね。

毎月一度,殿は福島に行って,何をしてるんだろうね。福島の人たちに期待だけ持たせて。

なにしろ,事実上の一党独裁国家だからね。何でも,思い通りだよ。許せないね。




未完
















































































by yojiarata | 2014-05-27 20:18 | Comments(0)

津軽海峡・冬景色  人生の並木道  六甲おろし



ご隠居さん きょうは,石川さゆりの話ですか。


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いろいろ書くつもりです。よかったら,読んでよ。



あれは,1970年代の終わりの頃だったと記憶しています。当時,私たち一家は,江東区の越中島にあった公務員住宅に住んでいました。すぐ前に,東京水産大学(現在の東京海洋大学)。JR東日本の京葉線の「越中島」が1990年にできる20年も前のことになるね。

当時,大阪に出張するのに,こんな便利なところも少なかったよ。すぐ前の清澄通りに出て,午前5時45分までにタクシーを拾うと,新幹線の始発(6:00発)に間に合うんだ。


*



1977年にタクシーで聴いた唄



あの時も,6時の新幹線に乗るために,タクシーに乗って東京駅に向かっていました。タクシーの中は,薄暗かったから,多分,季節は晩秋の日が短い頃だったと思うよ。音を小さく絞ったラジオから,初めて聞く曲が淡々と流れていて,その音色は,新幹線に乗った後でも,耳に残っていたよ。

私が初めて聴いた石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」です。ネットで調べてみると,「津軽海峡・冬景色」(作詞 阿久悠,作曲 三木たかし)は,1977年(昭和52年)1月1日に日本コロンビアから発売されたということです。つまり,私がこの曲をはじめて聴いたのは,1977年の秋だったんじゃないないかと思うんだ。


*



話は,先週の5月15日に飛ぶよ。この日のNHKのラジオ深夜便で,1970代の流行歌をまとめて放送したのを聴いたよ。その時かけられた最初の唄が,偶々「津軽海峡・冬景色」でした。ラジオで聞くのは,1977年の暮れ近く,あのタクシー以来,初めてのことだったんだ。

その時,私は,あの時とのあまりの違いに,唖然となったよ。人は年とともに,よく言えば,円熟味が出て来るし,悪く言えば少しづつ,何かを失うよ。唄に限ったことではないんだけど,唄でいえば,歌唱表現も 変ってくるよ。その分を,お肌のシミやしわをケアするように努力する。唄にも,無意識のうちの濃い目の化粧が入ってくるのは,避けられないんじゃないだろうか。なにしろ,タクシーの中で唄っていた石川さゆりと同一人物とはどうしても,思えなかったのは確かだよ。よく言えば,熱唱だけどね。

断っておくけど,私は,現在の石川さゆりの唄が悪いなんて言っていないよ。


*



飢餓海峡



ところで,私は,「津軽海峡・冬景色」を聴くたびに, 「飢餓海峡」(内田吐夢監督作品,1965) を思い出すんだ。映画では,下北半島周辺の光景が丹念に描かれていました。


戦後まだ間もない頃,北海道地方を襲った猛烈な台風により,青函連絡船が転覆して多数の死傷者が出ました。『飢餓海峡』は,この未曽有の海難事故を原点とする殺人事件を描いたものです。三国連太郎,左幸子,伴淳三郎の連携が,日本映画の歴史に残る素晴らしい作品を生んだんだ。

三国連太郎(犬飼太吉のちに樽見京一郎を名乗る)

左幸子(青森県大湊市の娼婦・杉戸八重)

伴淳三郎(函館署の刑事・弓坂吉太郎)

三国連太郎,左幸子に加えて,犯人を追いつめる函館署の刑事を演じる伴淳三郎の素晴らしい演技が印象的だったよ。


*



人生の並木道 と 六甲おろし



このブログを書こうと思ったもう一つの切っ掛けは,同じく,NHKのラジオ深夜便で聴いた,ディック・ミネの「人生の並木道」です。1937年( 昭和12年)公開の日活映画 『検事とその妹』 (渡辺邦男監督,原節子・主演)の主題歌 (作詞:佐藤惣之助,作曲:古賀政男)です。

余計なことだけど,渡辺邦雄監督は,昔は,早撮りの監督として,有名だったんだ。早撮りといっても,3週間。いまでは,映画はあっという間にできるらしいよ。テレビなんて,同じ俳優が毎日毎日,別の番組に出ているよ。

黒澤明の場合は,1年が常識。森谷司郎監督の「八甲田山」は,完成までに,実に3年間だものね。結果は,見事な雪嵐の画像となったよ。森谷監督は,その将来を期待されていたんだけど,53歳で他界されました。残念だね。森谷監督は,成瀬巳喜男,黒澤明などの助監督をつとめた経験があるんだ。

更に脱線するようだけど,「八甲田山」では,芥川也寸志の音楽が素晴らしかったよ。私は,思わず,サウンド・トラックのレコードを買ってしまったよ。何でも買いたくなる癖は,祖父,父の遺伝で,困ったもんだと反省しています。


ディック・ミネ に戻るよ。


♪ 

泣くな妹よ 妹よ泣くな
泣けば幼い 二人して
故郷を捨てた 甲斐がない



で始まる 「人生の並木道」 は,親しかった友人の三井幸雄さん(故人)が,カラオケで必ず唄っていました。何か,特別の思いがあったようで,あの頃の彼を,いまでも懐かしく思い出します。


ところで,「人生の並木道」 を作曲した佐藤惣之助は,詩人であり,作詞家。歌謡曲の歴史にその名を残す大重鎮です。そもそも,日本の歌謡曲をスタートさせた人物です。

「六甲おろし」 も惣之助さんが作詞したというんだから,驚きだね。現在唄われている「六甲おろし」は,惣之助さんの作品のなかの「大阪タイガース」の部分だけを,「阪神タイガース」に変えたものだよ。

佐藤惣之助 (1890-1942)。義兄の萩原朔太郎が死亡した四日後,脳溢血で急逝。享年51。

佐藤惣之助の作品が如何に広い範囲にわたっているかは,次の例をみれば,一目瞭然だよ。


『赤城の子守唄』(昭和9年2月)[竹岡信幸作曲,歌:東海林太郎]

『緑の地平線』(昭和10年10月)[古賀政男作曲,歌:楠木繁夫]

『大阪タイガースの歌(現:阪神タイガースの歌,通称:六甲おろし)』(昭和11年3月)[作曲:古関裕而]

『男の純情』(昭和11年9月)[古賀政男作曲,歌:藤山一郎]

『すみだ川』(昭和12年2月)[山田栄一作曲,歌:東海林太郎]

