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円滑なコミュニケーションのために 第1話



自分を正確に第三者につたえる。これは,現代に生きる我々がつねに考慮しなければならない重要な問題である。

筆者は,50年以上,薬学,化学の世界にあって,失敗と反省を繰り返しながら,いかにして自分を的確につたえるかについて,切磋琢磨して来た。これまでに,筆者自身の経験をもとに,『自分をつたえる』(岩波ジュニア新書,2002)のほか,化学の学生のために,『化学者のための論文・講演指南』を雑誌「化学」(化学同人)に一年間にわたって連載した(2008年)。筆者が考えてきたことを多くの日本人と共有したいと考え,これまでに執筆した記事を大幅に加筆,訂正,再編集してここに掲載する。


Ⅰ 文章と文化


A) 英語で文章を書く

日本人である私たちが直面する大きな壁のひとつは,求められている文章を英語で作成することである。英語の文章をいかに書くかについては,過去に多くの著書が刊行されている。しかし,日本語と英語の文化的な相違にまで遡って深く考えることがなければ,この点の答えを見出すことはできないと思う。英語で文章を書くとは,単なる英作文ではないからである。

イギリスの物理学者A.J.Leggett(1938-)は,京都大学理学部物理学教室・松原研究室の客員として在籍していた1965年,日本人物理学者の英語論文の校閲をした経験をもとに,『Notes on the writing scientific English for Japanese physicists 』 (日本物理学会誌 第21巻,第11号(1966))を執筆した。なお,レゲットは,その後アメリカに渡り,2003年,「超伝導と超流動の理論に関する先駆的貢献」によりノーベル物理学賞を受賞している。

レゲットはここで,日本人の書く英語の論文について,次のようにように総括している。

1) 日本人の書く英語の論文は,多くの場合,肝心の部分がまるで “墨絵” のように曖昧模糊としている。

2) その理由は,はっきりと自己を主張すべき状態においてそれを怠るためである。

3) “含蓄に富んだ主語の無い文章” に慣れ親しんできた日本人は,その発想を根底から軌道修正しない限り,西欧民族が100%理解できる学術論文を書くことは難しいのではないか。

レゲットは,“墨絵のように曖昧模糊とした文章” では,論理の流れが左の図のように,行きつ戻りつしている。これに対して,西欧人には,論理が右の図のように “前へ前へと流れないと理解し難い” と主張する。

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左 論理が行きつ戻りつした文章
右 論理が前へ前と流れる文章

『Notes on the writing scientific English for Japanese physicists 』 (日本物理学会誌 第21巻,第11号(1966))より引用

レゲットによれば,英語で文章を書くとは,論理的に書くことであり,この壁を破れば,英語を書くことは単に機械的な翻訳の作業になる。すなわち,英語で文章を書く場合の大前提は,基本的には英語の問題ではなく,自らの考えをいかにして論理的にまとめあげるかにかかっている。

日本物理学会会員のために執筆したレゲットの記事には,物理学者のみならず,英語で文章を書き,英語で話そうとする全ての日本人が傾聴すべき極めて本質的な点が鋭く指摘され,いまもなお多くの読者に読み継がれている。レゲットの記事を読んだ上で,われわれはどうすべきかを次に考えていきたい。

B) 日本語の文章と英語の文章

日本人である我々が良い英語の文章を書くための条件は,良い日本語の文章を書くことである。レゲットのコメントを念頭に置き,文章の背景にある日本の文化と西欧の文化を比較しながら,我々はどうすべきかについて熟慮しなければならない。この点を考える上で,谷崎潤一郎と木下是雄の主張は非常に参考になる。

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左 谷崎潤一郎
右 木下是雄

谷崎潤一郎の主張


イギリスの詩人Arthur David Waley (1889-1966) は,中国文学,日本文学に多大の関心を持ち,翻訳,評論など多くの著書を残している。そのなかで,日本で最もよく知られている著作が『源氏物語』の翻訳 “THE TALE OF GENJI”(Modern Lib, Random House,1977復刻) である。

谷崎潤一郎(1886-1965)は,その著書『文章読本』(中公文庫,改版,1996)のなかで,Waley による翻訳を引き合いに出しつつ,極めて興味のある議論を展開している。

“つまり,英文の方が原文よりも精密であって,意味の不明瞭なところがない。原文の方は,云わないで分かっていることは成るべく云わないで済ませるようにし,英文の方は,分かり切っていることでもなお一層分からせるようにしています。・・・・・英文のように云ってしまっては,はっきりはしますけれどもそれだけ意味が限られて,浅いものになります。”

源氏物語の英語訳に関して谷崎潤一郎が具体的にどのように考えていたかに関しては,第2話で詳しく述べる。

『文章読本』(1934)には,

“含蓄といいますのは,・・・・・「イ あまりはっきりさせようとせぬこと」及び「ロ 意味のつながりに間隙を置くこと」が,即ち含蓄になるのであります。・・・・・この読本は始から終りまで,ほとんど含蓄の一事を説いているのだ と申してもよいのであります。”

とあり,次のように結論している。

“言語学的に全く系統を異にする二つの国の文章の間には,永久に踰ゆべからざる垣がある”


木下是雄の主張


木下是雄(1917-)によって執筆された『理科系の作文技術』(中公新書,1981)は,単に理科系のみならず,さまざまな分野で文章を書く場合の問題点を鋭く指摘した著作として,大きなインパクトを社会に与えた永遠の名著である。『理科系の作文技術』 には,『文章読本』 とは極めて対照的なことが書かれている。

“明快な文章の第一の要件は,論理の流れがはっきりしていること,一つの文と次の文との結びつき方が明瞭なこと”

をあり,明快に書くための条件として,以下の3点が挙げられている。

(1) 一文を書くたびに,その表現が一義的に読めるかどうか ― ほかの意味にとられる心配はないか ― を吟味すること

(2) はっきり言えることはスパリと言い切り,ぼかした表現(・・・といったふうな,月曜日ぐらいに,・・・ではないかと思われる,等々)を避けること

(3) できるだけ普通の用語,日常用語を使い,またなるべく短い文章を構成すること

さらに,すぐれた文章であるための条件がつぎのようにまとめられている。

“<いい文章>をいうときに多くの人がまっさきに期待するのではないかと思われるもの,すなわち「人の心を打つ」,「琴線にふれる」,「心を高揚させる」,「うっとりさせる」というような性格がいっさい無視されていることである。・・・・・ これらの文書のなかには,原則として<感想>を混入させてはいけないのである。”

C) 明快さと含蓄

“感想を排した明快な文章を書くことをどこまでも心がけるべきである” と説く木下是雄と,“あまりはっきりさせぬよう,意味のつながりに間隔を置いて含蓄のある文章を書かねばならない” と主張する谷崎潤一郎の間の隔たりは,一見際立っている。

『文章読本』によれば,谷崎潤一郎は,同氏の戯曲『愛すればこそ』 のロシア語の翻訳に当たっているロシア人に

“困っていることがある。貴殿の戯曲「愛すればこそ」は一体誰が愛するのであろうか,「私」なのか,「彼女」なのか,「世間一般の人」なのか,要するに主格を誰にしてよいか明瞭でない”

という意味の質問をされたという。これに対して,谷崎潤一郎は,つぎのように答えたと書いている。

“・・・「私」と限定してしまっては少しく意味が狭められる,「私」ではあるけれども,同時に「彼女」であってもよいし,「世間一般の人」でも,その他の何人であってもよい,それだけの幅と抽象的な感じとを持たせるために,この句には主格を置かないのである,それが日本文の特長であって,曖昧と云えば曖昧だけれども,具体的である半面に一般性を含み,ある特定な物事に関して云われた言葉がそのまま格言や諺のような広さと重みをもつ,それゆえ出来るなら露西亜語に訳すのにも主格を入れない方がよい”

少なくとも,日本語であれ,英語であれ,科学論文を書くためには,木下是雄の主張は100% 正しいことは明らかである。しかし,じっと胸に手をあてて考えてみてほしい。三十一文字と共に育ってきた日本人の心には,谷崎潤一郎の言葉に共感する部分が少なからず宿っていると思ってしまう。

