教育勅語 国民学校の記憶



教育勅語と聞けば,必ず思い出すことがあるよ。

国民学校(当時は,小学校ではなく,こうよばれていた)での忘れ難い経験を含めて,昭和9年生まれの私の経験を20年前に執筆し,出版しました。阪神・淡路大震災の年,私が還暦を迎え,大学を定年で退職した年です。

荒田洋治『昭和一桁最終便覚え書』(アドア出版,1995)

残念ながら,売れた気配は全くなく,出版社も店じまいし,今や幻となってこの世から消えてしまったんだ。

以下の文章は,この本の中から,26-27ページに書いた分を引用するよ。


五年生のときだった。担任の福島先生が,教育勅語全文を覚えるまで何度でも紙に書いて練習し,その成果を提出するように言われた。文章といい,漢字といい,いま考えると無茶な注文である。

私は,必死になって,何度も書いて覚え,何枚もの紙を提出した。何日か経って,授業で紙が配られ,教育勅語を書くように指示された。

次の時間,福島先生が,「みんな情けない奴だ。それでも日本男児か」と教壇で声を荒げられた。そのあと,「荒田はよくがんばった」と付け加えられた。それを聞いて,教室のみんなが囃し立てた。「荒田は,前に掛かっている額を見て書いたのだ」と言う。確かに,額は掛かっていた。そういうものがあっても見ないというのが,潔さだと思っていたから言い訳はしなかった。教壇で,福島先生の大きな声がした。「お前達は,荒田がどれだけ努力したのか知らないのだろう」という意味のことをおっしゃった。教職について,長い年月を送ったが,教育というと,私はいつもあのときの福島先生の励ましの言葉を思い出す。

七月七日,大本営は,サイパン島の守備隊三万五千人,住民一万人が全員玉砕したことを発表した。次の日,教壇で福島先生が男泣きに泣かれた。われわれ生徒も全員泣いた。理屈も何もなかった。昭和一桁最終便の戦争体験は,福島先生と共に泣いたあの日の出来事に尽きる。
 
私達の校舎も,私の家も,昭和二十年六月二十九日,岡山市としてはただ一度の空襲で全焼した。

『昭和一桁最終便覚え書』は,私にとっては,大切な書籍であり,忘れ難い記憶です。


***



思えば,『教育勅語』は,戦争を国民学校で過ごした私には,からだに絡まるりついた ”蔦” のようなもんだね。今でも,あの詞,この詞が,突然頭に蘇ってくることがあるよ。


へんな例だけど,授業の時,首を伸ばして天井を眺める癖のある子に,「天壌無窮」をもじって,「天井・向きゅう」とあだ名をつけてからかっていたよ。

悪い冗談(大人だったら,不敬罪で特高警察に逮捕されるような)を言った後に,「汝臣民 ・・・御名御璽」を付けて大笑いして遊んでいる子もいたのを思い出すよ。





つづく



























by yojiarata | 2017-03-28 22:25 | Comments(0)
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