満州の妖怪 と その末裔  安倍一族  巻の1




ご隠居さん 今はやりの妖怪物ですか。あまりヘンテコな話は聴きたくありませんね。


マ ごちゃごちゃ言わないで,話を聴いてちょうだい。今日の日本,明日の日本と密接に繋がる真面目な話だから。



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この ブログ 【満州の妖怪 と その末裔  安倍一族  巻の1 - 巻の6】 は,演劇のようなものだと思って読んで下さい。演劇の主役は,第56,57代 内閣総理大臣 岸信介 。 主役に肩を並べて登場するのが,極東国際軍事裁判 の判決により 処刑された 東条英機を始めとする 7人のA級戦犯 。


ちなみに,岸信介の女婿が,安倍晋太郎。安倍晋太郎の次男が,現時点での内閣総理大臣 安倍晋三 です。詳しいことは,「巻の6」 の末尾に書いておきます。


なお,劇中,登場される方々の敬称は略させていただきます。


これだけ書けば,私が,このブログで何を語ろうとしているか,君にも想像ができるでしょう。




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満州事変



1931年(昭和6年)9月18日夜10時20分,中国東北部(満州),瀋寧(りょうねい)省の瀋陽(しんよう)(奉天(ほうてん))に近い柳条湖(りゅうじょうこ)で,南満州鉄道の線路の一部が破壊された。関東軍参謀の石原莞爾(かんじ)らによって,29年から周到に準備された作戦が,実行に移されたのである。

加藤陽子『シリーズ日本現代史⑤ 満州事変から日中戦争へ』(岩波新書,2007,2ページ)


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日本で満洲とよばれる地域は,満洲国の建てられた地域全体を意識することが多く,おおよそ,中華人民共和国の「東北部」,現在の遼寧省,吉林省,黒竜江省の3省と,内モンゴル自治区の東部を範囲とします。


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『 ラストエンペラー 』( The Last Emperor )



ところで,映画好きの君なら,「ラストエンペラー」を観たでしょう。


『ラストエンペラー』(The Last Emperor)は,1987年公開のイタリア,中華人民共和国,イギリス合作による清朝最後の皇帝で,後に満州国皇帝となった愛新覚羅溥儀の生涯を描いた大変興味のある歴史映画だよね。



満州の妖怪たち



このブログに登場する「満州の妖怪たち」は,満州の2キ(機,樹)3スケ(介,右)とよばれた,東条英機,星野直樹,鮎川義介,岸信介,松岡洋右の5人,これに,甘粕正彦を加えた6名です。

太田尚樹 『満州裏史 甘粕正彦と岸信介が背負ったもの』 ( 講談社,2005年,第2刷 ) の 284 ページ に,


これら実力者6人の分類は,官は星野と岸,財は鮎川と松岡,軍は東条,陰にひかえた甘粕ということになる。しかも,いずれも阿片と無縁ではないのだが,とくに 東条 甘粕 の三人は, 阿片 を巡って抜きさしならぬ関係にあった。


と明記されているよ。


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2005年 第2刷  甘粕正彦(左),岸信介(右)



太田尚樹 『満州裏史 甘粕正彦と岸信介が背負ったもの』 は,以後,【太田の著書】と略称します。


付け加えると,満鉄総裁・松岡洋右は,岸の叔父にあたるんだ。


松岡は,満州,日本,満州,日本と転任を重ねているんだ。その間,1931年に連盟総会に日本首席全権として派遣され,その席で,「日本の主張が認められないならば国際連盟脱退はやむをえない」と述べて,退場。君も,テレビの番組で観たことあるでしょう。


松岡洋右は,極東国際軍事裁判で,A級戦犯として起訴されるんだけど,巣鴨プリズンに拘留されている間に病死したんだ。松岡の数奇な生涯を辿ると,満州から太平洋戦争までの時代の流れの一端が見えてくるよ。