興味深いことに,谷崎潤一郎自身,『文章読本』のなかで次のように “告白” している。

“ただここに困難を感ずるのは,西洋から輸入された科学,哲学,法律等の,学問に関する記述であります。これはその事柄の性質上,緻密で,正確で,隅から隅まではっきりと書くようにしなければならない。然るに日本語の文章では,どうしても巧く行き届きかねる憾みがあります。従来私は,しばしば独逸の哲学書を日本語の訳で読んだことがありますが,多くの場合,問題が少し込み入って来ると,分からなくなるのが常でありました。そうしてその分からなさが,哲理そのものの深奥さよりも,日本語の構造の不備に原因していることが明らかでありますので,中途で本を投げ捨ててしまったことも,一再ではありません。けだし,東洋にも昔から学問や技術のことを書いた著述がないことはありませんけれども,われわれの方は「曰く云い難し」的の境地を尊んで,あまり露わに書くことを嫌った。”

以上述べてきた点は,英語で文章を書き,講演をする場合に直面する問題と深く関わっている。

第1話の結びとして,日本語であれ,英語であれ,良い文章を書くための条件についてまとめておきたい。

(1) 自分の考えを自分の頭のなかで徹底的に練り上げる。

(2) まとめた考えを,必要なら編集し直し,順序立てて論理的に一本の太い筋が通ったストーリーとなっていることを確認する。

(3)出来上がった(あるいは,出来上がったと思っている)文章を,納得がいくまで推敲する。

(4)推敲の過程には,“間” が必要である。文章の長さにもよるが,“間” は,1時間のこともあれば,1日のことも,また場合によっては1ヶ月あるいはそれ以上のこともあり得る。



つづく

by yojiarata | 2012-01-25 18:02 | Comments(0)

円滑なコミュニケーションのために 第2話



Ⅱ 源氏物語の英語訳をめぐって


谷崎潤一郎が文章についてどのように考えていたかは,『文章読本』に克明に記されている。例えば,西洋の文章と日本の文章の項には,きわめて重要な点が鋭く指摘されている。谷崎潤一郎は,

言語学的に全く系統を異にする二つの国の文章の間には,永久に踰ゆるべからざる垣がある

と書いたあと,『源氏物語 須磨の巻』の一節をとりあげ,アーサー・ウェーレーによる英語訳を原文と比較している。

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源氏物語 須磨の巻より


該当部分はつぎの通りである。

かの須磨は,昔こそ人のすみかなどもありけれ,今はいと里ばなれ,心すごくて,海人の家だに稀になむと聞き給へど,人しげく,ひたたけたらむ住ひは,いと本意なかるべし。さりとて都を遠ざからむも,古里覚束なかるべきを,人わろくぞ思し乱るゝ。よろづの事,きし方行末思ひつゞけ給ふに,悲しき事いとさまざまなり。

このくだりを,ウェーレーはつぎのように英訳している。

There was Suma. It might not be such a bad place to choose. There had indeed once been some houses there; but it was now a long way to the nearest village and the coast wore a very deserted aspect. Apart from a few fishermen’s huts there was not anywhere a sign of life. This did not matter, for a thickly populated, noisy place was not at all what he wanted; but even Suma was a terribly long way from the Capital, and the prospect of being separated from all those whose society he liked best was not at all inviting. His life hitherto had been one long series of disasters. As for the future, it did not bear thinking of!

ウェーレーの英語訳を,谷崎潤一郎が日本語に訳し直した文章をつぎに引用する。

須磨と云う所があった。それはすむのにそう悪い場所でないかも知れなかった。まことにそこにはかって若干の人家があったこともあるのである,が,今は最も近い村からも遠く隔たっていて,その海岸は非常にさびれた光景を呈していた。ほんの僅かな漁夫の小屋の外には,何処も人煙の跡を絶っていた。それは差支えのないことであった,なぜなら,多く人家のたてこんだ騒々しい場所は,決して彼の欲するところではなかったのであるから。が,その須磨さえも都からは恐ろしく遠い道のりなのであった。そうして彼が最も好んだ社交界の人々の総べてと別れることになるのは,決して有難いものではなかった。彼のこれまでの生涯は不幸の数々の一つの長い連続であった。行く末のことについては,心に思うさえ堪え難かった!

このあと,谷崎潤一郎は,ウェーレーの英語訳についてつぎのように書いている。

同じことを書いても英語にするといかに言葉数が多くなるかと云う実例をして,お目にかけるのであります。御覧の通り,原文で四行のものが,英文では八行(その直訳で八行)に伸びています。それもそのはず,英文には原文にない言葉が沢山補ってあるのであります。 ・・・・・ 「今はいと里ばなれ,心すごくて,海人の家だに稀になむと聞き給へど,人しげく,ひたたけたらむ住ひは,いと本意なかるべし。」と,そう云っているだけである。然るに英文ではこの原文の文句をかた引き伸ばして,「今は最も近い村からも遠く隔たっていて,その海岸は非常にさびれた光景を呈していた。ほんの僅かな漁夫の小屋の外には云々」から「決して彼の欲するところではなかったのであるから。」まで,三四行を費しています。 ・・・・・

つまり,英文のほうが原文よりも精密であった,意味の不鮮明なところがない。原文の方は,云わないでも分かっていることは成るべく云わないで済ませるようにし,英文の方は,分かり切っていることでもなお一層分からせるようにしています。

しかし原文も,必ずしも不鮮明なのではない。なるほど「古里覚束なかるべし」と云うよりは「彼が最も好んだ社交界の人々の総べてと別れること」と云った方がはっきりはしますけれども,都を遠く離れて行く源氏の君の悲しみは,この人々と別れることばかりではない。そこにはいろいろの心細さ,淋しさ,遣る瀬なさが感ぜられるのでありましょう。さればそれらの取り集めた心持を「古里覚束なかるべし」の一語に籠めたのでありまして,英文のように云ってしまっては,はっきりはしますけれどもそれだけ意味が限られて,浅いものになります。

筆者自身には,ウェーレーによる英語訳の文章が,英語がよくできる学生が書いたレポートを超えるのものとは思えない。しかし,これは翻訳者であるウェーレーの責任ではない。ウェーレーは,源氏物語に描かれた状況を完全に“説明”している。個々の日本語が,それぞれ,どのような意味をもつかを読者に伝えることが最終的な目的であれば,この翻訳はその目的を完全に達しているといえよう。しかし,それによって,谷崎潤一郎が書いているように,日本語と英語の特徴が鮮明に浮かび上がってくる。

ひとつの言葉を別の言葉に移すことは実際には不可能である。ここで述べた点は,外国語で書かれた文学作品を日本語に,また,日本語で書かれた文学作品を日本語に移し変える場合にいつもあてはまることである。この点は,1000年前に書かれた日本語の文章を,現代の言葉に“翻訳”する場合にも同様にあてはまる。“翻訳”によって,なるほど意味は理解できるが,原著の世界が遠くに翳んでしまうことは避けられない。この点はまた,単に文学作品だけの問題ではない。広くいえば,たとえば政治の世界でも,また,理科系の文章であっても,事態は基本的には変わることはない。

ここには,日本で,日本の文化とともに,日本語に囲まれて育ってきた我々日本人が,今後,いかにして海外の人々と意志疎通をしていくべきかのヒントが盛り込まれている。



つづく

by yojiarata | 2012-01-25 18:00 | Comments(0)

円滑なコミュニケーションのために 第3話



Ⅲ 聴衆を前にして話しをする


第3話では,これまで議論してきた点をどのようなかたちで講演と繋がりを付けるべきかに話題を移す。講演をするに当たっては,さらに新たな要素が加わる。

ここでは,話し手を演者,演者による話しを講演,聞き手を聴衆と書く。演者の話題はさまざまであり,聴衆は小規模のグループミーティングの場合の数名から,数百人を超える場合を想定して話を進める。

文章を執筆する場合には,書き手と読者のあいだに“時間の間隔”がある。これに対して,講演は,刻一刻と変化する聴衆の反応に対して,演者が瞬間に対応を求められる,いわば“リアルタイムの対決”にほかならない。そして,まず頭におく点は,聴衆のスペクトル,すなわち,どのような専門分野の聴衆が対象であるかである。聴衆は,自らの専門分野の人々の集まりであることもあれば,より広い興味をもつ人々であることもある。

せっかく良い内容の講演であっても,演者が “千切っては投げ,千切っては投げ” で話しをして,迷走してしまっては,聴衆はついていくことができない。そうなれないためには,講演全体が筋道の通った明確な“ストーリー”,すなわち演者の志,ビジョンによって貫かれていなければならない。ストーリーが前もって良く練り上げられていれば,話があっちへ飛んだり,こっちへ飛んだりして,講演が支離滅裂になることはない。いいかえれば,講演の成否は,演者が頭に描いているストーリーをいかに的確に聴衆につたえるかにかっている。

