荒田 呑気な歌の数々が「万葉歌人」と言われている人によって詠われているようですが,かなりの人が,裕福だったのではありませんか。 中村 万葉人がどのような生活をしていたのかは私にはわかりませんが,「万葉集の歌が呑気」と言われると,そのような気もするし,違うような気もします。巻1-6の雑歌・相聞に見られる「大家」中心の作品群(名作が多い)は儀礼的な宴席での歌が多いといわれていますが,そういう意味では呑気と言えるかもしれません。 しかし,抗争と陰謀渦巻く時代に,その中心と周辺にいる人たちによって歌われた呑気だからこそ,のびやかな声調の歌が,私を含め結構な数の人たちの心に沁みるのだと思っています。 たまきはる 宇智の大野に 馬並めて 朝踏ますらむ その草深野 (中皇命) (万葉集 巻1岩波版#3) 潮騒に 伊良虞の島辺 漕ぐ船に 妹のるらむか 荒き島廻(しまみ)を (柿本人麻呂) (万葉集 巻1岩波版#42) わたつみは くすしきものか 淡路島 中に立て置きて 白波を 伊予に廻ほし 居待月 明石の門ゆは夕されば 潮を満たしめ 明けされば 潮を干かしむ 潮さゐの ・・・・・ (作者不詳) (万葉集 巻3岩波版#388) 呑気のついでに,人麻呂の歌で 玉藻刈る 敏馬(みねめ)を過ぎて 夏草の 野島の崎に 舟近付きぬ (万葉集 巻3岩波版#250) というのがあります。神戸の敏馬から船で淡路の野島にわたるときの歌です。 なんということもない歌ですが,個人的には思い入れの深い歌です。若い頃,夏になると,瀬戸内海の家島諸島で一ヵ月連続の赤潮調査を行っていました。小船に機材を積んで姫路から島に渡る際,いつもこの歌が頭に浮かぶのです。 緑の島が段々近づいてくるとき,「今年も家島での調査が始まるな,頑張るぞ!」という思いと「大変だろうな ・・・・・」という思いが交錯して,この歌が頭をよぎるのでしょう。 家持の父・大伴旅人は大納言に上り詰めた人ですが,大宰府の長官の職にあった時(62歳くらい),奥方に先立れたり,政治的にも微妙な立場に置かれたりで,かなり鬱屈した生活を送っていたようです。そんな時に残したのが,次の三首の酒を讃むる歌をす。私は,これも とても 好きな歌です。 験(しるし)なき ものを思はずは 一坏の 濁れる酒を 飲むべくあるらし (万葉集 巻3岩波版#338) 賢しみと 物言うよりは 酒飲みて 酔ひ泣きするし 優たるらし (万葉集 巻3岩波版#341) なかなかに 人とあらずは 酒壺に なりにてしかも 酒に染みなむ (万葉集 巻3岩波版#343) わが背子を 大和へ遣ると さ夜更けて 暁露に 我が立ち濡れし (万葉集 巻2岩波版#105) 大津皇子が義母の持統天皇ににらまれ,死を賜りそうになった時,皇子は伊勢斎宮の実姉(大伯皇女)をおとずれる。そして大和に帰るときに皇女が詠んだ歌です。近親相姦さえ思わせますが,私のベスト3に入る歌です。そして,皇子が死に臨んで唄ったのは ももづたふ 磐余(いはれ)の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ (万葉集 巻3岩波版#416) 持統は自分の息子の(たぶん凡庸な)草壁皇子に後を継がせたかったため,文武に優れた大津を除きたかったということでしょう。しかしその直後,草壁は病死します。 昭和歌謡にしたいようなものもあります:中村> 君に恋ひ 寝ねぬ朝明に 誰が乗れる 馬の足(あ)の音(おと)そ 我に聞かする (万葉集 巻11岩波版#2654) 勝ち気で少し毒を含んだ 小柳ルミ子さん か, 小川知子さん に唄ってほしいですね。 人妻に言ふは誰(た)が言(こと)さ衣(ごろも)の この紐解けと言うは 誰が言 (万葉集 巻12岩波版#2866) 誰そこの 屋の戸押そぶる 新嘗に わが背を遣りて 斎ふこの戸を (万葉集 巻14岩波版#3460) 上の二つの「人妻もの」は,美人で魔性の女のうわさもある 藤あや子さん が適任かと思います。 