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エドガー・アラン・ポオ と 森鷗外



ご隠居さん 相変わらず,少々毛色の変わった話が続くね。

***


最近,そうゆう傾向があると言えなくもないね。今日の話は,刑事が一つの事件を60年以上にわたって追いつづけるのと,精神的には全く同じなんだ。


  高校生のための 『 大学受験ラジオ講座 』 を聴く  


高校2年か3年の頃,NHKラジオで放送されていた 『大学受験ラジオ講座』を聴いていたんだ。私が生まれ育った岡山のような小さな町には,大学受験生のための予備校などなかったからね。60年以上も前のことだけど。

その時,Edgar Allan Poe : A Descent into the Maelstrom の翻訳の朗読を聴いてしまったんだ。聴いてしまったという表現はちょっと変かもしれないけれど,その翻訳のあまりの見事さに取り付かれてしまったという意味です。

ノルウェイ人の漁師が巻き込まれた渦潮の描写,とくに,月に照らしだされた ” 漏斗 ” の内側 の怖ろしくも 美しい 情景を,圧倒的に見事な日本語で再現した人物をなんとしてでも探し出したかったんだ。

背中に張り付いた翻訳者割り出しへの探索心を,思い出しては忘れ,忘れては思い出しているうちに,60年が経過したというわけです。

私は,現役の頃,研究,教育を生業としてきたこともあって,良くも悪くも執念深いんだよ。


ちなみに,ポオの小説は今でも大変人気があり,例えば,今日のブログにある短編は,「メエルシュトレエムに呑まれて」(小川和夫訳)の題で,『ポオ小説全集 3 』(創元推理文庫,2012年,44版)に収録されているよ。



   記憶の断片を掻き集める   



ステップ Ⅰ  

かすかな記憶を頼りに,ネットでいろいろ調べてみたところ,私が聴いていたラジオ講座の講師は,国文学者で随筆家の塩田 良平 (しおだ りょうへい) 立教大学・文学部・教授 (1899-1971)だと確信するに至ったんだ。

塩田先生は,亡くなる直前まで,ラジオ講座の講師をつとめておられたこともわかったよ。


ステップ Ⅱ  

引越しのために,本箱を整理していたところ,エドガー・アラン・ポウのボテッと分厚い著書 (821ページ,750 グラム) が,見つかったんだ。学生の頃,大学の生協で注文したらしく,裏表紙に,鉛筆で 2540円 と書いてあるよ。

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DOUBLEDAY, 1966


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ステップ Ⅲ  

何かが見つかる確率が高いと考えて,国会図書館に通い始めた20年,30年前は,カードで一枚づつ検索するしかなかったんだ。燈台のない海を彷徨うような作業で,絶望的だったよ。その後,国会図書館も電子化されて,探索が容易になったんだけれど,残念ながら,収穫はなかったね。


ステップ Ⅳ  

最近になって,ふとしたことから,アマゾン Kindle 版のなかに,森鷗外・翻訳 『 うづしほ 』 が入っていることを見つけたんだ。森鷗外(1862-1922) 48歳の時の作品です。

天は私を見捨てなかったみたいだね。小学生の頃,上級生が演じた劇を思い出したよ。

天勾践(こうせん)を空しうすること莫れ,時に范蠡(はんれい)無きにしも非ず

児島高徳(たかのり)が後醍醐天皇にひそかに奉った詩の句 (太平記)で,小学生の頃,上級生が児島高徳を演じ,桜の木の幹にこの句を書く場面に感動したことを鮮明に覚えているよ。



   森鷗外訳 『 うづしほ 』  



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アマゾン,Kindle 版




端末 Kindle Paperwhite(169 x 117 mm )をアマゾンから購入して,最初は使い勝手が分らず苦労したけど,何とか読めるようになったのが1週間 ほど前。「マニュアル」と称するものは,ほとんどの場合,理解不能だね。困ったことだけど。

ともあれ,『 うづしほ 』 を読み始めるとこまで,漕ぎ着けたんだ。

最初,全体をさっと読んだとき,私が60年以上前に読んで強烈な印象を受けたあの時の ” 翻訳 ” が,目の前にあるものそのものであるということは判断出来ないという印象を受けたんだ。だけど,よく考えてみると,それは当たり前のことだよ。あの時の ” 翻訳 ” は私の頭のなかの記憶にあるだけで,手に取って比べることなど出来ない存在だからね。

だけど,電子書籍のお蔭で読むことのできる鷗外の翻訳を繰り返し読んでいるうちに,これこそ,60年以上前に私を魅了した翻訳に違いないと確信をもったんだ。


鷗外の翻訳の一部を次に引用します。

「・・・・・ 見えている限りの空の周囲(まはり)が,どの方角もぐるりと墨のやうに真黒になってゐまして,丁度わたくし共の頭の上の所に,まんまるに穴があいてゐます。その穴の所は,これでつひぞ見たことのない,明るい,光沢(つや)のある藍色になってゐまして,その又真中の所に,満月が明るく照ってゐるのでございます。その月の光で,わたくし共の身の周囲は何もかもはっきりと見えてゐます。併しその月の見せてくれる光景が,まあ,どんなものだった思召します。」

「・・・・・ 所が,忽ち背後(うしろ)から恐ろしい大きな波が来ました。次第に高く〰 持ち上げて,天までも持って行かれるかと思ふやうでございました。 ・・・・・ さて登り詰めたかと思ふと,急に船が滑るやうな沈んで行くやうな運動を為始(しはじ)めました。丁度夢で高い山から落ちる時のやうに,わたくしは眩暈(めまひ)が致して胸が悪くなって来ました。併し波の絶頂から下り掛かった時に,わたくしはその辺の様子を一目に見渡すことが出来ました。」

・・・・・

「その時の恐ろしかった事,気味の悪かった事,それから感嘆した事は,わたくしは生涯忘れることが出来ません。船は不思議な力で抑留せられたやうに,沈んで行こうとする半途で,恐ろしく大きい,限りなく深い漏斗の内面の中間に引っ掛かってゐるのでございます。若しこの漏斗の壁が目の廻るほどの速度で,動いてゐなかったら,この漏斗の壁は,磨き立った黒檀の板で張ってあるかとも思われそうな位平らなものでございます。その平らな壁面が気味のわるい,目映い光を反射してをります。それはさっきお話申した空のまんまるい雲の穴から,満月の光が,黄金(こがね)を篩(ふる)ふやうににさして来て,真黒な壁を,上から下へ,一番下の底の所まで照してゐるからでございます。」

・・・・・

「月は漏斗の底の様子自分の光で好く照らした見ようとでも思ふらしく,さし込んでゐますが,どうもわたくしにはその底の所がはっきり見えませんのでございます。なぜかと申しますると,漏斗の底の所には霧が立ってゐて,それが何もかも包んでゐるのでございます。その霧の上に実に美しい虹が見えてをります。・・・・・」

