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野球少年  正岡子規の巻



春一番も吹いたし,桜の季節にもなったし,春の選抜真っ只中だし,プロ野球が始まったし,ご隠居さん ご気分はいかがですか。

***


私は,中学生以来の正真正銘の野球少年です。岡山市は昭和20年の6月,ただ一回の空襲で町が無くなり,母親の実家に居候を始めたのが国民学校六年生。毎日朝5時に家を出て,田舎の道を一里歩いて,新しく入った中学校に到着,集まった仲間と野球を始めるんだ。

空襲で校舎が焼け,グランドはやけに広く,ワーワー言いながら,布で作ったボールと竹のバットで楽しんだものです。当時の我らのあこがれは,慶応ボーイの美男子・別当(べっとう)薫。素晴らしい選手だったね。大変な美人の婦人(ミス神戸) との結婚式など,誰かが買ってきたタブロイド紙(昭和20年代の初めのことだけど既に存在したよ)を皆で読んだよ。その別当も途中で怪我で苦しんだけど。

大阪タイガース(1948-1949),2リーグ分裂,毎日オリオンズ(1950-1957)。1978年 野球殿堂(日本)入り。

別当薫(1920-1999,心不全のため死去) 享年78。 


スポーツ選手は,やはり怪我だね。日本で実績を残してアメリカに渡った選手のなかで,投手だけとっても,ほとんど通用しない場合が多いでしょう。黒田博樹は,今の所は順調のようだね。今シーズンの開幕投手のはずだったダルビッシュが怪我でDL入りだそうだし。岩隈久志も怪我でシーズン開幕に間に合わないらしいよ。残念だよね。

例外中の例外は野茂秀雄投手だね。MLBの両リーグでノーヒット・ノーランを達成するなど,大変な実績を残したよね。やはり,元々体が丈夫て,しかも,いつも慎重にトレーニングしているんだろうね。

田中将大も,中4日のローテーション,移動距離の長さなど,心配の種は尽きないね。怪我しないように,活躍してほしいね。



神田順治 『子規とベースボール』 (ベースボール・マガジン社,1992)


今日は,熱烈な野球少年だった正岡子規のことを,これまた熱烈な野球少年・神田順治が詳細に追いかけた著作を紹介します。

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子規といえば,だれしも,学校で教わった

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

の句を思い出すよね。

野球に対する数々の熱烈な思いを達成しようとした道半ば,子規は結核に侵され,脊髄カリエスまで病気がすすみ,若くしてこの世を去ります。

当時,結核は治療薬のない不治の病で,多くの人が命を落としたよ。その後,ストマイなどの導入によって事態は改善したんだけれど,今でも,恐ろしい病であることに変わりはなく,日本では,年間,2000人もの人が結核で亡くなっています。

正岡子規  1867年(慶應三年)-1902年(明治二十五年)  享年34。


*



ベースボールの伝来は明治十四,十五年頃で,鉄道局の技師・平岡熈(ひろし)が米国より持ち帰って新橋鉄道局で初めて試みたんだそうだよ。
『松蘿玉液(しょうらぎょくえき)』 44 ページ


神田さんは,

「子規は,明治二十年前後の一高野球部の上代史に名をとどめた名選手なのである。子規がベースボールを知ったのは,」 と書いたのに続いて,

明治十六年,虎ノ門の工部大学にベースボール倶楽部が組織され,俳人正岡子規は工部大学の名投手として其の名を謳われた。(横井春野 『日本野球戦史』 より)

と書いておられます。

明治十七年,大学予備門(のちに第一高等中学校と改名)に入学してからは,部屋の中でもベースボールを練習したというエピソードが残されているんだそうだ。

そういえば,王貞治さんが一本足打法を荒川博コーチの指導で練習したことは君もよく知っていると思うけど,王さんは部屋の中でも毎晩練習していたそうだよ。畳が何枚あっても,足りなかったとどこかで読んだ記憶があるよ。

神田さんは,さらに続けて,「子規は,投手も捕手もやったということから,左利きのキャッチャーであったし,また左腕投手(サウスポー)であったから,カーブを開発するに際しては,イン・ドロップの投法は子規が考案したものであるとも考えられる。」と書いておられます。

ベースボールを 「野球」 と 翻案したのは,子規のベースボールの志を継承した中馬庚 (ちゅうまんかなえ) だそうだよ。

こんなことも書いてあるよ。

第一高等中学校の在学中に,寄宿舎の学生が自分で題を選んで「演説」の会を開いたんだ。

「菓子税減少論  相原君」

「芋の肥料  土居君」

などと並んで,

「ベース,ボール玄論  正岡君」

とある。原論ではなく,玄論とは,力が入っているね。

子規は,今日 余の用ゆる号左の如し」 と二十七の雅号を列挙しているよ。

「常規凡夫 ??鬼 子規 ・・・・・ 情鬼凡夫 野球

つまり,中馬庚が 一高の尞で 「野球」 と口走る 四年も前に,子規は 「野球」 という雅号をつけていたことになるね。



明治二十九年の「ベースボール解説」(正岡子規)



子規が本格的なベースボール論を書き綴ったのは,明治二十九年(一八九六年)四月二十一日から同十二月十二月三十一日まで,新聞「日本」に継続掲載された随筆


 『 松蘿玉液 』 (しょうらぎょくえき)


の七月十九日,同二十三日,同二十七日付の一文だったというよ。署名は「升(のぼる)」。



次に,そのごく一部だけだけど,引用するよ。本当は「全部」と言いたいところなんだけど,残念ながら,長すぎるのでね。実に面白いから,神田順治 『子規とベースボール』 を読んでちょうだい。絶版だけど,手頃な値段でネットで手に入るよ。


〇 ベースボール  に至りてはこれを行ふ者極めて少くこれを知るひとの区域も甚(はなは)だ狭かりしが近時第一高等学校を在横浜米人との間に仕合(マッチ)ありしより以来ベースボールといふ語は端(はし)なく世人の耳に入りたり。


