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蛙とザリガニ



昭和20年6月28日の空襲で焼け出され,一家で母の実家に居候することになった。

母の実家は,黒住教の総本山のすぐ前で,全国から集まってくる信者のための旅館を経営していた。

家の前には,小川が流れ,朝早く起きてそっとのぞくと,ザリガニが水面近くに一列に整列していた。

動きが敏捷なザリガニを捕獲するには,蛙の足が最適だった。釣竿の先に蛙の足をぶら下げてそっと水面に下すと,ザリガニは蛙の足をめがけてワッとばかりに飛びついてくる。バケツ一杯のザリガニを簡単に集められると喜んでいた。

年を重ねるにしたがって,中学生とはいえ,蛙には可哀そうなことをした,供養したいとの思いが募る。 ”贖罪” のため,蛙の本,大小さまざまな置物を見つけるたびに入手することにしている。

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大きさからいえば,筑波山の神社で購入した巨大な蛙 (右端)。重さ 600グラム,全長 20センチ,一枚の素材を切り出して彫り上げた木目が美しく,見事である。5000円を投じて購入してから10年が経つ。

学会のため,何度かインドを訪れた。40年近く前にインドのボンベイ(現在のムンバイ)で購入した。最後列,筑波神社の蛙の左に並ぶ一対の蛙はユニークである。当時のインドは,観光のためのお土産店などほとんどなく,固有の品々を入手することができた。その後もインドを訪ねたが,そのたびに観光産業によって姿をかえた同国の姿に接し,残念に思った。

アメリカのコロラドで購入した蛙もいる。

蛙の置物で思い出すことがある。岡田 克也さん (前副総理,現在民主党最高顧問) が,蛙の置物を集めておられることをどこかで読んだことがある。筆者のような切っ掛けがおありなのだろうか?
by yojiarata | 2013-01-27 00:20 | Comments(0)

ジャンゴ・ラインハルトのギターを聴く



NHK のラジオ深夜便で,ベルギー生まれの夭折のギター奏者ジャンゴ・ラインハルトのギター演奏を聴いた。彼は,ギターをソロ楽器として使った世界で最初の人である。それまでは,ギターは単なる伴奏楽器として用いられていた。最初の録音は1930年代前半に発表されている。

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Jean Baptiste Reinhardt (1910-1953)


ジャンゴ・ラインハルトの音楽は,ジャズを取り入れ,ロマ民族(ジプシー)の文化と共に発展していった。その音楽は,ヨーロッパ全体の影響を受け,コンティネンタル・タンゴ,シャンソンなど多様な響きをもつ。

モダン・ジャズ・カルテットのアルバム 『ジャンゴ』 (Prestige,1953-1955年録音)の冒頭に,ジャンゴ の音楽に魅了されたジョン・ルイスによる ”ジャンゴ” が録音されている。静かで美しいメロディーは忘れがたい。

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Django


ジャンゴ 自身によって作曲された曲のなかに,Nuages (雲)がある。素晴らしい! この曲を聴いていると,2011年4月28日に筆者がこのブログに書いた雲に魅せられた人 ハワード を思い出す。ジャンゴはどのような思いで Nuages という題をつけたのだろうか。

日本は四季の変化につれて変わっていく雲の形を印象深く見ることができる国である。ハワードのウェブサイトに掲載されている美しい雲の写真と共に,Nuages を聴いてほしい。


by yojiarata | 2013-01-24 23:40 | Comments(0)

五代目古今亭志ん生さんにおける「間」の研究



これまで,ラジオ,レコード,CD などを通じて,長年落語に親しんできた。上野,新宿,人形町の寄席にも通ったが,落ち着いて噺を聴くには,自分の部屋が最も適していた。

名人といわれる多くの噺家を聴いたが,筆者にとって圧倒的に素晴らしいのは,五代目古今亭志ん生さん(1890-1973)である。一言でいえば,何とも言えない独特の噺ぶりは,他のどの噺家にもないものである。例えば,高座でことばに詰まり,もう一度勉強して出直しますといってそのまま引退してしまった八代目桂文楽さん(1892-1971)とはまるで違う。登場人物の名前ひとつとっても,安二郎だったり,安三郎だったり,安三だったり,悪く言えば,目茶目茶である。しかしそんなことを全く気にする気配もなく,噺を続ける。聴いている筆者も全く気にならない。

