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モロッコ の 砂漠 を 行く



ご隠居さん どうかしたの 元気がないけど

***


いよいよ,安倍独裁政権が,牙を剥いて暴れだしたよ。

テレビや新聞で報道されているでしょ。特定秘密保護法案が26日夜(つい先),衆院本会議で採決が行われ,自民,公明両党の与党とみんなの党の賛成多数で可決,参院に送付されたよ。こんな大事なことが,あっという間に決まってしまったね。

衆議院,参議院ともに過半数,強引に事を運べば何でも通る,NHKの経営委員会も自分のものにしたから,これからは遣り放題だよ。

君,これでも元気が出るかい。


*



突然,思い出したことがあるんだ。それは,学生の頃に観た古い映画 『 モロッコ 』 のラストシーン。

監督 ジョセフ・フォン・スタンバーグ

出演 マレーネ・ディートリッヒ,ゲイリー・クーパー

製作会社,配給 パラマウント映画

日本公開 1931年2月25日


遊び人の伊達男(ゲイリー・クーパー )と酒場の女(マレーネ・ディートリッヒ)の恋物語なんだけど,最後に,ゲイリー・クーパーが,勝手に「外人部隊」に加わって,砂漠を進む。「外人部隊」は,砂漠を行軍するための十分な準備を整えている。そのあとをマレーネ・ディートリッヒが何かを叫びながら,走って追いかける。靴を脱いで,脱いだ靴を手に持って,裸足でね。熱暑の砂漠だよ。そこで,映画は突然終わるんだ。この印象的なラストは忘れがたいよ。

何でこんなことを思い出したのかって? 散々好き勝手なことをして,外人部隊の一員として意気揚々と砂漠を進軍するゲイリー・クーパーと「現政権」のボスが,私の頭の中で重なったんだろうね。一途な思いで,なすすべもなく外人部隊を追いかけていく「大多数の日本国民」を,つらい思いで連想したんだろうね。


何度も言うけれど,怖い世の中になってきたね ・・・・・



未完

by yojiarata | 2013-11-26 22:15 | Comments(0)

まだ 最高裁が あるんだ



ご隠居さん 最高裁だなんて,急にどうしたの。


***


一票の格差


「急にどうしたの」 どころの騒ぎじゃないでしょう。

昨日,国民が注目していた ”1票の格差” に関する最高裁判所の判決をテレビでみたんだ。君は見なかったの?

目(耳)を疑ったね。判決の内容は,情けないことに ”十年一日のごとし” だったよ。残念を通り越して,涙が出たよ。

テレビで見ると,最高裁判所の大法廷に,ボスを中心に,大勢の裁判官が,横1列に,もっともらしい顔をして並んでいたよ。だけど,もっともらしいのは外見だけじゃないのかね。全員,むかしは立派な経歴の秀才だったんだろうけれどね。

司法,行政,立法が独立の三権分離が民主主義の基本であることぐらい,学校で教わったよ。

だけど,現実は,結果においてそうなっていないんじゃないですか。少なくとも,日本では,最高裁の判決で,世の中がひっくり返ったなんて話は,聞いたことがないからね。今回の判決も例外じゃないよ。” 阿吽の呼吸 ” というものがあるでしょう。ともあれ,政権与党にとっては,大喜びの ”祝杯もの” だったろうね。


映画 真昼の暗黒


こんなことを考えているうちに,怒りとともに,むかし観た映画 『真昼の暗黒』 (今井正監督,橋本忍脚本,1956年公開)を思い出したんだ。

原作は,「八海事件」 を題材にしたノンフィクション正木ひろし『裁判官-人の命は権力で奪えるものか』。映画タイトルは,ソ連での自白強要と粛清の惨状を詳述したアーサー・ケストラーの同名小説からとられたそうです。
アーサー・ケストラー『真昼の暗黒』(1940,中島賢二訳,岩波文庫)