ベースボール  素(も)と亜米利加(アメリカ)合衆国の国技とも称すべきものにしてその遊戯の国民一般に賞翫(しょうがん)せらるるはあたかも我邦の相撲(すもう),西班牙(スペイン)の闘牛抔(など)にも類せりとか聞きぬ。 ・・・・・

されば高等学校がベースボールにおける経歴は今日に至るまで十四,五年を費やせりといえどもややその完備せるは廿三,四年以後なりとおぼし。これまでは真の遊び半分といふ有様なりしがこの時よりやや真面目な技術となり技術の上に進歩と整頓とを現せり。少なくとも形式の上において整頓し始めたり。即ち攫者(キャッチャー)が面(めん)と小手(こて)(撃剣(げきけん)に用ふる面と小手の如き者)を着けて直球(ヂレクトボール)を攫(つか)み投者(ピッチャー)が正投(ピッチ)を学びて今まで九球なりし者を四球(あるいは六球なりしか)に改めたるが如きこれなり。 ・・・・・



〇 ベースボールに要するもの  凡(およ)そ千坪ばかりの平坦なる地面(芝生ならばなほ善し) 皮にて包みたる小球(ぼーる)(直径二寸ばかりにして中は護謨(ゴム),糸の類にて充実したるもの)投手(ピッチャー)投げたる球を打つべき木の棒(バット)(長さ四尺ばかりにして先の方やや太く手にて持つ処やや細きもの)一尺四方ばかりの荒布にて座布団の如く拵へたる基(ベース)三個 本基(ホームベース)及 投者(ピッチャー)の位置に置くべき鉄板様の物一個づつ,攫者(キャッチャー)の後方に張りて球を遮るべき網(高さ一間半,幅二,三間位)競技者十八人(九人づつ)敵味方に分かるもの)審判者(アムパイア)一人,幹事一人(勝負を記すもの)等なり。 ・・・・・



〇 ベースボールの競技場  図によりて説明すべし。


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明治二十九年の「ベースボール解説」より



〇 ベースボールの勝負  攻者(防御者の敵)は一人づつ本基(ホームベース)(い)より発して各基(ベース)(ろ,は,に)を通過し再び本基に帰るを務めとす,かくして帰りたる者を廻了(ホームイン)といふ。ベースボールの勝負は九勝負け終りたる後ち,各組廻了の数の総計を比較し多き方を勝とするなり。 ・・・・・


廻了といふは正方形を一周することなれどもその間には第一基(ベース)第二基第三基等の関門あり各関門には番人(第一基人これを守る第二第三皆然(しか)り)あるを以て容易に通過すること能はざる也。走者(ラナー)(通過しつつある者)或る事情のもとに通過の権利を失ふを除外(アウト)といふ。(普通に殺されるといふ) 審判官除外と呼べば走者(または打者(ストライカー)は直ちに線外に出でて後方の控所に入らざるべからず。除外三人に及べばその半勝負は終わるなり。 ・・・・・



〇 ベースボールの球  ベースボールにはただ一個の球(ボール)あるのみ。しかして球は常に防者の手にあり。この球こそこの遊戯の中心となる者にして球の行く処即ち遊戯の中心なり。球は常に動く故に遊戯の中心も常に動く。されば防者九人の目は瞬も球を離るるを許さず。打者走者も球を見ざるべからず。傍観者もまた球に注目せざれば終にその要領を得ざるべし。 ・・・・・



このあと,

〇 ベースボールの防者

〇 ベースボールの攻者

などと続きます。おもしろいから,全部を通読することを勧めます。

これでわかるように,ベースボールは,複雑で知的なゲームなんだ。使われる用語の日本語版には傑作が多いね。ベースボールは噛めば噛むほど,味があるよ。


ベースボールと女性


神田さんの著書(68ページ)に次のように書かれているよ。

日本球界で最初の監督職に就任したのは,飛田穂州(とびたすいしゅう)(1896-1965)氏である。同氏は,スポーツを人生修行の手段として位置づけ,その場を練習場に求めた。同氏にとって「野球」 は 「野球道」であり,「グラウンド」 は「道場」であった。

神田さんは続いて,129ページに,

飛田氏が,大正八年(1919年)暮れに早稲田野球部監督就任の際,もっとも反対したのが奥さんであったという。そのときの飛田夫妻の会話が,飛田穂州の著書 『熱球三十年』 の中に記載されている。次のようなものだ。

「まだあなたは べースをやるつもり?」

「自分でやるんじゃない。選手の世話をやくんだ」

「やっぱり同じじゃないの。いい年をしてベースでもないでしょう」


いやしくも,飛田重鎮の奥方ともあろう方が,ベースと仰るんだよ。ちょっと,トンチンカンな感じだね。


そういえば,私の母親が,当時は職業野球とよばれていたベースボールのことを,

「いい年のオッサンが,棒を振り回して」

と笑っていたのを思い出すよ。


最近では,テレビに登場する” 美しい ” お姉さまが,野球のことをペラペラ報道しているんだけど,泥にまみれ,腕をすりむき,必死にボールを追ったものだけが知る野球少年の心情というものは理解できていないんじゃないかね。単なるタレントのお姉さまの発言に共感するところは多くないよ。もっとも,女子ソフトボール,女子プロ野球などで活躍している女性選手の迫力を見ていると,野球における女性の存在を認めないわけにはいかないよ。


神田さんとわたし


神田さんは私の体育の先生です。大学に入ったばかりの一年生の体育の授業で,体力測定なるものがありました。800メートル走,鉄棒の懸垂,そして水泳(25メートルプールの往復50メートル)。