志ん生さんには,独特の間がある。筆者を引き付けるのは,この「間」である。

***

筆者は,中学生の頃,徳川夢声さん(1894-1971)が出演されるラジオ番組(『話の泉』,『トンチ教室』など)を熱心に聴いていた。他には,吉川英治の宮本武蔵を朗読する名人だ,くらいのことしか知らなかった。

その後,この「名人」が本を書かれていることを知った。

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徳川夢声『話術』(白揚社,1978,第3版第18刷)


さっそく読んでみた。教職にあり,講義,学会講演,セミナーなど,人前で話をすることを生業とする自分にとって,「名人」の著書は大変興味深いものだった。

「第二編 話の根本条件」で,縷々述べた後,「名人」は次のように書いておられる(46-47ページ)。

以上の分類を図にして見ますと,次の頁のようになります。

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そのあと,それぞれの項目について,語るのであるが,これが面白い。さすが「名人」! 薀蓄を傾けて,熱烈に語る。『話術』は現在も白揚社から入手できるようである。

ここで,名人が「間」について語る部分を引用してみよう。( 39-43 ページ )

ハナシ、、、というものは,喋るものですが,
そのハナシ、、、の中に,喋らない部分がある。

これを「間」という。

こいつが実は何よりも大切なもので,

食物に例えていうと,ヴィタミンみたいなものでしょうが,
直接,ハナシ、、、のカロリーにはならないまでも,

このヴィタミンM が欠けては,栄養失調になります。


・・・・・


ですから,ハナシ、、、をする場合,コトバ、、、だけの研究では足りません。

そのコトバにもたせる「マ」の研究,

話している間の表情動作すべてにわたるバランスの研究,

そこまで行かないと満点とはいえません。

では,その研究はどうするんだ?

答えは平凡です。

沢山の経験をつむこと,絶えずその心構えでいること,これです。

「何か”マ”の簡単に分る虎の巻は無いのかい?」

だってそんなものはありませんよ。
何しろカン、、の問題ですからネ。

(文章は原文のまま,赤字は筆者による)


今は亡き「名人」に

”お言葉を返すようですが,一つだけ付け加えさせてください”

と言上したいことがある。それは,「間」をとるには,「名人」のおっしゃる ”沢山の経験をつむこと,絶えずその心構えでいること” に加えて,天性の才能が必要だということである。志ん生さんはまさにこれに該当する。

***

筆者はかねがね,志ん生さんの喋りを音声解析してみたいと考えていた。この度,40年来のエレクトロニックスの師匠・功刀正行博士にお願いして,それが実現した。出囃子の後の120秒間,音声の強度を記録したデータを見ていただきたい。比較のため,圓生さんの音声解析の結果を並べて示す。題材は,いずれも『牡丹燈籠』の冒頭部分である。

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五代目古今亭志ん生(古今亭志ん生名演集 22,牡丹燈籠,PONYCANYON,1994)




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六代目三遊亭圓生(圓生百席 46 牡丹燈籠 一,お露と新三郎,Sony Records,1998)


大方の噺家の場合には,圓生さんタイプの波形となる。志ん生さんの波形を見ると,その噺ぶりが目に浮かんでくるではないか!