・・・・・ 

「わたくしはこの流れゐる黒檀の壁の広い砂漠の上で,周囲を見廻しましたとき,この渦巻に吸い寄せられて動いてゐるものが,わたくし共の船ばかりでないのに気が付きました。船より上(かみ)の方にも下(しも)の方にも壊れた船の板片やら,山から切り出した林木やら,生木の幹やら,その外色々な小さい物,家財,壊れた箱,桶なんぞが走ってゐます。」

・・・・・ 

「わたくしは一つの船に助け上げられました。 ・・・・・ 一日前まで墨のように黒かったわたくしの髪が只今御覧なさるやうに真白になってゐたのでございます。顔の表情もそのときまるで変わったのださうでございます。わたくしはそのひとたちにこの経験談を致して聞かせました。併し誰も信じてくれるものはございませんでした。その経験談を只今あなたにも致したのでございます。多分あなたはロフオツデンの疑深い漁師とは違って,幾分かわたくしの詞を信じて下さるだろうと存じます。」


初出: 『文藝倶楽部 十六ノ一一』 1910(明治43)年8月1日
底本: 『鷗外選集 第15巻』 岩波書店 1980(昭和55)年1月22日第1刷発行


*



他に,佐々木直次郎訳 『 メールストロムの旋渦 』 「オーディオブック CD」
が Amazon.com Int'l Sales, Inc. から発売されています。

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佐々木直次郎(1901-1943)訳


素晴らしい翻訳だと思うんだけど,これは私があの時に出会った ” 翻訳 ” ではないと断言できるんだ。雰囲気的に全く違うんだよ。


ともあれ,60年以上にわたる頭のなかの追跡劇は,これでひとまず終わりました。


素晴らしい翻訳を次の世代に遺してくださった森鷗外・大先輩に,最大限の敬意をもって,心より感謝したいと思います。




by yojiarata | 2014-01-31 21:46 | Comments(0)

異説 日本海海戦



ご隠居さん ヘンテコリンな題名だけど,一体何を話すつもりなの。

***


曰く言いがたいんだけど,一昨日 NHK BS で放送された番組がことの始まりなんだ。



英雄たちの選択

 
「日露戦争・運命の一日 ~東郷平八郎の日本海海戦~」


念のために,NHKの番組説明を,そのまま再現しておくよ。

【日露戦争の勝利を決定した1905年の日本海海戦,連合艦隊率いる東郷平八郎の葛藤を描く。直前に姿を消したバルチック艦隊をどこで迎え撃つか。近年公開された極秘史料からは,連合艦隊内での白熱した議論が浮かび上がってきた。東郷の最終決断とは?そしてそれは,日本に何をもたらしたのか?東郷平八郎,運命の選択に迫る】

実際,番組説明の通りで,非常に面白かったよ。


極東の小国である日本が,日清,日露の戦いに連勝して,世界を驚かせたんだ。そのためもあってか,東郷平八郎は,日本人で初めて,アメリカの雑誌 TIME の表紙を飾ったんだ。重々しく威厳のある立派な顔だよ。

”勝った勝った” とマスコミが太鼓をたたき,国中が提灯行列で湧きかえった後,日本が太平洋戦争に進んで行った暗くて長い道程を簡潔にまとめて番組が終わったよ。


英雄に祭り上げられた東郷平八郎だけど,彼の子孫は,それが原因だったのか結果だったか分らないんだけれど,色々大変だったようだね。


 永井荷風の日記から


その後の東郷家については,永井荷風の日記(断腸亭日乗)の記事が,色々な観点からいって,興味を惹かれるよ。

断腸亭日乗は,文章は見事だけど,中身は,良くも悪くも,野次馬根性というか,ゴシップ記事の色濃い部分が少なくないよ。だけど,何年の何日に,こんなことが起こったということを知る上では,大変参考になるよ。

次の記事を読んでください。


昭和十年三月十五日

・・・・ 東郷元帥孫女良子家出の顛末を来合せたる電報通信社ゝ員某氏より伝聞す。大畧次の如し。

東郷良子年十九才なり。本月学習院女子部を卒業せむとする間際に至り二月廿四日出奔し,浅草公園を見歩きて後,花川戸横町 JL という喫茶店に女給募集の貼紙あるを見て,其店の住込女給となり,今朝日ゝ新聞に家出の記事出るまで十七日間働きゐたりしなり。家出する前市ヶ谷見附内紅薔薇といふ喫茶店に出入りをなし色男もありし様子なり。・・・・・

新聞に写真出るまでは家の者もまた出入する客も誰一人東郷家の娘とは気づかざりしと云ふ。三番町紅薔薇にて屡良子と逢引せし男は今朝警察署に拘留せらえ,又 JL の女給には其筋より一切の事を厳重に口留めしたり。新聞の記事も,過半差留められたり。云ゝ


断腸亭日乗 三
荷風全集 第二十三巻
1993年10月28日

(注) 断腸亭日乗には,何種類かの「異本」があるんだけど,ここでは,最も原型に近いと私が考えている1993年の岩波書店版を使いました。


この部分を読むと,現在に通じるものがあるよ。

例えば,

其筋より一切の事を厳重に口留めしたり。新聞の記事も,過半差留められたり。

の件だけど,”其筋” なんて表現,君は聞いたことがある? 新聞の記事についても,検閲が入っているよね。現在の日本の独裁政権の暴走,特別秘密保護法など,考え出すと,歴史が繰り返し,押し寄せて来ているようで,恐ろしくなるよね。怖いよね。


「異説 日本海海戦」 はどうなったのかだって? ま そう急がないで,話を最後まで聞いてちょうだい。


***



顕微鏡を考える道具とした最初の思想家



吉田富三(東京大学名誉教授,1903-1973)は,日本のがん研究をリードした重鎮です。私自身も,所属が医学部薬学科だったお蔭で,吉田先生の講義を何度も聴く機会があったよ。

表題の言葉は,吉田直哉 (吉田富三の長男,元NHKチーフプロデューサー,1931-2010)の著書 『私伝・吉田富三 癌細胞はこう語った』 (文春文庫,1995) で使われています。


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吉田富三と長男・吉田直哉(許可を得て掲載)



研究者のなかには,何事によらず思い込んだらどこまでも,という気質の人が少なくないようだね。吉田直哉は,『父・富三の興味と関心』 「常によいものを」のなかで,次のように語っています。昼ごはんに「天満佐」の天丼を食べ始めると毎日のように「天満佐」の天丼,万年筆に凝ると机の引き出しに入りきれないほど万年筆を集めるという具合だったようだよ。

ちなみに,本郷消防署の近くにあった「天満佐」は,私もよく訪れたんだけど,残念ながら,廃業して今は存在しません。


さらに,吉田直哉は続けて。

【・・・・・ いちばんの自慢の品は,留学したときドイツで爪に火をともして買ったという,ツァイスの双眼顕微鏡で,これは終生愛用しておりました。 ・・・・・

そして,これが日本海海戦のときに大いに役に立ったという話が好きで,何度も私に聞かせました。

ロシアのバルティック 艦隊 司令長官 ロジェストウェンスキーは,贅沢好きの男でありましたが,ツァイスの双眼鏡は持っておりませんでした。それが勝敗を分けた要因のひとつだ,と父は断言したのであります。】


