人気ブログランキング | 話題のタグを見る

野球少年  甲子園の一球の巻



野球少年の続編ですか。ご隠居さんも 徹底しているね。

***


昨日,春の選抜高校野球の決勝戦を観ていたら,急に昔のことを思い出したんだ。



昭和44(1969)年8月18日 井上明


昭和44(1969)年8月18日,全国高校野球選手権大会決勝戦で,松山商業は三沢高校と対戦したんだ。

0ー0で迎えた延長15回の裏,三沢は,1死満塁のサヨナラのチャンス。バッターは,キャッチャーの小比類巻だった。ここで井上は3球続けてボールを投げ,0ー3の崖っぷちに立った。あと1球ですべてが終わるこのピンチに,井上は 2球 続けてストライクを投げ,結局 小比類巻を打ち取った。

この試合は,延長18回,0-0で引き分けたんだけど,井上は,最後まで一人で投げ切ったよ。球数は232球。

決勝戦は翌日に持ち越されたんだけど。正直にいえば,このあとのことには,私にはさしたる感慨がないよ。いまも忘れられないのは,0ー3 からストライクを投げたあの時の井上投手だよ。超満員 5万6千の観衆が固唾をのんで一球を見守るなか,井上は想像を絶する冷静さでストライクを投げたんだ。

付け加えると,井上投手は,明治大学,三菱重工業をへて,1975年に朝日新聞に入社し,スポーツ担当記者になったよ。



平成26(2014)年4月2日 中田竜次


今年の選抜の決勝戦は,竜谷大平安(京都)と履正社(大阪)。

平安が4-2でリードした8回裏。一死満塁。ここで,エース・ナンバー1番を付けた中田がリリーフとして登板したんだ。中田には,リリーフ経験がない。いきなり,3球続けてボールとなった。そう カウント 3-0です。

中田は,45年前の井上と同じ状況に追い込まれたんだ。ここから凄いのは,あの時の井上と同じ。2球続けてストライクを投げ,結局,バッターを三振に取ったんだ。続く打者も,ピッチャーゴロに打ち取って,役目を見事に果たしたよ。あのとき,例えば,フォアボールを出していたら,優勝はどうなったかわかりません。


*


井上,中田は,実力があったからこの結果を出せたんだと,君は言うかも知れないけれど,草野球であれ,甲子園であれ,必死に野球をやった者にしかわからない,恐ろしさがあるんだよ。私は,52歳で ” 現役 ” を引退するまで,サードを守っていたんだけど,こういうピンチになると,緊張が先行して,何でもないゴロの処理を誤った「つらい思い出」 が山 のようにあるよ。

昨日の「NHK ニュースウォッチ9」で,大越キャスターが,中田の心境を的確にコメントされていました。大越さんは,東京6大学リーグでエースとして活躍された,野球少年だからね。



昭和35(1960)年4月10日 宮本洋二郎



心に残る甲子園の一球は,他にも数知れずあるよ。

昭和35(1960)年4月10日,春の選抜大会の決勝戦で,米子東高校は高松商業と対戦したんだ。1ー1のまま迎えた9回裏,高松商の主将ショート山口が先頭打者として打席に入った。米子東のピッチャーは宮本だったよ。満員の観衆の緊張が頂点に達したとき,宮本を捉えた山口の打球は,レフトスタンドに飛び込んだ。

マウンドにしゃがみ込んだ宮本の姿が,いまでも目に焼き付いているよ。このとき,私は,1塁側のスタンドにいたんだ。妹が横に座っていました。野球少年の兄2人を見て育った彼女も,いつの間にか野球少女になっていたんだね。

宮本は,早稲田大学をへてプロ野球に進み,巨人,広島,南海を経て,2013年まで,広島東洋カープのスカウトをつとめ,前田健太を発掘しました。


ともあれ,昨日の甲子園は,野球少年を過去に連れ戻してくれたよ。大感謝です。




by yojiarata | 2014-04-03 17:39
<< ウエアラブル端末 と 江田島海... 野球少年  正岡子規の巻 >>