蒟蒻問答: 古典を輪切りにする 巻の一 万葉集


ご隠居さん

何となく面白そうなブログに出逢えそうですね。

君も,たまには,気が利いたことを言うね。最初にそう言ってもらえると嬉しいね。

それで,何が始まるの。

長い歴史のなかで,人々は多くの素晴らしい文学作品を残してくれました。それはあまりにも膨大なので,その全体を克明に読んだ人は一人としていません。それゆえに,古典に対する造詣とは,全体をさっと見渡して,直感的に感覚をつかむ能力が問われることになるのです。

私は,いかなる分野であれ,直感派の人こそ,物事の本質により近い人だと信じています。私は,さまざまの分野で,直感派の友達がいます。古典についていえば,中村泰男君(国立環境研究所を経て,現在 中央大学 理工学部兼任講師)です。したがって,古典を直感で ”輪切りにする” 対談の相手として,中村君にお願いしたわけです。


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荒田

巻の一では,万葉集を取り上げます。

私の疑問,質問を順番に書きますので,それに対するコメントをお願いします。


中村

コメントするにあたっては,岩波文庫 万葉集(1~5)巻末の解説(以下,岩波文庫版と略称)を参考にしました。


荒田


万葉集という名前の由来についてお願いします。


中村


1.「万」の「葉」(言葉=和歌)を集めた「集」という説

2.「万」の「葉」(よう → 世)に伝えられるべき「集」という説二つがあるようです。

岩波文庫版(巻1 p 530)によると,中国古典をはじめ,「○○集」の名付けられ方を見ると,① のほうが妥当とのことです。


荒田

どこかにオリジナルはあるのでしょうか?


中村

ありません。現在に伝わる万葉集は写本です。平安時代(10世紀半ば:元暦版万葉集)のものが古く,カナが振られています。鎌倉時代の「西本願寺版万葉集」は最も重要な写本とされているようです。


荒田

集めてくることを誰が始めたのでしょうか?


中村

万葉集には「序」がないので編集経緯は不明です。ただ,大伴家持が編纂にかかわっていたという可能性が「示唆」されているようです(巻5,p343)。とくに,家持が「山柿」(赤人or 憶良と人麻呂)に学んだこと(歌番号 3969)から類推して,家持のもとに「人麻呂歌集」(*) や 憶良の「類聚歌林」(*)などの歌集群が存在し,これをベースに万葉集が編まれたというシナリオが考えられているようです。


(*) 万葉集の左注に記された歌集。現在は伝わっていません。左注とは歌の左側に漢文体で記された注釈文です。たとえば,「憶良の類聚歌林に曰く・・・」などのように,歌が詠まれた背景などが記されています。


荒田 

柿本人麻呂が実在の人物であることが何故わかるのでしょうか?


中村


人麻呂が生きた時代の歴史を綴った「続日本紀」に,人麻呂の記述はありません。実在の人物である明瞭な証拠はないようです。

ただ,赤人にしても高橋虫麻呂にしても,万葉集人名索引では伝未詳とされています。

   
荒田 

本当の性別は,わかっているのでしょうか?


中村


「額田王」の歌は間違いなくの女性ものなのに,なぜ「王女」でなく「王」なのだろう? 昔から不思議に思っている点です。



荒田
 


和歌は多くあっただろうに,その中から万葉のうたとしてひろいあげた理由は何でしょうか?


中村

編纂過程自体が不明なので,全く分かりません。



荒田

平安貴族との関連について,わかっていることは何かありますか?


中村

源氏物語には,万葉由来の記述が見受けられるようです。ただ,紫式部が目にした万葉は「和歌六帖」(万葉・古今・後撰の縮刷版:10世紀後半)なのではないかともいわれています(巻5 p 348)。

荒田 

万葉仮名を使い始めた人物は,わかっていますか?


中村
ウィキペディア情報です:稲荷山古墳5世紀)から発見された剣の銘には万葉仮名が使用されており,知られている範囲ではこれが最も古いそうです。


荒田

そもそも,万葉仮名というのは,何ですか。使われ始めた経緯など,いろいろ。・・・ 今頃になってすみません。


中村
当時,カナ文字はまだ存在していませんでした。そこで,中国の文字(漢字)の「音」を用いて「大和ことば」を表現したということでしょう(巻1,p 496)。



荒田


収集,編纂にかかわった人物は知られていますか? 室町,以降,江戸時代?



