<   2012年 11月 ( 7 )   > この月の画像一覧

O.J.Simpson事件  家庭内暴力の結末



1993年秋,事件は起きた。

この時点で,アメリカでは,子供から大人まで,O.J.Simpson を知らない人は誰一人としていなかったと思う。NFLフットボールのスーパースター。1968年,南カルフォルニア大学でハイズマン・トロフィー を受賞,バッファロー・ビルに入団後の8年間の活躍は目覚ましく,とくに1973年に達成した 2003ヤード,12 タッチダウンの記録は,今に至るも破られていない。

O.J.Simpson, 1977年,San Francisco・49ners に移籍後引退するが,その後,レンタカー会社のHertz の広告塔として大活躍,筆者がたまに渡米した時にも,テレビで茶色のビジネスバッグを持って走り回っている姿をよく目にした。そして,巨万の富を手にし,豪邸を建てた。

長身の美青年,国民的ヒーローの O.J.Simpson が手錠を掛けられてテレビに映った。全米を揺るがす大事件となった。

事件が起きた頃,たまたまアメリカにいた筆者は,テレビで毎日のように報道されるのをよく見た。どこかの空港の新聞売り場で購入したのが ここに写真を載せているペーパーバックである。


a0181566_1642977.jpg


O.J.Simpson (19歳)は,高校の同級生で才媛のMarguerite Whitly (18歳)と結婚するも1979年に離婚,その頃から,Nicole Brown (表紙の右下)と同棲。彼女はドイツのフランクフルト生まれ,アメリカ・カリフォルニアに移住し,1985年に18歳で O.J.Simpson と結婚し,2児をもうける。

結婚後,家庭内暴力が頻発するようになり,Nicole Brown の警察への通報により,O.J.Simpson が逮捕される事件が起き,結局,O.J.Simpson は Nicole と1992年に離婚する。

それ以来,嫌がらせを受け,”お前が別の男と一緒にいるところを見たら殺す” と脅されている。”可愛さ余って憎さ百倍” とはこのことである。O.J.Simpson のNicole へのストーカー行為がエスカレートし,1993年に事件が起きた。

6月12日深夜,ビバリー・ヒルズのすぐ近くのNicole の家の前で,彼女はボーイフレンドの Ronald Goldman とともに,血の海の中で殺害されているのが発見された。


裁判は1995年1月24日に始まった12人の陪審員の構成は,黒人8人,中南米系2人,白人1名,白人とインディアンの混血1人。陪審員は管区の人口動態比で決められるため,検察側は事件の発生場所である白人優位のサンタモニカを避け,裁判管区をロスアンジェルスのダウンタウンに変えた結果,このような構成になったのである。

腕利きの弁護士が介在し,1995年10月3日,陪審員は全員一致で無罪を評決した。


1996年10月に,Nicole と Goldman の遺族が起こした民事の慰謝料請求裁判が1997年結審。
O.J.Simpson は有罪となり,850万ドルの保障賠償支払命令,2500万ドルの懲罰賠償支払命令が出され,家財道具が差し押さえられた。なお,この裁判では,陪審員12人の構成は,白人9人,黒人1人,中南米系1人,黒人とアジア系の混血1名であった。


いまでこそ,ストーカーという表現は,世界中どこでも通用するようになったが,この事件の頃は,アリカでも日常的に使われていた表現ではなかったようである。あの頃,アメリカ CNN Larry King Live で取り上げられ,ストーカーの被害にあった女性に,ストーカーされる心境を Larry King が聞いていたのを観た記憶がある。なお,Merriam-Webster Onlineによると,ストーカーが今日のような意味につかわれた 最古の例 は14世紀 に記載されている。


***


男性と女性がこの世に誕生以来,形は違っても結果においては同じことが延々と続いてきたに違いない。そして,これからも続くであろう永遠のテーマである。

文章としても多くの作品が残されている。歌舞伎,文楽,映画,・・・ 。

一例を挙げれば,『夜の鼓』1958(現代ぷろ=松竹)原作・近松門左衛門「堀川波鼓 (ほりかわ・なみのつづみ)」,橋本忍,新藤兼人脚色,今井正監督作品,三国連太郎,有馬稲子,森雅之