ご多忙の折,時間を割いていただきました功刀(くぬぎ)正行博士に感謝します。

功刀正行
東京理科大学 野田校舎
環境安全センター
放射線管理部門長
by yojiarata | 2013-01-21 20:43 | Comments(0)

ケプラーと雪の六角形



滅多に雪の降らない東京でも雪が降った。道路にはまだ雪が残っている。

20年近くも前のことであるが,アメリカのコロラド州デンバーで学会があり,参加した。1月だったと記憶している。

長い間雪に閉ざされて生活しているいるヨーロッパ諸国の人々は,古くから雪の粒(今でいえば結晶)の形に深い興味をもっていた。ヨーロッパで最古とされるのは次の絵である。

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ウプサラ(スエーデン)の大僧正・マグヌスの雪(1550年代)


続いて,残っているのがデカルトによるものである(そうです,あのデカルトです)

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デカルトの雪(1637年)


化学の世界では,最密充填という概念がある。原子,分子が並んで結晶を作るとき,特別な場合を除くと分子が可能な限り密に並ぶ。この点を世界で最初に言及したのは天文学の分野で後世にその名を残したケプラー(1571-1630)である。

ケプラーは,雪の結晶がなぜ六角形になるかについて考えに考えた末,次のように書いている。

もし雪が降りはじめるときにはいつでもその雪の元素がつねに六角形の星形を示すのならば,
そこには一定の原因があるはずです。
もしこれが偶然に生じるのなら,なぜ五角形や七角形でないのでしょう。
なぜいつも六角形であり,少なくとも不規則な衝突によってごちゃごちゃになったりひどく丸まったりせず,
ひとつひとつ分かれてはっきりした形をしているのでしょう。

・・・・・ 

六つずつから成ることのはじまりはいったい何でしょうか。
頭を,それが落ちる前に六個の凍った枝角状に形づくったのはいったい誰でしょうか。

・・・・・

このようにして心に浮かぶすべてのものを調べてみて私が感じますのは,雪における六角形の原因は,
植物における秩序ある形および数の一定性の原因とまさに同じものである,ということです。
これらにおいては最高理性なくしては何も生じません。

最高理性とは推論の展開によっては決して明らかにならず,もともと造物主の意図のなかに存在していたもので,
さらにそのはじまりから今日にいたるまで諸生物のおどろくべき本性を通じて保たれているものです。
ところが雪においてはこの秩序正しい形が偶然に存在するのだ,
などとは私にはどうしても思えません。

・・・・・
 

ケプラーは悩み苦しんだ末に,現代の化学者がいうところの最密充填のアイディアに考えに至り,それをスケッチに描いている。

宝石を扱う人々は,
このうえなく洗練された形相の天然の正八面体がダイアモンドにおいて見られる,と言っています。
もしそうならそれは私たちをよく納得させます。

つまり霊魂の能力が地中ではダイアモンドに自分の本性のもっとも内部の奥底から正八面体の形を生じさせたのであり,
その同じものが蒸発気とともに地から発散するときには,同じ形を蒸発気からなるあの雪に生じさせたのであります。

・・・・・


結局,雪の結晶が何故六角形になるのかについては,

わからない,
神の思し召しであるにちがいない


と結論している。

例えば,東京で雪の塊を虫眼鏡で見ると,ぐしゃぐしゃの雪の塊である。大気の気温が高いからである。筆者は,あのとき,デンバーのホテルの窓を開けて黒い布の上に雪を載せて,用意していた虫眼鏡でのぞいて見た。そこには,実に見事な雪の結晶があった。

ともあれ,天才というのは,ケプラーのような人のことをいうのではないでしょうか。


***


なお,本稿の執筆に当たっては,下記の文献を参照した。

1) Johann Kepler:A NEW YEAR’ S GIFT or On the Six-Cornered Snowflake (Godfrey Tampach, 1611; Oxford University Press, 1966)。原著はラテン語で書かれているが,出版に当たっては,英語訳が付け加えられている。なお,日本語訳は榎本恵美子訳『新年の贈り物あるいは六角形の雪について』(知の考古学11号,276-296,1977)として発表されている。

2) Duncan C. Blanchard: The Snowflake Man A Biography of Wilson A. Bentley (The McDonald & Woodward Publishing Company, 1998)

3) ヨハネス・ケプラー『ケプラーの夢』 (渡辺正雄,榎本恵美子=訳,講談社学術文庫,1995,第7刷)

4) 小林禎作 『雪の結晶 自然の芸術をさぐる』 (講談社ブルーバックスB-163,1970)