北川知行,樋野興夫(編)『日本の科学者 吉田富三-生誕100年記念』(メディカルトリビューン社,2005)には,吉田富三にまつわるさまざまなエピソードが寄稿されています。

吉田富三の時代は,偶々学園紛争の時代と重なったんだ。当時学生であった北川知行博士(後に癌研所長)によれば,吉田富三は講義で学生に次のように話したということです。


【人間はロビンソン・クルーソーの様に孤島にひとり住んでいたのでは,良い人か悪い人かは判らない。人間社会の中に住まわせてみて初めてその性(サガ)が明らかになる。がん細胞もしかり。がん細胞は増殖して仲間が増えると,宿主にとって悪性であることが判るようになる。君達学生諸君も似たところがあるな。一人ひとり話をすると,常識もあり善良な青年に見えるのだが,学生自治会として集団行動をとると,変なことを云ったりしたりする。】

『肝発がん研究と人間 吉田富三のインパクト』,「吉田先生の講義」から引用


この頃の記録を読むと,吉田先生が学問だけでなく,実にユーモアに富んだ面白い人物だったことがよくわかるよ。



by yojiarata | 2014-01-25 22:46 | Comments(0)

小野田少尉 死す



ご隠居さん 今日はずいぶん昔の話のようだね。


***



確かに古いんだけど,大事な話だから,読んで(見て)ちょうだい。

今から20年前の2月,朝日新聞の「にゅうすらうんじ」に掲載されて写真です。私の切り抜き箱を急いで掻き回して探し出してきたんだ。

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1月17日の夕刊に,小野田少尉が亡くなったことが詳しく報じられているよ。

【フィリピン・ルバング島のジャングルで,太平洋戦争終了後も29年間,潜伏し,生還した元陸軍少尉の小野田寛郎(おのだ・ひろお)さんが16日午後4時29分,東京都内の病院で死去した。91歳だった。6日から肺炎のため入院していた。葬儀は未定だが,近親者で執り行う予定。

親族によると,小野田さんは生前から希望していた通り延命治療をせず,息を引き取ったという。】


*


小野田少尉の写真について語った江藤淳 (故人,享年66) のコメントは忘れがたいよ。今では忘れられた,嘗ての日本人の顔をそこに見て感動したと,テレビで話しておられたんだ。これには,私もハッとさせられたよ。私が当時の切り抜きを箱の中に後生大事に仕舞っていたのはそのせいだよ。


小野田寛郎
1922-2014
座右の銘 不撓不屈
享年91
合掌






by yojiarata | 2014-01-18 23:25 | Comments(0)

『ドリアン・グレイの肖像』 : 美 と 青春 と 老い



ご隠居さん 今日の話は,どんな風に拡がっていくの。

***


オスカー・ワイルド 『ドリアン・グレイの肖像』


君もそうだと思うけど,自分の本箱の中に,度々取り出して読むわけでもないのに,何となく気になる本があるでしょう。私の場合,それが岩波文庫 (西村孝次 改訳,第38刷,1992,絶版)の 『ドリアン・グレイの肖像』 なんだ。思いつくままに,ふと取り出して,パラパラとページをめくって,気になるところにちょっと目を通して,本箱に戻すんだ。

『ドリアン・グレイの肖像』 は,19世紀後半に活躍した オスカー・ワイルドが遺した唯一の長編です。ほかに,『サロメ 』 がよく知られているよね。

なぜ,『ドリアン・グレイの肖像』 を話題に取り上げたのかだって?

青春と老いを,こんなに鮮烈に対比させて書いた小説を私は他に知らないからだよ。


*



小説の粗筋をまとめておきます。


ドリアン・グレイは,穢れを知らない純粋無垢な魂を持つ美貌の少年だったが,快楽主義者のヘンリ卿に「若さがある間に若さを楽しむんだよ」とそそのかされる。画家バジルが描いた自分の肖像画は完璧なまでの美と若さにあふれており,それはドリアンを喜ばせもしたが,・・・・・ 。


ドリアンは自分の美の衰えを恐れる。ところが,彼は老けずに美しいままである。そのかわり,彼が年齢や悪徳を重ねると,バジルの描いたドリアンの肖像画が,その分だけ醜くなっていく。


舞台はロンドンのサロンと阿片窟。美貌の青年モデル,ドリアンは快楽主義者ヘンリー卿の感化で背徳の生活を享楽するが,彼の重ねる罪悪はすべてその肖像に現われ,いつしか醜い姿に変り果て,慚愧と焦燥に耐えかねた彼は自分の肖像にナイフを突き刺す ・・・・・ 。


きゃっという叫びと,ものの倒れる音がした。その叫びにこもる苦悶のすさまじさに召使い達はぎょっとして目を覚まし,部屋を抜け出した。 ・・・・・ 。


十五分もした頃,フランシスは御者と従僕のひとりをつれてそっと二階へあがっていった。ノックしても,返事がない。声をかけてみた。なかはしずまりかえっている。 ・・・・・ 。


なかへはいってみると,最後に目にしたままの主人のみごとな肖像が,えもいえぬ美と青春に輝きつつ,壁にかかっていた。床の上に,夜会服を着て,心臓にナイフを突き刺された男の死体が横たわっていた。しなびて,しわだれけで,見るも忌まわしい容貌だった。その指輪を調べてみて初めて一同はそれがだれであるかをしった。


小説『ドリアン・グレイの肖像』はここで,突然終わるんだ。

物凄く劇的な,印象に残る終わりだね。



*



補足として,岩波文庫版の解説(翻訳者の西村孝次による)より,引用しておくよ。

・・・・・ ドリアンは,自由と新しい人生のために,苦悶と焦燥に堪えかねて,この忌まわしいものを殺そうとする。殺さねばならない。やにわにかれはナイフを,かってこの画像を描いてくれた画家をあやめたナイフをつかむと,画像を刺す。と,かれは倒れて息絶える。それは哀れむべき老醜の姿であった。そして画像は ― 輝くばかりの若さと美に溢れていた。


オスカー・フィンガル・オフラハーティー・ウィルス・ワイルド (1854 ― 1900) はダブリンの名門の生まれ。男色を咎められて収監され,出獄後,失意から回復しないままに,パリの陋屋に窮死したそうだよ。死因は,梅毒による脳髄膜炎だったと言われているんだ。余談だけど,あの頃は,梅毒で命を落とす人が大勢いたみたい。シューベルトも犠牲者の一人だそうだよ。

オスカー・ワイルドが亡くなったあと,集まったのは,数人だけの淋しい葬儀だったと記録は伝えているよ。



*



ここまで書いて終わろうとした時,急に思い出したんだ。

何を?