映画 『真昼の暗黒』 は,1951年に実際に起きた冤罪事件を描いた日本映画史に残る傑作だよ。

「キネマ旬報」日本映画監督賞・ベストテン1位,「毎日映画コンクール」日本映画賞・脚本賞,「ブルーリボン賞」作品賞・脚本賞・ベストテン1位など。

映画の最後の場面で,死刑判決を受けた主人公(草薙幸二郎)が,後ろ髪を引かれる思いで拘置所の面会室を去る母(飯田蝶子)に,二人を隔てる鉄格子を掴んで,「母さん,まだ最高裁があるんだ!」と叫んだところで映画は突然終わるんだ。このラストシーンは,観客に強烈な印象を残したよ。

インターネットでみると,「まだ最高裁があるんだ!」 は1956年の流行語にもなったそうだよ。

一般庶民は,これほど最高裁の存在を頼りにしているんだよ。


映画 夫婦善哉


森繁久彌,淡島千景が主演した『夫婦善哉』 (1955)を思い出したよ。

グータラ亭主 (森繁久彌)が,嫁さんの淡島千景に何度も言うセリフ。

”頼りにしてまっせ”



不肖・荒田洋治のお願い:最高裁のひな壇に並んでおられる大勢のおじさま,おばさま。

”頼りにしてまっせ”




映画 天国と地獄


『真昼の暗黒』 のラストシーンにそっくりな場面をそれから7年後に見たよ。黒澤明演出の 『天国と地獄』 です。

犯人・竹内(山崎務)の死刑が確定し,誘拐事件の被害者・権藤(三船敏郎)は,竹内の希望により面会することになる。最初こそ不敵な笑みを浮かべながら語る竹内が,そのうちに体の震えが止まらなくなり,ついには金網に掴みかかり,何やら喚くんだ。竹内は刑務官に取り押さえられて連行され,2人の間に,『真昼の暗黒』 と全く同じように,突然,シャッターが下ろされ映画は終わるんだ。

黒澤は,7年前の映画を観たんだろうか。大変興味があるね。観ていないはずはないと思うんだけど。


【追記】


最高裁判所について,ウェブをみると,こんなことが書いてあるよ。


1) その長たる最高裁判所長官1名と最高裁判所判事14名からなる

2) 最高裁判所長官は内閣の指名に基づき天皇が任命,最高裁判所判事の任命は内閣が行い,天皇が認証する

3) 1964年1月31日以降は,判事全員が60歳以上から選ばれていて,定年は70歳



つまり,世の中の常識では,最高裁の判事は,仕事を終えた高齢の ”有識者”,”学識経験者” ということになるよ。だけど,”有識者”, ”学識経験者” は,内閣が指名,任命するんだよ。 困りましたね。どうしよう?

君も経験したと思うけど,最高裁判所裁判官は,任命後初めて行われる衆議院議員総選挙の際に最高裁判所裁判官国民審査(国民審査)に付されるよ。我々としては,何もデータが無いんだから,判断のしようがないよ。こんな滑稽な茶番劇は,情けないとしか言いようがありません。我々は,怒って,何もか書かずに投票箱に投げ入れたり,×を付けてるでしょ。しかし,あれはあれで,実は大変重要な ”儀式” だったんだよ。分るでしょ。困ったことだけどね。




未完

by yojiarata | 2013-11-22 20:12 | Comments(0)

いつか来た道 続編



ご隠居さん 題が続編となっているけど,正編はいつ書いたの?


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正編は,私が書いたんじゃないんだ。それに,正編というのは,文章ではなくて,民放のテレビドラマで,題名は,定かな記憶が無いんだけど,確か,『 いつか来た道 』 だったよ。

主演は,信 欽三,戦争がやっと終わったと思ったら,”最近は,キナ臭くなってきて,政治家の動き,大企業との連携など,またあの頃に戻るんじゃないか” という点を強調しているのが,印象に残っているんだ。いつの頃のテレビだったか,全く記憶にありません。40年,50年前のことだったと思うよ。

何で,こんなことを書きだしたかって?だって分るでしょう。現政権は, 「特定秘密保護法案」 の成立に血道をあげているでしょ。これから,彼らが「いつか来た道」を歩むためには,言論の自由に手枷,足枷をつけておく必要があるんだ。

こう考えると,かっての悪夢,治安維持法と特高警察のあの時代が我々の頭に浮かぶよ。

小林多喜二があの世で泣いているよ。

こわいよね。恐ろしいよね。



未完

by yojiarata | 2013-11-19 20:35 | Comments(0)

「ブラームス は お好き」 ですか?