君により 言の繁きを 故郷の 明日香の川に みそぎしに行く (八代女王) (万葉集 巻4岩波版#626) 作者は「八代」ですが,少し芝居がかった 小林幸子さん に歌ってほしいです。ちなみに,彼女は「万葉恋歌 ああ,君待つと」(2009)があります。ただし,私は聴いたことがありません。 荒田 調べてみました。CDになっています。 『万葉恋歌 ああ,君待つと』 2009 Columbia Music Entertainment, Inc. 発売元: コロンビアミュジックエンターテインメント株式会社 ただちに,アマゾンに発注し,入手しました。 (¥ 728) 詳細は,以下の通りです。 『万葉恋歌 ああ,君待つと』 原作詩: 「万葉集」より 額田王(ぬかたのおほきみ),盤姫皇后(いはのひめのおほきさき),播磨娘子(はりまのをとめ) 歌詩構成・作曲: 新井 満 作曲 CDから,一曲だけを引用しておきます。
CDとして発売されていますが,その一部は,ネット YouTube で聴くことが出来ます。 静かで,良い歌に仕上がっていますよ。ただし,それぞれの歌を現代語に訳したものも入っていますが,これはお勧めできません。 再び,中村 恋死なば 恋ひも死ねとや 我妹子が 我家の門を 過ぎてゆくらむ (万葉集 巻11岩波版#2401) 妹が門 行き過ぎかねて 草結ぶ 風吹き解くな またかへり見む (万葉集 巻12岩波版#3066) 験(しるし)なき 恋をもするか 夕されば 人の手まきて 寝らむ子ゆゑに (万葉集 巻11岩波版#2599) 我妹子が 夜戸出の姿 見てしより こころ空なり 土は踏めれど (ストーカーの歌ですね) (万葉集 巻12岩波版#2950) 上の四首,とても内向的な男の歌なのでしょう。「そうだよね・・・」といって酒を注いでやりたくなります。もし歌っていただけるのなら,あの世の 川谷拓三さん にお願いしたいです。 男神(ひこがみ)に 雲立ちのぼり しぐれ降り 濡れ通るとも われ帰らめや (万葉集 巻9岩波版#1760) 最後のうたは筑波山での年一回のダンス・パーティー (お上公認のほぼ乱交状態) を詠んだもので,相手を絶対に見つけるぞ!という「モテない君」の悲壮な思いが伝わってきます。女性に人気のある にしきのあきら ですが,なぜか,この情熱は彼に歌ってもらいたいです。 こう考えていくと,昭和歌謡・演歌は万葉集を手本にしているのでないかとさえ思います。 荒田 中村君の話を聞いていて,瀧 廉太郎(1879-1903)のことを思い出しました。日本の西洋音楽の夜明けの時代,歴史に残る数々の作品をのこして,23歳でこの世を去りました。童謡から,クラシック,日本最初のピアノ曲「メヌエット」など,もちろん,「荒城の月」,彼こそ,天才の名にふさわしい音楽家です。 瀧 廉太郎の作品の中に,徳川光圀(1628 -1701)の短歌・荒磯 (あらいそ) に曲を付けたものが遺されています。大分前に,NHKのラジオ深夜便でソプラノ歌手が歌っているのを聴きました。 万葉集の詩に,滝廉太郎が曲をつけると,どんな作品が出来たでしょうか。想像してみたくなりました。 中村 岩波文庫の万葉集は「佐佐木信綱」編のものが86年間流通していたのですが,最近別の人たちが校注したものが発刊されました。これは素晴らしいです。信綱版はあまりにも注が少なく,素人では(たぶん国文の学生でも)とても太刀打ちできるような代物ではなかったです。信綱先生はどんな読者を想定して文庫版を作ったのですかね? 荒田 86年ぶりの新しい岩波版は,私の手元にもあります。 編集には,次の諸氏が関わっています。校注が適切かつ詳しく,私にもよく理解できます。 佐竹昭広,山田英雄,工藤力男,大谷雅夫,山崎福之 万葉集 [全5冊] (一)-(四) 2013-2014 (五)(人名索引,初句索引付き) 2015年3月刊行予定
by yojiarata
| 2014-11-20 21:44
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