5) 小林禎作 『雪に魅せられた人びと 』 (築地書館,1982,二刷)

6) 中谷宇吉郎 『雪』 (岩波文庫)

7) 荒田洋治 『水の書』 (共立出版,1998,213-216ページ)
by yojiarata | 2013-01-18 23:55 | Comments(0)

教育再生実行会議の行く手



新聞記事に毎日驚かされる今日この頃である。

1月11日の朝日新聞(朝刊)の第1面に次の記事が掲載されている。

教育改革 顔ぶれ安倍色
再生会議,曽野氏ら15人

教育再生実行会議のメンバーの名簿に続いて,この会議で取り上げる点が列挙されている。

いじめ対策
教育委員会制度の見直し
大学入試・教育のあり方

そして最後に,恐ろしいことが書いてある。
「6・3・3・4制のあり方」


どれ一つをとっても,意見のない人はないのではないか。ただ,その場で感想を述べて終わる筋書きになっている。


***


以上のように書き始めたのには理由がある。

昭和49年(1974年),大学入試共通第一次学力試験(共通一次試験;大学入試センター試験の前身)について,大学でも話題になり始めていた。文部省(当時)から意見を求められた全国の各国立大学では,一斉に学内委員会を設置して検討に入った。

幸か不幸か,筆者は学内の委員のひとりに選ばれ,昭和49年11月-昭和52年7月(週一回),午後6時から2-4時間にわたる会議に出席する羽目になった。2年足らずの間に,50回を超える会議に連続して出席したのは,後にも先にもこの委員会だけである。

これは何も大学内に限ったことではないのであるが,“入試” となると,人々の眼は急に輝きだす傾向がある。この会は,教育の専門家である教育学部長が委員長を務めていたこともあり,議論が沸騰した。沸騰はよいのであるが,9時近くまで,飲まず食わずには,胃のほうが沸騰して閉口した。幕の内弁当が部屋の隅に積み上げられていたからなおさらである。何回目かの会の折り,医学部長が次のように発言してこの問題は解決した。

 【医学的に申しますと,血中の糖分の低下と共に,頭が良く回転しなくなる傾向になると言われています。】

のちに知ったのであるが,共通一次試験の実施は文部省レベルでは,各大学からの委員会の取り纏めの結果を待つまでもなく,すでに大筋が決まっていたようである。共通一次試験は,昭和54年(1979年)に始まり,平成元年(1989年)まで続いた。そのあと,平成2年(1990年)より「大学入試センター試験」となって現在に至っている。

全国の大学で,膨大な時間とエネルギーを浪費した共通一次試験に関する大議論は,後で思えば,官僚によるデータ集めのためのセレモニーだった。暗闇に蠢く官僚の姿を,はるか彼方にボンヤリと意識した最初の経験でもあった。


***


特段のご意見

1)新しい大学,短期大学,大学院大学を新設,2)既存の大学の新しい学部,大学院等の設置にあたっては,文部科学省に申請書を提出する。文部科学省では,同省に設けられた「大学設置・学校法人審議会・大学設置分科会」において審査が行われる。大学設置分科会については,文部科学省の関連のウェブサイトに次のように記されている。

大学設置分科会における一般的な審査スケジュールは,1)の場合には,5月または7月の審査会で特段の意見がなければ早期認可を行う。2)の場合には,7月の審査会で特段の意見がなければ早期認可を行う。
(下線は筆者による)

平成4年(1992年)8月,文部省(当時)から大学設置・学校法人審議会専門委員(大学設置分科会)を委嘱された。委員会には,何人かの若手官僚が出席し,年長さんと見られる一人の官僚が議事進行にあたった。会は退屈きわまるものであり,どちらかというと辛抱強さに欠ける筆者はいらいらしながら座っていた。要するに,各委員の前に並べられた分厚い資料を棒読みしているだけであった。

長時間をかけて朗読した後,進行役の官僚が次のように宣った。

【ご出席の委員の先生方,いかがでございますか。・・・(寂として声なし)・・・ “特段のご意見”がございませんようでしたら,本日の議案はご了承いただいたものとして,これで散会とさせていただきたく存じます。】