なお,甘粕正彦については,角田房子 『甘粕大尉』 (中公公論社,1975年,初版)に詳しいよ。本書(絶版)は,のちに,中公文庫として出版されています。

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満州 と 岸信介



岸信介は,1936年から1939年の間,満州で辣腕をふるったんだ。満州在任中の岸の履歴。


岸信介(39)  1935年(昭和10年)対満事務局事務官を兼務
満鉄総裁に松岡洋右就任


岸信介(40)  1936年(昭和11年)満州国事業部次長として渡満
2・26事件,星野直樹,満州国総務長官に就任


岸信介(41)  1937年 昭和12年 事業部が産業部と改変され産業部次長となる。東条英機,関東軍参謀長に就任。満州重工業設立,鮎川義介総裁に就任


岸信介(43)  1939年(昭和14年) 満州から帰国し,商工次官となる。ノモンハン事件起こる。


田尻育三 『昭和の紹介 岸信介』 (学陽書房,昭和54年)
岸信介 関係年譜 (219ページ) による。



満州建国 と 満蒙開拓団に悲劇



満州事変の翌年,昭和7年に建国された「満州国」は建国のスローガンとして現地の人たちと共に「五族協和」と「王道楽土」を目指すことがうたわれたけれど,実際は日本人が優位に立つ,いわば日本の傀儡国家だったんだ。


もっとも多い時で,日本人は軍人・軍属を含めるとおよそ205万人。そのうち満州北部の広い地域に入植したのが 満蒙開拓団 。その数はおよそ27万人に上ったといわれているよ。

1931年に日本は満洲事変を契機に満洲全域を占領して,翌1932年に満洲国を建国。満洲国は清朝最後の皇帝であった愛新覚羅溥儀を元首(執政,のち皇帝)と勝手に定めました。日本の傀儡政権だった満洲国は,この時期,事実上日本の支配下とあったんだ。


日本は南満洲鉄道や満洲重工業開発を通じて多額の産業投資を行い,農地や荒野に工場を建設した結果,この時期に満洲の近代化が急速に進んだよ。一方では満蒙開拓移民が入植する農地を確保するため,既存の農地から地元農民を移住させる等,元々住んでいた住民の反日感情を煽るような政策も実施したといわれているんだ。


以上の記述は,NHK解説委員室・解説アーカイブス 時論公論 「“満蒙開拓団”の史実に学ぶ」 (2013年8月17日)による。



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太平洋戦争が終わる直前の昭和20年8月9日,日ソ不可侵条約を無視してソ連軍が,国境線を超えて満州に侵攻してきた。関東軍の主力も,ほとんだ南方戦線に送られていたから,為す術もなく,守りは崩れてしまった。
【太田の著書】 (457ページ,エピローグ)


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五族協和を理想として教えられ,国のためと信じて大陸に障害を捧げる決心で故郷の地を離れた満蒙開拓団  ― しかしその最期は余りにも悲惨であった。

満蒙開拓団の人々は ” 国策 ” と呼ばれた至上命令を信じて満州に渡った。・・・・・ ソ連参戦と同時に彼らは日本軍に放棄され,一切の保護を失って,血と泥と雨の中の逃避行を続け,虐殺,暴行の地獄を彷徨し,収容所では飢餓と寒気と悪疫にさいなまれた。  ・・・・・   こうして多くの開拓民―日本人の大集団が非業の死を遂げ,全員が財産を失った。


角田房子 『墓標なき八万の死者 満蒙開拓団の壊滅』 の「あとがき」 より。



角田さんのこの本は,最初から,じっくり読んでほしいね。悲しく,辛い話だけど。旧ソ連 (現ロシア) の過去,現在,未来を知るためにも。

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1991年 11版




お断り


【太田の著書】には,田尻育三 『昭和の紹介 岸信介』 (学陽書房,昭和54年)(以後,【田尻の著書】 と略記)からの引用が多い。【田尻の著書】 については,「巻の2」で詳述する。

このブログでは,この点を指摘したうえで,【太田の著書】 の記述をそのまま,再現する。





つづく

by yojiarata | 2014-10-15 10:50 | Comments(0)
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