『人生の並木路』(昭和12年2月)[古賀政男作曲,歌:ディック・ミネ]

『青い背広で』(昭和12年2月)[古賀政男作曲、歌:藤山一郎]

『人生劇場』(昭和13年7月)[古賀政男作曲,歌:楠木繁夫]

『湖畔の宿』(昭和15年5月)[服部良一作曲,歌:高峰三枝子]


物凄い人がいるもんだね。


その「人生の並木道」を,「津軽海峡・冬景色」の何日か前のNHKラジオ深夜便で聴いたんだ。アンカーを務めた方が,唄は1937年(昭和12年)に発売されているんだけれど,今夜は,その後,録音し直したレコードを掛けますと仰ったんだ。悪い予感がしたんだけど,予想通りの結果でした。

余りの熱唱に,すっかり,疲れてしまったよ。同じ熱唱でも,三井さんの熱唱とは質が違うんだね。わかるでしょう。


歌い手さんも,人間だから,当然,加齢があるよ。良くも悪くも,年齢が唄に反映されるのは当然なんだ。その場合,唄は,自分を感動させるために唄うのではなく,聴き手を感動させるために唄うのだということを忘れないでほしいんだ。




by yojiarata | 2014-05-24 22:38 | Comments(1)

深沢七郎 を 読む



ご隠居さん 深沢七郎に興味をもっておられるのですか。


***



 学生時代から,ズッーとね。

なぜかだって?

だって面白いじゃありませんか。そもそも発想がユニークですよ。突拍子もないことを突然おっしゃるからね。五代目古今亭志ん生 に似ているんだ。私に言わせればね。


中央公論(1960年12月号)に書いた「三つの浪漫的小品より ― その(一)」がもとで,中央公論社の社長宅で不幸な事件が起き,深沢七郎は,3年間の放浪生活に入ったんだ。その時の体験を綴って文章が,たくさん残されているよ。

私は,

深沢七郎選集 1,2,3
大和書房(昭和四十三年四月一日 初版発行)

を大切に保管しています。他にも,七郎さんの著書を何冊も持っているよ。


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深沢七郎

埼玉県菖蒲町のラブ・ミー農場にて 1967年12月13日撮影
深沢七郎 『庶民列伝』 (新潮社,1970年6月5日,四刷)




エルヴィス・プレスリー と ベートーベン



深沢七郎が,ベートーベンについて,こんなことを言っていたのを今でも覚えているよ。私が,七郎さんに興味をもった理由の一つです。


ベートーベンの音楽には芸術家の思想があるなんていうけれど,

ミュージックに深刻な思想など盛り込まれたら,楽しくないはずだ



わき道にそれるようだけど,私のベートーベンとの付き合いは,年齢と共に大きく変化してきたよ。

ピアノ・ソナタを例にとると,若い頃 聴いた「ワルトシュタイン」や「熱情」が年齢とともに,うっとうしくなったあと,「作品110」,「作品111」のフーガの響きに魅了されてよく聴きました。だけど,今や,それも,聴いていると疲れてしまうんだ。それにしても,ベートーベンのエネルギーは大変なものだね。もっとも,晩年の作品といっても,彼氏は,まだ51-52歳だけどね。

エドウィン・フィッシャーが,私が生まれた頃にピアノで録音した「バッハの平均律クラビア曲集」など,無色な音を楽しんでいます。イングリッド・ヘブラーが1980年にスイスで録音した「フランス組曲」もいいね。聴いていても疲れません。夜,聴いているといつの間にか,眠ってしまうよ。

この点は,エルヴィス・プレスリーを,師とも,神とも仰いだ七郎さんとは,全く違うけどね。私は,エルヴィス・プレスリーの唄にはどうしてもなじめません。聴いていると,気分が落ち着かないんだ。歳のせいじゃなくて,昔から。

私は,モダン・ジャズは,曲にもよるけど好きだね。そして,流行歌も,浪花節も ・・・・・ 


君は,どう?


*



ここから後,深沢七郎自身の文章のなかから,引用するんだけど,その場合, ・・・・・ 】 のように,示すことにするよ。


深沢七郎が,エルヴィス・プレスリーでなければ生きていけない高校生と,クラシック派のB大生のやりとりを書いているよ。



この店には,エルヴィス・プレスリーを愛する洋介などの高校生,エルヴィスを忌み嫌うクラシック派のB大生が出入りしている。

たばこの煙が霞のように籠っているからなっているジャズの音も外へ逃げないような気がして,(やっぱり,この店はいいナ)と思いながら洋介はいつもの隅の場所に腰をかけていた。 


ドアが開いて,シンフォニーの好きな,あのB大の学生が二人連れで入って来た。連れの一人が,

「プレスリーの歌か,チェッ」

と舌打ちした。

「チャイコフスキーの“悲愴”もありますよ」

と,連れの友達に言うのに他人のような言い方で言った。

「ピアノソロもありますよ。君のおかあさまがお弾きになるブラームスのピアノソナタも」

そう言いながらレコードの所へ行った。こっちへむいて連れの学生に,

「プレスリーって,イヤな顔をしていますねェ,甘ったるい」

そう言いながらプレスリーの唄をとめてピアノソロをかけた。

彼らはベートーベンのような,怒った,狂人のような顔がいいと思っているらしい。鳴っているピアノソロはわけのわからない曲である。




学生の頃,友達がどこかで聞きこんできたこんなことを教えてくれたよ。

ベートーベンは大変な癇癪持ちで,耳も不自由だったんだけど,あるとき,自分が毛嫌いする男が部屋に入ってきたのを雰囲気で察知し,なにか声を掛けられるや,いなや,怒りとともに,猛烈な勢いで後ろをふりむいたんだ。それが,あまりの勢いだったので,ベートーベンは椅子からもんどりうって転がり落ちたんだそうだよ。 



マンボも好きだがエルヴィス・プレスリーの唄は手や足がこきざみにゆれて,身体中の力が出きってしまうのだ。(次は,エルヴィスのレコードをかけてくれればいい)と洋介は思った。そう思っているとレコードは途中で止ってシンフォニーの「新世界」に変わってしまった。

(あいつは,しょうがねえ奴だ)

と洋介は舌打ちをした。向こうの隅に腰かけているあのB大の学生の注文でシンフォニーをかけたらしい。


シンフォニーなんて(ガシャガシャな騒音だぞ)と言いたくなった。思わせたっぷりのように出てくる音,待ちどうしい間,出て来たところが訳のわからないふし,たまに,ちょっと,いい旋律が出てきてもすぐムズカシイふしになってしまうシンフォニーを,上品そうに,待ちどおしく聞いている奴等は,勉強でもするつもりでミュージックを聞いているらしい。