この馬鹿丁寧な言葉使い,意味はわかるが,不気味な響きのある“特段のご意見”なる官僚言葉を耳にして,遂に堪忍袋の緒が切れた。

 【あなたたちは,こんな下らないことで忙しい我々を集めたのか? 今日のような委員会なら,資料を郵送すればすむじゃないか。第一,このまま議案が認められないことになったら,困るのはそちらでしょ。】

会議室は一瞬奇妙な沈黙に包まれた。おそらく官僚にとっては,こんな短気な委員にぶつかったことなど,それまでに経験がなかったのではあるまいか。官僚は,筆者に向かって意味不明のことを大声でワーワー叫びながら,そのまま散会となった。

帰りの道すがら,顔見知りの先輩の委員が,

 【寅さんじゃないけど,あんた,それ言っちゃ御仕舞よ。】

と,怒りの収まらない筆者に,慰めるような,諫めるような言葉をかけた。先輩は官僚との付き合いのプロであった。

通例では,この委員会の委員の委嘱は2年間ということであるが,次の平成5年に霞ヶ関から委員委嘱の1年延長の依頼が届くことはなかった。筆者にとっては,官僚が取り仕切る会議に出席したのは,後にも先にもこの時だけである。


***


今にして思えば,「大学入試共通第一次学力試験共通入試」に関する 2年間 50回にわたる委員会も,「大学設置・学校法人審議会・大学設置分科会」も,文部省(当時)のなかでは,最初から決まっている了解済みの議論であった。

20年近くも前のあまり愉快でない経験が,日本の科学行政のシステムの精査に筆者の頭を向けさせる切っ掛けとなった。

教育再生実行会議に話を戻す。 メンバーの顔触れの選択の基準は何であろうか。議題は,大げさに言えば,国家10年の計の議論である。そこで,新聞が報じる安倍色というのはなんであろうか。

もう一度,15人を顔ぶれを見直す。どっしりとした,中立的な意見を胸を張って堂々と述べる人物はいるのだろうか。地位はあるが,年齢も高い委員諸氏が,単なる思い付きではなく,国家百年の計を責任をもって論じられるかどうか,筆者には甚だ疑問である。

結局,官僚が用意した筋書き通りの結論が出されることを怖れる。

新聞の記事によると,文部科学大臣は,「通常国会で『いじめ防止対策基本法』 をつくりたい」と意欲を示しており,2月中にも中間報告をまとめる考えだ。教育委員会改革については,4月をめどにとりまとめるという。
by yojiarata | 2013-01-15 11:15 | Comments(0)

日本の科学技術政策 その2



1月12日の朝日新聞(夕刊)は, 「科学技術会議を強化へ」 と題する次の記事を掲載した。

甘利明経済再生相は,12日, 「総合科学技術会議」 (議長=安倍晋三首相)の権限強化のため,
必要な法改正を目指す考えを示した。・・・・・
同会議は首相のほか関係閣僚や有識者がメンバー。
甘利氏は担当の山本一太科学技術相と調整し,改正案を国会に提出したい考えだ。