私の成績

800メートル走 (一周400メートル),先頭から半周以上離された圧倒的な最下位。

懸垂は,ゼロ回。

神田さんも呆れた様子だったんだけど,おまえは駄目だ,弛んでいるなどと一言も仰らなかったよ。

水泳では,同僚の学生たちを圧倒したんだ。神田さんはニコニコ しながら,君凄いね。泳ぎはどこで覚えたんだとおっしゃるから,

小学校から,高校2年の夏まで,(3年は受験勉強のため,あまり泳がなかったんだ),毎日,毎日,近くの川で泳いでいました。すべて自己流ですが,泳ぎには絶対の自信があります。と答えたんだ。

神田さんは,800メートル走と懸垂のことを一言も触れられなかったのは,嬉しかったね。60年以上も前のことだけど,昨日のことのように覚えているよ。

大学を卒業したあと,自分が教えることを生業とすることになったんだけど,これからという後輩を励ますことの大切さを神田さんから学びました。



神田さんの著書から,子規の句をいくつか引用します。


久方(ひさかた)のアメリカ人(びと)のはじめにし

ベースボールは見れど飽かぬかも



若人のすなる遊びはさはにあれど

ベースボールに如(し)く者はあらじ



打ち揚(あ)ぐるボールは高く雲に入りて

又も落ちくる人の手の中に



今やかの三ツのベースに人満ちて

そぞろに胸の打ち騒ぐかな


正岡子規 「ベースボールの歌九首」より。




神田さんが選ばれた,野球に関する子規の俳句より。


球うける極秘は風の柳かな          明治二十三年作


若草や子供集まりて毬を打つ         明治二十九年作


夏草やベースボールの人遠し         明治三十一年作




神田順治 1915-2005 急性心筋こうそくのため千葉市の病院で死去。享年90。


おしまい

































by yojiarata | 2014-03-30 20:19 | Comments(0)

ポリウォーター  アイス・ナイン  STAP細胞



ご隠居さん 何だか真面目なことをしゃべりだしそうな表情だね。

***


理研の割烹着のお姉さまが火元になった火事が,世界中に飛び火して収まらないでしょう。この件は,あっちでも,こっちでも取り上げられているから,書くのは止そうと思ったんだけど,何となく気になるので,少し別の角度から書くことにしたんだ。良かったら読んでちょうだい。


君は覚えているかどうか知らないけれど,池田亀鑑の平安朝文学を書いていた時,丁度,あの事件が起こったんだ。それで,何だか不吉な予感がしたので,そのブログの終わりに,次の文章を付け加えておいたよ。君は読んだかい。

この頃は,自然科学の世界でも,とくに若い連中がタレントのように走り回っているね。

商売になりそうだとなると,マスコミが待ってましたと騒ぎ立てるから,

本人もその気になって,調子に乗って,有ること,無いことを喋りまくるんだ。

池田亀鑑のような,静かな学者を大事にしない国は,

いくらお金があっても,滅びるよ。


2014年2月11日記






*


すぐ前のブログで,カート・ヴォネガット「猫のゆりかご」 (1968)について書いたの覚えているでしょう。

原子爆弾の開発を目指すマンハッタン計画に関わった,ノーベル賞受賞者のフランシス・ハニカーと彼の3人の子供たちの物語だよ。ハニカーは密かに,恐ろしい アイス・ナイン を作り,子供たちに分け与えるんだ。

広島に投下された原子爆弾について," The Day the World Ended " と題する本を出版するための取材をしている ” 私” が,狂言回しとなって,物語が進行するんだ。

「猫のゆりかご」が出版されてから 8年後に,ロシアのデリャーギンが,後に ポリウォーター とよばれることになる特別な「水」を発見したと発表し,世界中の科学者を驚かせたんだ。

デリャーギンなる人物は,自分を宣伝して売り込むことに熱心だったようだね。イギリスの重鎮,バナールと交わした会話などが,すぐ後で紹介する Felix Franks "Polywater" に再現されているよ。割烹着のお姉さまも似たような傾向があるんじゃないの。

ポリウォーターの信憑性を巡っては,多くの研究者を巻き込んで,さまざまの議論が交わされたんだ。最初のうちは,高名な化学者,物理学者が,踊りを踊って,次々に肯定的なコメントを発表したんだけれど,その後,様々な実験が積み重ねられ,ポリウォーターは,ガラスの容器から溶け出した微量の混入物質(シリケート)を含む” ただの水" だということが実証されたんだ。つまり,世の評判を得ることが先行し,科学するために求められる こころ を忘れたんだね。


”ポリウォーター事件” の 一部始終については,2011年5月のブログ ポリウォーター伝説 I - V に詳しく書いておいたから,この際,ぜひ読み返してほしいよ。

ともあれ,発表から数年の後,ポリウォーターはこの世から消えました。世界中の研究者が発表した約500編余りの論文が後に残ったよ。

Felix Franks の " Polywater " は,ポリウォーターに関するまとまった著作としては,世界で唯一のもので,内容も素晴らしいんだ。大学関係の図書館にもあまり置いてないよ。私は捜索の過程で,大阪大学蛋白研に所蔵されていることを知り,高木敏夫教授(当時)にお願いして,コ ピーを取らせていただきました。

その後は,ネットで,2冊(ハード・カバー版 と ペ-パ-・バックス版)を入手し,今は,私の最重要図書に分類して大事に使っているよ。

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(The MIT Press, Second Printing, 1982)



*


”STAP 細胞事件” に関連した事柄が,山のように報道されているでしょう。そして,これらの記事を読めば読むほど,50年以上も前に世界を騒がせた ” ポリウォーター事件 ” の顛末とあまりにもよく似ていることが気になって,改めて,Felix Franks の著書を精読したんだ。

私は,細胞生物学の完全な門外漢だから,” STAP細胞事件 ” の全貌の解明は,理研の研究者や,外部の中立な研究者に任すしかないけれど,研究の経緯,その成果の発表の仕方など,” ポリウォーター事件” とそっくりだね。

Felix Franks は,その著書のPrologue に,「猫のゆりかご」の 22 MEMBER OF THE YELLOW PRESS の冒頭部分を2ページにわたって引用しているんだ。読んでほしいよ。さすがは,Felix Franks だね。


*



” 私” と,原子爆弾の開発に関わったノーベル賞受賞者のフェリックス・ハニカーが研究していた研究所の副所長との対話を以下に再現するよ。アイス・ナインを作ったのはハニカーだよ。不治の病に侵されていたハニカーは,それを使って自死するんだ。

対話は,” 私” の質問

"There is such stuff?" I asked.