夫(三国連太郎)が鳥取藩から江戸勤務中に,妻(有馬稲子)は鼓の師匠(森雅之)と不義を働く。それを知った夫が激しく妻を殴りつける。可愛さ余って憎さ百倍,妻を斬る。映画は,夫が妻敵(めがたき)である鼓の師匠を成敗するシーンで終わる。この場面では,三国連太郎はジュラルミンの刀では迫力がでないといって,本身の刀を使ったという。

この映画を観たとき,三国廉太郎が有馬稲子をものすごい勢いで右手で殴るシーンがあまりにも真に迫っていて,ァ 可哀そう,だけど芝居だからいいか,と思った記憶がある。あれから 55年,ごく最近のNHKのラジオ番組に出演された有馬稲子さんは,昔を振り返り,三国さんに,あの大きな手で本気で殴られ,ひっくり返り,頭の中が真っ白になったと言っておられた。



【追記】(1/6/13)

『夜の鼓』 撮影にまつわる様々な事柄は,『有馬稲子 のど元過ぎれば有馬稲子 私の履歴書』 (日本経済新聞社,2012),佐野眞一『怪優伝 三国連太郎・死ぬまで演じつづけること』(講談社,2011) に興味深く綴られている。
by yojiarata | 2012-11-27 12:25 | Comments(0)

薬学と共に生きる



友人の勧めもあって,ブログを書き始めて2年近くになる。

筆者は,薬学を専攻し,過去50年以上にわたって,教育,研究を生業としてきた。そのせいもあって,筆者のブログは,良くも悪くも,現在のような内容のものになった。

日本薬学会の会員に毎月配布される会誌 ファルマシアに,2012年度は毎号,会員のためのコラム「薬学と50年」を執筆した。その題名は以下の通りである。なお,このブログの読者のために,記事に1行ずつ要約を付した。


1) 薬学はピリジンの香り
薬学を専攻することを決め,建物に入った時の経験はその後の50年を決める

2) 「命」を学ぶ
司法解剖を何度も見学する機会を得て,「命」を学んだ

3) 逆転の発想
内外の優れた研究者の,凡人には思いつかない発想に驚嘆,刺激を受ける

4) 未知との遭遇
高橋秀俊,後藤英一両博士によって作られた日本最初の ”電子計算機” を利用させていただいた経験

5) ひとたび生を得て,滅せぬ者の有るべきか
がん細胞は,自然界で唯一,死滅することを忘れた細胞である

6) 恐怖の報酬
学生実習で,現場の実験の恐ろしさを知る

7) 指揮官の器
研究を組織して,大きく発展させるには,指揮官の力量が問われる

8) ポーリングの講演を聴く
大学院学生の時に聞いた ”分子医学” に関する講演に,詳細は理解できずとも,いたく感銘を受ける

9) 医師の教え
何人かの医師をの会話を通じて,薬物の化学に全く関心がない医学の世界の問題点を知る

10) 構造生物学と創薬
構造生物学は,今後,創薬に貢献するだろうか?

11) 研究費バブル 夢か現か
研究費の配分において必須のピュア・レビューのシステムは,日本には確立していない

12) 少年よ ドンキホーテになろう
目的を定めたら,猪突猛進して,日本のサイエンスの先頭に立ってほしい


機会があったら読んでいただければ幸いです。
by yojiarata | 2012-11-20 21:25 | Comments(0)

副作用とは何か?



