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人 と 言葉  永井荷風:断腸亭日乗 を読む  巻の四



昭和17年


正月元日。

旧暦のこよみ を売ることを禁ぜられたれば本年より我等は大陰暦の晦朔 かいさく 四季の節を知ること能はずなりぬ。昨夜月稍円きを見たれば今日は十一月ならず十二月の十三四日なるべきか。


一月初三。

・・・・・ 午後となり組の老婆来り 大晦日夜半より燈火禁止。当分正月中は街燈もつけられまじと云う。 ・・・・・


一月初五。

晴。寒気忍びがたし。近鄰の人のはなしに 塩醤油 とも去年の暮より品切となりいつ酒屋の店へ来るやら望なし。 砂糖 も十日過にならねば配給されざる由。いよいよ 戦勝って食うものなき世 となり行けり。


一月十九日。

晴。夜金兵衛に飰す。人の話に玉の井亀戸の銘酒屋 めいしゅや にてはお客に一円の少額債券を買わせる由。これはこの色町にては芸者娼妓の如く揚代に遊興税を附加すること能はざるを以て政府はその代りとして一円債券を売付けることにせしなりといふ。 窮状憫むべし。


一月廿一日。

晴。・・・・・  衣類の制限 一人前若干の事いよいよ決定せられ来月一日までは靴足袋襯衣 しゃつ ふんどしなども買ふこと能はざる由なり。


一月廿二日。

晴。・・・・・ 白木屋前の露店に 人々行列 をつくりたれば何かと見るに軽焼煎餅を買はむとするなり。

市中の呉服店洋品店 一軒残らず戸を閉めたり。靴帽子屋は例外なりとて平日通り店をあけをれり。


一月廿三日。

・・・・・  塵紙石鹸歯磨配給切符制 になるべしとの風説あり。市中よりこれらの品昨夜中に消失せたりといふ。塵紙懐紙なくなり銭湯休日多くなる。戦勝国婦女子の不潔なること察すべきなり。


一月廿六日。

晴れて暖なり。昏暮土州橋医院に行く。院長の曰くこの頃食料品不足のため ヴィタミン欠乏し 病に抵抗する力薄弱となりしもの甚多し。補充の注射をなして万一に備ふるべしと。帰途浅草に至りて飰す。 ・・・・・


一月廿九日

晴。町会より 衣類請求切符 を送り来る。  ・・・・・


二月初二。

・・・・・ 金兵衛にて歌川氏より羊羹を貰ふ。甘き物くれる人ほどありがたきはなし。過る日には熱海大洋館の主人よりココアと砂糖を貰ひぬ。このよろこびも長く忘れまじ。

     あじきなき浮世の風の吹く宵は

        人のなさけにしぼる袖かな

[欄外墨書] 夕風と人の恵みの肌さむく身にしむ秋ぞかなしかりける


二月初三。

晴後に陰。 ・・・・・ この夜 節分 なりといへどもまくべき豆なければ鬼は外には行まじ。

     豆まきといへど豆なき家の内


二月初四。

立春くもりて月おぼろなり。 ・・・・・

近日市中飲食店の 検挙 行はるべしとの風説あり。金兵衛にては万一の事を気遣ひ馴染の客の外は一切料理酒を売ることをさしひかへをれりと言ふ。


二月十日

同雲暗淡たり。物買ひにと夜浅草に行く。壜詰牛肉大和煮と称して 鯨肉を売る店 多し。 ・・・・・


二月十二日。

・・・・・ 二三日日英戦争のため 株式相場 暴落すと云。


二月廿一日。

・・・・・ 薄暮西銀座の岡崎を訪ひ砂糖及菓子を貰う。帰途庄司理髪店に立寄る。化粧用の油石鹸正月頃より品切の由。この後理髪用の香油なくなる時は日本人は老弱を問はず 刺栗頭 にならざるを得ず。これ 軍国政府の方針 なりと云。


三月初六。

暴暖四五月の如し。薄暮 浅草より玉の井 を歩す。帰宅後執筆暁三時に至る。筆持つ手先も凍らざればなり。


三月十二日。

晴また陰。市中昼の中より酔漢多し。 戦勝第二回祝賀 のためなりといふ。・・・・・


三月十六日。

雨晩に晴る。 ・・・・・ 汁粉餅をおくらる。数日来街上燈火なし。日比谷四辻にて 海軍中将某 自動車にひき殺されたりといふ。或人の夷歌 えびすうた
     
肩で風切ったむくひは夜歩きに

車の砂と消えし玉の緒


四月初一

曇りて風寒し。街上の郵便函に本日より 郵便封書五銭に値上 の貼札あり。四銭になりしも二三年前の事なるに忽にしてまた一銭高くなれり。政府の指定する公停価格の如き何の謂なるや。滑稽至極といふべし。 ・・・・・