で始まるよ。この後,水を 「とけない氷」に固めてしまう ” アイス・ナイン ” なんてものが,本当にこの世に存在するのかについての問答が始まるんだ。

著者ヴォネガットの真意を,よりよく理解してほしいので,原文の英語のままで引用するけど,じっくりと,腰を落ち着けて読んでちょうだい。

"And suppose that there were one form, which we will call ice-nine, a crystal as hard as this desk - with a melting point of 130 ºF And suppose that one Marine had with him a tiny capsule containing a seed of ice-nine, a new way for the atoms of water to stack and lock, to freeze. If that Marine threw that seed into the nearest puddle ・・・・・ ?"

"The puddle would freeze?" I guessed.

"And all the much around the puddle?"

"It would freeze?"

"And all the puddles in the frozen muck?"

"They would freeze?"

"You bet they would, and the United States Marines would rise from the swamp and march on."

"There is such stuff?"

"No, no, no, no ・・・・・ if you'd been listening to what I have been trying to tell you about pure research men, you wouldn't ask such a quetion. Pure research men work on what fascinates them, not on what fascinates other people"


副所長さんは,アイス・ナインなど存在するものかと,怒るんだけど,実際は,ハニカーの3人の子供が密かにもっていたアイス・ナインによって世界が消滅するんだ。だけど,科学する者の こころ を説く彼氏(言い換えれば,カート・ヴォネガット)のコメントは鋭く,正鵠を射ていると言わざるを得ないね。


何度も言うようだけど,ポリウォーター事件の教訓は,本当に重いよね。




ひとまずおわり







































































by yojiarata | 2014-03-23 22:24 | Comments(0)

桃太郎の子守唄

追加版(2014年3月29日)





ご隠居さん 今日は子守唄ですか。


***


この間,NHKラジオ深夜便で,李香蘭 (山口淑子) の唄う 『北京の子守唄』 を聴いたんだ。歌詞といい,メロディーといい,素晴らしい子守唄だよ。YouTubeで聴けます。

独裁政権にうんざりして,毎日のように不愉快な思いをしている私も,国会中継ではなく,子守唄を聴いていると何となく気分が落ち着くよ。


北京の子守歌

作詞 佐藤惣之助
作曲 古賀政男


青い屋根金の屋根
夢のお城に三日月が
ほんのりとかかる頃
赤い揺り籠揺れて
いつかアカシアの花のよに
ねんねする子は楽しかろ

合歓の花眠る花
長い睫が良く似てる
まだ若いお母さん
青いランプが揺れて
古い都の花の歌
聞いて寝る子は嬉しかろ

愛の窓夜の窓
遠い砂漠の旅を行く
懐かしいお父さん
星の光も揺れて
泣いて数える鐘の音に
ねんねする子は愛しかろ



東海林太郎の赤城の子守唄 もいいね。偶然かもしれないけど,『北京の子守唄』も『赤城の子守唄』も,作詞は佐藤惣之助だね。いい曲を作る人は,何を作ってもいいね。



赤城の子守唄

佐藤惣之助 作詞
竹岡信幸 作曲


泣くなよしよし ねんねしな
山の鴉(からす)が啼いたとて
泣いちゃいけない ねんねんしな
泣けば鴉が またさわぐ

坊や男児(おとこ)だ ねんねしな
親がないとて 泣くものか
お月さまさえ ただひとり
泣かずにいるから ねんねしな

にっこり笑って ねんねしな
山の土産に 何をやろ
どうせやくざな 犬張子
貰ってやるから ねんねしな




東海林太郎の波乱の生涯



「直立不動の東海林太郎」とよく言われるんだけど,私が聴いていた頃は,ラジオだからね。直立不動は,テレビの時代になって,観ただけだよ。だけど,彼氏が最初に歌って昭和10年代には,映像の録画なんてないからね。きっと,テレビ時代になった晩年の東海林太郎が映っているんだろうね。

ところで,太郎さんは,もともとはオペラ歌手になりたかったんだ。実際,音楽コンクールの声楽部門で,「我恨まず」(シューマン),「仮面舞踏会」からのアリア「レナートの詠唱」を独唱し入賞したそうだよ。

流行歌のレコードは,ニットーレコードでの「宇治茶摘唄」の吹込みが最初。そのあと,日本ポリドール蓄音機株式会社(現:ユニバーサルミュージック )で吹込んだ「赤城の子守歌」が,1934年2月に新譜で発売され,空前のヒットとなったんだ。

ところで,太郎さんは早稲田大学に在学中,マルクス思想に感染して,” その筋 ” から,要注意人に分類されていたようだよ。1923年9月,南満州鉄道株式会社に入社し,庶務部調査課に勤務したんだけど,その時に執筆した「満州に於ける産業組合」 があまりにも左翼的ということにより,1927年鉄嶺の図書館に左遷されたという記録が残っているよ。

だけど,太郎さんは音楽の夢が捨てきれず,満鉄には7年間勤務したんだけど,退社して帰国。弟と中華料理店を経営するなど,波乱に満ちた人生を送ったんだ。

「国立国会図書館デジタルコレクション」には,おぼろ月夜
が収録されているよ。

おぼろ月夜
作詞・作曲・編曲・実演家久保田 宵二[作詞]
斎藤 佳三[作曲]
斎藤 佳三[編曲]
東海林太郎
製作者(レーベル)キングレコード,発売年月日 1935年6月,この頃の,太郎さんの生の声を聴くことが出来るよ。


