満州の妖怪 と その末裔  安倍一族  巻の7





暴漢に刺された岸信介



昭和35年7月14日,首相官邸で開かれていた自民党新総裁,池田勇人の就任祝賀会の会場で岸は暴漢に刺された。翌日の正式退陣を,岸は病院のベッドで迎えなければならなかった。


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岸に襲いかかった男,荒牧退助,すでに名前を記憶する人が少ない。荒牧の 「その後」 はどうなのか。行方を尋ねた。

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荒牧は東京都下,小平市の公団住宅の一室で,老婆とひっそり隠れるように暮らしていた。

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「岸のことか。それじゃこれを読みなさい。これを読んだあとの方が,話がしやすい」


一冊の本をポンと畳の上へ投げ出した。 『日本暗殺百選』 という 題名。

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荒牧はまず刺したときの状況をきのうのことのようにしゃべった。

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「あの日,やろうと決めていたから,登山ナイフの皮ケースに入れて,ズボンのベルトにつり下げたんだ。

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官邸に行くとパーティーが始まっていた。岸はビールを飲んでいたので,ワシもビールを飲んで。寿司をつまんだ。


荒田注  この後,会場に入るための党員バッジを,荒牧が如何にして手に入れたかなど,詳細な説明あり


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「ビールを飲んだりしていると池田の挨拶が始まった。早くやらなければと狙っているうち,岸はだれかワシの知らない人を話を交わし始めた。チャンスと思い,その時やった。そのとき岸は,『刺された』とひとこといっていた。

― 殺すつもりだったのか。

「殺すつもりだったら殺していたよ。最初から殺すつもりはなかった」

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― それなのに刺すのは納得できないが。

「樺美智子だって死んだろう。あのままじゃ区切りがつかんよ」

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【田尻の著書】
212-216ページ




覆水盆に返らず



岸信介は1985年,フジテレビで逸見正孝(故人)との対談で,

“その当時の世界の状況,考え方というものを背景として考慮しなければいけない” としたうえで,


あれは「侵略戦争」だった


と発言しているよ。岸はこの時,85歳。岸が他界したのは,その5年後のことです。




日米安全保障条約とその後の日本



日米安全保障条約のおかげで,日本は,情けない国 になってしまったよ。日本の空で,オスプレーがジャンジャン飛んでも,望遠鏡で眺め,今どこどこを飛んでいますと実況することしかできないんだよ。



「25年後には,60年の安保改定が,日本にとってきわめて意義のあるものだったことが分るよ」


と岸は嘯いたという。ところが,トンデモナイ。50年後の日本は,風雲急を告げる事態になってきたよ。


2014年の現在,憂慮すべきことばかりだよ。衆参両院で過半数を握る現政権のやっていることは,急速に悪いほうに進んでいるよ。これまで,このブログに散々書いたよ。例えば,より美しい 誇りのある国 を読んでみてよ。



先日の新聞に,日米両政府がまとめた「日米防衛協力のための指針「ガイドライン」見直しの中間報告がまとまったとあるよ。


見直しというけれど,読んでみると,日本にとっては,より危険な方向に進むということだよ。今後の日本の命運は,現在の安倍晋三政権に握られているからね。


今日(10月15日)の朝刊一面のトップには,


特定秘密法12月10日施行 閣議決定


とあるよ。このままでは,あの恐ろしい時代が,また,戻ってくるよ。




安倍一族



安倍 晋太郎(あべ しんたろう,1924年(大正13年)4月29日 - 1991年(平成3年)5月15日)。


戦前から戦中にかけて衆議院議員をつとめた安倍寛の長男。1957年(昭和32年)から3年半内閣総理大臣を務めた岸信介の長女・洋子と結婚,つまり,岸信介の女婿にあたる。岸の後を継ぐ総理大臣の最有力候補と,自他ともに認めていたが,ゴールを目前にして無念の病死。亡くなったのは,小生の記憶によると,順天堂大学病院。度の強い,縁の太い眼鏡の人だった以外に,同氏の政治の実績については,知らない。


安倍晋三は,当時毎日新聞記者だった安倍晋太郎と妻・洋子の次男として,1954年(昭和29年)9月21日,東京都で生まれる。


父方の祖父の安倍寛(元衆議院議員),母方の祖父の岸信介(第56・57代内閣総理大臣),大叔父の佐藤栄作(第61-63 代内閣総理大臣),父の安倍晋太郎(元外務大臣),弟の岸信夫(衆議院議員)などがいる。妻は森永製菓第5代社長・松崎昭雄の長女・昭恵。





岸信介

1896年(明治29年)11月13日―1987年(昭和62年)8月7日 (享年90) 





未完



付記1

日米の関係は,1951年(昭和26年)の9月8日,アメリカ・サンフランシスコで,日本とアメリカとの間で,サンフランシスコ平和条約が締結され,【安全保障条約】 に日本が署名したこと,要するに,太平洋戦争の敗戦に端を発するよ。この時,日本全権大使として,演説,議定書に署名したのが,当時の内閣総理大臣・吉田茂です。

この時,吉田茂は,私の記憶が間違っていなけれは,全ての責任は,私がとると仰いました。即ち,今日の日米関係の源流は,ここにあるんだ。そのあと,内閣支持率は戦後最大の58%に達したそうだよ。言ってみれば,日米関係を巡って今日まで続いている問題は,あの時多くの国民が吉田茂を支持したあの時点に戻って考えなければならないんだ。

吉田茂は,第45,48,49,50,51代の内閣総理大臣を務めていて,これも戦後の記録です。

ちなみに,吉田茂は,大久保利通-その三男・牧野仲顕(岳父)と続く家系で,現役の麻生太郎は,茂の孫に当たります。




付記2

このブログで紹介したもののほか,私の手元には,次の2点の著作があるよ。色々と面白いことが書いてあるよ。


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汐文社 (1980)




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ちくま文庫 (2008)

by yojiarata | 2014-10-15 10:44 | Comments(0)
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