四月初四

晴。花落ちて木の芽既に青し。世が世なりせば 木の芽田楽草餅 など食う時節なれど今はその名さへ大方忘れられしが如し。 ・・・・・


四月十八日。

日頃書きつづりしものを整理し表紙をつけて冊子となす。これがために半日を費したり。晡下芝口の金兵衛に至り始めてこの日午後敵国の飛行機来り 弾丸を投下 せし事を知りぬ。

火災の起りしところ早稲田下目黒三河嶋浅草田中町辺なりといふ。歌舞伎座昼間より休業,浅草興行物は夕方六時頃にて打出し夜は休業したりといふ。新聞号外は出ず。


四月十九日 日曜日。

晴。やや暖なり。今日も世間物騒がしき様子なり。 ・・・・・ 

晡下金兵衛に至り人の語るところを聞くに大井町鉄道沿線の工場爆弾にて焼亡,男女職工二,三百人 死したる由。

浅草今戸辺の人家に高射砲の弾丸の破片落来り怪我せし者あり。小松川辺の工場にも敵弾命中して火災にかかりし所ありといいふ。新聞紙は例の如く 沈黙 せるを以て風説徒に紛々たるのみ


四月廿六日 日曜日

晴。庭の杜鶴花 つゝじ 胡蝶花 しやが 満開。ホ苺の白き花郁子の花と共に散りそめたり。


五月初七。

或人のはなしに松竹会社文芸部員小出某その他二,三名,去年より徴兵令にて南洋に送られたる者。その資格は,軍曹にて仕事は紙芝居の筋書をつくるなりといふ。背景は同じく徴発せられし大道具の画工これを描き占領地の住民に見せ 日本国は神国 なることを知らしむなりといふ。この日雨。


五月十三日。

晴。一昨日日本運送船太平丸玄界灘にて 米国潜水艦 に襲はれ沈没し死人八百人あまりに及びし由。新聞には今日には至るも記事なしと云。


五月十八日。

晴。晡下土州橋に至る。診断を請ふに 脚気の疑 ありとて注射をなす。先月来市中に野菜果実殆なく沢庵漬さへ口にすること稀になりたり。脚疾の発せしはこれが為なりと云。世ふけてより雨。


五月廿九日。

・・・・・

[欄外墨筆]  与謝野晶子


六月十一日。

晴。鄰組の人豆腐を持来る。一丁六銭なりと云。牛乳配達夫来り 医師の診断書なき人には牛乳を売らぬこと になりたれば何卒その手続なされたしと言へり。 ・・・・・ 日英開戦以来食料品の欠乏日を追うて甚しくなれるなり。


六月二十日。

晴。午後町会の役員来り わが家防火設備をなさざる事 につき両三日中警察官同行にて重ねて来り,その時の様子にて罰すべしと言ひて去りぬ。この頃町会の役員中古きもの追々去りて新しき者多くなりし由。

そのためこの後は 偏奇館独居の生活 むづかしくなるべき様子なり。いよいよ麻布を去るべき時節到来せしなるべし。 ・・・・・

百貨店松屋三越の 黄銅の手すり 皆取りはづされたり。


六月廿八日 日曜日。

午後雷雨の後空霽る。晩間寺嶋町より千住を歩み浅草公園オペラ館に至る。 館内の金具黄銅の手すり 皆取除かる。道路に敷きたる溝の上の鉄板も土管に似たる焼物に取替へられたり。観音堂のあたりは暗ければ見ず。


七月七日。

晴。 腹痛 やまず午後に至り鳩尾に差込み起り苦痛に堪えず。よろめきつゝ谷町通に至るに幸にタキシ来りし故呼留めてこれに乗り土州橋の病院に至る。注射二針に及びしが苦痛去るべき様子もなし。看護婦に扶けられ階上の病室に入りて臥す。 終夜呻吟。