「副作用」という言葉が日常的に使われている。世間で 副作用がどのように理解されているかを知るため,岩波広辞苑(第六版)を引いてみる。

《医薬の一定の作用を利用して治療しようとする時,それに伴って,治療の目的にそわないか,または生体に不都合な作用が起ること。また,その作用。》

アメリカ国立がん研究所のウェブサイトには,がん治療における副作用について,いかにもアメリカらしい 極めて即物的な記述がある。

《健康な組織あるいは器官に影響を与える効果。典型的な例は,疲労感,痛み,吐き気,嘔吐,血球細胞の減少,脱毛,口内の痛み》


ここで読者の注意を喚起しておきたいことがある。薬物の副作用という場合,それはあくまでも 薬物を開発した人間側の論理に基づく ものであるという点である。しかし,薬物を投与される側の人間にとっては,“主” も “副” もないはずだ。“主” とは,薬物が標的とする細胞や 組織,あるいはその周辺に存在するさまざまな物質,例えばタンパク質を,薬物の開発者が勝手に設定した”希望”に過ぎない。すなわち,薬物の開発者にとっては,こうして定められた相手を攻撃するのが薬物の本来の作用,それ以外の想定外の相手を攻撃することによって惹き起こされる好ましからざる症状が副作用ということになる。しかし,物事そんなに単純ではない。

次の2点を強調したい。

1) 薬物の相手は人間である。人間の体内の営みは果てしなく複雑である。

2) したがって,薬物がどこをどう回って,薬の開発者があらかじめ想定した作用(主)を発現し,それに加えて予期せざる作用(副)を発現するかどうかは予見できない。

化学療法では,薬物の及ぶ範囲はつねに全身である。すなわち,口から飲むにせよ,静脈中に点滴で投与するにせよ,“主” も “副” も,つねに全身が対象となっていることを忘れてはならない。この点は,良くも悪くも,化学療法の特徴でもあり,また欠点でもある。薬物開発の当事者,治療にあたる医師は,全く想像もしなかった副作用につねに最大限の注意を払わねばならない。

人のからだには,異物から自らを守るために長年にわたって進化の過程で作り上げられた ”免疫系” が体中に複雑に張り巡らされている。医師の処方する薬であろうと,ドラッグ・ストアーで売られている,たとえば単なる風邪薬でも,胃腸薬でも,免疫系の網に引っ掛かり,大事件を引き起こすことが無いなどとは決して断言できない。

副作用の問題は,今後の新薬開発に影のようについて回る永遠のテーマである。


【付録】

薬物の副作用に関連して

高血圧の経口薬として用いられていた血管拡張剤のミノキシジルは,のちに髪を育成し脱毛症を回復させる効果(副作用)が偶然に発見され,1980年代にアメリカの製薬会社がハゲや脱毛症の治療用として販売を始めた。日本では医療用医薬品としてミノキシジルは承認されていない。しかし,医療用成分の実績が無いまま,いきなり一般用医薬品(大衆薬)として承認され,1999年から リアップとして販売が始まっている。
















































br
by yojiarata | 2012-11-20 21:05 | Comments(0)

マイルス・デイビスのスペイン



超後期高齢者となり,歩行の時速が100メートル以下となった今,外国旅行など望むべくもないが,” もし今一度の訪問 ” が許されるならば,躊躇なく,”スペインへ” と答える。

学会で一度だけ,連れ合いともども,スペインを訪ねたことがある。


ホアキン・ロドリーゴ が 97歳で亡くなったことは,1999年7月7日付の新聞で知っていた。学会が開かれたのはその直後のことだった。
a0181566_16154498.jpg


ロドリーゴは3歳の時に失明しながら,『アランフェス協奏曲』 など数々のギター作品を発表し,世界中にその名を知られている。

学会はグラナダで開催され,会場の目の前には,道を隔てて,アルハンブラ宮殿があった。

キリスト教徒の攻勢のなか,グラナダ王国はイスラム教徒の最後の牙城であった。そのグラナダ王国も,1492年1月2日末,キリスト教徒の手に落ちた。


フィリップ・K・ヒッティ / 岩永博訳『アラブの歴史(下)』 (講談社学術文庫,1989,402ページ) には,次のように書かれている。

――――――――――――― 


スルタンは,・・・・・” 赤色の城 ” (アルハンブラ宮殿,筆者注) を後にし,華やかな従者の行列に取り巻かれて立ち去り,ふたたび帰らなかった。スルタンは馬上の人となるとき,首都に最後の一瞥を与えるために振向き,嘆息し,さめざめと涙を流した。・・・・・