多くの日本国民に親しまれる数々の素晴らしい曲を残した東海林太郎さんには,1965年,紫綬褒章が贈られたんだ。

1898-1972(享年73) 


江戸子守唄


「江戸子守唄」は,江戸時代の文化文政時代のころからの記録があり,江戸から始まって各地に伝えられて,日本の子守唄のルーツになったといわれているよ。

広く歌われている歌の歌詞。

ねんねんころりよ おころりよ。
ぼうやはよい子だ ねんねしな。

ぼうやのお守りは どこへ行った。
あの山こえて 里へ行った。 

里のみやげに 何もろうた。
でんでん太鼓に 笙(しょう)の笛。



中国地方の子守唄


中国地方の子守唄は,岡山県に伝わる広く知られた子守唄だよ。


ねんねこ しゃっしゃりませ
寝た子の かわいさ
起きて 泣く子のねんころろん ねんころろん
ねんころろ つらにくさ


ねんねこ しゃっしゃりませ
きょうは 二十五日さ
あすは この子の
ねんころろ 宮詣り
ねんころろん ねんころろん

宮へ 詣った時
なんと言うて 拝むさ
一生 この子の
ねんころろん まめなように
ねんころろん ねんころろん





北原白秋の『揺籃のうた』


揺籃のうた(ゆりかごのうた) は,北原白秋作詞,草川信作曲の日本の童謡である。2007年(平成19年)に日本の歌百選に選出されている。1967年にボニー・ジャックスが歌うなど,古くから親しまれているよ。最近では2011年に夏川りみがカバーしているから君も聴いたことがあるでしょう。



揺籃のうたを カナリヤが歌うよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

揺籃のうえに 枇杷(びわ)の実が揺れるよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

揺籃のつなを 木ねずみが揺するよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

揺籃のゆめに 黄色い月がかかるよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ



北原白秋の生誕の地,福岡県柳川市では,毎日午後6時になると防災スピーカーから音楽を市内に流しているそうだよ。



田川寿美の ねんねんふるさと もいいね。

ねんねんふるさと

作词 悠木圭子
作曲 铃木淳



ねんねんころりと 流れる声を
夢かうつゝか 聴きながら
遠い昔に 辿りつく
母の背中の 子守唄

ねんねんころりよ おころりよ
春にはリンゴの 花が咲き
秋にはコスモス こぼれて咲いた
あゝ ふるさとが遠くなる
あゝ あのふるさとが好きなのに

ねんねんころりと つぶやいてみた
何故か涙が 涌いてくる
遠い昔に いるようで
父に甘えた 肩車
ねんねんころりよ おころりよ
流れる綿雲 赤トンボ
からまつ林に 粉雪が舞う
あゝ ふるさとは胸の中
あゝ あのふるさとが好きだった

ねんねんころりよ おころりよ
あゝ ふるさとへいつの日か
あゝ あのふるさとへ帰りたい



三橋美智也と子守唄


子守唄など,日本の古謡を唄わせたら,三橋美智也の右に出る歌手はいないよ。私のCDコレクションにも,いくつか入っています。



桃太郎の子守唄


先日,NHKラジオ深夜便 「明日への言葉」で,尾原昭夫・島根大学名誉教授(民族音楽研究家)の 「時代につなげる わらべ唄と子守唄」を聴いたんだ。大変に面白い話だったよ。

最近出版された石川正己編 『子守唄と民謡』 (三弥井書店,2013)のなかの一章

「桃太郎の子守唄 - 山田耕筰の子守唄志向を追って -」

を,尾原先生が書いておられます。

そこに,『読売新聞』の懸賞募集一等当選の清水都代三(とよぞう)による創作子守唄が紹介されているよ。


とんとん とろりこ とんとろり
とんとん とろりと 鳴る音が
坊やのお寝間にゃ まだ来ぬか
来なけりゃ 迎ひにまゐりましょ
海山越えて 鬼ヶ島
鬼のゐぬ国 ねんね島      
(全四節)



山田耕筰が曲をつけ,大正5(1916)年に発表したんだそうだよ。


***


戦争の時代に育った私たちは,文部省の教科書に掲載されている唱歌を歌っていたんだ。

桃太郎でいえば,こんな調子だよ。


桃太郎さん,桃太郎さん,お腰につけた黍団子,一つわたしにくださいな。

やりませう,やりませう,これから鬼の征伐に,ついて行くならやりませう。

行きませう,行きませう,あなたについて何処までも,家来になって行きませう。

そりや進め,そりや進め,一度に攻めて攻めやぶり,つぶしてしまえ,鬼が島。

おもしろい,おもしろい,のこらず鬼を攻めふせて,分捕りもの(ぶんどりもの)をえんやらや。

万万歳(ばんばんざい),万万歳,お伴の犬や猿雉子は,勇んで車をえんやらや。


『新訂尋常小学唱歌 第一学年用』(文部省編・大日本図書,昭和七(1932)年)



悪い奴らは,問答無用!攻めていって,何が何でも叩き潰せ!! と学校で教え込んでいたんだよ。なにしろ,文部省検定の教科書(世の中でただ一種類)だけが使われる時代だったからね。

現在の政権は,教育などにも盛んに口を出し始めているでしょう。連中は,やろうと思えば,何でもできるんだから恐ろしいよね。怖いよね。



おしまい

by yojiarata | 2014-03-22 21:55 | Comments(0)

猫のゆりかご  独裁国家 と 恐怖のアイス・ナイン



ご隠居さん 今日は一体何が始まるの。

***


目が据ってきた我らの国の独裁者の顔を見たり,声を聞いたりすると,気持ちが悪くなるので,しばらく,ボンヤリしていたんだけれど,突然,昔読んだ本のことを思い出したんだ。本のタイトルは,

『猫のゆりかご』(Cat's Cradle)