ご隠居さん 今日は何の話 ブラームスがどうかしたの。

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イブ・モンタン の フランス語の響きに 魅せられて


先週の11月14日,午前2時から,NHKラジオ深夜便で,イブ・モンタンの特集が放送されたんだ。良い番組だったよ。

イブ・モンタンはイタリア生まれ(1921(大正9)年)。幼少時,一家はフランス・マルセーユに移住し,ほそぼそと暮らしていたんだけど,歌の上手さを評価されて,1944年,23歳でパリのムーラン・ルージュにデビュー。そこで,当時,すでに自他ともに認める大スターだったエディット・ピアフと知り合い,一緒に暮らすようになる。彼女の徹底的な指導,後押しによって,もともと大変な才能の持ち主だったイブ・モンタンは,たちまち人気歌手となったんだ。

次々にヒットを飛ばし,フランス政府から,栄誉あるディスク大賞を4回も贈られているよ。第1回は,歌ではなく,ジャック・プレベールの詩『バルバラ』の朗読。フランス語の美しさが評価されたんだね。

深夜便の番組で,私がそれまで知らなかったイブ・モンタンの側面も聴きました。

100年以上も前のフランスの古謡を歌っていたよ。

16世紀に作られたとされる現存する最古のシャンソンもその一つで,曲名は,「ルノー王が戦争から帰還した」。

私がイブ・モンタンに強く惹かれるのは,彼の美しいフランス語です。フランス語は大学の頃,勉強し始めたけど,途中で挫折したしてしまったよ。だけど,イブ・モンタンのフランス語の発音,とくに,「 R の 響き」 に魅了されたんだ。何を言っているのか全く分からなくても,言葉の美しさは分るよ。いわば感覚の問題だからね。注意して聴いてごらん。真似しようとしても,どうしても真似が出来ないんだよ。


フランソワーズ・サガン と 「ブラームスはお好き」


『ブラームスはお好き?』は,1959年にフランソワーズ・サガンがデビュー作 『悲しみよこんにちは』 から 5年後の22歳の時に書いた作品。ストーリーはパリを舞台に3人の男女が織りなす恋物語。映画の題名と配役。

『さよならをもう一度』
監督:アナトール・リトバァク
出演:イングリッド・バーグマン(ポーラ),イブ・モンタン(ロジャー),アンソニー・パーキンス(フィリップ)


美しい一人の中年女性が,長年交際している中年男性と,突然出現した15歳も年下の若い男性との間で揺れ動く。円熟期にあったバーグマンが繊細に,情感豊かに演じています。

ブラームスはお好きですか?若い男 (アンソニー・パーキンス) がバーグマンに問いかける。それでこの映画の主題歌が,「ブラームスはお好き」になったんだ。作詞は,サガンその人だよ。


ヨハネス・ブラームス の 音色


ブラームスの合唱曲「運命の女神の歌」 作品89 の,1882年の初演に参加したひとりに,アルト歌手のヘルミーネ・シュピースがいました。天賦の音楽の才能にも、太陽のような快活さにも恵まれた,この輝くような26歳に,ブラームス(50歳)の内気な屈折した心が占領されてしまうんだ。