かれが悲しみの中に別離の一瞥を投げた岩山の高地は,今日なお 「モーア人の最後に悲嘆」 の名で知られている。・・・・・


―――――――――――――


筆者が訪れたときも,アルハンブラ宮殿はレンガ色のまま,グラナダ王国の頃の面影を今に留めている。特に夕暮れどき,レンガ色の姿が闇の中に浮かび上がる光景は忘れがたい。

筆者のCDコレクションの中に,Miles Davies: Sketches of Spain がある。Gil Evans が編曲,オーケストラの指揮を受け持った素晴らしい録音である。Gil Evans の演奏をバックに,Miles Davies の乾いたトランペットが冴えわたる。ほかにも,アンダルシア地方に伝わる4 曲の小編が録音されている。Miles Davies のトランペットは,15世紀まで栄えたイスラム文明を思い起こさせるあの暑くて乾いたグラナダの気候に実によくあう。

a0181566_1615252.jpg


アルハンブラ 宮殿を訪ねた折,Washington Irving による Tales of THE ALHAMBRA (EDICTIONES MIGUEL SÁNCHEZ, GRANADA, 1832 ) を買い求めた。著者がロシア生まれの友人と旅した記録である。

a0181566_2021531.jpg


小型で308 ページの 小冊であるこの作品は,全編が詩のような流れるような文体で書かれている。そして,結びに著者が書いた

THE AUTHOR'S FAREWELL TO GRANADA (301-302 ページ)は

次のように締めくくられる。

Towards sunset I came to where the road wound into the moundains and here I paused to take a last look at Granada. The hill on which I stood commanded a glorious view of the city, the Vega and the surroundig mountains.

.....

« I will hasten from this prospects» thought I, «before the sun is set, I will carry away a recollection of it clothed in all its beauty»
With these thoughts I pursued my way among the mountains. A little further and Granada, the Vega and Alhambra, were shut from my view and thus ended one of the pleasantest dreams of a life which the reader perhaps may think has been but too much made of dreams.

1832年に出版された Tales of THE ALHAMBRA が200年近くが経過した現在でも読者をえていることは,容易に想像できる。


筆者が愛するドン・キホーテを生んだスペインをもう一度訪ねたいものだ。
a0181566_2213438.jpg


a0181566_223984.jpg


サンチョ・パンザを引き連れて勇ましく “出撃” するドン・キホーテ。風車に突進して ポン と跳ね返されたときのドン・キホーテの言葉:

“総じて,いくさは何事よりも,一瞬の後を測りえぬものじゃ。・・・”
セルバンテス(永田寛定訳)『ドン・キホーテ 正編(一) 』(岩波文庫,第52刷,1993,179ページ)
by yojiarata | 2012-11-12 22:35 | Comments(0)

田中文部科学大臣の発言は正論である



1)新しい大学,短期大学,大学院大学を新設,2)既存の大学の新しい学部,大学院等の設置にあたっては,文部科学省に申請書を提出する。文部科学省では,同省に設けられた「大学設置・学校法人審議会・大学設置分科会」において審査が行われる。

大学設置分科会については,文部科学省の関連のウェブサイトに次のように記されている。

大学設置分科会における一般的な審査スケジュール は,1)の場合には,5月または7月の審査会で特段の意見がなければ早期認可を行う。2)の場合には,7月の審査会で特段の意見がなければ早期認可を行う。



忘れもしない。筆者がまだ大学で現役の頃である。平成4年(1992年)8月,文部省(当時)から大学設置・学校法人審議会専門委員 (大学設置分科会) を委嘱された。

委員会には,何人かの若手官僚(課長あるいは課長補佐?)が出席し,年長さんと見られる一人の官僚が議事進行にあたった。会は退屈きわまるものであり,どちらかというと辛抱強さに欠ける筆者はいらいらしながら座っていた。要するに,各委員の前に並べられた分厚い資料を棒読みしているだけであった。

長時間をかけて朗読した後,進行役の官僚が次のように宣った。

【ご出席の委員の先生方,いかがでございますか。・・・(寂として声なし)・・・ “特段のご意見” がございませんようでしたら,本日の議案はご了承いただいたものとして,これで散会とさせていただきたく存じます。】