筆者はすでに,総合科学技術会議が抱える様々な問題点に関して,拙書 『日本の科学行政を問う 官僚と総合科学技術会議』 (薬事日報社,2010)で徹底的に議論した。

一体,今,何を,どう変えようというのか,注目したい。

昨年の11月6日のブログ 「日本の科学技術政策」で,山中伸弥博士のノーベル賞受賞に関連して,日本の科学行政について私見を述べた。

この点に関連して,ピア・レビュー,日本のポスドクなど日本のサイエンスの現在と今後に関わるいくつかの点を題材に,その後に執筆したブログ
ブログ2で議論した。

つい先日の1月11日の朝日新聞(夕刊)に掲載された 「iPS 細胞研究 1100億円助成方針 文科省,10年間で」 が気になる。


・・・・・ 文科省は今年度の補正予算案で,

京都大 iPS 細胞研究所の研究棟の新築など iPS 細胞関連の研究に200億円を計上。

これとは別に,今後10年間で毎年約90億円規模の支援をしていく方針という。


1100億円。これは大変な額である。

山中博士の偉大な業績を,筆者がどうこう言っているのではないことは理解してほしい。それどころか,山中博士は,

実るほど頭を垂るる稲穂かな

と多くの人から尊敬されている,ユーモアに富んだ愛すべき人柄の人物である。

しかし,それとこれとは違う。アメリカ,ヨーロッパであれば,たとえノーベル賞であろうとなんであろうと,慎重に用意された分厚い予算実行計画が国内外の第一級の複数の研究者の目が通るピア・レビューを経て,採択するか否かが決定される。

どのような研究分野であれ,成果が積み重なりつつ,形を変えながら,どんどんダイナミックに変化していくものである。したがって,常識的には,十年先までの研究計画を提案することなど不可能だと思う。

筆者がここで知りたいのは,今回の1100億年の研究予算には,どのような研究計画書が作成され,どのようなピア・レビューを通って決定されたである。現実は,いつもの

ノーベル賞 ⇒ 政治家,官僚 ⇒ 丼勘定


の図式なのだろうか?

誤解を招くことを承知の上でこのブログを書いたが,筆者の意図するところを汲んでいただければ幸いである。
by yojiarata | 2013-01-14 23:20 | Comments(0)

七十八の手習い



ふとしたことから,夜,NHK ラジオ(第一,第二)を聴くようになった。そして驚いた。そこは,知恵の宝庫であった。

中学生,高校生のための古典(例えば平家物語)講読,現代文を読む,歴史,経済,倫理,基礎英会話などのプログラムを,そうだったのかと頷きながら勉強しなおしている。諸々の文化講演会,これまでにも,このブログで引用した 『日本のうた』 など,夜長を飽きることなく過ごしている。

筆者自身は この年齢になって目が覚めたような気がする。新しい勉強の始まりである。先日1月8日に掲載した 『青春』 と合わせて読んでいただけたらと思う。
by yojiarata | 2013-01-11 23:40 | Comments(0)

ゆくりなき人のことばの,ふと耳にとまりて



ブログを書き始めて2年近くになるが,題材の選択にあたっては不断の努力が必要である。そのためには,日頃から,頭の中に “材料”を蓄えておかなければならない。筆者は,長年にわたって教職にあり,その関係で,講義,講演,セミナーなど人前で話をすることを生業としてきた。

ふと思いついたことをメモとして蓄え,つぎにあるかもしれない機会に本能的に備えてきた。何ヶ月も先に予定されている学会の講演の場合も,ふと思いついた事柄を紙切れにメモしておくのが習慣になった。

ここで,日本で最初の近代国語辞典 『言海』 を完成した大槻文彦について書いておきたい。高田宏 『言葉の海へ』 には,手帳を四六時中はなさず,耳に聞くこと,幼少時から記憶したことを思い出すたびに書きつける大槻文彦の言葉が再録されている。

酒宴談笑歌吹のあいだにも,ゆくりなき人のことばの,
ふと耳にとまりて,はたと膝打ち,
さなりさなりと覚りて,手帳にかいつけなどして,
人のあやしみをうけ,・・・・・
高田宏『言葉の海へ』岩波同時代ライブラリー(215ページ,1998)


大槻文彦は,杉田玄白,前野良沢を師として,日本の近代化の曙の時代を蘭学とともに歩んだ大槻玄沢の孫にあたる。ふたたび,高田宏 『言葉の海へ』 より引用する。文彦は,祖父玄沢の言葉


およそ,事業は,みだりに興こすことあるべからず,思ひさだめて興すことあらば,遂げずばやまじ,の精神なかるべからず


を座右の銘とし,寝食を忘れて辞書の完成に取り組んだ。苦闘の末に完成した 『言海』 の跋文に,大槻文彦は

おのれ,不肖にはあれど,平生,この誡語かいご服膺ふくよう

と書いている。

大槻文彦は六十六歳から,『言海』 の改訂版 『大言海』 に十年以上も取り組んだが,完成をみることなく他界した。助手を務めた大久保初男によって,十年後の昭和十七年に完成した 『大言海』は,大槻文彦 『縮刷版 新編大言海』 (冨山房) として現在でも入手することができる。