映画のショッキングなラスト・シーンです。

映画 『アマデウス』 (Amadeus)が,1985年に日本で公開されました。君も観たでしょう。思い出したのは,この映画について,知人(私よりずっと年下の青年)が漏らした感想だよ。映画の最終場面で,モーツアルトの死骸を入れた「ずだぶくろ」を積んだ馬車から,その「ずだぶくろ」が,無造作にゴミ捨て場に投げ込まれるんだ。

知人の青年は,このラストを観た後,暫くの間,座席に座ったまま,茫然としていたそうだよ。


*


現在,書店で入手可能なものは,次の2点しかありません。古本でよければ,他にも,アマゾンで安価に購入できる本があるよ。


福田恒存訳 〈新潮文庫〉
仁木めぐみ訳 〈光文社古典新訳文庫〉。




by yojiarata | 2014-01-16 13:53 | Comments(0)

水と 氷の 季節



ご隠居さん 今日はまともな話題のようだね。

***


自分はいつもまともだと思っているんだけどね。

今回も,前回に続いて,自然現象を話題にします。不愉快な連中のことを思い出さなくてすむからね。


古代の人々 と 水



医学の祖であるギリシャのヒポクラテスが執筆した『空気,水,場所について』には,

正しい仕方で医学にたずさわろうと欲する人は,

次のようにしなければならない。

まず,一年の諸々の季節がそれぞれどんな影響をおよぼす力があるかを

考慮しなければならない。

・・・・・ それからまた,いろいろな水の性質にも考慮しなければならない。

水は味と重さに相異があるように,

それぞれの性質にもひじょうに相異があるからである。


ヒポクラテス 『古い医術について 他八篇 (小川政恭訳)』 (岩波文庫)



にはじまって,実にさまざまなことが書かれているんだ。紀元前に生きた人々も,水と健康の関係に深い関心をもっていたことがわかるよね。


水は,内外の文学作品にもしばしば登場するよ。『枕草子』には,

月のいとあかきに,川を渡れば,牛のあゆむままに,水晶などのわれたるやうに,水の散りたるこそをかしけれ。

清少納言 『枕草子』 (岩波文庫)

とあります。月が冴え渡った千年前の夜の静寂,川を渡る牛車の歩みとともに砕けて散る水の美の一瞬を,清少納言は見事に捉えていると思わないかい。


水の凍結



今では,冬が暖かくなったうえ,寒いといえばすぐに暖房に助けを求めるのがつねだから,寒さと季節の実感が薄くなってしまったようなきがするんだけど,昔と言っても,ほんの50年前は全く違っていたね。私の学生時代の東京の下宿では,朝起きると,銭湯帰りの手拭がパリパリに凍っていることがよくあったよ。君は,信じられないでしょう。ちなみに,当時の下宿代は一畳1000円が相場だったよ。つまり,私の下宿代は,4500円だったというわけだ。


永井荷風は,百年前の冬の東京を,日記につぎのように書き残しているよ。


大正六年(1917年)師走

十二月廿六日 .....この夜寒月氷の如く霜気天に満つ。未夜半に至らざるに硯の水早くも凍りぬ。


大正十二年(1923年)正月

正月二日 烈風暁に及ぶ。午に近く起出で顔を洗はむとするに,水道の水凍りゐたり。 .....

正月三日 晴天。寒気凛冽。水道午後に至るも氷猶解けず。 .....

正月十七日 厨房の水道鉄管氷結のため破裂す。 .....

斷腸亭日乗(岩波書店)



水道管が 破裂するのは 何故か



最近のニュースの天気予報では,寒くなるから,水道管の破裂にはご注意くださいといっているよ。

温度が下がれば,水がいずれ凍るのは自然なことです。しかし,水が凍ると水道管が破裂するのは何故だか考えたことがあるかい。

水道管が破裂するのは,水道管の中で水が氷に変化したために,体積が増えるからだよ。それでは,水は氷になると,体積が増えるのは何故なんだろうか。

温度が下がると,HO 分子同士の平均間隔が次第に詰まってくるよね。つまり,密度が上昇するはずです。言い換えると,温度が下がると水の体積は減少の一歩を辿るはずだよね。

ところが,水の場合には,実際にはそうなっていないんだ。

温度と密度の関係をハンドブックで調べて,図にしてみるよ。水の密度は,温度が下がるにつれて,実に奇妙な変化をしているでしょ。10℃ から 0℃ までの変化を見ると,水はどんどん膨らんで,体積は約 4℃ (正確には,3.98℃) で最大になるんだ。


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改訂4版化学便覧・基礎編II(日本化学会編,丸善,1993)に掲載されているデータをもとに,
筆者が Excel 2010 を用いて作成



通常の液体の場合には,温度の低下とともに,密度は上昇を続け,すなわち,体積が減少するんだけれど,水の場合には,事情がまったく異なります。10℃ から 0℃ までの密度の変化をみると,水の密度は温度とともに 0℃ になるまで,奇妙な変化をしているよ。体積は,減少するんじゃなくて,逆に,ごく僅かだけと,膨らむんだ。

次に,水が氷に変っていく経過をまとめてみるよ。

水の凍結


水は,化学で教わるように,1個の酸素原子と2個の水素原子が,H-O-H のようにつながったHO 分子が無数に集まってできています。水の状態では,HO 分子は,前に書いたように, 優雅に舞を舞っているんだ。

温度を下げていくと,通常,物質は “ 身がひきしまって”,密度は大きくなると 直感的に考えるよね。この点は,自然界に存在する大部分の物質の場合には正しいけれど,水の場合には,逆のことが起るんだ。

温度が下がって,3.98 ℃ になると,それまで,優雅に舞を踊っていた HO 分子は,一斉に立体的に規則的に整列して,氷になるんだ。こうしてできた氷は,HO 分子同士の間が, ” つっかい 棒 ”で隔てられて,近づけない構造になっているんだ。

”つっかい 棒” とは何ぞやだって?

そうか。君は,現代アパートの人間だからね。時代劇のテレビ・ドラマを見ていると,しょっちゅう出てくるよ。入口の戸を,棒を使って開かないようにしているでしょ。あれが ”つっかい 棒” です。

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氷における水分子の配列(大きな黒丸は酸素原子,小さな黒丸は水素原子)
酸素原子の間に存在する2個の水素原子が,”つっかい棒”の役割をしている



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氷における隙間だらけの水分子の配列



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氷の構造・イラスト



もっと詳しいことを知りたかったら,以前私が書いたやや専門的な水の記事 水の変容 Ⅱ を読んでください。


何故,3.98℃ なのかだって?

今のところ,” ワカリマセン ” というしかないね。水分子同士の間に働く力,個々の水分子の運動の熱エネルギーなどのバランスによって,この温度が決まるんだ。だから,理屈の上では,計算によってはじき出すことが出来ることになるけど,現状ではとても無理だね。あまりに複雑な計算になるからね。いつの日か,挑戦する人が出ないとも限らないけど。


要するに,水が氷になると,“ 身がひきしまる ” どころか,中身に隙間ができ,その結果,体積が膨らむんだ。氷の密度は,0. 917 (g/cm3) です。大まかに言って,100 ミリ リットル の水(0℃)が 氷になると,110 ミリ リットルに膨張するのです。この10% にも及ぶ膨張のために,水道管が破裂するのです。


水は なぜ表面から 凍結するのか?