1) あるノーベル賞作家の講演

日本人のノーベル文学賞受賞者(現在も現役で活躍中)が,アメリカの大学で講演をしたときのことである。

日本であれば,ノーベル賞作家というだけで,大勢の聴衆が集まる。アメリカの場合もそうであったようであるが,講演の途中で一人抜け,二人抜けて,最後は大変に寂しい状態になったという。アメリカのとくに若者は,日本の若者以上に,辛抱するということができない。話が退屈であれば,あくびをし,新聞をひろげ,そして遂にたまらず席を立ってしまう。これは,筆者がアメリカの大学に客員として滞在していた頃,授業を聴講していてしばしば目撃したことである。

日本であれば,“難しくてちんぷんかんぷんだけれど,さすがはノーベル賞作家の先生の講演だ”ですむであろうが,アメリカの場合には,それではすまない。失礼といえば,こんな失礼なことはないのであるが,これも国民性でやむを得ないと思う。

しかし,本当の原因はノーベル賞作家ご自身にあったと筆者は推察する。小さな声で,ぼそぼそと,論理の定まらない,谷崎潤一郎のいう主語のない日本語をそのまま翻訳したような英語で講演すれば,聴衆は席を外すしかないであろう。強調しておくが,これは演者の英語力の問題ではない。極論すれば,たとえどんなに英語がひどくても,話が人を惹きつける内容のものであれば,聴衆は膝を乗り出してなんとか理解しようと努力するである。すなわち,この作家の講演は,残念ながら,言語不明瞭,ストーリー不明瞭の失敗作だったといわざるをえない。

日本を“代表する”作家ならば,相手が自分とは文化を異にする民族であることを十二分に認識しておられるはずであるから,そのつもりでストーリーを練りに練り,講演に臨むべきであったと思う。いわば “日本の代表選手”は,それだけの自覚をもっていただきたいというのが,わたしの率直な感想である。それでなければ,文化を異にする外国の人々に“あいまいな日本の私”を,説得力をもってつたえることが出来るはずがない。

2) ストーリーと起承転結

重要な点は,一言で言えば,考え抜かれたストーリーを“背骨”として,いかに理解しやすく,かつ迫力をもって相手に自分をつたえるかである。

強調したい最も重要な部分を,汗を飛び散らして,大きな声で,迫力と共に,聴衆に訴えることこそ,筆者が演者に期待したいことである。小さな声で弱々しく話したのでは,どんなに良い講演であっても,聴衆に自分をつたえることなどできない。良い講演とは,演者の志,ビジョンが聴衆の心を捉える講演であると,筆者は信じている。

考え抜かれたストーリーによって構築された講演とは,別の言葉でいえば,“起承転結”のある講演である。筆者自身が,起承転結という言葉に初めて出会ったのは,高等学校の国語の教科書に載っていた寺田寅彦の『線香花火』(『寺田寅彦全集 第二巻』(岩波書店,1997)「備忘録に所収」)である。『線香花火』は,“起”に相当するつぎの文章で始まる。

“はじめ先端に点火されてただかすかに燻っている間の沈黙が,これを見守る人々の心を正に来るべき現象の期待によって緊張させるにちょうど適当な時間だけ継続する。”

『線香花火』はつぎのように締めくくられる。

“実際この線香花火の一本の燃え方には,「序破急」があり「起承転結」があり,詩があり音楽がある”

今読み返してみても,起承転結をこれほど明快に書いたものはない。筆者のいうストーリーの意味を実感していただくために,実際の講演を念頭において,起-承-転-結について順番に,敷衍して述べることにする。

“起”

すなわち,イントロダクションである。イントロダクションが講演の成否を決める重要なステップであることは間違いない。とくに,自らの専門分野と異なる聴衆を対象とする場合には,たとえ短くても,必要にして充分なイントロダクションが必須である。また,自分と同じ分野であっても,分野が多様化している現在では,それ相当のイントロダクションが必要である。この点を一歩誤ると,聴衆の注意は離れ,講演の成功は望めない。

“承”

イントロダクションのあと,講演をどんどん盛り上げていかねばならない。ここでも,聴衆のスペクトルに配慮し,語りたい成果を充分整理して,聴衆に確実につたわるように心がけたい。

“転” 

これまでに述べたと同様,ある部分は静,ある部分は動,発声の強弱にも配慮する。

“結”

文字通り,シンフォニーの最終章にあたる。簡潔に,かつ,力感をこめて語りたい。

3) 講演時間

筆者の経験では,30分より短くても,長くても,講演の組み立てはより困難になる。明治詩壇の重鎮の一人であった薄田泣菫は,『茶話』(岩波文庫,1998年復刻)のなかで,次のように書いている。

“長い文章なら,どんな下手でも書く事が出来る。文章を短く切り詰める事が出来るようになったら,その人はいっぱしの書き手である。これは演説にもまたよく当て嵌る。”

禁酒法を制定したことでも知られるアメリカのウィルソン大統領は, 1916年に再選され,1918年1月世界平和のための「14ヶ条」を発表,国際連盟規約を作成し,パリ講和会議で修正採択された。婦人参政権の実現に尽力したウィルソンは,1919年アメリカ大統領としては二人目のノーベル平和賞受賞した。薄田泣菫によれば,雄弁家としても知られていたウィルソン大統領は,“演説の準備にどれくらいの時間をかけるか”と問う友人の質問に次のように答えたという。

“一番たいへんなのは5分間の演説で,用意するのに2週間はかかる。・・・・・

30分の講演ならば,1週間をかけて準備する。・・・・・

もしか喋舌れるだけ喋舌ってもいうのだったら,それには準備など少しも要りません。今すぐにと言って,すぐにでも喋舌れますよ。”

ウィルソン大統領のこの言葉は,良い講演をするための条件をとして極めて示唆に富んだものである。
 

4) ゆくりなき人のことばの,ふと耳にとまりて

良い講演の準備は一日ではできない。そうかといって,毎日毎日考え通しでも,頭の中で,さまざまな考えが堂々巡してよい準備をしているというわけにはいかない。5分間の演説のために2週間をかけると言ったウィルソン大統領は多忙な毎日を送るなか,こんなことができるはずもない。筆者自身は,それが何ヶ月先の講演であっても,電車の中などでふと思いついたことをメモしておくことが長年の習慣になっている。

ここで,17年の歳月をかけて日本で最初の近代的国語辞典『言海』を完成した大槻文彦(1847-1928)について言及しておきたい。高田宏『言葉の海へ』(岩波同時代ライブラリー,1998)には,大槻文彦の次の言葉が引用されている。

“酒宴談笑歌吹のあひだにも,ゆくりなき人のことばの,ふと耳にとまりて,はたと膝打ち,さなりさなりと覚りて,手帳にかいつけなどして,人のあやしみをうけ,・・・・・”

これは,間違いなく,良い講演をするための必要条件である。

大槻文彦は,蘭学者・大槻玄沢(1757-1827)の孫にあたる。文彦は,祖父玄沢の言葉,

“およそ,事業は,みだりに興すことあるべからず,思ひさだめて興すことあらば,遂げずばやまじ,の精神なかるべからず”

を座右の銘とし,寝食を忘れて『言海』の執筆に取り組んだ。苦闘の末に完成した『言海』の跋文に,文彦は,

“おのれ,不肖にはあれど,平生,この誡語を服膺す”

と書き記している。『言海』は,改訂版『新言海』として冨山房より出版されているが,原本の『言海』(吉川弘文館,明治三十七年)も,今でも古書店で時々見かける。筆者の手元に,手帳の大きさ,厚さが10センチ近いサイコロのようなかたちの『言海』(明治三十八年,第百五十版)があるが,開くたびに文彦の肉声が聴こえてくる思いがする。

話が少し脇道に逸れるが,辞書といえば,筆者が大学生の頃から愛用してきた勝俣詮吉郎『新英和活用大辞典』(研究社)の序文に書かれた言葉 “この辞書は,「作った辞書」ではなく「出来た辞書」である” の一文は忘れることはない。勝俣詮吉郎は,この辞書の出版までに五十年近い歳月を費やし。『言海』もまた,「作った辞書」ではなく,「出来た辞書」である。

現在では,勝俣詮吉郎の辞書をもとにして,『新編英和活用大辞典』(研究社)が出版されています。CD-ROM 版も 同時に発売されて確かに便利にはなったが,この新版は,「作った辞書」である。一旦路線さえ敷かれれば,そのアイディアをもとにして,新しくかつ使いやすい辞書を作ることは極めて容易だ。勝俣詮吉郎の志は,紛れも無く今も生きている。