1963年に出版されたカート・ヴォネガットのSF小説。

カリブ海に浮かぶ孤島サン・ロレンゾは,頭のちょっとおかしい独裁者・"パパ"・モンザーノ が支配する国。そこに猛毒の「アイス・ナイン」が登場するんだ。恐ろしくもあり,様々な想像を掻き立てる物凄い小説だよ。原著(ペーパー・バック)も,日本語訳も,今でも,ネットを通じて古書店などから入手できるよ。


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原著(A DELTA BOOK, Dell Publishing, 1963)
この写真は,筆者の手元にあるペーパー・バックス版(1998)


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ハヤカワ文庫SF,早川書房(1983,三刷)



なお,この小説のタイトルの由来については,文末に書くよ。


条件によって,色々な氷を作ることができる



寒くなると,池が凍って氷が張るよね。冷蔵庫で,氷を作れるでしょう。この氷については,このブログで,水と氷の季節で詳しく書いたの覚えているでしょう。


我々が,氷とよんでいるもののほかに,作る条件によっては,水に浮かばないで沈んでしまう氷,熱い氷など,変わった性質の氷を作る試みが,物理化学の研究者によって,百年以上にわたって続けられてきたんだ。どれも,物凄い高圧の条件で作るんだ。

それぞれに名前がついているよ。われわれが手にする氷は,氷Ih ,というんだけれど,ほかに,つぎのような ” 氷 ” が知られているよ。O 原子の配列がみな違うんだ。

氷Ic,氷II,氷III,氷IV,氷V,氷VI,氷VII,氷VIII,氷IX,氷X,氷XI,氷XII,氷XIII,氷XIV,氷XV,これらの言葉は,とりあえずは,単なる符牒と考えておいてちょうだい。


どうして,高い圧力が必要なのかって?

「水と氷の季節」で書いたけど,水分子(HO)の間にはつっかい棒(水素結合というよ)があって,普通の条件(1気圧)では,O 原子の間が近づけないような仕組みを自然が作ったんだ。だから,O 原子の間をさらに近づけて,変わった氷を作るためには,イヤダイヤダと嫌がる O 原子の間を,これでもか,これでもかとギュウギュウ押し込むんだ。

これまでに試みられたのは,10万気圧。こうしてできた氷VIIは,0℃ 以上, 何と 100℃ でも,200℃ でも存在する,熱くて重い氷なんだよ。

密度が通常の氷の 5割増しの 氷VIII もあるよ。氷VIIIは,1万気圧以上の高圧下,0℃以下の温度で生成します。

このように,精製の条件と変えて作った氷のなかの,O 原子の配列を見ると,自然の知恵の素晴らしさが実感されるよ。専門的になるけど,詳しいことを知りたくなったら,私が以前執筆した『水の書』(共立出版,1998),さらに新しい結果を載せたウェブ・ページをみてほしいんだ。


恐怖のアイス・ナイン



この本の冒頭で,語り手は,広島に原子爆弾が落とされた日にアメリカの主要な人物達が何をしていたかについての本を書こうと計画していた時のことを書いている。このテーマについて調査しているうちに,語り手は,ノーベル賞受賞者で,原子爆弾の開発に協力したフェリックス・ハニカーの子供達に関わりを持つことになるんだ。

語り手は「アイス・ナイン」とよばれる物質が,晩年のハニカーによって作り出され,今はその子供達が隠し持っていることを知る。アイス・ナインの結晶は,液体の水の個々の分子HOを,固体の形に配列させる“種” になる。通常の水が凍る過程によく似ているんだけど,アイス・ナインの場合,融点が45.8 ℃ なので,簡単には水に戻らないんだよ。

ヴォネガットのアイス・ナインと,実在する物質である氷IX(英:ice IX)とを混同しないでほしいんだ。現在では,氷IXを実際に作ることが出来るけど,アイス・ナインのような性質を持っていないよ。

この小説が書かれた1963年の時点では,氷の結晶形としては,8種類しか知られていなかったため,作者のヴォネガットが,架空の結晶形をアイス・ナインと命名したんだ。

この後,ポリウォーターが世界中を騒がせることになったよ。


長い論争の末,ポリウォーターは,それを作製するのに用いた容器から溶け出した物質(シリケート)が混入した単なる水であることが確かめられたんだ。私の『水の書』(1998) の5.2節・「水が土に変わる学説」 に詳しく書いたよ。(176-189ページ参照)。

書いたあとで,” オッカムの剃刀 " という表現が頭に浮かんだよ。

ポリウォーターを巡る論争が収まる前のことだけど,ポリウォーターが,アイス・ナインと同様に恐ろしい性質を持つのではないかと真剣に危惧する人もいたようなだけど,全くの杞憂だったよ。


作者の兄で気象学者のバーナード・ヴォネガットは,ヨウ化銀が人工降雨において氷の成長を促進させる効果があることを1946年に発見しているよ。この点については,私が以前執筆した『水の書』(共立出版,1998,161-162ページ)を参照して下さい。


*


フェリックス・ハニカーは,物語が進行する時点ですでに死亡しているんだ。「原子爆弾の父」として果たした役割や,地球上の生命を滅ぼすことになる「アイス・ナイン」の発明から分かるように,ハニカー自身は,道徳心に欠け,自分の研究以外には無頓着で,自分の研究がどう使われようが関心のない天才として描かれているよ。

原爆の父については,息子のニュートン・ハニカー(身長が1メートルちょっとしかない小人)が次のように書いているよ。

【最初の原爆実験がアラモゴードで行われた日の話をご存知ですか?実験が済んで,アメリカがたった一個で都市を消滅させる爆弾を保有したことがはっきりすると,一人の科学者が父の方をふりかえって言いました,”今や科学は罪を知った”。父がどういう返事をしたかわかりますが?