高原の湖では,冬になるとスケートを楽しむことができます。しかし,湖が全面結氷といっても,水が底まで全部凍っているわけではありません。それが証拠に,大勢の人が氷に穴をあけてワカサギ釣りなどを楽しんでいます。

それでは,湖の水はなぜ表面から凍りはじめるのでしょうか。逆に,底から凍りはじめるとすると,湖の水全体が氷にならない限り,スケートはできません。そうなると,ワカサギは生きていくことができませんから,ワカサギ釣りもできなくなるでしょう。

冬になり,気温が下がってくると,湖の表面の温度が次第に下がってきます。かりに,気温が 4℃ だったとしましょう。もともと,表面の水の温度は,底の水の温度に比べて低いわけですから,温度に勾配が生じます。ところが,4℃ の表面の水は,それよりも温度の高い底の水に比べて密度が高いため,表面の水と,底の水の間で対流が起こります。気温が 4℃ のままでとどまっていると,理屈の上では,長い時間ののちには,表面も,底も,4℃ になって,循環が止まるはずだよね。


 水の性質と 生物の生存


つぎに,この状態を経過した後,気温が下がって,0℃ になったとします。この場合にも,湖の水は表面から温度が下がるけれど,0℃ の水は,4℃ の水よりも密度が低いために,そのまま表面にとどまるんだ。4℃ より高い温度の場合と違って,池の水が対流を起こして,温度が均一になることはないよ。言い換えると,表面の温度が 0℃ になった場合には,表面が冷たく,底が温かい状況が保たれることになるんだ。


4℃ から 0℃ に至る間の密度は,0.999972(4℃) から 0.999840(0℃) に変化するに過ぎず,その差は値としては非常に小さいけれど,この僅かの差こそが,現在,われわれが暮らしている地球での生物の営みを可能にする本質的な鍵なんだ。

これまで述べてきた水の特異な性質は,大げさに言うと,地球に住む生物のありようを決める決定的な要素なんだよ。




by yojiarata | 2014-01-13 20:40 | Comments(0)

二人が中に降る涙 川の水嵩も増さるべし



ご隠居さん 今日は一体,何を話すつもり。

***


ま ゆっくり話を聞いてよ。最近,不愉快な輩の横行で,楽しくないことが多いから,今日は,気分を変えるために,日本の自然の美しさを書くことにしたんだ。

春となれば,霞が棚引く。夏山から雲海を見おろす。奥山に分け入れば,霧が音を立てて流れる。晴れ渡った冬の里に風花が舞う。日本ほど,四季の変り目を身の回りに感じる国は,世界でも少ないよ。

年が明けて1月になると,全国から,雪や氷の話題が届くよ。


美しき 天然


『美しき天然』 (うるわしきてんねん) は,1902年に作曲された日本の唱歌。作曲者は,当時の日本海軍・佐世保鎮守府(長崎県)で軍楽長を務めていた田中 穂積(たなか ほづみ) (1855 -1904)。作詞者は,滝廉太郎作曲『花』の作詞で知られる詩人・武島 羽衣 (たけしま はごろも)  (1872 -1967)。『美しき天然』のために武島が新たに書き下ろした歌詞ではなく,既存の詩集から転用されたものだそうです。

二番は,次のようになっているよ。



春は桜のあや衣

秋はもみじの唐錦(からにしき)

夏は涼しき月の絹

冬は真白き雪の布


見よや人々美しき

この天然の織物を

手際見事に織りたもう

神のたくみの尊しや



日本人と水


大槻文彦著:『新訂大言海』(冨山房,昭和31年) の“みづ”の項には,つぎのように記されているよ(引用の一部を省略)。

水[此語、清濁両呼ナレバ、満(ミツ)の義カ、終止形ノ名詞形ハ、粟生(アハフ)ノ類、水ノ神ノ罔象(ミヅハ)、美都波(ミツハ)(神代紀、上十)アリ](一)流動物。所在ノ地ヨリ沸キ出ヅ。空気ト共ニ、最モ人ニ要アリ、熱ニ遭ヘバ、湯ト成リ、気ト成リ、寒サニ遭ヘバ、氷ト成ル。(二)酒ノ稱。(酒ハ米ノ水ナレバ云フ)萬葉集十六十三「味飯ヲ、水ニ醸ミ成シ、吾ガ待チシ、代リハゾナキ、タダニシアラネバ」(略解ノ訓)水にするトハ、流ス、無クスルコト。叉、休マスルコト。(相撲ニ)水にゑがくトハ、映リ、忽チ消ユノ意。水に流すトハ、拭フ、白紙トスル意。叉、忘レ去ルコト。水を汲むトハ、凧ニ云フ語、スクフ状ヲ云フ。水の泡トハ、極メテ消エヤスク、ハカナキコト。水も漏らさずトハ、少シノ間隙モナキニ云フ。叉、交リ極メテ親シ。情密 伊勢物語、第二十八段「ナドテカク、逢フコガタミニ、ナリニケン、水もらさじト、結ビシモノヲ」水を差すトハ、人ノ濃キ中ニ、水ヲ加ヘテ薄クスル意ニテ、中違(ナカタガヒ)セシム。水の垂るトハ、極めて麗ハシキ意。


国技・相撲の水は,平安朝の宮中行事のにすでに記録されているそうだよ。「水をつける」,「力水」,「水入り」などの言葉とともに,水は相撲の歴史とともにあったんだ。

日本人なら,水とともに,鴨長明を思い浮かべるに違いないし,魚も泪した芭蕉の晩春の千住の旅立ちを忘れることはできないんじゃないの。


曾根崎心中  徳兵衛・おはつ  道行


『曾根崎心中』 のことを思うたびに,直ちに次の件が頭に浮かぶんだ。


此の世(よ)の名残(なごり)。 夜も名残(なごり)。 死(し)にゝ行(ゆ)く身を譬(たと)ふれば あだしが原(はら)の道の霜(しも)。一足(あし)づゝに消(き)えて行(ゆ)く。 夢(ゆめ)の夢(ゆめ)こそあはれなれ。

あれ数(かぞ)ふれば 暁(あかつき)の。 七つの時が 六つなりて 残(のこ)る一つが今生(こんじょう)の。鐘(かね)の響(ひびき)の聞(きゝ) 納(おさ)め。寂滅為楽(じゃくめつゐらく)と響(ひび)くなり。鐘(かね)斗かは。 草(くさ)も木(き)も。空(そら)も名残(なごり)と 見上(あ)ぐれば。 雲(くも)心なき水の音(をと)。 北斗(ほくと)は冴(さ)えて 影映(かげうつ)る 星(ほし)の妹背(いもせ)の 天(あま)の川(かわ)。梅田(むめだ)の橋(はし)を鵲(かささぎ)の 橋(はし)と契(ちぎ)りていつまでも。われとそなたは女(め) 夫星(をとぼし)。必(かなら)ず添(さ)うと縋(すが)り寄(よ)り。二人が中(なか)に降(ふ)る涙(なみだ) 川(かわ)の水嵩(みかさ)も増(ま)さるべし。