ブラームスの4つの交響曲の中で,最も知られている(と私が思う)のは,交響曲第3番,第3楽章,チェロが奏でるあのメロディー。

イブ・モンタンは,このメロディーをバックに,「ブラームスはお好き」を歌っているんだけど,これが素晴らしいんだ。

「枯葉」は,映画「夜の門」の主題歌として,モンタンが25歳のときに歌った作品だけど,ここでは,42歳になった時の「枯葉」が「放送されたよ。味があって実にいいね。


映画での圧倒的な存在感


イブ・モンタンは,シモーヌ・シニョレと結婚。映画でも共演。

「恐怖の報酬」(アンリ・ジョルジュ・クルーソー監督作品,1953)の恐ろしさは,今も記憶に残っているよ。

シモーヌ・シニョレは,やはり,アンリ・ジョルジュ・クルーソー演出の怖い映画に出演しています。

「悪魔のような女」(1955)は,宣伝の割には,怖くなかったので,”残念でした” と記憶しています。

「嘆きのテレーズ」(シモーヌ・シニョレ,エミールゾラ原作,1952) の ラストシーン は忘れがたいね。

ところで,ヒッチコックのサイコ (1960) 覚えているかい。『さよならをもう一度』で若い男を演じたアンソニー・パーキンスの眼の底の動き。マザコンの極致。こわかったね。恐ろしかったね。


イブ・モンタンは,1991年,70歳で心臓発作により他界しました。だけど,20年以上たった今でも,ファンが大勢いるよ。私もその一人だけど。


後日談


66歳の時,初めて子供を授かったんだ。すごいでしょ。ところが,親子関係を巡ってもめごとが起き,裁判になったよ。結局,お墓の中の彼氏を掘り出して,DNA鑑定をやったそうだよ。どんな結末だったか,記憶にないんだけれど,さすがはフランス,日本では考えられないことだね。第一,ご遺体は日本では火葬されますから。

そういえば,パレスチナのアラファト議長も,毒殺の疑いを確かめるため,同じように墓堀が行われたそうだよ。最終結論がどうなったか知りません。




by yojiarata | 2013-11-18 19:47 | Comments(0)

回想の広沢虎造



ご隠居さん 広沢虎造って聞いたことがないんだけど,一体誰なの。

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そうか。聞いたことがないか。虎造さんの全盛期は,戦前から戦後(昭和20年代)だから,無理もないね。


「甦れ 浪曲師・広沢虎造」 (1,2) を 聴く


先々月の9月20日のラジオ深夜便 「甦れ 浪曲師・広沢虎造(1)」を聴きました。というか,録音して後で聴きました。午前4時からの放送だったので,さすが夜行性の私もちょっと無理なので。

虎造さんの末っ子の山田二郎さん (姉3人,兄1人) の話です。山田さんは,NHK佐賀放送局を経て,ラジオ東京 (現在のTBS) スポーツ担当アナウンサー,現在, 虎造節保存会名誉会長。落語家になりたかったと仰るだけあって,話は途轍も無く面白かったよ。

山田二郎さんによると,民放ができた昭和26 (1951) 年に始まった「虎造アワー」(水曜日夜8時,ラジオ東京,現在の TBS) は大ヒットし,結局,虎造さんの引退まで続いたんだ。「虎造アワー」の放送時間には,男湯が空になり,「君の名は」(NHK,昭和27年(1952)4月10日-29年(1954)4月10日)の放送時間には,女湯が空になったと山田さんは言っておられました。

現在では,YouTube で,虎造の生の姿,声を見ることができるよ。「石松の代参」 は,動画になっているんだ!

最近の若い人たちは,広沢虎造さんが誰だか,浪花節が何なのかを知らないんだ。知っていても,浪花節なんで,古いよ,カッコ悪いよなんて言うんだよ。と言いつつ,一度も聴いたことが無いんだ。山田さんは,「一度,聴いてください。面白いから。」と声を大にして喋っておられました。私も全くそう思うよ。

浪曲は,(一)声,(二)節,(三)啖呵(語り)と言うんだそうだけれど,虎造さんの啖呵は,私が尊敬する五代目古今亭志ん生さんの語り,間に相通じるものがあって,いつも楽しく聴いているんだ。啖呵が素晴らしく,それとともに,節の素晴らしいさが際立つ虎造さんって,本当に素晴らしいね。