言葉の説明を単に機械的に求めるのであれば,書店に並んだ国語辞典のなかから手ごろなものを購入すれば目的を達する。これで何も困ることはない。しかし,読むほどに興味がつきない 『言海』,『大言海』 からは,

思ひさだめて興すことあらば,遂げずばやまじ

を座右の銘として辞書つくりに打ち込んだ大槻文彦の肉声が聞こえてくる思いがする。

大槻文彦の辞書は,“作った辞書”ではなく,“できた辞書” である。この点は,辞書に限らず,世の中一般に通じることである。日本は今後50年間で30個のノーベル賞を目指そう,そのために必要なお金は国が出そうといった政治家がいる。ノーベル賞もまた,お金を出して作るものではなく,努力の結果として気がついて見ればできているものであることを,この政治家はまったく理解しておられないようである。
by yojiarata | 2013-01-11 23:35 | Comments(0)

乾いた花



中学,高校,大学の間,数知れない数の映画を観た。

その中に,いまだに気になる作品がある。

『乾いた花』 (篠田正浩監督,昭和39(1964)年公開,松竹)。映画雑誌には,池部良主演のやくざ映画とだけ記されている。原作は石原慎太郎の短編小説である。公開前に(配給)会社側から難解という理由で 8ヶ月間 お蔵入りとなった後,反社会的という理由で成人映画に指定されたというが,筆者にはそんなことはどうでもよい。


私の書いた小説は数多く映画化されたが,満足した作品は数少ない。
『乾いた花』は自負している作品の一つだが念願かなって篠田監督の手で映画ならではの再表現となった。
現代の人間が芯に抱えている虚無感を見事に描き出している。
コッポラが自分のフィルムライブラリーにこれを加えたのは,むべなるかなと思う。

『乾いた花』原作
石原慎太郎(東京都知事)


ここで,2011年5月17日に英題 "Pale Flower" として DVD とブルーレイがクライテリオン・コレクションから全米発売されたことを付け加えておきたい。

突如として映画界に現れた加賀まりこは驚きであった。映画の撮影時,彼女は10代だったはずである。

賭博場で平然と大金を賭ける冴子(加賀まりこ),村木(池部良)による殺しを無言で見つめる冴子の大きな瞳,バックに流れる武満徹の音楽,冴子は賭博場の隅に,いつも黙って座っていた葉(藤木孝)との情痴の果てに惨殺される。

つい先日,ラジオで篠田監督の講演を聴いた。大変面白い講演であったが,篠田監督は,この映画について,全く触れられなかった。しかし,大切なものと思っておられることは確かだと思う。以前,テレビ番組のインタビューに出演された時,彼の人の後ろの本箱の真ん中に 『乾いた花』 の VHS が置かれていた。

筆者も 同じビデオを所蔵している。気になるので,時々取り出して観ている。
by yojiarata | 2013-01-09 23:30 | Comments(0)

青春



はじめに,二人の日本人が中学生時代に書いた次の文章を読んでいただきたい。

ケムブリッヂのバックスの樹立に立ち,鏡のようなカム川に倒影を投げて春浅い灰色の空に聳えているキングス・カレ-ジの禮拝堂を仰いだ時の,あの深い感動は人間の一生にもそうたびたびあるものではないと思う。二十幾つのカレ-ジの禮拝堂から一齊に響き渡る,無数の天使が大空に翔る様を思わせるあの急調子の鐘の音をききながら,緑の芝生を廻って堂内に入り,端の席に坐ってパイプ・オルガンを演奏をきく。この同じ地球の上にこのようなものがあることを知らずに今まで過ごしてきたのか。長い年月の間に高い文化に育まれた人間の精神は,遂にこの世にこのようなものを造り上げていたのか。啓示という言葉がある。獨断かも知れないが,それはこのような場合に使われるのであろう。より雄大な,より豐富なアメリカの事物に接しても感じ得なかったこの強い感銘は何によるものであるか。それは古来この學園に傳った學問の力が背景となっているからであろう,と中學生は自問自答する。そしてその學問に對し,限りない畏怖の気持を感じたことを記憶している。