この馬鹿丁寧な言葉使い,意味はわかるが,不気味な響きのある “特段のご意見” なる官僚言葉を耳にして,遂に堪忍袋の緒が切れた。

【あなたたちは,こんな下らないことで忙しい我々を集めたのか? 今日のような委員会なら,資料を郵送すればすむじゃないか。第一,このまま議案が認められないことになったら,困るのはそちらでしょ。】

会議室は一瞬奇妙な沈黙に包まれた。おそらく官僚にとっては,こんな短気な委員にぶつかったことなど,それまでに経験がなかったのではあるまいか。官僚は,筆者に向かって意味不明のことを大声でワーワー叫びながら,そのまま散会となった。

帰りの道すがら,顔見知りの先輩の委員が,

【寅さんじゃないけど,あんた,それ言っちゃ御仕舞よ。】

と,怒りの収まらない筆者に,慰めるような,諫めるような言葉をかけた。先輩は官僚との付き合いのプロであった。

想像するに,このあとは,組織の上へ上へと送られ,最終的には高等教育局長のハンコが押され,文部省の認可が決定されるのであろう。つまり,分科会で 2,3人の駆け出しの官僚によってすべてが決定され,そのまま国の決定になる。恐ろしいといえば恐ろしいことではないか。

要するに,審査も何もあったものではない。ことは審査の前に既に決まっているのである。申請する大学などは,認可を前提に,2,3年前から建物などの準備に入っている。

そういえば,申請している大学の学長が補佐役をつれて筆者の研究室を訪問された。”今回,***大学の 設置の認可を文部省に申請しましたので “よろしく” という趣旨の発言をされた。

考えてみると,いささか変である。筆者が分科会の委員の一人であることをどこで知ったのだろうか。答えは明瞭である。

要するに,こうして,官僚の意のままに大学が新設されている。日本中に大学が増えすぎ,レベルが下がり,卒業後の学生の就職が困難になるなどおかまいなしに!

大体,こんないい加減なやり方で日本の高等教育の成り立ちが決まってしまうのであれば,11月6日のブログ ”日本の科学技術政策” に書いた通り,日本の研究,教育に未来はない。

田中大臣はこの点を十分ご存じの上で,11月2日にあの発言をされたのであろう。確かに暴走する傾向を否定できない彼女の行動と発言は周りから反発を招いたが,発言の内容自体,筆者は正論であると思う。

田中大臣によれば,新しく委員会を立ち上げて新しく大学の設置を考えていくという。問題の本質に火を点けた田中大臣の志が生きることを望んでいる。
by yojiarata | 2012-11-09 23:28 | Comments(0)

頭の中を風が流れる



10年以上も前のことであるが,ヘンテコリンな症状に襲われた。息をするたびに,頭の中に何処からともなく空気が噴出して流れ,ざわざわと音を立てて耳から出て行くのである。生き死の問題ではないのだが,如何にも気持ちが悪い。

耳鼻科にいくと,これは,“耳管開放症” といって,体重が急に減るときによく起こるのです。体重が増えればまたもとにもどりますとのことであった。

たしかにその時,体調が悪く,体重が数キロ減っていた。お医者さんの説明に全面的に納得したわけではないけれど,症状はいつの間にか消えた。測ってみると,体重が少し増えていた。


【付録】

もう一つ,付け加えておきたい異変。

歯と歯の間に何かが詰まった。気になるので,口を大きく開いて,手を突っ込んで取り出そうとした。これがいけなかった。ポクン♪ と音がして,口が閉じなくなってしまった。何が起きたかわからず,しばらくぼんやりしていたが,少しずつ,こわごわ口を閉じていき,何とかもとの状態にもどった。

これからが大変だった。食事も少しずつそろそろ,味も何もあったものでない。

歯医者さんにいった。状況を話すやいなや,彼の人は

貴殿が困っているのは “顎関節症” であると診断を下された。何故かわからないけれど,若い女性によくある疾患ですとおっしゃる。

私を垂直軸の周りでぐるぐる回してレントゲンを歯並びの全体を撮り,3日後に再訪することになった。3日後に行ってみると,歯の周りにかぶせる “輪っか” が用意されていた。食事のたびに外して掃除し,煩わしいことこの上もない。装着するのが面倒くさくなり,いつの間にかやめてしまった。