七月八日。

暁明苦痛初て去る。 ・・・・・ 院長の診断によれば一種の 胃痙攣 なるべし。然らざれば胆石の病なるべしとて排泄物の検査をなす。


七月十五日

半晴。町会の役員来り 防空用古樽金七円,莚一枚四円ヅ丶 を取りに来る。高価驚くべし。 ・・・・・


七月廿一日。

晴。夕飯の後物買はむとて浅草に行く。 ・・・・・ 区役所の入口に日本皇道会とかきし高張提灯を出し 赤尾敏 の名をかゝげたり。入場料二十銭払ひて入る者少からず。

浅草はいかなる世にも面白をかしき所なり。  ・・・・・


七月卅一日。

晴。涼風颯々人皆蘇生の思をなす。晩食後深川散策。今宵は氷ありと見えいづこの氷屋にも人むらがりたり。 氷水一杯十銭 にて其量むかしの半分よりも少し。


八月初五

・・・・・

[欄外朱書] 報知新聞読売ニ合併シ国民ハ都新聞ニ合併セシ由


八月十二日。

点燈禁止の令 出でたりとて街上に燈影なく暗夜の空には飛行機の響頻なり。

夕飯を喫せむとて金兵衛に至るに料理場の男 いづれも妻子あり 年三十四,五  徴兵令 にて二,三日中に軍需工場へ送らるるといふ。


九月初五。

・・・・・ 燈刻食事のため新橋駅を過るに巡査刑事等 不良少年の検挙 をなすを見る。


九月廿日 日曜日。

・・・・・ 噂によれば 化物の見世物怪談及び猫騒動の芝居等禁止 せられし由。


九月廿九日。

晴。十日ほど前より両脚及両腕麻痺して起臥自由ならず歩行する時よろめき勝ちになりぬ。また 燈下に細字 を書くこと困難となれり。

昨日土州橋に至りて診察を請ひしが病状明かならず治療の道なきが如し。 余が生命 もいよいよ終局に近きしなるべし。乱世の生活は幸福にあらず死は救の手なり悲しむに及ばず寧よろこぶべきなり。


十月初一。

くもりて風なし。暮方物買はむとて新橋駅のほとりを過ぐ。 路傍の広告を見るに ・・・・・  陸軍大将宇垣一成民族科学講習会 などいへるもあり。

「欄外朱書」 都国民 の二新聞合併して 東京新聞 と称す。


十月初五。

防空演習 にて崖下の町より人の声物音折々ひ ゞ き来る。 ・・・・・


十月十一日 日曜日。

晴れて風甚冷なり。門外に遊ぶ子供のはなしをきくに今日より 時計の時間 変わりて軍隊風になる由。午後の一時を十三時に二時を十四時などと呼ぶなりといふ。


十一月初二

・・・・・ 弁天山下のベンチに十七八の娘襟付の袷に前掛をしめ雑誌をよみ居るを見る。明治時代の女風俗を其儘見ることを得るは此土地の外にはなかるべし。仲店にて茄子の麹漬を買ふ。

[欄外朱書]  北原白秋 没年五十八


十一月初六。

晴。野菜も 切符 にて買うやうになりぬ。八百屋も町会にて定めたる店の外他の店にては売らぬやうになりぬ。畢竟蔬菜 そさい の欠乏甚しくなりしがためなり。蔬菜は凍固して 南洋占領地 に送るなりといふ。

東京市民の飢餓 も遠きにあらざるべし。


十一月十六日

・・・・・ 空曇りたれど風なければ 浅草 に行く。東橋際の乾物問屋にて葛を買う。百匁壱円八十銭なりといふ。物価の騰貴測り知るべからず。

仲店を過るに人さして雑沓せず 酉の市の熊手 持つひとも多からず。 ・・・・・

地下鉄にて新橋に至り金兵衛に夕餉を喫す。人々の語るをきくに 来十二月より瓦斯風呂焚くこと禁止 せらるゝ由。


十二月初五。

晴。 ・・・・・ 夜金兵衛に飯す。鄰席の酔客の語るを聞くに日本橋通高島屋デパートにて 奢侈禁制品 に入るべき絵葉 えば 模様金銀縫取の呉服物をつくりゐる由,刑事ら探知し厳しく取調べしに,注文先は 東条首相の妻女ら なりとわかり刑事らそのまま手を引込めたりと。


十二月初八

晴。 ・・・・・ 頃日市中街燈を点ぜず。道路暗然たり。横濱港内怪火爆発の事ありしが故なりと云ふ。


十二月廿六日。

晴。当月初よりガス風呂は 医者の診断書 なければ禁止の由に付き昏暮土州橋の病院に至り帰途金兵衛に立寄り夕飯を喫す。 ・・・・・


十二月廿七日 日曜日。

・・・・・ 東武鉄道停車場には日曜日にかぎり近県の 温泉遊山場 行の切符を売らぬ為にや人甚しく雑沓せず。興行町もさほどに騒しからず世の中追々真底より疲労し行くが如し。芝口に飯し月を踏んでかへる。


十二月廿九日

・・・・・ 夜金兵衛に行きて夕飯を喫す。居合す人の語るをきくに新橋上野其他の停車場にては 年末の旅行者を制限し切符を売らず。 之がため地方より上京し居たる者供年内には家に帰ることを得ず困却しつゝありと云。


十二月卅一日。

・・・・・ 余ことし夏の半突然胃痛に苦しみ土州橋病院に入りて腹具合いまだに宜しからざるに当月より配給米に玉蜀黍を混ずるに至り消化ますますわろし。世の噂に 来春より玄米になるとの事 なればわが胃腸の消化力果して能くこれに抵抗することを得るや否や。

余命のほども大方予測することを得るなり。宗詩に世間多事侮長生といふこともあればあまり長いきはしたくなし。

是を今年 除夜の言 となす。



つづく
























































































































by yojiarata | 2015-12-23 22:26
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