池田潔『自由と規律』岩波新書


池田潔は,第一次世界大戦の直後,中学在学中にイギリスに渡り,リ-ス・スク-ルに3年,ケンブリッジ大学に5年,ドイツに移ってハイデルベルグ大学で3年を過ごした。科学の歴史に偉大な足跡を遺したキャベンディシュの業績を讃えてケンブリッジ大学に設置されたキャベンディシュ研究所からは自然科学の歴史を変える業績が続々と生み出されてきた。この文章からは,イギリスが長年にわたって培った伝統の重みに瑞々しい感性をもって反応した中学生の池田少年の感動が率直に伝わってくる。

***


日本の博物学の歴史に偉大な足跡を残した南方熊楠について,柳田國男は 『さゝやかなる春 南方熊楠』 のなかでつぎのように書いている。

非凡超凡といふ言葉を,此頃の人はやたらと使いたがるが,何かちつとばかりはた者と変つて居るといふ程度の偉人ならば,むしろ今日は有りふれてゐる時代だといってもよい。現に私なんかの仲間では,骨を折って最も凡庸なるものを,見つけ出そうとしてゐる。ところが我が南方先生ばかりは,どこの隅を尋ねて見ても,是だけが世間並みをいふものが,ちょっと捜し出せそうにも無いのである。七十何年の一生の殆ど全部が,普通の人の為し得ないことのみを以て構成せられて居る。私などは是を日本人の可能性の極限かとも思ひ,又時としては更にそれよりもなほ一つ向ふかと思ふことさへある。・・・・・

国の再興を大いなる夢として,かつかつ生き続けて居る人々にとっては,南方熊楠は大切なる現象であり,又一つの事件でもあった。是だけは忘れてしまふことが出来ない。

『定本柳田國男集 第二十三巻』筑摩書房


南方熊楠は,ロンドンにあって,胸をはって日本を主張し続けた。イギリスの雑誌 Nature には,南方熊楠の研究成果が多数の論文として掲載されている。

是ヲ以テ人ノ父母タルモノ、子ニ旨味ヲ食ハシメ繍錦ヲ 着セシムル事ニ注意センヨリハ、
当ニ幼時ヨリ学術ヲ勉励セシメ、人道ヲ了知セシムル事ヲ務ムベキナリ。

『南方熊楠全集 第十巻』平凡社


この文章は,明治13年,十三歳一ヶ月の南方熊楠が和歌山中学校在学中に執筆した作文「教育ヲ主トスル文」の結びの部分である。

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宮城道雄が筝曲の歴史上初めての表題音楽『水の変態』を発表したのは14歳の時であった。筆者は,このような素晴らしい先輩をもったことを日本人として大きな誇りに思う。



青春の詩

青春とは人生のある期間をいうのではなく,心の様相をいうのだ。
優れた創造力,たくましき意志,炎ゆる情熱,・・・・・
こういう様相を青春というのだ。
年を重ねただけでは人は老いない。・・・・・
歳月は皮膚のしわを増すが,情熱を失う時に精神はしぼむ。
人は信念とともに若く,疑惑とともに老いる。
人は自信とともに若く,恐怖とともに老いる。
希望ある限り若く,失望とともに老い朽ちる。

サムエル・ウルマン『青春』(岡田義夫訳)


いまから百年近くも前に書かれたこの詩は,世界中の多くの人々の共感をよび,いまも愛誦され続けている。信念を失って干からびた二十歳の老人がいてもおかしくないし,希望に燃える八十歳の青年がいてもおかしくないのだ。

宮澤次郎『感動の詩賦 青春』(糸井出版,第十一刷,1989)
by yojiarata | 2013-01-08 21:40 | Comments(0)