『曾根崎心中 冥途の飛脚 他五篇』
近松門左衛門作 祐田善雄校注
岩波文庫 43ページ
曾根崎心中(下巻) Ⅰ 道行


水をこれほど大げさに,かつ情感をもって描いた人を私は知りません。水のこんな発想は,西洋の論理からは決して出てこないと思うよ。水を深く考えれば考えるほど,日本と西洋の対比に考えが向くよ。先人の言葉に耳を傾けるとき,三十一文字の国・日本を実感するんだよ。


*



付け加えておきたいことがあるよ。私が20年近く前に書いた『水の書』(共立出版,1998)のなかで,曾根崎心中の道行の場のことにほんの少し触れました。当時,私は文楽なるものを一度も見たことが無かった,つまり,曾根崎心中を,紙の上の,音のない世界で2次元的にしか理解していなかったんだ。それで,これはまずいと考えて,ちょうどその時,国立芸術劇場で上演されていた曾根崎心中の実物を聴いて,自分の知識を3次元化したんだ。太鼓など,独特の音の響きに納得しました。今でも,あの音は耳に残っているよ。




by yojiarata | 2014-01-10 22:02 | Comments(0)

最後の診断



ご隠居さん 今日は何の話。何だか厳めしい題名だけど。

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近年,がんの診断技術の進歩し,がんの治療に大きく貢献しているんだ。だけど,診断が困難な場合が,まだまだあるんだ。これから,その話をします。

まず,年が明ける前の12月8日に書いた  がん [巻の一]  癌 と がん  の内容を思い出してほしいんだ。

念のために,大事なところをまとめておきます。


*



癌 と 肉腫


上皮から発生する癌に対し,ストローマ(悪性腫瘍に栄養を供給している組織の総称,登山する人のためのベース・キャンプのようなものです),非上皮組織(骨,軟骨,血管,筋肉,神経など)から発生する悪性腫瘍を肉腫とよびます。

人のからだの至るところから悪性腫瘍が発生します。しかし,はっきりといえることがあります。それは,結合組織や支持組織など,体の表面に露出していない ” 内側 ” の組織からも悪性腫瘍は発生するけれど,ほとんどの悪性腫瘍は,体の ” 表面 ” にある上皮組織から発生するという「経験的事実」です。

経験的には,肉腫は癌に比べて発生頻度が圧倒的に低いことが知られています。成人の場合,悪性腫瘍のなかで肉腫の占める割合は10%をはるかに下回ります。しかし,小児に限っていえば,何故か,肉腫は悪性腫瘍全体の15-20%に達します。
 


骨肉腫  少年を襲う悲劇


骨肉腫は,小児から思春期にかけて発症する肉腫です。20歳を過ぎると骨肉腫が発症することはありません。この事実は人間の成長と関係しています。若い頃は身長を伸ばすために,骨の細胞がどんどん増殖します。この段階で細胞の増殖に何らかの間違いが起こると,骨の細胞が肉腫に変わってしまうことがあるのです。代表的な骨肉腫は膝に発生します。15歳前後の男性に多いという統計データがあります。骨肉腫はまた,診断が非常に難しいがんとして知られています。

私が骨肉腫の悲劇を最初に知ったのは,仕事でアメリカに滞在していた1970年代の始め,エドワード・ケネディー上院議員(故ジョン F.ケネディー大統領の末弟)の長男・テッド・ケネディー・ジュニア(当時12歳)が右足に痛みを訴え,バイオプシーによって骨肉腫と診断された翌日,右足の切断手術を受けたという新聞記事です。ケネディー家をまたも襲った悲劇としてメディアが大々的に報じましたのでよく覚えています。その後,テッド・ケネディー・ジュニアーは骨肉腫が再発することなく,ヘルスケア専門の弁護士として,がんを含め障害に苦しむ人々とための社会的活動を活発に行っています。

骨肉腫の危険領域の年齢の患者の膝が腫れてくるとまず骨肉腫を疑います。ストローマのなかには多数の血管が待ち受けているため,骨肉腫細胞はすぐに血管に入り,血流に乗って転移します。そうなれば,行き先はまず肺です。

自分では気がつかないようなごく軽い骨折を起こしていて,そこが多少腫れている場合,骨肉腫と誤診されることがあります。骨折すると,新しい骨細胞がどんどん作られ,この骨細胞がコラーゲン線維を作り始めます。骨折部位にコラーゲン線維が沈着した状態を仮骨といいます。やがてここにカルシウム(正確には,カルシウムのリン酸塩の一種であるハイドロキシアパタイト)が沈着してきて,骨折が完璧に治癒します。これは正常の場合です。

ところが骨肉腫細胞は,ただコラーゲン線維を作るばかりで,カルシウムは沈着してきません。完全な骨を作る意志がまったくないからです。正常人が骨折した場合には,次々に作られる骨細胞が,折れた骨を元通りに修復しようとする目的意識をもって並んでいます。ところが,骨肉腫の場合には,むやみやたらに,目的もなく自分勝手に細胞を作っているだけです。合目的的である骨折の治癒と,ムチャクチャをやっている骨肉腫の増殖との差とでも考えればよいでしょうか。細胞の並び具合をみて,“ どうも骨折を治す意志がない ” と結論したら骨肉腫と診断すると専門家はおっしゃいます。


眼光紙背に徹す


バイオプシーはメスで疑わしい組織を切り採る手術です。バイオプシーは,子宮でも,乳房でも,胃でも,腸でも,前立腺でも行われます。バイオプシーは簡単といえば簡単ですが,手術に変わりはないため出血を伴います。このあと引用するアーサー・ヘイリー『最後の診断』(永井淳訳,新潮文庫,1975,209-211ページ)には,骨肉腫の疑いのある患者のバイオプシーの様子が生々しく描かれています。これは疑いもなく大変な手術です。

がん診断の技術が大きく進歩した現在でも,手術に踏み切るか否かの最終的な判断は病理学者に委ねられます。骨の組織を35年も見続けてこられた町並(まちなみ)陸生(りくお)博士(東京大学医学病理学教室)の “宿題講演” を聴くため,私は日本病理学会(東京,平成8年4月24日)に参加しました。この講演は,町並博士が長年の研究結果をまとめられたものでした。講演の抄録のむすびに,町並博士は,

≪骨・関節腫瘍の病理診断にあたってはHE標本(ヘマトキシリン・エオジン色素によって組織を染色した標本,筆者注)を十分に観察し,“眼力”を養うべく精進することが最も重要であり……≫

と書いておられます。35年の結論が眼力(がんりき)だとおっしゃるのです。“ 細胞をじっくり見て,長年の経験に照らして診断する ” という意味だと理解しました。この講演は大変に教訓的で,私は深く感銘を受けました。


 ある骨肉腫患者の物語 


イギリス生まれの作家で,主にアメリカのカリフォルニアで活動し,のちに税金対策のためバハマに移住したアーサー・ヘイリー(Arthur Hailey, 1920-2004)が残した数々の小説の中に『最後の診断』(永井淳訳,新潮文庫,1975)があります。ここには,19歳の女性看護学生の診断を巡って,二人の病理学者の見解が分かれ,長老の病理学者によって最後の診断がくだされる場面が描かれています。良性か悪性かの判別について知るうえで参考になると考えるので,若い病理学者・コールマンと長老の病理学者・ピアスンが意見を交わす緊迫の場面をつぎに引用します。