ちなみに,国本武春「甦れ 浪曲師・広沢虎造(2)」 も 面白かったよ。朝から晩まで,浪曲を修行の友とする夫婦(浪曲師,合三味線)の話など,捧腹絶倒 だよ。国本さんの語りが,また素晴らしいんだ。


70年 を 遡る


明治33(1900)年生れの私の父親の話から始めるよ。

一家を経済的に安定に支える父親の責任をもつに要求される重要な資質のひとつは,何かを買いたくなる衝動と財布の中身の冷静な比較なんだけど,私の父親は,困ったことに終生それができなかったんだ。

新しいものに出会うたびに,突如として異常なばかりに興味が湧いてくる困った性格は,おかしいくらいに祖父そっくりで,やたらにものを買い込んでいたよ。私にも,多少,その傾向が受け継がれていることは否定しません。

戦災前のわが家にあったピカピカの蓄音機がその一つだったよ。手回しの蓄音機と言っても,分らないかもしれないけど,要するに,レコードを載せて回る円盤のエネルギー源が,今と違って,電気じゃなくで,人間なんだ。当時(昭和10年代)の最新鋭機だったよ。

近くの蓄音機屋さんがしばしばわが家に出入りしていたんだ。面白い人で,私もよく遊んでもらったよ。

蓄音機屋さんは,頭をポマードできれいに分け,立派な縦縞の紺の背広を着て,機械の “バージョン・アップ” を,父親に熱心にすすめていたよ。竹の針を使う新しいピックアップの音を是非試してくださいなどとおっしゃる。

父親も財布の中身を忘れて,膝を乗り出すんだ。蓄音機が,いつもピカピカだったのは,蓄音機屋さんのせいだったんだ。しかし,おぼろげなこの記憶の場面に母親の姿がないんだ。諦めていたんだろうね。

蓄音機屋さんは,新しいレコードが出るたびに,黙って置いていくんだよ。レコードは,広沢虎造の浪花節だったり,流行歌だったり。私が,子供のくせに,やたらと浪速節や流行歌を知っていたのは,そのせいなんだ。

今でも,その時の経験が,私の ”知的財産” として残っていて,浪花節も,バッハも,歌謡曲も,ジャズも,何もかも,区別なく興味の対象になるのはそのせいです。この点で,レコード屋さん,父親には感謝しています。



”野卑にして 不愉快な 浪花節” を忌み 嫌った男


永井荷風にとって,森鷗外は神様だったんだ。

荷風は,断腸亭日乗に次のように書いているよ。


昭和9 (1934)年。

【正月廿一日。晴れて風あり。空には雲多し。正午ラヂオの浪花節聞え出したれば今日は日曜日なり。 ・・・・・ 】

【七月廿五日。 くもりてまた俄に涼し。気候不順なること驚くべし。

・・・・・ 鷗外先生は ・・・・・ 浪花節は宴席に於てもこれを聴くことを好まず,屡其の曲節の野卑にして不愉快なることを語られたることあり。

・・・・・ 今日浪花節は国粋藝術などゝ称せられ軍人及愛国者に愛好せらるゝと雖三四十年まえまでは東京にてはデロリン左衛門と呼び最下等なる大道藝に過ぎず,座敷にて聴くものにては非らざりしなり。

・・・・・ 現代の日本人は藝術の種類にはおのづから上品下品の差別あることを知らず。三味線ひきて唱ひまた語るものは皆一様のものと思へるが如し。・・・・・ 今夜鷗外先生も地下に在りてラヂオの浪花節をきゝ如何なる感慨に打たれ給うや。】

どうも,荷風先生,師とも神とも仰いだ鷗外先生に大変気を使っておられるようだ。事実,荷風はこんなことを書いている。


大正12(1923)年

【六月十八日。・・・・・ 夜森先生の渋江抽斎伝を読み覚えず深更に至る。先生の文この伝記に至り更に一新機軸を出せるものの如し。叙事細密,気魄雄勁なるのみに非らず,文致高達蒼古にして一字一句含蓄の味あり。言文一致の文体もここに至って品致自ら具備し,始めて古文の頡頏することを得べし。】