5) 原稿を作るな

講演の内容を“頭の天辺から足の爪先まで”全て間違いなく紙に書き,そのまま読むにせよ,原稿を丸覚えして朗々と再現すれば,面白くもおかしくも無い,退屈きわまる演説のようになることは必定である。しかも,いったん脱線すると,元に戻ることが困難になり,支離滅裂な講演に終わる惧れがある。すなわち,講演は大失敗に終わる。

講演に当たっては,徹底的に練り上げたストーリーを“頭に叩き込んで”登壇する。この際,念のため,葉書大の紙1,2枚を用意し,ストーリーの展開に必須のキーワードを,講演会場の明かりの中でも確実に判読できるよう大きな字で書いて登壇することを薦めたい。できればそれも見ないほうが良いのですが,講演では,人は(少なくとも筆者は)大なり小なり興奮状態にあり,肝心のポイントは絶対に言い忘れないという保証はないからである。

突然話題が変わるが,原稿を作って講演に臨み,見事な成果を挙げた稀な例外がある。落語の六代目桂文楽はこの例外に列せられる稀有な噺家であった。文楽の頭の中では,噺の内容が最初から最後まで整然と記憶され,それを見事な話術で,山もあり,谷もある噺として,高座で100%再現することの出来る名人であった。その文楽が高座で絶句した。もう一度勉強して出直しますといって,そのまま引退してしまった。

率直な意見を述べさせていただけるなら,文楽の噺は少なくとも私には聴いていて楽しいといえるものではなかった。筆者自身の偏見かもしれないが,完全なものには,何かしら面白みが欠ける。妙な喩えになるが,野球で言えば“パーフェクト・ゲーム”。ゲームとしては決して面白いものではない。いつ何かが起きるかが最も重大な関心事になってしまうからである。

6) スライドの準備

現在では,旧来のスライドに代わって,パワーポイント(マイクロソフト)によるコンピュータ画像が用いられているが,ここでは,便宜上,“スライド”とよぶことにする。

スライドの枚数

スライドの枚数は,必要不可欠なものに絞り込まねばならない。筆者自身は,30分程度以上の講演時間が与えられた場合には,特別な場合を除き,“与えられた時間マイナス10”とする。すなわち,講演時間(討論を含む)が30分の場合には,20枚が上限になる。この点は,少なくとも筆者の長年の経験からいって絶対に間違いない。30枚あるけれども,そのうち7,8枚は1枚につき10秒程度で終わると高を括って講演に臨んでも,ほとんど場合,時間を超過する。

ただし,これはあらかじめ考えに考え抜いて選んだ1枚づつの場合である。こうして選んだスライドそれぞれに,全力をあげて薀蓄を傾けることだ。そのようにして選んだスライドなら,筆者が上で述べて枚数の条件は絶対に当てはまりる。繰り返すが,スライドを必要にして充分な数に絞り込むことが講演にゆとりをもたせるための絶対の条件だ。自信をもって講演するには,自分が重要であると考えるスライドはゆとりをもってゆっくりと話したいからである。そうでなければ,自らの意図は聴衆に充分につたわらない。

スライドの文字と図

見栄えのするスライドを準備することも確かに大切であるが,それは二の次だ。実際には,会場の広さに配慮した文字,図の大きさは,最後列に座っている聴衆を念頭において,充分に大きく,読みやすいものにする。例えば,複雑な図に小さな文字でぎっしりと詰め込まれたスライドは,聴衆のフラストレーションを増し,それだけで講演の雰囲気を悪くする。このようなスライドが続けば,聴衆の心は離れ,講演は失敗に終わることは間違いない。



つづく

by yojiarata | 2012-01-25 17:50 | Comments(0)

円滑なコミュニケーションのために 第4話



Ⅳ 講演に臨む


1) 最初の1分が勝負を分ける

講演の滑り出しの1分をどのように使うかは,最も慎重に準備すべき点である。この1分は,登壇したら 直ちに会場を見渡し,最後列に座っている人に自分の声が充分届くことを確認する1分でもある。

ポインター,マイク(固定のもの,胸にクリップでとめるもの,それらの電源スイッチ),PCの準備など講演に必須の道具類などの配置は,前の演者(達)が講演している間に克明に観察しておく。筆者自身はこれらの点を確認するため,もし可能ならばセッションの始まる前の休憩の時間をさりげなく利用するようにしている。

登壇してからこれらの点検を始めるようでは,たちまち最重要な1分が過ぎ,聴衆の心が離れてしまう。また,登壇するや否や,聴衆に配布した資料の訂正などを延々と説明する人がいるが,これも絶対に避けなければならない。もし必要なら,訂正の部分をまとめた資料のコピーが用意されていることを講演の終りに聴衆につてえればすむことである。この点の注意を怠れば,先頭打者ホームランによって,ゲームの主導権を奪われるように,自らの講演はその出鼻をくじかれることになる。

繰り返しになるが,最初の1分で聴衆の心をつかまなければならない。上質なジョークの一つも入れば上出来である。大道芸,漫才などの世界では,“つかみ”という表現が実際に用いられている。聴衆の心を一瞬にして“つかみ”,演者と聴衆が時空間を共有するための最初の1分の重要さは,どれほど強調しても強調しすぎることはない。

2) 良い講演をするためのキーワード

発声のダイナミックレンジ

自分自身が発することの出来る最も大きな声を念頭において講演を始める。無論,最初から最後まで,その声の大きさを続けるためではない。どうしても強調したい大事な事柄を,大きな声で,ゆっくりと話すためである。講演の大部分は,自分の標準の声の大きさにもどって話を続ける。無論,最後列の聴衆にも充分聞こえるように,つねに注意を払わなければならない。講演を,心地よく,しかも分かりやすく聴いてもらうためにはこの点はきわめて重要である。

ステレオ装置に喩えれば,良い装置は小さな音にしたとき,その実力を発揮する。音を大きくすれは,どんな装置でも,少なくともマニア以外には,なんら変わりなく響き渡る。音量を下げたときにステレオ装置の良し悪しが決まるのだ。講演もまた同じ。自らが出せる最大の音量を念頭において,講演の局面,局面で音量を調節し,また,ある部分は高いキーで,またある部分は低いキーで話す。また,話の区切り,間の取り方にも充分留意しなければならない。これが,筆者のいう発声のダイナミックレンジの意味である。ダイナミックレンジに充分に配慮することよって講演に“メリハリ”がつくのである。

くどいようであるが,もう一度強調しておく。たとえば,大音声の連続は聴衆の耳を塞がせることになり,講演は残念ながら失敗ということになる。さりとて弱々しい声は最悪の事態を招く。演者は,発声のダイナミックレンジに最大限の注意を払ってほしい。とくに,重要な言葉は,ゆっくりと大きな声で明瞭に発声するよう心がけることだ。

以上述べて点は,この点は,日本語の講演であっても,英語の講演であっても全く共通である。

正確な発音

演説における発音の重要さは,どれほど強調しても強調しすぎることはない。ここでいう発音とは,日本語の発音のことである。

筆者は,授業や講演などを日々の仕事としてきた関係で,テレビのニュース番組に出演するアナウンサーの発音が非常に気になっている。テレビに出演してニュースを読むからには,プロのアナウンサーとして十分に修業を積んでおられるはずだと思っていた。しかし,残念ながら,少なくとも筆者は,がっかりする場合がほとんどである。

まず,プロを自称するテレビのアナウンサーの発音を注意深く聴いてみてほしい。私たちは日本人ですから,画面を眺めつつ,少しくらい発音が不明瞭でも,彼または彼女が何を話しているかは容易に想像がつく。しかし,筆者自身にとっては,発音の良し悪しは非常に気になる。例を挙げてみる。

東北地方(to-ho-ku-chiho)が,遠く地方(toh-ku-chiho)
ニューヨーク市場(nyu-yoh-ku-shijoh)が,入浴市場(nyu-yoku-shijoh)

としか聞こえないことがしばしばある。

また,言葉と言葉の間をつなぐ“アノー”,“エー”には閉口である。よく聴いていると,エーは姿を変えて小さく,短く,“ェ”となって,随所に挟まれている。ごく自然に,ほとんど聞こえないくらいに小さな声で連発される“エー”,“アノー”が,聞き手をどれだけ落ち着かない気分にさせるのかは,もしかしたら,アナウンサーご自身はまったく気が付いておられないのではないかという気がする。すっかり,癖になってしまっているのではないだろうか。しかし,これでは,残念ながら,プロとしては失格だといわざるをえない。