音楽には芸術家の思想があるなんて言うけれど,ミュージックに深刻な思想など盛り込まれたら,楽しくないはずだ。芸術家の思想なんて狂人のような,苦しそうな感情で,そんなミュージックは嫌いだった。


この作品には,エルヴィス・プレスリーの曲名が次々に登場するよ。

「テディ・ベア」,「ロンサム・カウボーイ」,「ラ・コンパルサ」,「ラ・コンパルサ」,「デキシーランド・ロック」,「ベビー・アイ・ドント・ケア」,「マネ・ハネー」,「ハウンド・ドッグ」,「トゥー・マッチ」,「ブルー・ムーンがまた輝けば」,「ブルー・ムーン」,「思い出の指輪」,「レット・ミー」,「チャンス到来」,「ドント」,「ヤング・ドリーム」,「ゴット・ア・ロット・オブ・リビング」,「アイ・ニード・ユア・ラブ・トゥナイト」 


思う存分エルヴィスの唄を聞くと洋介も「死んでもいい」と思った。



ここで登場する高校生たちは,深沢七郎の代弁者だと思っていい,と私は思います。


深沢七郎選集2 257-296 「東京のプリンスたち」
大和書房(昭和四十三年四月一日 初版発行)



柞葉の母



 ― 万葉集の中には「ははそばの母」という母の枕詞が出てくるが,母親というものはいつもそばにいるのだから,こんな言葉が出来たのだと思う。「ちちの実の父」という父の枕詞は,父親というものは稼いだりして食物を支度するから,こんな言葉が出来たのだと思う。昔は父親は木に登って木の実をとってきたのだね。 ―


こんなふうに面白く母に万葉集の説明をしたことを覚えています。私が二十歳ぐらいの時だったと思う。


私は十九年に疎開して母が死ぬまで石和にいた。死んだのは二十四年の秋である。母の身体がもう長いことはないと気づいたのは二十一年頃からだと覚えています。

その頃から私は丸尾長顕先生に文学の手ほどきをしていただいていた。鎌倉に丸尾先生が住んでいて,私が鎌倉に行くときなどは,たった一日でも「早く帰って来い」と,くり返して何回も云われたものでした。夜十一時半頃帰って来たら「汽車が事故でもあったのか」と仏壇に線香などをあげて待っていて,私は大きな,いい年をした子供と同じだった。よく丸尾先生から手紙をいただいたので母も一緒に読んでいました。

母は私が小説を書いたりすることに大反対だった。私が若いときから胸部の病気をして,完全な健康体になっていなかったので,ペンなどを持って,肩の張るようなことをすることに母は怖れを抱いていたのである。

丸尾先生は「あなたは作家になりなさい」と,どの手紙にも書いてあって,母はそれを読んで「ひどいことをすすめる先生だ」というような口ぶりだったが,時々,新聞の連載小説など気がついたように読むときがあっても「こんなものを毎日のせる人は,みんな骨と皮ばかりのような顔をしている人だろう」とよく云ったりしたものである。

・・・・・

私の母が死んで,形見わけの時だった。兄弟は嫁達,親戚の人達が,「七郎さんにまかせよう」と云い出したのである。私も嫌なことになったとおもったが,「私の考えることは母が考えることと同じであるから」とみんなが云うのである。そう云われてみればそんなふうにも思えるのである。

それで母の気持ちになって私が思うままにわけてしまった。誰もが喜んでくれて終わったので私は気持ちがよかった。みんな処理した後で気がついたことは,母が誇り高い女であったことだった。春頃から,安物らしい物は手伝いに来てくれた人たちにやってしまったり,捨てたりしていたのでつまらないものは一つもなかった。だから私は小説などを書いたりしても,焼いたり,破いたりすることが好きになった。

・・・・・

私は絹の胴巻を札入れにしていたのをいたのでそれでよいことにした。ほかにギターのふとんがあった。コゲ茶の大つぶのチリメンで古風な布で作ってもらったのがあった。それだけで私は面影を偲ぶに充分だった。

タンスもみんな家から持って行ってしまった後だった。障子のガラスが一枚だけ新しいのを見ていて私はふっと淋しくなった。母の亡骸がこの家から店の方へ運ばれるときに,亡骸をのせた板がこわしていった障子のガラスの跡である。そのガラスの壊れたとき,私は,母が家を出て行きながら私の頭をかーんと一つ殴って出て行ったような気がしたのである。

・・・・・

お曼陀羅と書いてある白衣の半羽織を,死んだら着せてくれと云って,タンスの引き出しに丁寧にたたんでおいた。

戒名は,慈善院妙行日里信女。私は「おっかさん」と呼んでいた。父は母より十五年も前に死んで,戒名は,善行院法徳日隣信士。父母とも戒名のような人だったとは思わない。二人とも呑気に一生をすごしたことを私はよく知っています。

母は生前,二階で私がギターを弾いていると階下で音色をきいて,その日,その日の私の健康状態を云い当てていたそうです。

・・・・・

こんなことを書くのは,なんだか恥ずかしいけど,楢山節考で,山へ行ったおりんがものも云わず前へ ゝ と手を振るところはあの時のおっかさんと同じだ。

あの小説がベストセラーになって,親しい人から,

「おっかさんが生きていたら」

とよく云われた。ボクはそのたびにソッポを向いてしまうのだ。そうして,わけのわからない返事をしてしまうのだ。

この一番憎らしい言葉を,どうして,みんな,ボクに云うのだろう。どうしてもできないことを,ボクにさせようと苦しめるのだ。私は,云われるたびに,その人達を残酷な人だと思う。


深沢七郎選集2 75-80 柞葉の母
大和書房(昭和四十三年四月一日 初版発行)



クラーク博士と北海道大学


七郎さんは,北海道を放浪していた時,北大近くに住む O氏を訪ねたんだ。

O氏は不在で,教え子だという学生のような紳士のようなサラリーマンのような青年と珍妙な会話を交わしている様子が書かれているよ。


私は本当の名を告げて,

「ちょっと,お逢いしたいのですが」

と椅子に腰をおろした。

・・・・・

「北大の中はもうご覧になったでしょう」

と私は言われて

「まだ,この辺に来たのは初めてです」

とこたえた。



O氏の教え子の青年・サラリーマンが説明するクラーク博士の話をきいた七郎さんは,こんなことを言うんだ。


「ツマラナイことを言ったものですね,クラーク博士は,ココロザシ 大ナレ なんて,そんなことを言う人は悪魔のような人じゃないですか,普通の社会人になれというならいいけど,それじゃァ,全世界の青年がみんな偉くなれと押し売りみたいじゃァないですか。そんな,ホカの人を押しのけて,満員電車に乗り込むようなことを」