中村

読解に携わった人としては源順(みなもとのしたごう)ほか 5人の学者(平安:元暦版万葉集=上述),仙覚(鎌倉),契沖・賀茂真淵(江戸)などが重要のようです(巻1, p496


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荒田

中村君が好む3首。その3首を挙げる理由をお聞かせください。


中村



わが背子 せこ を 大和 やまと へ遣 ると さ夜 ふけて
あかときつゆ にわが立ち濡れし

巻2 (相聞) 歌番号105 大伯皇女



大伯は天武の皇女。作歌当時(686年)は伊勢神宮に斎王としてお仕えしていた。25
歳。書紀なども参照すると,この歌は以下のような状況で詠まれたものと思われます。

9月9日に天武が崩御。直後,大伯の同母弟の大津皇子(次期天皇の有力候補:ライバルは草壁皇子)は,自分を抹殺しようとする周囲の雰囲気を察知する。そこで,ひそかに伊勢の姉・大伯のもとを訪ね,夜を過ごす(どのように過ごしたかは不明)。

夜明けに,大津は大和への帰途につく。おそらく最後の別れとなるであろう旅立ちに際し,詠んだのが上の歌。同母弟を想う歌ですが,殆ど恋の気分。この「しっとり感」にはこれ以上付け加える言葉がありません。


ちなみに,大津は924日,謀反を企てた容疑で逮捕。103日に死を賜る。この大津抹殺は,天武皇后(のちの持統天皇)が,自ら腹を痛めた草壁を皇位に着けるための策謀ともいわれている。なお,草壁は皇太子の地位にありながら翌年病死。さらにその翌年に持統が即位。


さか )しみ と 物言ふよりは 

酒飲みて ()ひ泣きするし まさりたるらし

         

         巻3(雑歌)歌番号341 大伴旅人



旅人が大宰府の長官として九州に在任中の作(729)。「酒を賛むる歌」13首のひとつ。当時の旅人は,大きく動く中央政治(長屋王の変や藤原氏の台頭)から取り残されてしまった焦燥感や,妻との死別により,憂いを酒に紛らわせていたらしいのです。この歌は「じめじめとした泣き上戸」の愚痴ではなく,どこか達観し,開き直った響きがあるので好きです。

なお,正直に言えば,旅人の歌のなかで,この歌が特に好きという訳ではなく,万葉集を通じて垣間見える旅人のキャラが好き!といったほうが正確かもしれません。亡妻をしのぶ歌,都を想う歌,松浦川に遊んだ際の仙女たちとのやり取り,「もとカノ」が旅人に寄せた歌,周囲の人たちの旅人に寄せる敬愛の情など,皆好ましいのです。モテるエリートは嫌いですが,彼だけは,私にとっては別格といってよいのです。





男神 ひこかみ に霧立のぼり しぐれ降り
濡れ通るとも われ 帰らめや

)

巻9(雑歌)歌番号 1760
高橋虫麻呂歌集


高橋虫麻呂:伝未詳。

高級官人が東国を視察する際に随行したものか?この歌に先立つ長歌では筑波山中腹での「かがい」(篝火を囲み男女が歌を交わし,相手を見つけるパーティー)が詠まれている。それによると・・・

通常は特定のパートナー以外と交わることはタブーだが,この日だけは筑波の神様も目くじらを立てない。オレの妻に言い寄ってもいいぞ,俺もイケイケになるから・・・


これを受けた反歌がこの歌

筑波の男峰に霧が立ち上り,時雨が降って肌が冷え切っても,俺は相手を見つけるまで帰らないぞ!という,モテないオスの「悲壮な決意」が詠まれているところが共感できます。

高校(男子校)の文化祭最終日は,キャンパスファイヤーの周りでフォークダンスが行われました。私の友人は隣の女子高の生徒に,片っ端から声をかけていました。普段の彼からは想像できないくらい真剣でした(「健全度」はこちらのほうが圧倒的に高いけれど)。







おしまいです


by yojiarata | 2017-12-26 18:50 | Comments(0)
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