稀に,正確な発音,アノー,エー,ェなどの全くいってほどないアナウンサーに出会うことがある。NHKのニュース「おはようニッポン」(午前7時,月曜日-金曜日)を担当している阿部渉アナウンサーを一度聴いてみてほしい。“アノー”,“エー”,“ェ”もなく,極めて明快な発音に接し,聴いていて実に清清しい気分になる。

この教訓は,読者が講演する場合にそのまま通じる。講演するからには,聴衆に気持ち良く聴いてほしいのは当然だ。

これまで述べてきた点に関しては,日本の伝統芸能に学ぶところが多々ある。筆者にとって,五代目古今亭志ん生は話術の神様である。発声のダイナミックレンジがなんといっても素晴らしいのだ。すなわち,大切な言葉は少しゆっくりめに,大きな声で明瞭に発音し,発声の強弱,抑揚,絶妙な間など絶品としか表現のしようがない。ある先輩に“志ん生さんは私の話術の師匠です”と話したとき,“君なんかダメだよ”と一笑に付された。私は何も志ん生さんの話術に並ぼうなどと言ったのではない。志ん生さんの話術を鏡として努力し続けていると言ったまでである。

3) ユーモアとセンス

この章の冒頭で,最初の1分で聴衆の心を“つかむ”ことの重要さを指摘した。この段階を含めて,講演は生きていなければならない。アメリカの第40代大統領レーガンは,話術にかけても抜きん出ていた。そのレーガン大統領に暗殺未遂事件が起きた。緊急手術を受けることになった大統領は,自分を取り巻く医師団をゆっくりと見渡したあと,次のように言ったという。

“よろしく頼む。ところで,諸君は全員,共和党員だろうね。”

何事によらず,ちょっとしたユーモアは,その人の人柄として大きく評価される。“対話と圧力”を馬鹿の一つ覚えのように繰り返していた総理大臣とは大変な違いである。



つづく

by yojiarata | 2012-01-25 17:40 | Comments(0)

円滑なコミュニケーションのために 第5話



Ⅴ 英語の修業


1) ただ努力あるのみ

夢いまだ成らず

言語学者であり,眼科医でもあったザメンホフ(1859-1917)は,ロシア帝政下のポーランドのユダヤ人居住区に生まれた。民族差別の最中に成長し,15歳の時に,のちにエスペラントとよばれることになる“国際語”の創造へと目をむけていたと言い伝えられている。そのザメンホフは次のように書き残している。

“人々はいろんな言語に自分の時間をさかれて,そのうち一つにしっかり身を入れることができず,そのために一面では自分の母国語さえも完全にはつかんでいないようです。・・・・・もし私たちがみんな,ただ一つの言語だけを持つなら事情はすっかり変わってくるでしょう。そうなれば,これらの言語そのものはもっとよく磨かれ,完全なものにされ,言語がいま目のまえにあるありようも,もっとずっと高度なものになるでしょう。”

伊東三郎『エスペラントの父 ザメンホフ』(岩波新書,1950)

エスペラントの熱心な支持者は世界中に大勢いる。日本でも,明治39年(1906年)に「日本エスペラント協会」が創設された。しかし,現在では,英語があまりにも広がりをみせ,事実上の“国際語”になってしまった。 

英語圏の人々は,それだけで優位に立っている。だとすれば,われわれはただ日々の修業あるのみだ。英語を身につけるための修業は,その気になった読者は,今すぐ始めるべきである。そのためには,人によってさまざまなやり方がある。しかし,読者は主な時間を自分自身の仕事に割くべきであるから,英語の修業に多くの時間はかけられない。

次に,筆者自身が学生の頃から営々と続けてきた修業の経験を語りたい。ひとにはそれぞれに適したやり方があるから,筆者が述べることは,単なる一例だと考えていただきたい。また,何の問題も無く自由に英語を話し,聴き,書くことが出来る(あるいはそのように信じている)読者は,筆者がつぎに書くことは無視していただいてよい。

早起きは三文の徳

月曜日から土曜日まで,毎朝6時に起きて,NHKラジオ第2放送の『基礎英語1』,『基礎英語2』(合計30分)を毎日欠かさず聴く。第1回の放送は4月であるが,途中からでもかまわいので,今すぐ始めてほしい。この放送は,月曜日と火曜日,水曜日と木曜日,金曜日と土曜日は同じ内容であるが,全部聴く。詳細については,ウェブページ を参照してほしい。なお,録音しておいて時間のあるとき聴こうとするする読者には,長くても一ヶ月で英語修業計画が頓挫することを保証する。CDも販売されているが,同じ理由により勧められない。

ポイントは2つ。

1) 「継続は力」なり。放送は毎日欠かさず聞くこと。

2) 覚えた表現はどんどん使って「練習」すること。

なお,『基礎英語1』,『基礎英語2』は,中学1年生,中学2年生が対象となっている。だからといって,決して馬鹿にしてはならない。確かに,講座の内容は中学校で教わることばかりである。はっきり言うが,『基礎英語1』,『基礎英語2』の英語が流暢に話せる日本人はほとんどいないと思う。“早起きは三文の徳” ほどピッタリの表現はない。

現在では,NHK衛星第1放送で,アメリカABC,アメリカCNN,イギリスBBCなどのテレビ番組が放映されている。これらの番組も,時間のあるとき,たとえ短時間でもぼんやり眺めていると耳を鍛えることに役に立つ。

『基礎英語』を越えて

ここで,付け加えておきたい大切なことがある。『基礎英語』 さらには関連するラジオ,テレビの英語講座は,多くの場合,親しい友人同士の間に交わされる軽い会話が中心になっている。まったく面識のない人,自分より年長の人,あるいは自分の先生などに話す場合には,当然のことながら,その場に相応しい英語表現が求めらる。“寅さんの日本語”は大変面白いことを否定する人は誰もいない。だからといって,寅さんの日本語をどのような場でも使ってもよいというわけにはいかない。読者は,どのような場に自分がおかれているのかを判断し,言葉を選んで行動していただきたいといっているのである。

日本語には敬語があって,英語には敬語がないなどと勘違いしないでいただきたい。英語には英語で,相手の立場にたって発言するために,文法の言葉でいえば“仮定法”が用意されている。状況にあわせて使うべき表現,避けるべき表現がある。比喩的にいえば,物体が固い壁に直接ぶつかるのを避けて,物体のまわりにクッションを巻いておくようなものだ。人と人との交流は,単に,話しが通じればよいではすまないことは理解いただけると思う。この点は我々が成長とともに身につけるべきいわば広い意味での“教養”である。教養に裏打ちされた英語を身に付ける努力がなければ,読者がどこに出しても恥ずかしくない英語の語り手に成長することはない。『基礎英語』は英語修業の旅の一里塚に過ぎないことを肝に銘じていただきたいと思う。

2) 郷に入っては郷に従え

かって筆者が仕事をしていた職場に滞在していたオーストリア出身のMさんは外国語を身に付ける天才のような人物であった。彼によると,はじめて滞在する国で,平均して一ヶ月で言葉を聞き取ることができ,話すことができるという。一ヶ月は割り引いて考えるとしても,少なくとも日本語に関しては,Mさんのおっしゃる通りなので,どのように鍛錬をするのかを聞いてみたところ,Mさんはつぎのように答えた。

“言葉とは歌である。できるだけ多くの現地の人々と交流し,理屈抜きであたかも歌を覚えるように聞いたり話しているうちに,少なくとも日常生活では困らない境地には容易に達することができる。”

いわれてみれば,Mさんのおっしゃることは,確かに真実をついていると思う。赤ちゃんは,お母さんから歌としての言葉を知らず知らずのうちに身につける。別の例では,外国から来た大相撲のお相撲さん。どうしてそんなに早く日本語が話せるようになったのかは,Mさんの説の通りである。外国人力士たちは,日本人のお相撲さんに囲まれ,生活をしているうちに,いつのまにか日本語を身につけたのであろう。言葉の訓練は,歌う訓練でもあることを改めて実感する。

この話には,続きがある。

筆者が駈出しの頃と違って現在では,長期であれ,短期であれ,外国に滞在する機会は必ずといってよいほどある。私は,この経験を生かすも殺すも,当人次第だといいたいのである。困ったことに,外国では,どこの国にも,大小は別にすると,必ず“日本人社会”が存在する。筆者は,角がたたないように気を使いながら,日本人との交流を極力避けることをお勧めしたい。 最初,右も左も分からないとき,例えば銀行口座を開くときなど,助けてもらえばこんなに安心なことはないかもしれない。しかしそれが発展的に拡大し,バーベキューを賞味する集まり,自動車を連ねた観光旅行などと続き,日本人社会にどっぷり浸かると,摩擦なしに逃げ出すことは事実上不可能になる。これによって,外国の文化を吸収する千載一遇の機会が失われてしまう。