と言うと,その青年のような紳士のようなO氏の弟子は顔の色がさーっと変わった。

「そんなことはないですよ。クラーク博士の言われたことは」

そう言って,ボーイズ,ナントカカントカと外国語になって,それから,

「少年よ,大志を抱けというのは,訳が,クラーク先生の言われたことと,少しちがうのではないかと私は思いますよ」

と言うのである。(そうか,それなら悪口を言ったってツマラナイ)と私は思った。私はそんなことより,このヒトが怒ったような顔つきをしているので心細くなった。

そんなことはどちらでもいいので,せっかく案内してくれたのに感情を害してしまったようで,これは失礼なことを言ってしまったのではないかと気がついた。(早くなんとか,気分をよくしなければ)と途方にくれた。何でもいいから,うまく言えばいいと思ったので,少しまをおいて,

「いや,偉い人ですね,クラーク博士は。あのクラーク会館もいいですねえ,演奏会なんかもあるそうですね」

と私は大きい声で言った。すぐに相手は喜んでくれて,

「偉い方ですよ,クラーク博士は北海道を去る時に,見送って行った弟子たちが,・・・・・ 泣いて別れを惜しんだ時,クラーク先生は馬から降りて “少年よ大志を抱け” とおっしゃって」


*



それを聞いているうちに私は大阪城を追い出された片桐且元が長柄堤をトボトボ馬で去って行く光景を思い浮かべていた。若い木村長門守が馬を走らせて「待って下さい,もしも,関東方とお手切れになったあとは真田幸村どのに」と泣いて教える光景を思い浮かべていた。

そうして,やっぱり,クラーク博士も (追い出されたらしい)と思ってしまった。

「追い出されたのでしょう,クラーク博士も」

ときいた。

「いや,そんなことはありません」

そう言って,その青年紳士はそれで話をやめてしまった。(変だな,クラーク博士も,泣いて別れるぐらいなら北海道から去って行かなければよいのに,きっと,去って行かなければならないような事情があったにちがいない)と思った。

「片桐且元が,大阪城を追い出されたのと同じでしょう?クラーク博士は」

と言ったが,

「・・・・・・・・・・」

青年紳士は黙っているのだ。急にむッつりされてしまったのはキモチが悪い。(どうもいけないナ)と思った。菊水西町では同宿の誰とでも面白く話し合うのに,こういう所へ来ると(ダメだナ)と私はあきらめてしまった。


放浪の手記  深沢七郎選集1 143-165 
大和書房(昭和四十三年四月一日 初版発行)



***


深沢七郎(ふかざわ しちろう)

山梨県東八代郡石和町(現笛吹市)生まれ。旧制日川中学校(現山梨県立日川高等学校)卒業。中学の頃からギターに熱中して,ギター奏者になり,何度も演奏会を開いています。

1956年,姨捨山をテーマにした 『楢山節考』 によって,第1回・中央公論新人賞を受賞したんだ。物凄くも,恐ろしい作品だよ。最近の芥川賞など,呆れるほどつまらない作品が多いと私は感じています。 『楢山節考』 の後も,七郎さんは,『笛吹川』 (1958)など素晴らしい作品を残しているんだけど,選考委員会では,話題にもならなかったようだね。何故かね。不思議だね。


1914年(大正3年)1月29日 -1987年(昭和62年)8月18日)
享年 73



おわり

by yojiarata | 2014-05-18 22:35 | Comments(0)

炸裂する女性パワー  日本 と アメリカ



ご隠居さん 少しはおさまった。


***


総理大臣の意味不明の演説のこと?

おさまるわけがないでしょう。国難だからね。一大事だからね。



*


気分転換に,別のことを話題にするよ。

私は,家族とともに,1971-1973年の間,アメリカ・カリフォルニアのパロ・アルトにあるスタンフォード大学病院の分子薬理学教室に客員として滞在していたんだ。すぐ近くに,シリコン・バレーがあったよ。

いま考えると,その頃から,アメリカでは,女性パワーが物凄い勢いで膨張していたんだ。

次の写真を見てください。これは,アメリカ化学会の会員誌の表紙です。

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私がいた頃から十何年あとの同誌の表紙だけど,ものすごい迫力でしょう。彼女たちが,何を,どんな調子で喋って,押しまくっているか,その場の雰囲気が目に浮かび,彼女たちに声が聞こえるようだよ。


*


私がいた頃は,アメリカでも,女性にとっての変革期ではなかったかと思うんだよ。

女性が,42.195キロを走るマラソンに参加することが認められたのは,1970年代の初めになってからです。私の記憶では,そのまえは,女性は800メートル走にも参加できなかったよ。

アメリカでも,女性は,” カヨワイ ” と思われていたんでないのかね。ところが,この写真の迫力,いまや,あらゆる分野で,女性が大活躍しています。アメリカでは,第14代連邦準備制度理事会 (FRB)のバーナンキ議長(在任: 2006年 - 2014年)の後を継いだのは,女性のジャネット・ルイス・イエレン(1946-)。日本でいえば,日銀総裁です。

現在では,日本でも,女性の重役や社長が続々と誕生しているけど,例外はあるものの,いささか迫力に欠けるきらいがあるね。ゴチャゴチャお茶を濁そうものなら,張り倒されそうな,この写真のような迫力はないような気がしています。

女性パワーにおいて,日本は未だ,途上国という感じがするんだ。日本古来の「おんな」を利用しているような気がするというと,「何をいうか!!」,と怒鳴られそうだけど,怒鳴る社長が大勢を占めるまでは,日本は途上国のまま留まり続けるという気がします。ナヨナヨした「おんな」像から,自らを切り離さない限り,ダメじゃないかね。まず,メイクアップして,皺を気にするようじゃね。順序が逆なんだよ。


*



日本の場合,良い例は,テレビのお天気番組に登場するお姉さま。大学を出てからしばらく経っていい年だと思うんだけど,ニコニコ,ナヨナヨ,「おんな」で売り込んでいるよ。ニュース番組のキャスターの女性も同じだね。プロと言えるような人 は,まず見当たらないね。

私がいい加減なことを言っていると思う人は,例えば,CNNニュースの ニューヨーク発の"World Business Today" を担当している Maggie Lake さんのお姿と喋りを実感してください。ニューヨークのウィーク・デイの午後 (日本では,夜の10時 - 11時),毎日登場するよ。彼女は,ロイターの記者を8年務めた後,2001年にCNNに加わったんだそうだ。物凄い勢いで,喋って,喋って,喋りまくるよ。ここまでやられると,ゴメンナサイというしかないね。