こう言ったのです,

”罪とは何だ?” 】


語り手とハニカー家の子供達が行きついたサン・ロレンゾは,カリブ海に浮かぶ孤島で,さしわたし50マイル,幅20マイル,人口は45万,「・・・・・ 全国民が自由世界の理想にむかって邁進している」。島の最高点マッケーブ山は,海抜11,000フィート。首都はボリバル,「・・・・・ 港をのぞむ超モダン都市で,その港はアメリカ合衆国海軍の全艦隊を収容する規模を誇っている」主要輸出品目は,砂糖,コーヒー,バナナ,藍,民芸品。

ボコノンは1891年生まれ,出生地はトベーゴ島,イギリス生まれの黒人で,家の宗教は監督教会派。一家の財産は,ボコノンの祖父が掘り当てた25万ドル相当の海賊の秘宝の上に築かれた。

何故,ボコノンかだって?

サン・ロレンゾでは,人々は理解不能な英語の方言をしゃべる。例えば," twinkle, twinkle, little star " は," swenkul, swenkul litpool store " のように発音されるよ。

彼の本名を,サン・ロレンゾ流に発音すると,ボコノンとなるんだ。

ボコノンは,監督教会派の学校で教育を受け,成績も優秀だったけれど,何にもまして彼が興味をもったのは,教会の儀式だったんだ。ボコノンが布教したのが,ボコノン教。サン・ロレンゾの住民は,ボコノンを教祖とするボコノン教を信じている。ボコノン教の信者は,「カリプソ」とよばれる聖歌を謳うんだ。

サン・ロレンゾは,独裁者,"パパ"・モンザーノ に支配されている。モンザー ノは,楯突く者を巨大なフックで鉤吊りの刑にすると国民を脅している。

独裁者である"パパ"・モンザーノは,フェリックス・ハニカーの息子に政府高官の地位を与えて買収し,その代わりにアイス・ナインのかけらを手に入れて,末期癌で死の床にある自分の自殺に使ったんだ。アイス・ナインによって,独裁者の死体は直ちに硬い氷の塊に変わる。アイス・ナインによる死亡第1号だね。

このあと,飛行機が突然,独裁者の海辺の宮殿に衝突して,彼の体は凍ったまま海原に転がり落ちる。そして,世界中の海や川や地下水が大がかりな連鎖反応を起こしてアイス・ナインへと変化し,地球の生態系を破壊して,人間を含むすべての生命体を数日のうちにほぼ絶滅に追いやってしまう。


以上がこの小説の粗筋です。

*


我らの独裁者のことを思い出したくないので,このブログを書き始めたんだけど,結局,ズバリ思い出すことになってしまったよ。連中は,衆議院,参議院の両方で議席の半数以上を握って,やり放題。

官製春闘。政府主導教育。原発再稼働。憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認。「防衛装備移転三原則」,これまで事実上輸出を禁じてきた現在の三原則を撤廃。

気に入らないことをすると,「特別秘密保護法」をちらつかせて,威嚇する。楯突く者を,巨大なフックで鉤吊りの刑にすると国民を脅している "パパ"・モンザーノ と同じだね。

情けない世の中になったね。怖ろしいね。


***



なお,この本のタイトルは,日本語の「あやとり」,英語の「猫のゆりかご」(Cat's cradle)から採られたんだ。フェリックス・ハニカーは原爆が投下された時,猫のゆりかごで遊んでいたと書かれているよ。


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「あやとり」   「猫のゆりかご」   






おわり

by yojiarata | 2014-03-13 19:52 | Comments(0)

日本語 ☜ ☞ 英語  巻の二



ご隠居さん 「巻の一」の続きですね。

***


そうです。だけど,前半は,あまり愉快でないことから始めたいと思います。「巻の一」に書いたことを念頭に置いて読んでください。あまり愉快でないと言っても,私には悪気は全くないのです。どうかご理解ください。

昨日,テレビのニュースで聞いたんだけど,君は「ロングライフ食品」と称するものを知っている。聞いていると,「賞味期限」を長く伸ばした保存食品のことらしいんだよ。最近は,何でも彼でも,英語の単語をメチャメチャに並べて,変な日本語を作るよね。日本語をもっと大事にしてほしいね。

2月25日の夕刊1面に,大きな字で

ジョブズの卵 渋谷集合

と見出しがあります。

渋谷はビットバレーとよばれているんだそうだよ。シリコンバレーをまねて渋(bitter = ビター)と谷(valley=バレー)から作った造語だと書いてあるよ。こんな根性では,いつまでたっても,シリコンバレーを追い越せないよ。




日本人大リーガーへの期待



私が,どうにも理解できないのは,松井選手が,ワールド・シリーズで最高殊勲選手に選ばれたとき,イチロー選手が,年間最多安打数で,シスラー選手の記録を100年ぶりに更新した時など,「晴れの舞台」で表彰された時など,いつも,通訳を通じて,日本語で話すんだ。

誰も,松井選手やイチロー選手に,流暢な英語など,期待していませんよ。現に,南米から来た選手など,メチャメチャな英語ですよ。それでも通じるんだ。彼らは,俺は英語をしゃべっているんだ,どこか悪いか!という顔付きですよ。

最初はメチャメチャ英語でも,ジョークが通じ,面白い奴だと思ってもらえれば,松井選手だって,イチロー選手だって,もっともっと人気が出たと思いますよ。何年も,アメリカにいるんだから。

その点,トロントにいる川崎選手は,すごいよ。残念ながら,いまは,2軍暮らしのようだけど。

私の記憶では,長谷川選手だけだね。英語をしゃべっていたのは。彼氏の英語は,メチャメチャ英語どころか,流暢なところがまたすごかったね。

今後は,若い選手がどうなるかだね。ダルビッシュ選手は,相当努力しているようだから,これからが楽しみです。

ヤンキースに新加入する田中選手は,アメリカに行く前から,僕は英語ができませんと,記者団の前でケッロとしているんだからね。聞くところによると,膨大な額の通訳料が契約書に書いてあるそうだけど。問題は,そういうことじゃなくて,アイツは英語は今の所メチャメチャだけど,フレンドリーで面白い,ジョークの通じる奴だ。すぐ仲間になれるよ,と評判になれば,これでOK。それから,黙っていても,英語が通じるようになるよ。そうでなければ,成績は絶対に残せません。

それともう一つ。ダルビッシュが入団した年だったと記憶しているんだけど,ガンガン打ち込まれて,敗戦投手になったんだ。その時,ダルビッシュはベンチに帰って,ワシントン監督に何と言ったと思う。

I AM SORRY.