筆者は,アメリカに十何年も暮らしながら,彼または彼女の無残としか言いようの無い英語に驚いた経験が何回もある。多くの場合,これらの人々のアメリカを知らなさ加減もただ呆れるばかり。察するに,彼または彼女は,日本人社会にどっぷり浸かり,帰国する頃にはその中心的人物として活躍しておられたに違いない。

マリナーズのイチロー選手が,2007年のメジャーリーグのオールスターゲームのMVPに選出された。この晴れがましい授賞式の場でのインタビューで,彼が通訳を介して日本語で答えていたのには大変なショックを受けた。アメリカに7年も滞在しながら,なぜ日本語だったのか,全く理解不能であった。下手でもよいではないか。もともと,流暢な英語など誰も彼に期待してはいないのだから。それにジョークの一つも入れば大喝采間違いなしてある。これで彼の人間としての人気は何十倍も上がったはずである。松井秀喜は,2009年のワールドシリーズのヤンキースの制覇に大きく貢献し,MVPに輝いた。この時も,イチローの場合と同じであった。

日本人大リーガーは,例外である長谷川 滋利を除くと,大同小異である。この点の努力が無ければ,真にメージャーリーガーとして成功することは難しいのではないだろうか。

野球に限らない。例えば,最近,女子サッカーの最優秀選手に選ばれた選手,チームの監督も,壇上で一言でよいから,英語でお礼の言葉を述べてほしかった。

また,国際会議こそ,外国人の友人を増やす絶好の機会である。その後,電子メールを介する交友の輪が広がり,それによって共同研究の開始など無限の可能性が開けてくるはずだからである。ボスが手の者を従えて,日本人だけがぞろぞろ群がる“悲しくもおかしい”光景をよく目にするが,これではいつまでたっても,英語のみならず,その背景にある英語圏の文化の吸収など望むべくもない。

3) 音感を磨く

ここで,もうひとつ付け加えておきたいことがある。それは音感の問題である。現在,アルファベットを用いて日本語を表示するのに,ヘボン式とよばれるローマ字綴りが主に用いられている。広辞苑第五版によれば,ヘボン(1815-1911)は,アメリカ長老派教会宣教師・医師で,ブラウン,フルベッキとともに安政六年(1856)に来日,医療・伝道のかたわら,日本で最初の和英・英和辞典(和英語林集成)を完成し,ヘボン式ローマ字を創始した。日本を背負っていく人材の育成をめざして,三人の宣教師が開いた塾は,明治十年(1877),明治学院となった。

ところで,映画少年であった筆者が,中学生,高校生の頃,手当たり次第見た映画のヒロインのなかに,キャサリーン・ヘプバーン,オードリー・ヘプバーンがいた。大学生になった筆者は,『英語研究』(研究社)に堀内克明先生が連載された記事に大変興味を惹かれ,英語の発音の練習に夢中になっていた。あるとき,pとbが繋がった単語の発音の項で,人名の Hepburnの例が出てきた。そこには,ヘボン式ローマ字のヘボンと,女優のヘプバーンは,同じ綴りであると書かれていた。私は不覚にも,大学生になるまでそんなことを考えてもみなかったのである。努力してきたつもりだったのに,自分はいったい何を勉強していたのだろうと大変なショックを受けたことをいまでもはっきりと覚えている。ちなみに,ヘボンの名前は,正式にはJames Curtis Hepburnです。ヘボン自身は自ら,平文と名乗っていたということである。明治学院は,現在では明治学院大学となったが,そのウェッブ・ページには,いまでもHepburnはヘボンと表記されている。

本来の英語の単語は,末尾が子音で終るのが普通である。また,上で述べたように、二つの子音が母音なしでつながれる例が多数ある。これは日本人には大変厄介な問題で,発音の困難さとともに,英語の聞き取り難さの原因となる。(元)駐日アメリカ大使のライシャワーは,つぎのように書いている。

The common trade name “Brother,” pronounced Buraza, contains at least four major phonetic errors. Consonant clusters and syllabic endings, as in “craft,” “dog,” or “cat,” are unpronounceable to untutored Japanese. ….. It is quite confusing when Japanese ….. convert the one syllable name of the French writer Sartre into the four syllable monstrosity, Sarutoru.
Edwin O. Reischauer: The meaning of internationalization, Seibido (1990)

日本語と英語では単語の成り立ちが違うから,Mさんの例のように,歌として徹底的に練習を積む以外に英語上達の方法はない。これは,漢文学習の場合の素読に相通ずるものがあると思う。

話がわき道に逸れるが,例えば,映画のヒロイン(heroine)は,あいにく,麻薬のヘロイン(heroin)と発音が完全に同じである。インターネットで読むことのできるメリアム・ウェブスターなどに録音されている発音を聞いて確かめていただきたい。

4) 好きこそ物の上手なれ

英語の力を向上するには,ただ日々の修業あるのみである。かといって,一日24時間英語の修業をすべきだなどといっているのではない。要は,好奇心と熱意だ。英語の修業に王道などない。“1ヶ月で英語が喋れる”など,巷に溢れる宣伝に惑わされてはならない。

読者は忙しい日程のなか,テレビゲームの代わりに,たとえ一日5分でも10分でも,“自分は英語の修業をしている身である”ことに思いをめぐらせてほしい。早朝のラジオ講座を軸に,最低でも1年間,決して休むことなく辛抱して修業を続けていただきたい。何事によらず,楽をして達成できるものなどこの世にはないということを肝に銘じることである。また,朝は頭がとくに冴える時間であるから,“オマケ”として,自らの本業に関するアイディアなどがふと浮かんでくるかも知れない。

永井荷風は次のように書いている。

“好きこそ物の上手といふ諺文学芸術の道に名をなす秘訣と知るべし。
・・・・・
読書思索観察の三事は小説かくものの寸毫も怠りてはならぬものなり。読書と思索とは剣術使の毎日道場にて竹刀を持つが如く,観察は武者修行に出でて他流試合をなすが如し。”

永井荷風『小説作法』「荷風随筆集(下)野口富士男編,岩波文庫,1986」

永井荷風は,英語が好きになることこそ,英語上達の道であるといっているのである。英語の修業が楽しみになれば,こんな嬉しいことはない。こうして,修業を積んでいけば,読者の英語の力はどんどん膨らんでいくことを保証する。繰り返えすが,それは決して平坦な道ではないことを肝に銘じてほしい。

次に引用するのは,今から600年以上も前に書かれた世阿弥『風姿花伝』のなかの“17,18歳頃の修業”の一節である。もしも読者が,自らの英語を徹底的に改善し,研究に役立てようという意思があるなら,この一節を時々そっと眺め(毎日だと怖いので),能を英語と読み替えて努力していただきたい。

“この比の稽古には,ただ,指をさして人に笑はるるとも,それをは顧みず,内にては,声の届かん調子にて,宵,暁の声を使ひ,心中には,願力を起して,一期の堺ここなりと,生涯にかけて能を捨てぬより外は,稽古あるべからず.ここに捨つれば,そのまま能は止まるべし.”