日本でも,あらゆる分野で,女性が進出してほしいけど,いまのまゝでは駄目だね。ガンガンやって,その後で,化粧でも,ファッションでも,考えてほしいよ。今は,その逆のことが多いんじゃないですか。化粧,ファッション,「おんな」が先に来て,その後に,仕事が来るんだからね。

繰り返すけど,「おんな」を忘れて,ガンガン戦う女性が増えない限り,ダメじゃないかと思います。メイクして,自分を瑞々しく保つのは,もちろん大事だよ。私は,順序が違うのではありませんかと言っているだけだよ。


断っておくけど,男が良いと言っているんじゃないよ。政権与党などの政治家は威張る一方だし,民間の職場の社長,重役以下,頼りなさそうなサラリーマン連中が多いこと。裏でゴソゴソやっている策士は多いようだけど,人前での,社長以下の振る舞い,とくに,話ぶりの迫力の無さは,情けないよ。このままでは,ファッションに身を包んだ女に張り倒される男が本当に増えて来るよ。




未完

by yojiarata | 2014-05-17 20:25 | Comments(0)

今日の ひとと 言葉   自民党・加藤元幹事長 徴兵制に言及



ご隠居さん  「今日の ひとと 言葉」では,何を書くつもり。

***


この間のブログで,荒唐無稽なこと を書いてしまったと思っていたんだけど,嘗ての自民党の重鎮の発言を見て,条件を満たせば,本心を吐露する人もいるんだなと思ったよ。(5月16日,朝日新聞朝刊,4 総合)



*




2014年5月16日05時00分


自民・加藤元幹事長

集団的自衛権「徴兵制まで行き着きかねない」 



【自民党の加藤紘一元幹事長(74)は18日付の共産党機関紙「赤旗」のインタビューで,集団的自衛権の行使容認について 「自衛隊を海外に出し,米軍と肩を並べて軍事行動させようということだ」と批判。「徴兵制まで行き着きかねない。戦闘すると承知して自衛隊に入っている人ばかりでない」と警鐘を鳴らした。


加藤氏は「(行使を)容認したいのなら(憲法の)解釈変更ではなく,改憲を国民に提起すればいい」とも語った。

加藤氏はハト派で知られる自民党宏池会の元会長で2012年の衆院選で落選し引退した。同会元会長の古賀誠元幹事長も昨年6月,同紙で改憲の動きを批判している。】






by yojiarata | 2014-05-17 20:23 | Comments(0)

集団的自衛権の行使  安倍内閣総理大臣の記者会見



ご隠居さん 上を向いて,何をしているの。


***



安倍内閣総理大臣の記者会見をみる



今日の午後6時から,総理大臣の記者会見をテレビでみたよ。君もみたかい。

いつものことだけど,記者会見とは名ばかり,彼の人がダラダラとしゃべり,そのあとで,弱々しい声で,4,5人が質問していました。質問にも,彼の人がダラダラと答えるもんだから,30分余りの会見で,8,9割は彼の人が喋っていました。

それにしても,記者の“若者”の元気のなさは見ていて悲しかったね。ひどいのは彼の人がしばしば食事したり,ゴルフしたりする社長の新聞社の “八百長” 質問。


最高裁と集団的自衛権



記者会見で,彼の人は,60年安保があったからこそ,今日の日本の平和と安全があると胸を張っていたね。そうだろうか?

前に書いたブログ 高慢 と 偏見  最高裁 と 集団的自衛権 を読み直してちょうだい。

あの時のことを,デモに参加し,国会前に座り込んでいた永六輔が,「涙がこぼれないように,上を向いて歩こう」と作詞したんだ。作曲は中村八大。のちに御巣鷹の事故で他界した坂本九が歌ったすき焼きソングだよ。

前に書いたけど,「新安保の成立」によって,オスプレイが飛ぼうと,ヘリコプターがどこに落ちようと,日本は黙っているしかなくなったんだよ。

今日の会見で,彼の人が賛美していた60年安保。あれ以来,日本は平和を維持する,平和な国になったとね。マ そうだろうね。自分の誇りであるおじい様が,歴史に名を残したんだからね。

私には,安保改定の件が決まったあと,暴漢に刺されて,お尻を押えながら,病院に運ばれる哀れなおじいさんとしか,記憶にないからね。

私も,お尻を押えて似たような格好になることがあるけど,これは,ビョーキの所為だからね。今日歯医者さんで聞いたラジオで,「♪ には,ボラギノール♪」 というコマーシャルをやっていたよ。わかる?答えがハイなら,きみも,同病者だね。

前にも書いたけど,おじい様は,満州で,東条英機を一緒になって,関東軍を操って散々悪いことをして,これが太平洋戦争の一因となったんだ。東条英機は東京軍事裁判の判決どうり,死刑になったよ。だけど,おじい様は,釈放され,後に総理大臣になったんだ。黒澤明のものすごい映画 『悪い奴ほどよく眠る』 を思い出したよ。


一体,全体,何のための集団的自衛権か


要するに,アメリカの後をノコノコ ついて歩いて,結局は戦争に巻き込まれるんじゃないの。集団的自衛権なんて,恰好をつけているけど,アメリカに脅かされて,と言って悪ければ,激しく揺さぶられただけのことじゃないの。

これは,そんな簡単な話じゃ,ないんだよ。私は,このブログに何度も,何度も,書きました。もう一度, より美しい 誇りのある国 を読み直してほしいよ。


CNNニュース



今夜のCNNニュースが早速報じていたよ。

曰く

Japan eyes new military policy.

Greater freedom to use military force.


戦争と平和


彼の人の言うように,物事そんな簡単じゃないんだよ。

アメリカが攻撃されたら,日本の安全のために,軍隊を派遣して,要するに戦争に参加して,戦うのが,日本国憲法「第九条」の正しい解釈だと公言してはばからないんだ。

日本国憲法の「第2章 戦争の放棄」には,次のように書かれているよ。


第9条 日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,
国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,
永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権は,これを認めない。




だけど,彼の人が仰るには,それでは,日本が崩壊してしまうんだそうだよ。

だったら,総理大臣殿にお聞きしますが,北朝鮮が,原爆4,5発で,アメリカではなく,日本を攻撃してきたら,どうするんですか。これで,日本という国が無くなってしまうんじゃありませんかね。


それにしても,今度の一件は,唐突過ぎるよ。自分が勝手に選んだ「有識者」と称する連中が,時間をかけて書き上げて提出したのが,今日。それを受け取るや否や,同じ日の午後に,記者会見を開いたんだからね。何だか,早すぎませんか?それというのも,官僚が,お国のために総力を挙げて準備したんだろうね。