《スライドは全部で八枚あり,コールマンはそれらを順にのぞいてみた。ピアスンが彼の意見を求めた理由がすぐにわかった。それは判定のきわめて困難なすれすれのケースだった。ようやくかれはいった。「ぼくの考えは,“良性”です」
「わたしは悪性だと思う」と,ピアスンは静かにいった。「骨肉腫だ」

・・・ 病理学は正確に割り切れる科学ではなかった。それによって答えが正しいとか間違っているとかを証明できる数学的な公式があるわけではなかった。病理学者が時おり与えることのできるのは,熟慮の末の判定だけだった。・・・
(下線は筆者による)


彼にはピアスンのためらいが理解できた。老人には最後の診断をくだす責任があるのだ。・・・ コールマンはいった。「もちろん,あなたの考えが正しくて,これが骨肉腫だとすれば,切断ということになりますね」・・・ 》


悪性か 良性か


病理学を専門とする友人によると,骨折か骨肉腫かの区別は,あらゆる悪性腫瘍の診断の中で最も困難な診断の一つです。もう一つの例を挙げれば,胃の「びらん」と胃がんの区別だということです。

『最後の診断』の原著が出版されたのは1959年ですが,病理学者による診断が “ 最後の診断 ” である点は,現在も変わっていません。病理学が専門の友人の意見を聞いたところ,この小説に登場する医師達は,病理学的にいって大変正確に描かれているということです。




by yojiarata | 2014-01-09 15:40 | Comments(1)

人と言葉



ご隠居さん 改まって何の話。

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平成26年1月10日 追補


昨日の新聞記事の話です。私が,最近書いてきたことを振り返りながら読んでほしいんだ。私の記事にリンクを張っておくよ。ちなみに,このブログの 「人と言葉」という題は,学生時代に読んだフルトベングラーの著作『音と言葉』の響きの連想で無意識のうちに付けたような気がします。


「行く先は我々が決める」


安倍政権の本質 を露(あら)わにしたのが 「デモはテロ」 という石破幹事長の発言だった。国政の中枢にある人が主権在民の原理を理解していない。

間違えないでほしいが主人は我々。我々があなたを雇ったのだ。
 

池澤夏樹(朝日新聞,1月7日夕刊,3面より,下線は筆者による)


靖国神社参拝を強行した 総理大臣の逆噴射 も思い出しながら,読んでてちょうだい。


「会談見通しなし」


「馬には乗ってみよ,人には添うてみよ,との言葉がある。チャレンジする気持ちが大切だ」。安倍首相は6日の会見で経済政策中心に取り組む考えを表明し,こう意気込んだ。だが、2012年12月の首相就任以来,模索してきた 中韓両国との首脳会談 について問われると,「現時点において見通しがあるわけではない」と認めざるを得なかった。

安部首相(朝日新聞,1月7日朝刊,3面より)


首相の考えは「都合のいい労働力」


本日1月10日の記事(上野千鶴子(東大名誉教授〈ジェンダー研究〉,朝日新聞,第4面)を追加します。

安倍首相が掲げる「女性活用」には,女性を労働力として活用したいが,つごうよく使いたいというもので,女性の権利を守るという姿勢はない。少子化で労働市場が逼迫(ひっぱく)すれば,女性は最後の資源。能力のある女性は男並みに総合職で使い倒し,家庭責任のある女性は非正規雇用で使い捨てるというやり方だ。

日本は,国連女性差別撤廃委員会から,選択的夫婦別姓の導入や婚外子差別の撤廃などを速やかに実施するよう長期にわたって勧告を受けてきたが,自民党はネグレクト(無視)してきた。特に安倍政権は歴代政権のなかでも最右翼のタカ派で,「家族は国家の礎」という意識が強い。強行採決した特定秘密保護法を見ても,かつて自民党にあったリベラルの幅がなくなってきた。

国会の女性議員比率の向上も,政党候補者の比率を上げれば,公選法改正などをしなくても達成できる。それすらやらない安倍首相が,企業に対して「役員に女性を増やせ」と言うのは越権行為だろう。


おわり

by yojiarata | 2014-01-08 10:42 | Comments(0)

天に代わりて 不義を討つ



ご隠居さん 1月3日のブログの続きを書くつもり。

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そうじゃないんだ。2回続けて戦争の時代を書いたので,軍国少年だった私が,その頃耳にしたことばが頭に浮かんだだけだよ。今日の話は,戦争とは,関係ありません。


追記 1月25日



大講堂の授業の経験


私は,大学の理科に進んだけれど,理科の学生にも,「経済学」,「社会思想史」,「法学」などの単位を取ることが義務付けられていたんだ。

もっとも単位取得が危なかったのは,「社会思想史」。試験問題は今でも覚えているよ。

曰く 【マックス・ウェーバーについて述べよ。】

これには困ったね。頭のなかにある断片的知識をメチャメチャに取り出して書きなぐったものだから,”追試” にされても何の文句も言えないところだけど,成績は ”可” で危うく危険を脱したんだ。

どうも何十年も前のことが気になっているとみえて,この間本箱を整理していると出てきたよ。


プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(上,下,岩波文庫)


悔しいから,読み始めたけれど,さっぱりわからいことは昔と同じなんだ。


***


インカム・アプローチ


次に「経済」

これがまた難題だったよ。何百人も入る大講堂で講義があるんだ。私は到着する頃には,部屋の7割以上が埋まっていました。座る場所が後ろだから,教師の喋っていることがほとんど聞こえないんだよ。60年近くも前のことだから,マイクもないしね。耳を澄ましてよく聞いていると,”インカム・アプローチ”という言葉だけが聞き取れたよ。マイクが無いんだから,浪曲で いう ”胴声” でやってもらはなきゃ困るよ。 

インカム・アプローチ,調べようにも,インターネットなどもない時代,どうにもお手上げだったんだ。

前の座席に座って聞いていれば,多少は理解ができたんだろうと思うけどね。

ある日,前のほうの席がいつも埋まっている理由がわかったんだ。

教室に入ると,教壇の上に,カバンが山積みされていたよ。当時は,学生は,生協で買った角帽をかぶり,同じく生協で買った黒い鞄を持ち歩いていたからね。

当時キャンパスには,高校の頃から使われている尞があって,そこに大勢の学生が住んでいたんだ。朝,朝食の前に,尞生たちはカバンをもって前のほうの座席に置き,後で悠々と講義室に現れて講義を聴いていたんだ。

以上が「カバン山積」事件の真相です。” ねずみ小僧 ” のような義賊の快挙だったよ。

義賊は,黒板に大きな字で 天に代わりて 不義を討つ と書き遺してその場を去ったんだ。

インカム・アプローチもやはり,意味不明のまま,試験を迎え,「社会思想史」の場合と同様,メチャメチャな答案を書いて,これも危うく”可”