世阿弥『風姿花伝』(岩波文庫,1958年復刻)より引用

本稿を終わるに当たって,倉石武四郎『中国語五十年』(岩波新書,1973)に是非とも言及しておきたい。中国の言語と文化の研究にその生涯を捧げた倉石武四郎(1897-1975)は,次のように書いている。

“わたくしは,まだ若いとき,本居宣長の『古事記伝』をよみ,「こころとこととこころは相構えて離れず」の一句にいたり,深く推服した。宣長としては,後世のものが上代のことを研究するときの心得としたのであろうが,われわれ外国,ことに中国のことを学習し研究するものにとって,このみじかいことばこそ生涯これを服膺してもなおあまりあるものであった。”

日本語には日本の文化が,中国語には中国の文化が,また英語には西欧の文化が背中に張り付いている。しかし,世界の人々と交流し,理解しあうためには,たとえ日本語であっても,そこで展開される論理は,国の枠を越えて,文化を異にするすべての人々に通用するものでなければならない。逆に,外見は立派な英語であっても,この点に関する配慮が欠落していれば,まったく国籍不明の言語と受け取られることになってしまうであろう。テレビなどに“バイリンガル”と称する人々がしばしば登場する。バイリンガルになるためにはどうしたらよいかなど沢山の著作がこれまで発刊されている。バイリンガルは,ファッションとして憧れられているのである。

月面着陸したアポロ11号とNASA管制センターのやりとりを同時通訳した西山千(1911-2007)の言葉が遺されている。

“話し手の意図を相手の言葉で表現するのが通訳。バイリンガルだけではダメだ。社会や文化を理解したバイカルチャーにならなくては。”

5) 英語を越えて:礼節と交遊

英語の勉強にあたって,付け加えておきたい大切なことがある。それは,一言でいえば,礼節と交遊である。筆者は面倒なことをいっているのではない。その場その場の状況にあった言葉の選択が必要であることについては,すぐ上に書いた通りである。 

学校や職場の廊下での会釈,ちょっとことにでも感謝の意を表する「有難う」の一言は,いまや日本から消え去ろうとしている。エレベーターの乗り降りで,交わす何気ない挨拶もない。ドアをあけても,あとからすぐ続くひとのための,ドアに手を添える人はほとんどいない。

わたしは,30年以上も前,アメリカの大学で2年間を過ごした。さまざまな経験をしたが,日常の生活に定着した挨拶はとりわけ印象的であった。その後,大学を定年で退くまで,筆者は授業の雑談で,

“国際人として生きてほしい。しかしそのためには絶対の条件がある。英語がいくらできても,挨拶ひとつできないようでは駄目だ。”

と毎年のように話していた。それから長い年月が経過し,当時の学生のうちの何人かは,アメリカで研究生活を送っている。最近,たまたま出合ったそのひとりが,「貴殿の講義の内容は何一つ覚えていないけれど,挨拶についての意見は,自分がアメリカで生活してみてはじめてわかった」と話すのを聞いて大変に嬉しく思った。

かつては,日本には日本の礼節と交遊があった。滝田ゆうの『寺島町奇譚』(ちくま文庫,1988)には,昭和10年代に育った子供の朝の挨拶が描かれている。いまでは消えてしまったことかもしれないが,滝田ゆうと同時代に育った筆者にはあの頃が懐かしく思い出される。

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礼節と交遊を重んじる心がなければ,どんなに言葉が自由に話せても,世界の人々から尊敬を受けることはないであろう。読者は,本居宣長の教え「こころとこととことばとは相構えて離れず」を思い出しながら,英語の修練を積み,国の内外に交遊の輪を広げていただきたい。

6) 日本の英語教育

英語教育について熱心に議論が交わされる世の中であるが,よく考えておかなければならないことがある。世の中には英語を絶対に必要とする人もいれば,英語などどうでもよいという人も大勢いる。筆者は,「日本人はなぜ英語ができないのか」など,十把一絡げにして日本の英語教育を考えるのは間違っていると考える。同じ理由で,小学校の授業に英語を必修として取り入れようとしている文部科学省の方針には賛成できない。

英語に限ったことではないが,何かひとつのことを究めようと決めるのは,個人の問題ですある。どうしても,英語を身に付けたいと決心した人は,初志を貫徹すべく全力投球すべきである。しかし,英語に関心のない人にとっては,日本人の英語力改善の名のもとに,英語を押し付けられることは大変に迷惑な話しである。つまり,日本人全体を暗黙のうちに設定した英語教育という考えは成り立たない。

英語の道を進みたいと考えている人は,自分が一体何のために英語を学ぶのかを自問自答し続けなければならない。どのような目的をもって英語の修練を積むのであれ,それは英語の単なる受験勉強であってはならないことだけは確かだ。試験で高得点をとることは,英語の習熟とは直接に関係ない。これまでに述べてきたことから理解していただけたと思うが,英語の修練にあたっては日本人としての見識が必須である。文章を書くのであっても,言葉として話すのであっても,日本語の鍛錬がなければ,英語の上達など望むべくもない。すなわち,英語の鍛錬とは,日本語の鍛錬であることを忘れないでいただきたい。

日本語には日本語の論理が,また英語には英語の論理がある。自らの文化に裏打ちされた発言こそ,真の対話の道を切り開く。それには,単純明快にして誤解を生まない,論理的な文章を書き,話しをする鍛錬を積まなければならない。日本をどこまでも知り,それを原点において鍛錬するのでなければ,国際舞台で通用する,教養に裏打ちされた英語を身につけることなど,及びもつかない。言葉には,その人の人柄が滲みでる。言葉は,人それぞれを映しだす鏡である。これは,私たちが,日本語を話すときにも,英語を話すときにもつねに心すべきことである。

英語国民ではない以上,私たちの英語には逆立ちしても限界がある。しかし,自信をもって,少し大げさにいえば威厳をもって英語を話せば,理解はあとからついてくるはずである。英語には,日本人としての威厳,文化としての言葉の故郷が感じられるものでなければならない。




by yojiarata | 2012-01-25 16:40 | Comments(0)

早起きは三文の徳



大学を定年で辞めた後,縁があって,つくばのある研究所で 6年間仕事をした。

つくばでは,自動車なしには生活が成り立たない。天気予報でみると,つくばは東京に比べて,3度から5度くらい低い。ちょうど今の季節,屋外の駐車場においた自動車の窓ガラスは氷で薄く覆われているはずである。このままでは外が見えないので,凍り掻きでゴリゴリけずりおとす。カナダの友人からのプレゼントの氷落としは大変具合が良かった。

約10分を要して作業が終わる。それから,凍った道を注意深く運転して職場に向かう。当時,筆者は7時前には家を出る習慣であった。

ある日のこと,恐怖の瞬間が待っていた。

その日もフトントガラスの氷を掻き落とし,アパートのすぐ近くの交差点にさしかかった。何を思ったか全く記憶にない。大通りを渡りながら,フロントガラスに水を吹き付け,ワイパーを作動させる。一瞬にして,フロントガラス全面が氷で覆われ,視界はゼロになった。大通りの真ん中で立ち往生。これがラッシュアワーのときだったら,悲劇が起こったかも知れない。おそるおそる自動車を動かして,道を渡りきり大難を逃れた。

早起きは三文の徳を実感した。
by yojiarata | 2012-01-22 10:58 | Comments(0)

節約の勧め



連れ合いは,節約を絵に描いたような人物である。

高齢者と認定されるや否や,シルバーパスを購入した。年間1000円払えば,都営地下鉄,都営バス,都電は乗り放題である。これによって行動範囲が画期的に拡大し,新聞のチラシを詳細に点検,1円でも安い店に出かける。運動にもなって一石二鳥だと筆者も歓迎である。

毎日,家計簿をつける。1円まで合うまで計算を続ける。

最近目撃した極め付きは,ねり歯磨きの一件。いつも我が家の洗面所に頭のふたの部分を下にして立っている。筆者も気になるから,中身を最後の限界までぐいぐい搾り出し,力尽きたら止める。そこで諦めないのが連れ合いのすごさである。二,三日前,いつものように逆さまに立っているのをみると,下半分が切り取られているではないか。中をのぞいてみると,少なくとも一回分の歯磨きが残っている。流石にプロである。

子供は母親の背中を見て育つという。我が家の家系では,上の娘が母親そっくりである。節約,また節約で毎日を送っている。嬉しいことである。
by yojiarata | 2012-01-22 10:55 | Comments(0)

催涙ガスが目に沁みる



今年もあの日が廻ってくる。

昭和43(1968)年より燻り続けていた大学内のゴタゴタが燃え上がり,日大全共闘をはじめとする学外の学生が加わって,さまざまな色のヘルメットをかぶった無数の学生が大学内を埋め尽くし,大学内はコントロール不能の状態に陥っていた。安田講堂をはじめ,学内の多くの建物が ”封鎖” され,大学の機能は完全に麻痺状態になった。教職員も,寒く冷たい研究室の建物に泊まりこみ,不測の事態に備えていた。

そして迎えた1月18日未明,竜岡門から警官隊の大行列が音も無く,霞の中をこちらに向かってきた。安田講堂は,筆者のいた理学部化学科の建物のすぐ裏にあった。それからの2日間,何があったかは,テレビなどマスコミによって全国に報じられた。筆者は,あの頃の出来事について,何らかの意見をここで述べる気はない。ただ,非常に迷惑したとだけはいっておきたい。