昭和の初め頃から,内務官僚というのは,ろくなことをしてないよね。要するに,すべてが,出来上がっていたんだね。官僚と,それを動かす総元締の内閣官房長官が手筈を整え,彼の人が連中の手のひらの中で,踊りを踊っているだけだからね。池波正太郎の必殺仕置き人に出てくる,一見穏やかの顔つきの元締めを思い出すよ。こんなことは,言われなくてもわかっているだろうけど,滑稽だね。見たくもないね。

彼の人は,こうも言っておられたでしょう。これから,与党内で議論を重ね,公明党にも理解を求め,次の国会で,国民の皆さんの意見に耳を傾ける。だけど,衆議院も,参議院も,(公明党を含めて)過半数を占めているんだから,何でも,現政権の思い通りですよ。要するに,過去に外国で例のある,独裁国家と変わりがないんじゃありませんか。もっとも連中を選んだのは,我々国民だからね。今後,猛反省しなければ,200万人もの人命が失われたあの時の繰り返しになるよ。


私が,上を向いている理由がわかるでしょう。今日のテレビを見た後,上を向いているしかないんだよ。



未完

by yojiarata | 2014-05-15 23:17 | Comments(0)

「今日の ひとと 言葉」   裸の王様の巻



ご隠居さん 早速,前回に続いて,今日の ひとと 言葉 の登場だね。


***



テレビで,みたくない人の姿をみてしまったんだ。

彼氏が画面に登場すると,音声を消す癖がついてしまったんだけど,オープン・カーに乗って,手を胸にあてて,自衛隊を閲兵しているんだ。何しろ,肩書は,一国の総理大臣だからね。日本軍の司令長官だからね。

だけど,おかしいほど真面目くさった彼の人の顔をみていて,吹き出すのを堪えながら頭に浮かんだ言葉は,裸の王様。

ちょうどその時,来たばかりの新聞(5月2日の夕刊,2 総合)を何となく開いたら,ひっくり返らんばかりに驚いたよ。

徴兵制復活 の見出しが目に入ったんだ。落ち着いて,もういちどみたら,ウクライナ徴兵制復活 だったよ。

私も慌て者のバカだね。だけど,もしかしたら ・・・・・ なんてことはないだろうね。集団的自衛権の発動で,戦争には行きたくないという若者が増えたら,どうするんだろう。人手が足りなくなるからね。

この間,NHKのクローズアップ現代が伝えた自衛隊員の急性ストレス障害の問題。イラク派遣からの帰国後,多くの隊員が,精神的に異常をきたし,28人もの自殺者が出ているんだよ。

自衛隊員のメンタルケアの問題は,新聞などのマスコミなどが取り上げたことはあまりないんだけど。私自身もぼんやりしていたせいか,クローズアップ現代をみるまで,この問題には疎かったよ。何故なんだろうね。自衛隊に入って,国の内外で,日本のために貢献したいという若者が減るのを心配する現政権と,マスコミの間の力学の問題だろうか。だとすると,この力学に深く関わっているのは,現政権ということになるよ。クローズアップ現代の番組は,ブログに書いたように,非常に変だったからね。もう一度,ブログを読み直してみてちょうだい。

ストレス障害による自殺は,アメリカなどでは,もっと前からの極めて深刻な問題なんだ。

集団的自衛権のことで,自民党の幹事長がアメリカまで行って,何かごそごそ相談していたでしょう。貴殿に何かあったら,我らの精鋭部隊を送ってお助けしますのでよろしくとか,どうすれば,私たちのことを助けていただけるのでしょうかなど,相談しているんだろうか。何をやっているんだかよくわからないんだけど,日本の,特に若者の将来に関わることに違いないと思うよ。

一体,全体,幹事長殿は,ストレス障害による自殺の問題をご存じないんだろうか。そんなはずは,絶対にないよね!

今後どうなるのか,想像したくもないことだけど。君なら,どうする?



裸の王様の巻 おわり



付記

私の購読している新聞は,「朝日」です。前に何度も書きましたが,理由はありません。そのため,このブログで,新聞と書いたら,「朝日」のことです。








































by yojiarata | 2014-05-03 22:33 | Comments(0)

伝承 と 文化遺産  英語修業 千里の道



ご隠居さん 改まって,何の話。

その質問に答える前に,今後のブログについての予告。

「今日の ひと と 言葉」 をブログに載せることにしました。



1日の木曜日の夜,NHKテレビで,勝新太郎の生涯を追ったドキュメンタリーをみました。勝新太郎の大変なファンの私は,いたく感銘を受けたよ。「今日の ひと と 言葉」は,その勝新太郎のひとこと:

総理大臣の代わりはいるけど,

俺の代わりは,俺しかいないよ。

勝新太郎 (1931-1997,享年65)




***


では,本題に入ります。


今回は,70年に近い私の英語修業の個人史を書かせていただきたいと思っています。自分の辿ってきた道を書くんだから,話は延々といつまでも続けることができるよ。その気になればね。

だけどそうもいかないから,長旅の一里塚に相当する個所で区切って話を進めます。退屈かもしれないけれど,「♪ こんな話でよかったら」 聴いて下さい。


*



敗者復活戦 の 巻


大学に入学して出会った英語の授業は,英文和訳に終始していたんだ。私は,当時の英語の授業の退屈さに辟易していたんだ。教師からは,君は高校で何を教わってきたんだなんて,バカにされるし,英語の良くできる秀才の学生からは,失笑の嵐を浴びるし,踏んだり蹴ったりの状態で参っていたんだ。大学教授なんて,威張っているけど,こと英語に関しては,レベルが低すぎるんじゃないかと,自分のことを棚に上げて,ただ気分を害していたんだ。

興味もまったく湧かないし,試験はいつも ” 可 ” でギリギリセーフ。だけど,英語は必修だから,単位を落とすと留年になるからね。いやな教師だけど,何とか単位を取らねばと石に噛り付いて勉強したよ。

英語がすっかり嫌になっていたちょうどこの頃,奥幸雄先生に出会ったんだ。

今にして思うと,

捨てる神あれば拾う神あり

の心地がしたよ。


わが師の恩


奥幸雄先生の授業を2年の秋に聞いて,目が覚めたんだ。奥先生は,英語は生きていること,それを生きた形で学ぶことこそ,英語の理解に通じることを教えてくださったんだ。用いたテキストは,ソーントン・ワイルダーの 『わが町』。授業が終わった後で,奥先生を捉まえて,英語の発声,発音など,個人的に延々と教えていただきました。

私は,その後,教師を生業とすることになったんだけど,奥先生の授業を受けたことが,私にとって,何物にも代えがたい財産になっていることが,その時になって,気が付きました。奥先生は,私が最初に出会った教師と違って,英語を学ぶものの心得,学生を励ますことの大切さを身につけさせてくださったんだ。



