<   2012年 02月 ( 2 )   > この月の画像一覧

日本の電気



東日本大震災を切っ掛けに,日本の電力事情がさまざまなかたちで議論されてきた。

その中で,これまであまり議論されてない点がいくつかある。

その一つは,遠隔の地に電気を送る際の,電気抵抗に由来するエネルギー・ロスの問題である。筆者がアメリカに滞在していた1970年の初頭,常温超伝導体の開発が大きな話題となっていた。常温で超伝導状態を実現できれば,遠隔地への送電が大きなメリットを受ける。とくに,アメリカのような広大な国では,大きな関心が寄せられた。しかし,その後,常温超伝導体の開発は頓挫し,少なくとも現在では忘れられた存在となった。

もう一つは,日本独自の問題である。東日本と西日本とでは,電気のサイクル数が異なる点である。60サイクル(ヘルツ)の西日本の電気は,50ヘルツの東日本の電気とは全く異質なものであり,互換性がない。

このため,かりに,東日本側で西日本から電気の提供を受けようとしても,60ヘルツ ⇒ 50ヘルツへの変換器が必要である。これは多大の手間と費用がかかる大変な仕事である。

何故こんなヘンテコリンなことになったのか。その歴史的背景には,いかにも日本らしい事情がある。

文明開化の時点において,電気に関するすべての知識を西欧先進諸国に頼っていた日本は,ドイツのアルゲマイネ社の50サイクル発電器を採用した東京電燈会社とアメリカのトムソン・ハウストン社(のちにエジソン社と合同してゼネラル・エレクトリック社となる)の60サイクル発電器を採用した大阪電燈会社の歴史をいまに至るも引きずっている希有の国である。

すなわち,苦情のもっていく先がどこにもないのである。

小竹即一(編):電力百年 前編,政経社(1980)[→ 104ページ:124ページ]

電気事業便覧(通商産業省資源エネルギー庁公益事業部監修,電気事業連合会統計委員会編),平成10年度版,日本電気協会(1998)[→ 352ページ]
by yojiarata | 2012-02-22 20:20 | Comments(0)

異郷にて



あれから 50年 になる。

1970年代のはじめ,家族と共にカリフォルニアのパロアルトに滞在していた。筆者はスタンフォード大学メディカルセンターの薬理学教室で客員助教授として仕事をしていた。ベトナム戦争の最中であり,さまざまな経験をした。

異郷での生活が続けば誰しも,ふと故郷のことが頭を過ぎることがある。

インターネットもない,e-mail もない,雑誌,新聞などはサンフランシスコの日本人街で2,3週間遅れ,2,3倍の価格。そんな時代であった。

それでも当時,日曜日の夕方に1時間,日本からのテレビ番組が放送されていた。

『燃えよ剣』 (司馬遼太郎・原作,栗塚旭・主演)を楽しみにしていた。左右田一平の印象的な語りが,遥か彼方の日本に筆者を連れ戻した。その左右田さんが,今月10日に亡くなった。享年81。

亡き友・高野公男の思い出を回想しつつ,『別れの一本杉』 (高野公男作詞,船村徹作曲) をギターで弾き語る船村徹に感動した。

異郷にあって,自分は日本人であることを改めて実感した。
by yojiarata | 2012-02-22 18:52 | Comments(0)