この時,荷風45歳。”転げまわって絶賛” という感じだね。




広沢虎造 を 聴く会




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昭和10年代の後半,我が家では,藝術の種類など考えたこともない近所のおじさんが広沢虎造の新しいレコードに夢中になっていたよ。腕組みして,頭を垂れて,目をつぶってね。

うつせみの 人の宿命は 花火とおなじ

燃えて散る間の 儚さよ

きのうの花は きょうの夢

あすの命を 誰が知る

に落涙するおじさん達がいてもいいんじゃないの。


虎造さんは,二度の脳溢血の後,今から50年前に亡くなったんだ。

2代目広沢虎造
1899(明治32)年-1964(昭和39)年
享年 六十五
松寿院俉道日信居士


上野の山で,広沢虎造 オーナー の チーム と 野球をした人


本来の仕事から離れて,間もなく超後期高齢者の80歳,今までとは,全く違うタイプの人と仲良くなって,話を聞くのを楽しんでいるんだ。

虎造がオーナーの草野球チームと試合をした人と知り合いになったよ。”生” の虎造さんと会って,話をしたと言うんだ。これには驚き,羨ましかったね。

虎造チームは,メンバー全員が浪曲師。審判の判定が不服な時は,”監督” の虎造さんが出てきて猛烈に抗議したというんだ。あの浪花節の声でね。

もめごとが決着しないと分ると,虎造さんが

オレが言うんだから,間違いない。俺がルールだ!

と叫ぶんだそうだ。


付録 元祖 オレがルールブックだと 叫んだ男


付録として,思い出したので,二出川 延明さんのことを書いておくよ。日本シリーズでの一コマが,インターネットに記録されているよ。

二出川 延明(にでがわ のぶあき,1901年8月31日-1989年10月16日)は,日本のプロ野球選手(外野手)・審判員,野球解説者,実業家。


三原 「塁審は同時はセーフというが,ルールブックを見せてくれ」

二出川 「なぜだ」

三原 「ルールブックには一塁の場合と違って,二塁の場合は同時はアウトだ。3分かかっても5分かかってもいい。ルールブックを見せてくれ」

二出川 「ルールブックにはそうなっていない。あくまで同時はセーフだ」

三原 「ルールブックあるんでしょ?見てくださいよ。3分かかっても5分かかっても」

二出川 「見る必要はない。僕の頭の中にちゃんとある」

三原 「ルールブックを見て…」

二出川 「(三原の言葉を遮り)オレがルールブックだ!間違いない!」

右手で胸をたたいて三原監督をにらんだ二出川。名将といえども、年の差は10歳。まして1935年(昭10)、「東京ジャイアンツ」=巨人軍の初代主将として、まだ若かった三原らを率いて渡米した大先輩にそれ以上 “口ごたえ” できなかった。

三原は黙って引き下がるしかなかった。大毎はこれを足がかりにトドメの3点を奪い、ダブルヘッダーで連勝。4年連続の日本一を目指す西鉄の優勝のチャンスはこれでさらに遠のいた。

二出川がかたくなにルールブックを見せなかったのにはわけがあった。試合に出場する時でもしない時でも,必ず携行していたが,この日に限って自宅に忘れてきてしまった。前夜,寝床で読んでいて,珍しくそのままにしてきてしまったのだ。

この仕事に誇りを持つ二出川にとって恥すべきことだった。そんなことは後輩の前で口が裂けても言えない。ただでさえ子供の頃から人一倍強がりを言って生きてきた二出川が,切羽詰って言った言葉が,プロ野球史に残る名言「オレがルールブックだ」だった。




by yojiarata | 2013-11-10 22:55 | Comments(0)

不如帰



ご隠居さん 今日は古い話題のようだけど,どのように発展するのかな。

***


明るい話題じゃないんだ。だけど大事な話だから是非読んでちょうだい。


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嘗ては,日本人の死因の一位を
占めていた病



結核に罹ると,特効薬が発見されるまでは,空気のきれいなところで静養するしかなかったんだ。私が大学に入学した頃も,「サナトリウム」 という言葉は身近な存在だったよ。結核に罹って休学を余儀なくされた友人もいたしね。