気が付いてみれば,いつの間にか症状は消えていた。しかし,今でも,大口を開けてリンゴに噛みつくなどはしないよう注意している。

加齢とともに,いろいろなことが襲ってきて悩みは果てない。
by yojiarata | 2012-11-09 20:05 | Comments(1)

日本の科学技術政策



京都大学の山中伸弥博士にノーベル賞のニュースに接し,日本中が興奮し,マスコミを含めてその余韻が今も続いている。

例えば,昨日(11月5日)の朝日新聞の夕刊(8面)。

奈良先端科学技術大学院大学が企画した「NAIST東京フォーラム2012」(10月18日,朝日新聞社共催)において,育てよう 明日の山中さん と題して,文科省高等教育局長,星薬科大学学長,サイエンス作家,奈良先端科学技術大学院大学理事によるパネルディスカッションの内容がまとめられている。

それぞれのパネラーの発言は誠に正鵠を射たものであり,筆者には何の異議もない。

問題はここから先である。

筆者はこれまで何度かこの点について私見を述べてきた。

荒田洋治『日本の科学行政を問う-官僚と総合科学技術会議』(薬事日報社,2010)

荒田洋治『薬学と50年-研究費バブル 夢か現か』(ファルマシア[日本薬学会],48,No. 11,1090,2012)

問題は,一言でいえば,如何にして世界に通じる研究者を育て,研究費を投入するかである。

日本では,国の科学行政の方向を決めるのは 「総合科学技術会議」 である。問題は,総合科学技術会議の実態である。ご覧のように,政治家のほかに,数名の委員がいる。そこに名を連ねているのは,遥か昔に現役を引退された方々ばかりである。

その議事の詳細は,ウェブページで見ることができる。上記のファルマシアの記事で紹介したように,そこで交わされる議論は,驚くほどレベルの低く,あきれ返るばかりである。

最大の問題は,現役を引退された一握りの委員の先生方が一国のサイエンスの行く末を決定することである。こんなやり方は,”サイエンス先進国”の中では日本だけである。要するに,公平な審査(ピアレビュー)が無いも同然なのである。いつのまにか,どこかですべてが決まり,巨額の研究費が動く。

このような土壌からは,たとえいくら研究費を投じても,ドブに捨てるようなものである。過去10年の間にどれだけ無駄に国費が浪費されたか,筆者が丹念に追跡した結果を『日本の科学行政を問う-官僚と総合科学技術会議』(薬事日報社,2010)に記述した。

話をもとにもどす。「NAIST東京フォーラム2012」のパネルディスカッションは,全くの正論であるが,それは単なる観念論である。サイエンスの世界は,まさに格闘技である。例えば,フィンランドのある大学で研究を続けている筆者のかつての同僚にとって,議論を正面からぶつけ合うサイエンスの戦いにおいて,レビュアーである外国の第一級の研究者を納得させなければ,たちまち研究費がカットされ,研究を続けることができなくなる。

11月3日の朝日新聞朝刊7面には,山中博士を招いた開かれた総合科学技術会議における野田佳彦首相の発言内容が掲載されている。曰く,山中博士の研究のインパクトに鑑み,

・・・・・ 若手研究者の育成に向けた研究費の改革を関係省庁に指示。「 iPS 細胞に続く新たなイノベーションを幅広い分野で生み出してほしい」と述べた。

終了後,会見した前原誠司・科学技術政策担当相によると, ・・・・・ 研究者の身分を安定させて研究に専心してもらうことや,出身大学なとで評価が左右されない仕組みをつくって独創的な研究者を見つけることという。(新聞からの引用は原文のまま)


科学技術政策担当相は,例えば,日本において,研究の中核を担うはずのポスドクがどのように悲惨な状況におかれているか をご存じなのだろうか。

研究者の有り余る才能を浪費させる国,ピアレビューの存在しない国のサイエンスに未来はない。
by yojiarata | 2012-11-06 23:20 | Comments(0)