奥先生に頂いた教訓を背中に背負って,1971年1月 から1973年 3月 まで,アメリカ・カリフォルニアの小都市パロアルトにあるスタンフォード・メディカルセンターの分子薬理学教室に客員として滞在したんだ。当時,既に36歳。いろいろ事情があって,こんな歳になってしまったんだ。

滞在にあたって心掛けた点。

1) できるだけ多くのの現地のアメリカ人と接する。

2) 英語を文化として捉え,つねに周りで進行している” アメリカ ” の動きに注意を払い,日々努力をする。

当時は,ベトナム戦争が延々と続き,その最中に,アメリカ大統領選挙。学生のS君と毎晩のように議論していたんだ。例えば,「死の商人」 のことを 延々と語ったんだけど,S君は全く理解できない様子だったよ。そんなことは,これまで聞いたことも,考えたこともないと言い張るんだ。

選挙では,ニクソンが大勝したんだけれど,S君,研究室のほかの学生も,民主党の対立候補で,ベトナム戦争反対の立場で立候補したジョージ・マクガバンを支持する運動をやっていました。ジョージ・マクガバンが1州を確保しただけで,惨敗した時,涙を流さんばかりに肩の力を落としていたよ。この間の印象は,我々が学生のこと,日本の選挙で経験したことと一脈通じるものがあるなと思ったよ。

1972年6月17日,ニクソンの再選を策するグループが,ワシントンのウォーターゲート・ビルの6階にある民主党全国委員会本部に侵入し,盗聴装置を仕掛けようとして未遂に終わった事件が発覚したんだ。世にいう「ウォーターゲイト事件」です。この事件の結果,再選されたニクソン大統領が辞任に追い込まれたんだ。

ちょうどこのころアメリカにいた私は,アメリカの学生から,得難い知識を多く吸収しました。実にいい経験になったよ。

今日の話には,関係がないんだけれど,すぐ隣がシリコン・バレーで,新しい息吹を感じることが出来たのは,望外の収穫だったよ。


平野敬一 『マザー・グースの唄 イギリスの伝承童謡』 との出会い


わたしは,30年前,2年間のアメリカ滞在から帰国したあと,自分の英語のセンスと実力に大きな限界を感じはじめていた私は,偶然,平野敬一 『マザー・グースの唄 イギリスの伝承童謡』 に出会ったんだ。この本を読みながら,文字通り” 眼から鱗が落ちる ” 思いがしたよ。

君だって,そんな経験があるでしょう。大げさに言えば,一冊の本との出会いが,その後の人生を変えることがあるんだよ。


というわけで,少し長くなるけと,わたしがとくに重要だと考える記述を引用するよ。

【むかし筆者が学生時代に読んだある英語のテキストに「三匹の子猫が手袋をなくした」というイギリス伝承童謡からの引用が出ていたが,それに付したさる高名な編者による注解が,たしか「出所不詳」となっていた。

・・・・・ 

「三匹の子猫」の唄は,・・・・・ 英米ならまず三歳の童子でも知っている唄なのである。ところが,これは私たちのように外国で英語を学ぶものにとって,たとえその道の専門家になっても,容易に調べのつかない難しい引用のひとつということになってしまうのである。このギャップというか,途方もない断層が,英語の勉強を志していた当時の私には,ひどく気になったのである。

・・・・・

こういう事情は,日本語と英語との立場を逆にしてみると,もっとはっきりするかもしれない。たとえば,日本語で「どんぶらこっこ,どんぶらこ」という擬声音(?)を耳にすると,私たちはたいがい,「桃太郎」の話で桃の実が川上から流れてくる場面を連想するはずである。・・・・・ところが日本語を学習している外国人の研究家が,「桃太郎」の話を知らないまま,かりに詳しい国語辞典は引用句辞典でこの表現の出所やいわくを調べようとしても,まず徒労に終わるのではないかと思われる。

・・・・・

私たちが外国語を学習する場合,ことばの辞書的意味の習得は,それほど難事ではない。極端にいえば,勉強次第で外国人としてのハンディはかんたんに解消する。ところが,そういう辞書的意味ではなく,あることばないしは表現が喚起したり連想させたりする茫漠とした曰くいいがたきものとなると,その言語のなかで生まれ育った者と,その言語をただ外部から習得した者とのあいだには,どうにもならないほどの隔たりがあるように思われる。

・・・・・

ことばの喚起性というものは,辞書に明示しうる性質のものではない。それは多くの場合,学校での勉強や書斎における研究では捕捉しえない生活基盤そのもの,広義の「文化」から生まれてくるものである。ことばがどういう情緒を喚起し,どういう連想を伴うか,それを決めるのは,生活であり文化であり,要するに過去のいっさいの経験の総和なのである。

・・・・・

個人の過去の経験のなかで,なにが重要かということは,一概にはいえないだろうが,意識も記憶も定かでない幼少時の生活体験―これをかりに幼時体験と呼ぶことにする―が意外なほどのちのちまで影響を及ぼすものであることは,いまでは否む人もないであろう。

英語圏の場合,この幼時体験を形成し支える大きな柱の一つが,伝承童謡,俗にいうマザー・グースの唄のかずかずなのである。私はかねがね英語圏の人間が身につけている英語と,外国でたとえば私たちが習得した英語とのあいだの大きな質的な違いは,幼時体験の決定的な差異に多分に由来するものだと思ってきた。自分の幼時体験をいまさら変えることは,もとより私たちには望むべくもないが,イギリスの伝承童謡に親しむことにより,その間隙をある程度埋めるもとは可能であり,またその努力が必要であるように私には思われるのである。】

平野敬一 『マザー・グースの唄 イギリスの伝承童謡』 (中公新書,昭和47年1月25日初版,昭和47年11月1日6版)


*



倉石武四郎 『 中国語五十年 』 に聴く


倉石先生のこの著書は,全く素晴らしいよ

中国の言語と文化の研究に生涯を捧げられた倉石武四郎先生は,つぎのように書いておられます。

【わたくしは,まだ若いとき,本居宣長の『古事記伝』をよみ,「こころとこととことばとは相構えて離れず」の一句にいたり,ふかく推服した。宣長としては,後世のものが上代のことを研究するときの心得としたのであろうが,われわれ外国,ことに中国のことを学習し研究するものにとって,その短かいことばこそ生涯これを服膺してもなおあまりあるものであった。】

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倉石武四郎 『 中国語五十年 』 (岩波新書,1973)


*



平野先生が 『マザー・グースの唄』 で強調しておられる点はまさに,倉石先生が引用しておられる本居宣長の「こころとこととことばとは相構えて離れず」の一句と表裏一体ですよ。


マザー・グースの唄を実感する


マザー・グースの唄は,気が付いてみると,我々の周りに満ち溢れているよ。

アメリカ大リーグの「第72回オールスター戦 (2001年)」の最中,“名誉コーチ” としてサードのコーチボックスに入っていたラソーダ元ドジャース監督をめがけて,バッターの折れたバットが飛んでいったんだ。ラソーダ氏は,もんどりうって360度回転したんだけど,幸いにして難を逃れたんだ。

このシーンが流されているとき,放送を担当していたアナウンサーは,つぎのように叫んだよ。


Humpty Dumpty had a great fall !