ちなみに,結核に罹って命を落とした人には,インターネットで見ると,

ショパン(1810-1849)

ナポレソン2世(1811-1832)

高杉晋作(1839-1867)

陸奥宗光(1844-1897)

小村壽太郎(1855-1911)

正岡子規(1867-1902)

高山樗牛(1871-1902)

国木田独歩(1871-1908)

樋口一葉(1872-1896)

滝廉太郎(1879-1903)

長塚節(1879-1915)

石川啄木(1886-1912)

竹久夢二(1884-1934)

梶井基次郎(1901-1932)

堀辰雄(1904-1953)

秩父宮雍仁親王(1902-1953)

ヴィヴィアン・リー(1913-1967)

高野公男(1930-1956)

などがいるよ。


結核の予防,治療法など,現在では大いに進歩したけど,今でも ,日本国内で結核がもとで,年間2000人以上の人が命を落としていることを知っているかい。



徳冨蘆花『不如帰(ほととぎす)』


『不如帰』(ほととぎす)は,明治31年(1898年)から32年(1899年)にかけて国民新聞に掲載,のちに出版されて大ベストセラーとなったんだ。

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岩波書店 初版本復刻シリーズ 昭和十一年九月十八日 第一刷発行


粗筋

片岡中将の娘浪子は,海軍少尉川島武男男爵との幸福な結婚生活を送っていた。実家の冷たい継母,気むずかしい姑に苦しみながらも,日清戦争へ出陣して行った武男の帰りを待つ。結核に感染した浪子は,それの理由に,武雄男爵との離婚を強いられ,夫を慕いつつ死んでゆく。



著者の徳冨蘆花は,第百版『不如帰』の巻首に (何と,第百版だよ!!!) に書いているよ。

不如帰が百版になるので,校正方々久し振りに讀むで見た。

お坊ちゃん小説である。 ・・・・・ あらを云ったら限りが無い。

百版と云う呼聲に對しても今些どうにかしたい気もする。

併し今更書き直すのも面倒だし,到頭ほの校正だけにした。

・・・・・

不如帰のまづいのは自分が不才の致す處,

其にも関せず讀者の感を惹く節があるなら,

其は逗子の夏の一夕にある

婦人の口に藉って訴へた「浪子」が

自ら讀者諸君に語るのである。

要するに自分は電話の「線 はりがね 」になったまでのこと。


明治四十二年二月二日

昔の武蔵野今は東京府下

北多摩郡千歳村粕谷の里にて

徳冨健次郎識




『不如帰』 の名場面 [下編 三七五-三七六]

浪子は,口を閉じ,眼を閉じ,死の影は次第に其面を掩むとす。

中将は更に進みて

「浪,何も言遺す事は無いか。 ―  確かりせい」

なつかしき聲に呼びかへされて,纔に開ける眼は加藤子爵夫人に注ぎつ。

ふじんは浪子の手を執り,

「浪さん,何も私がうけ合った。安心して,阿母の所に御出」

幽かなる微咲の唇に上ると見れば,見る見る瞼は閉じて,

眠るが如く息絶えぬ。

さし入る月は蒼白き面を照らして,微咲は猶唇に浮べり。

然れど浪子は永く眠れるなり。



俳誌 「ホトトギス」 と 公職追放


終戦後,連合国軍総司令部(GHQ)は日本の軍国主義の復活を警戒し,面に,裏に,様々な活動を行っていたことは知っているでしょ。そのほとんどが,現在も闇に葬られたままになっていることもね。

昨日の新聞に,正岡子規や高浜虚子が選者を務めた俳誌「ホトトギス」の戦時中の複数の号が,裏表紙が切り取られた状態で発行元の「ホトトギス社」(東京都千代田区)に保管されているのが見つかったという記事が掲載されたよ。GHQ などが行った戦争責任の調査と恐れて切り取ったとみられるそうだよ。