アメリカで生きていくには,寅さんじゃないけど,それ言っちゃお終いよ。黙っているか,もしどうしても何か言いたければ,

I WILL TRY TO DO A BETTER JOB NEXT TIME.

くらいじゃないでしょうか。

これからの,日本人大リーガーに大きく羽ばたいてほしい。70年以上にわたって野球とともあった野球少年・不肖荒田洋治の切なる思いです。気に触ったら,どうかお許しください。


日本語 ☜ ☞ 英語


「巻の一」で書いたことを念頭に,日本語と英語の間を行ったり来たりしながら,以下の3例を読んでください。


首を振る


あたま

【貴間(アテマ)ノ轉カ,或云天玉ノ意カト】
(一)カシライタダキ 頭蓋骨 (ヅガイコツ)。(二)後ニ,スベテ頸ヨリ以上ノ稱。カシラ,コウベ。頭。

「言海」(大槻文彦,明治三十八年十二月十五日 第百五拾版,吉川弘文館)


動物の,脳(や目・口・鼻・耳)がある部分。神経中枢がある部分。また,それをおおっている,顔の上の部分。

首から上の部分。かしら。こうべ。

「広辞苑第 6 版」(岩波書店,CD-ROM 版))」


英語で,頭を振るといった場合,首を支点として,頭を横に振ることを言います。

Shake the head.

とは,頭を横(左右)に振る所作で,これは,

No.

と同じです。英語で,肯定の応答をする場合には,

nod.

を使います。この場合には,首を縦に振ります。

すなわち,英語では,首を横に振ったら否定,縦に振ったら肯定と決まっているのです。

しかし,日本語の場合には,頭の振り方と,その意味するところは英語のように明瞭ではありません。

なお,この部分を書くにあたっては,NHKラジオ第2 『英語で読む村上春樹 世界の中の日本文学 第14回』 (2月16日(日)22:50-23:20) を参考にさせていただきました。

ちょっと脇道に逸れますが,私は,この番組の極めて熱心な聴き手の一人です。日本語を英語に翻訳するにあたっては,数々の壁に遭遇します。この番組では,案内役の沼野充義先生,相方のアメリカ生まれの Matthew Chozickさんのコンビの間で交わされる実に興味深いやりとりに惹きつけられます。沼野先生の発想,着眼点にいつも大いに触発されて,楽しく英語を勉強しています。

「日本語 ☜ ☞ 英語」 に興味のある方には,この番組を絶品としてお勧めします。残念ながら,沼野先生は今月で降板されるそうなので,その後のことが心配です。



手を振る

日本語では,船旅に出る人を送る場合などには,大きく手を振ると言いますが,これをそのまま英語にすると 
wave your hand.

となり,変です。

腕,上肢 肩から手首までを含むarm を使って,

wave one’s arm.

ではないでしょうか。



おしりを振る

つぎは,おしりの場合です。尾籠な話ではありませんので御安心ください。まず,辞書をひいてみると,

しり

尻【身の後(シリ)ノ義ナラム】
(一)背ノ下ノ,肉ノ出デテ,座スレバ席ニツク所
「言海」(大槻文彦,明治三十八年十二月十五日 第百五拾版,吉川弘文館)


腰の後下部で、肉の豊かに出た所。肛門のあるあたり。臀部(でんぶ)
「広辞苑第 6 版」(岩波書店,CD-ROM 版)」


こし

腰【越ノ義ニテ,胴ト脚トノ界ヲイフカ】
(一)腹背ノ下,臀ノ上ノ邊ノ名
「言海」

人体の脊柱の下部で,骨盤の上部の屈折し得る部分。
「広辞苑第6版」


これだけの定義を念頭に置くと,次のように結論できます。

1) 日本語で,ヒップといっているのは,バトック (buttock)を2個を合わせた物体です。

2) バトック は,左右に一つずつありますから,亭主をおしりに敷くのは,普通は二つのバトック( buttocks)を使います。もちろん,原理的には,変な格好になるけれど,どちらか一方の buttock でも目的を達成することはできます。

「言海」の「しり」の説明

(一)背ノ下ノ,肉ノ出デテ,座スレバ席ニツク所

は,言い得て妙です。さすが大槻文彦,バトック をものを見事に表現しています。

3) 腰に両手をあててみてください。固い部分が手に触るはずです。これがヒップです。やはり,二つあります。その下にある「ポッチャリ膨らんだ巨大な物体」が バトック(2個あります)です。お相撲さんは,ヒップに載せるようにして,まわしを巻くのです。

繰り返しますが,日本語で ヒップとよんでいるのは,英語では全く別の部位,すなわち,バトックを指します。

うしろから見た人体の問題部分の成り立ちをイラスト化しました。ヘンテコ リンなものですが,参考にしていただきたいと思います。

a0181566_2014261.jpg

Microsoft PowerPoint 2010 を用いて,荒田洋治・作画



4) マリリン・モンローさんが,おしりを振って歩く場合には,ヒップ を”支点”として,バトック を左右に振ることになります。この場合には,二つあるバトックを,位相を揃えて振るんでしょうね。それにしても,『ナイアガラ』 (20世紀フォックス,1953年公開)で 見せたモンローさんの後ろ姿は物凄い迫力がありましたね。

モンローさんが歩いて行く後ろ姿を映したシーン・「モンロー・ウォーク」 は映画史上,最も長い歩行シーンだそうです。


モンローさんの動きを,表現したければ,

Swing the buttocks.

となるんじゃないでしょうか。


そのうち,また書きたいと思います。





ひとまずお終い

by yojiarata | 2014-03-01 21:10 | Comments(0)