マザー・グースの唄に登場するハンプティー・ダンプティーと,ラソーダ氏の人柄と体型を重ね合わせ,この言葉がごく自然に出たんだと思うよ。ちなみに,“ハンプティー・ダンプティー” のテキストは,歴史とともに少しづつ変わってきているんだけれど,現在ではつぎのようになっているね。


Humpty Dumpty sat on a wall,
Humpty Dumpty had a great fall.
All the king’s horses,
And all the king’s men,
Couldn’t put Humpty together again.



平野先生の著書では,つぎのように訳されています。

ハンプティー・ダンプティーは壁の上に座った,
ハンプティー・ダンプティーは勢いよく落ちた。
王様の馬を総動員しても,
王様の部下を総動員しても,
ハンプティー君をもとに返すことはできなかった。


英語国では,ハンプティー・ダンプティーを知らないひとはいないよ。日本でいえば,“ どんぶらこっこ ” と “桃太郎” にあたると思えばいいんじゃないかな。


ハンプティー・ダンプティーが “何者であるか” については,さまざまな説があるようです。ウェブには,ご想像のように,山のような情報が掲載されているよ。ここでは,ルイス・キャロルが 『不思議の国のアリス』 の続編として執筆した 『鏡の国のアリス』 のなかから,壁の上に座ったハンプティー・ダンプティーとアリスが交わす珍妙な会話を引用しておくよ。

‘And how exactly like an egg he is!’ she said aloud, standing with her hands ready to catch him, for she was every moment expecting him to fall.

‘It’s very provoking,’ Humpty Dumpty said after a long silence, looking away from Alice as he spoke, ‘to be called an egg – very!’

‘I said you looked like an egg, Sir,’ Alice gently explained. ‘And some eggs are very pretty, you know,’ she added, hoping to turn her remark into a sort of compliment.


Lewis Carroll: Through the Looking Glass (Penguin Books)


『鏡の国のアリス』には,ハンプティー・ダンプティーが落下しないよう手を差し伸べているアリスの挿絵が載っています。


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Lewis Carroll: Through the Looking-Glass (1872)
PENGUIN BOOKS



ハンプティー・ダンプティーのなかの All the king’s horses and all the king’s men のくだりは,日常の英語に密着して頻繁に使われています。

始めの方で書いたけど,「ウォーターゲイト事件」を題材として, Carl Bernstein と Bob Woodward が書いたノンフィクション "All the President’s men" のタイトルは,ハンプティー・ダンプティーからとられたものです。そこには,一度起こってしまったことは,決してもとにもどらないというニュアンスがこめられています。日本語訳の題名は,『大統領の陰謀』 となっていたけど,困るよね。こんな時は。

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マザー・グースの唄については,インターネット上の YouTube には,メロディーを含め,ありとあらゆることが掲載されています。ほかにも,山のような量の情報が得られることはご想像の通りです。例えば,マザー・グースの唄をご覧ください。


私は,自分でいうのも憚られる,バカみたいな凝り性で,マザー・グースに関する著書を徹底的に買い集めたんだ。もちろん,子供のための大小さまざまな絵本も。ここでは,その全部を紹介できないので,私が最も重要と考える2冊を挙げておきます。



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THE OXFORD DICTIONARY OF
Nursery Rhymes
EDITED BY
IONA AND PETER OPIE
First published 1951
Reprinted 1952, 1955, 1958, 1962, 1966, 1969
1973 (with corrections)


Oxford University Press, Ely House, London W.1



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The Oxford Nursery Rhyme Book
800 Rhynes 600 Illustrations
Assembled by
Iona and Peter Opie
With additional illustrations by
JOAN HASSALL
OXFORD
AT THE CLARENDON PRESS
First edition 1955
Reprinted with corrections 1957, 1960, 1963, 1967, 1973 (with corrections)

Oxford University Press, Ely House, London W.1



読みながら,イギリスが,自らの文化遺産を大切にしていることを実感したよ。



終わりのない延長戦に臨む



昨日,MLB中継をみていたら,ヤンキースとレイズの試合が延々と続き,現地時間 午前 2時ころ,15回,5-5だったんだ。MLBには,延長打ち切りという決まりはないので,まだまだ続くのかなと思ってみていたら,15回の表になって,レイズが突然打ち出し,四球をはさんで5連続安打,結局試合は,10-5でレイズが勝ったよ。

私は,英語の修業は,延長打ち切りのない試合だと思っているんだ。

今は,何をしているのかだって?

NHKの英語講座は,素晴らしいよ。色々の講座があるんだけど,私が,いま必ず聴くのは,芝原智幸先生による 『攻略!英語リスニング』 です。

登録すれば,1週間遅れで,番組全部を聴くことができるよ。

自分の英語力を冷静に分析してみると,最もダメなのがリスニングだよ。例えば,英語の唄は,聴いていて歌詞が聞き取れることは稀だし,固有名詞に至っては,全く手も足も出ないんだよ。それでも,” 英語の学習においては,努力は決して無駄になりません。焦らずたゆまずコツコツ努力しましょう” と仰る芝原先生の励ましを力として,番組を録音して,繰り返し繰り返し,聴いているんだ。




*



暫く前のことだけど,NHKのラジオ深夜便で,マザー・グースの唄を研究しておられる 鷲津名都江 さんの話を聴きました。

ウェブには,次のように紹介されています。

【鷲津名都江わしづ なつえ
1948年1月20日 -

永井荷風の大叔父である鷲津蓉裳の曾孫に当たる。

1952年1月に,日劇の「秋の踊り」で 小鳩くるみ として日劇最年少デビュー。

同年12月から『ちえのわクラブ』(TBSラジオ)に童謡歌手として、またこの番組がテレビ開局に合せてTBSテレビに移行すると同時に司会者となり,1968年3月に終了するまで16年間レギュラー出演。

その後,イギリスに留学,現在,目白大学外国語学部 及び 目白大学大学院言語文化学科教授。】






by yojiarata | 2014-05-03 22:27 | Comments(0)