ホトトギス社によると,切り取られたのは,1941年11月から翌年の9月号の1年分。

切り取られた部分に,虚子の身辺や社会情勢にまつわる所感をつづる 「消息」 欄が掲載されていたと言うんだ。

虚子の記事は,例えばこんな調子だよ。

「戦捷の新年を慶賀致し,皇軍の赫々たる戦果に唯々感激致すものであります(42年1月号)」,「シンガポール陥落のことを心から慶祝いたします」 (3月号) など,旧日本軍の快進撃を喜んでいるんだ。

こんなことは,公職追放の理由になるものじゃないことは,戦時下の軍国少年・荒田洋治が断言するよ。だって,”勝った勝った” と,毎日,ド派手に騒いで,我々をその気にさせたのは,新聞,ラジオじゃないの。

結局,文学者に戦争協力させた日本文学報国会の俳句部の会長の経験者だった虚子や,会長の徳富蘇峰は責任を問われ,公職追放されたよ。ちなみに,徳富蘇峰は,徳冨蘆花の5歳年上の兄貴だよ。大変な不仲だったらしいよ。第一,徳富(蘇峰),徳冨(蘆花)で,トミの漢字が違うでしょう。気が付いたかい。


大山巌元帥の連れ子 と 川島浪子のモデル


大山巌は先妻との間に娘が3人いたんだ。結核のため20歳で早世した長女の信子が浪子のモデルと言われているよ。「あああ,人間はなぜ死ぬのでしょう! 生きたいわ! 千年も万年も生きたいわ!」の名セリフが当時の流行語にまでなったそうだよ。

家庭内の新旧思想の対立と軋轢、伝染病に対する社会的な知識など当時の一般大衆の興趣に合致し,広く読者を得たんだろうね。

一つ付け加えるとすれば,大山元帥の再婚相手は,鹿鳴館の華 ともてはやされた大山捨松だよ。彼女は,スペイン風邪にかかって,59歳で他界したと記録は伝えているよ。


【追記1】

次の著作が参考になるよ。

福田眞人 『結核の文化史 - 近代日本における病のイメージ』 (名古屋大学出版会,1995)

福田眞人 『結核という文化 - 病の比較文化史』 (中公新書,2001)


【追記2】

椿姫は,結核に侵された悲劇のヒロインなんだけど,オペラにすると,昔の郵便ポストのような体格の歌手が出演せざるを得ないので,何だか滑稽な感じになってしまうのが残念だね。


【追記3】

逗子銀座通り入口にある 「三盛楼浪子最中本舗」 で売っている 「浪子最中」 は絶品だよ。お勧めします。




by yojiarata | 2013-11-06 20:01 | Comments(0)

菊作り 菊見るときは 影の人



ご隠居さん 何だか嬉しそうだね。

***


さっきまで,日本シリーズの第7戦を,連れ合いと一緒に観ていたんだ。楽天がこの最終戦を制したよ。嬉しかったね。

試合の後で,2勝を挙げた美馬投手が最優秀選手に選ばれ,ほかに両軍の優秀選手が表彰されたんだけど,私としては,嶋 基宏捕手の名前が無いのが残念だったよ。

私は,中学生以来の野球少年で,52歳に ”引退” するまで,野球(サード)をやっていたので,選手の気持ち,試合の流れなどが実感として分るんだ。

君も知っての通り,2年前の東北の大震災と,それに続く津波の災害のあとのシーズン開幕にあたって,Kスタ宮城STADIUMで,チームを代表して,災害を乗り越えて頑張ろうと挨拶した嶋選手の迫力は圧倒的だったよね。

今回の日本シリーズでいえば,田中が投げる場合を別にすると,嶋捕手は,美馬,則本両投手の力をあれだけ見事に引き出した最大の貢献者だよ。


それで,試合の後の表彰式を観ながら,吉川英治の作だといわれている

菊作り 菊見るときは 陰の人

の句がふと頭に浮かんだんだ。




おわり

by yojiarata | 2013-11-03 23:30 | Comments(0)