吉田富三先生(病理学)は,昭和43(1968)年より医学部長を務められた。当時学生であった北川知行博士(後に癌研所長)によれば,吉田先生は講義で学生に次のように話されたという。
[→ 『肝発がん研究と人間吉田富三のインパクト』,「吉田先生の講義」,71-72ページ]

個人と集団の行動のパターンについての吉田先生のコメントは極めて説得力がある。

《人間はロビンソン・クルーソーの様に孤島にひとり住んでいたのでは,良い人か悪い人かは判らない。人間社会の中に住まわせてみて初めてその性(サガ)が明らかになる。がん細胞もしかり。がん細胞は増殖して仲間が増えると,宿主にとって悪性であることが判るようになる。君達学生諸君も似たところがあるな。一人ひとり話をすると,常識もあり善良な青年に見えるのだが,学生自治会として集団行動をとると,変なことを云ったりしたりする》

あれから45年,記憶にあるのは,霞の中を音も無く進む機動隊の行列,あの日の飛び切りの寒さ。機動隊の撃った無数の催涙弾のにおいである。催涙ガスが目に沁みた。同じ時期,世界の国々でも,同じような出来事があった。そのいずれもが,何処へとも無く消えてしまった。

ふと,寺田寅彦『線香花火』を思い出す。

「はじめ先端に点火されてただかすかに燻っている間の沈黙が,これを見守る人々の心を正に来るべき現象の期待によって緊張させるにちょうど適当な時間だけ継続する。

次には火薬の燃焼がはじまって小さな焔が牡丹の花弁のように放出され,その反動で全体は振子のように揺動する。同時に灼熱された溶融塊の球がだんだんに生長して行く。 ・・・・・ 

突然火花の放出が始まる。眼に止まらぬ速度で発射される微細な火弾が,眼に見えぬ空中の何物かに衝突して砕けでもするように,無数の光の矢束となって放散する,その中の一片はまたさらに砕けて第二の松葉第三第四の松葉を展開する。 ・・・・・ 実に適当な歩調と配置で,しかも充分な変化をもって花火の音楽が進行する。

この音楽のテンポはだんだんに早くなり,密度は増加し,同時に一つ一つの火花は短くなり,火の箭の先端は力弱く垂れ曲がる。 ・・・・・ あらゆる花火のエネルギーを吐き出した火球は,脆く力なくポトリと落ちる,そしてこの花火のソナタの一曲が終るのである。あとに残されるものは淡くはかない夏の宵闇である。」

『寺田寅彦全集第二巻 備忘録』岩波書店
by yojiarata | 2012-01-15 18:42 | Comments(0)

ベントレーの見た雪



1865年,アメリカのバーモント州の小村ジェリコに生まれたベントレーは,理科の先生をしていた母親の顕微鏡を使って見た雪の結晶の美しさに感動し,なんとか写真を撮りたいと思うようになった。ベントレーが15歳の頃のことであるが,実際に雪の結晶の写真の撮影に成功したのは,ベントレーが20歳のときであった。ベントレーはそれ以来,毎年,雪の季節になると,厳寒の屋外で雪の結晶の写真を撮り続け,5381枚の写真を残して,66歳で肺炎のためこの世を去った。

ベントレーの志は,写真集『雪の結晶』(Snow Crystals)として,1931年に出版された。2453葉の雪の結晶が収められたこの写真集は,現在でも入手できる。


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The Snowflake Man: A Biography of Wilson A. Bentley


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Snow Crystals



ベントレーの写真集は,専門の学者からは,科学的な記載が不充分であるなど,さまざまな批判を受けた。雪の結晶のかたちが,どんな場合でも,写真集の大部分を占めるような平板状でないことも確かである。この点については,中谷宇吉郎博士の『雪』,さらには,同博士に関するウェッブ・ページに記述がある。しかし,この写真集を見るたびに,雪の結晶の美しさに魅せられて,一度噛み付いたら離れないスッポンのように,50年の歳月を厳寒の中で雪と共に過ごしたベントレーの志に頭が下がる思いをもつのは私だけではあるまい。これぞ,科学をするものの鏡だと思う。

アメリカの子供たちのために,偉人についての絵本が出版されている。日本でいえば,筆者の年代の子供が愛読した講談社の絵本の中の「二宮金次郎」と同じように,ベントレーが絵本になっている。ここに,絵本の表紙など何枚かの写真を紹介する。

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Snowflake Bentley



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ベントレーの写真集に魅せられて,雪を生涯の友とした科学者が少なくない。中谷博士もそのひとりであった。ひとの想像をはるかに超えた自然の美しさは,雪の研究者のみならず,例えばデザイナーなどを今日に至るも魅了しつづけている。ベントレーに興味をもたれた読者は,ベントレーの公式ウェブサイトをご覧ください。
by yojiarata | 2012-01-11 14:51 | Comments(0)

雪に魅せられた日本人



小寒も過ぎ,間もなく大寒を迎える。日本海側の日本は例年を上回る大雪に見舞われていると聞く。

明和7年(1770年)越後国魚沼郡の塩沢で生まれた鈴木牧之(ぼくし)(1770-1842)は,その著『北越雪譜』(1836,岩波文庫・復刻出版)に越後の豪雪に関して重要な事柄を書き遺している。

凡天より形を為して下す物 雨 雪 霰 霙 雹なり。露は地気の粒珠する所,霜は地気の凝結する所,冷気の強弱によりて其形を異にするのみ。地気天に上騰形を為て雨 雪 霰 霙 雹となれども,温気をうくれば水となる。水は地の全体なれば元の地に皈なり。地中深ければ,かならず温気あり,地温なるを得て気を吐,天に向て上騰事人の気息のごとく,昼夜片時も絶る事なし。天も又気を吐て地に下す,是天地の呼吸なり。人の呼と吸とのごとし。天地呼吸をして万物を生育也。

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雪の結晶のかたちがひとつとして同じでないのは,雪が天空の彼方で作られるとき,環境の違いを反映して,そのかたちがすべて異なるというのである。『北越雪譜』には,さまざまなかたちの雪の結晶のスケッチが載せられている。

ところで,『北越雪譜』に掲載された雪の結晶の絵は,『北越雪譜』が出版される三年前,下総古河の第11代藩主であった土井利位(1789-1848)が自費出版した『雪華圖説』がもとになっている。土井利位は,大阪城代,京都所司代,そして江戸本丸老中を歴任した多忙な殿様であったが,30年にわたって雪の結晶を観察し,200葉近い雪の結晶の図を,『雪華圖説』(天保3年,1833年),続いて『続雪華圖説』(天保11年,1840年)として出版した。

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『中谷宇吉郎集第二巻 雪の研究』(岩波書店)には,いまや古典となった『雪』(岩波文庫)をはじめ,さまざまな作品が収められている。『雪華図説』の研究』では,『雪華図説』に描かれている二十二例の模写図を,中谷博士自らが北海道で撮影された雪の結晶の顕微鏡写真と比較し,土井利位の模写図の大部分が,極めて自然に忠実なものであることが分かったと書いておられる。中谷博士はまた,御自身の経験をもとに,雪の結晶の観察法に触れ,

普通黒い布切,特に毛織物が望ましいのであるが,それをよく冷してその上に降ってくる雪の結晶を受けて,虫眼鏡で覗くのが一番便利である。土井利位も厳寒の夜更けの縁先などで,すっかり身体を冷やしながら観測したものと思われる。身体が温っていると,その輻射熱のために結晶を覗くと消えてしまうのである。

と書かれたあと,土井利位が書き残している雪の観察方法について,

ところでこういう雪の結晶の観測心得が,ちゃんとしかも非常に要領よく,『雪華図説』の中にかいてあるのには少々驚いた。 .....この点では現代の科学者も土井利位に教えられる点があると感心した。

と述べておられる。

土井利位の描いた雪の図のうちの35葉を鈴木牧之が模写した雪の結晶の図が『北越雪譜』に掲載された。高橋喜平氏は,その著書『雪の文様』のなかで,“牧之の雪花図は模写の域を脱して立派な芸術品である,といってもほめすぎにはならないであろう”と書いておられる。雪の美しい結晶の図は,江戸時代の人々を魅了し,雪華文様が流行するほどになった。

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『中谷宇吉郎集第二巻』に収載されている『『雪華図説』の研究後日譚』には,土井利位にまつわる興味深いエピソードが述べられている。土井利位に縁のある品々は,茨城県古河市にある古河歴史博物館に,新潟県南魚沼郡塩沢町にある鈴木牧之記念館には,遺品,関係文献などが展示されている。
by yojiarata | 2012-01-10 20:54 | Comments(0)