天に代わりて 不義を討つ


日本の軍歌。大和田建樹作詞で1904年(明治37年)7月に発表されたんだ。一番から九番まであるよ。

作詞 - 大和田建樹
作曲 - 深沢登代吉


1.出征

天に代わりて不義を討つ

忠勇無双の我が兵は

歓呼の声に送られて

今ぞ出で立つ父母の国

勝たずば生きて還(かえ)らじと

誓う心の勇ましさ


昭和初期から第二次世界大戦の敗戦まで,出征時の壮行歌や凱旋時に必ずと言ってよいほど主に1番を中心に盛んに演奏され,歩兵の本領と同じく行軍中にも盛んに歌われたと聞いているよ。


ともあれ,文系の授業には苦労をしたよ。だけど,今頃になって,私の大いなる反省をもとにして言うけれど,理系の学生も入学直後の段階で,文系の話をしっかり聞くべきだと思っています。

60年後の今は,どうなっているのか知りません。英語ブームもいいけれと,人間の成長には,バランスのとれた食事,バランスのとれた教養が必須だよ。

英語については,そのうち書きたいと思っています。







回想のインカム・アプローチ

大石 泰彦さん(おおいし・やすひこ=東京大名誉教授)16日,心不全で死去,91歳。葬儀は近親者のみで行った。喪主は妻満智子さん。

専門は近代経済学。著書に「経済原論」など。

平成26(2014)年1月25日 朝日新聞朝刊 社会面 38面より
by yojiarata | 2014-01-03 20:33 | Comments(0)

実録 いつか来た道  巻の二



ご隠居さん 「巻の二」 ということは,「巻の一」 の続きを書くつもりなの。


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必ずしもそうではないんだけど。 ま 読んでみてちょうだい。前回と同様, 昭和史全記録 の記事を引用するよ。



風雲急を告げる戦局


昭和18(1943)年2月1-7日

ガダルカナル島から夜陰に乗じ撤退作戦を完了。

この頃から,日本は連戦連敗,なすすべもなく敗戦に向かっていったことは,君も知っての通りだから,これ以上は書かないことにするよ。

それに代わって,” 銃後 ” の守りを固めた婦人たちと少国民の体験をできるだけ克明に,再現していきたいと思います。


銃後を守った人々



国民学校令


昭和16(1941)年

3月1日

国民学校令を公布。今までの小学校がどう変るか - 。

第一 名称を国民学校と改めた。

・・・・・

3月26日

小学校,公学校を廃止して国民学校に一本化する台湾教育令を改正公布。

3月31日

朝鮮総督府,国民学校規定を公布。朝鮮語の学習廃止。


甘いもの一月一円分


6月

東京府市当局では,ドロップ,キャラメル,ビスケットの切符制を決定,七月から実施する方針。当局の案によると切符の配布を受ける対象は,満十四歳以下の子供で一人に対して五銭券の切符二十枚綴を配布,一人一ヵ月一円だけ希望によってドロップでもキャラメルでもビスケットでも買うことができる仕組。


四十歳以下は丸刈り


9月8日

産業報国会西陣支部では産報運動を実践的たらしめんため男子四十歳以下は全部丸刈を励行,その余分を貯金或いは日本赤十字社に入金する等申合せ実行することになった。(京都日出)


昭和17(1942)年

1月20日

衣料切符制

衣料切符制発令で繊維製品の販売や移動が禁止となり,初の違反者が発覚。・・・・・

5月12日

指定施設のみに適用される金属回収令第六条が発動され,実施。


7月12日

朝日新聞社が全国中等学校野球大会中止を発表。


10月19日

スフ,純毛を抜く

弱い,弱いと非難の的だった「国策の子」スフが遂に純毛を凌ぐ強さに成長した。


「愛国百人一首」


10月22日

万葉から幕末までの秀歌から,特に日本精神を詠ひあげたもの百首を選ぶ「愛国百人一首」は,文学報国会が情報局,翼賛会の後援を得て一般からその推薦を求めていたが, ・・・・・ 推薦応募歌は約七万種に達し
・・・・・

最も応募の多かった歌としては ・・・・・

君がため 世のため 何か惜しからむ 捨ててかひある 命なりせば(奈良親王)


欲しがりません勝つまでは


11月15日

大政翼賛会と新聞社共催で「大東亜戦争一周年・国民決意の標語」を募集。締め切りは十九日までの四日間であったが,三十二万あまりの応募があった。入選十点(賞状と副賞百円の公債)はつぎの通り。


さあ二年目も勝ち抜くぞ

・・・・・

欲しがりません勝つまでは


「欲しがりません勝つまでは」 は,お腹を空かせて,お菓子も何もない 我々 " 少国民 " には何とも辛く,今でもよく覚えているよ。


昭和18(1943)年

戦局の悪化(アッツ島守備隊玉砕など)が連日報じられる中,国民の生活にとっても,信じられないことが続々と起こったよ。


2月3日

二月分の菓子配給に関して,大人は遠慮して幼児と老人に重点的に配給されることになった。


撃ちてし止まむ


3月10日

第三十八回陸軍記念日,陸軍省では戦意高揚のため決戦標語「撃ちてし止まむ」のポスター五万枚を配布。日劇には金丸重嶺氏が撮影した百畳敷写真が掲載された。
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4月3日

銀座の街路灯回収

銅鉄回収で銀座の街路灯も応召。銀座通連合会の人々により,撤去式が挙行された。


洗濯石鹸で洗顔



5月18日

商工会が浴用石鹸(化粧)の規格を変え洗濯石鹸と同成分,南方からの椰子油ので作ることを官報で告示。生後一年以内の赤ちゃんのみに「じゅうらいの浴用石鹸を一月一個ずつ,(公)十銭で特配。


8月13日

新内流し廃止

邦楽教会では,徳川時代から色町,盛り場を哀調こめて流し歩いた新内流しを廃止することを決定。現在五百六十人いる流しの転業については同協会が斡旋。


猛獣類の「処分」


9月2日

上野動物園では,大達東京部長の命により空襲で猛獣が逃げ出し人に危害を加える恐れがあると,ライオン,トラ,ヒョウなど二十七頭を毒殺。ゾウはエサを与えず餓死を待ち,三十日かかった。猛獣の死後,上野動物園には,「動物を殺させた米英を討とう」という投書が多数きた。


9月3日

大阪市立天王寺動物園でも猛獣類をすべて処分することに方針が決定され,園長に処分命令が出された。


9月4日

上野動物園で供養式。


9月21日

陸軍省では兵役法施行規則を改正し五年以前の徴兵検査の第二国民兵も召集し,学生の一般徴兵猶予を停止すること決定。


昭和19(1944)年

竹槍訓練


8月4日

国民総武装,閣議決定。竹槍訓練始まる。


***


銃後の守りは,とくに我々子供にとって,辛かったけれど,お菓子は食べらなかったけれど,お腹を毎日空かしてたけれど,近くには,自然があったよ。毎日のように川で泳いで,自然と共に鍛えた体は,現在,超後期高齢者になった私の掛替えのない財産です。


      
ここで ひとまずおわり

by yojiarata | 2014-01-03 00:12 | Comments(0)