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天に代わりて 不義を討つ



ご隠居さん 1月3日のブログの続きを書くつもり。

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そうじゃないんだ。2回続けて戦争の時代を書いたので,軍国少年だった私が,その頃耳にしたことばが頭に浮かんだだけだよ。今日の話は,戦争とは,関係ありません。


追記 1月25日



大講堂の授業の経験


私は,大学の理科に進んだけれど,理科の学生にも,「経済学」,「社会思想史」,「法学」などの単位を取ることが義務付けられていたんだ。

もっとも単位取得が危なかったのは,「社会思想史」。試験問題は今でも覚えているよ。

曰く 【マックス・ウェーバーについて述べよ。】

これには困ったね。頭のなかにある断片的知識をメチャメチャに取り出して書きなぐったものだから,”追試” にされても何の文句も言えないところだけど,成績は ”可” で危うく危険を脱したんだ。

どうも何十年も前のことが気になっているとみえて,この間本箱を整理していると出てきたよ。


プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(上,下,岩波文庫)


悔しいから,読み始めたけれど,さっぱりわからいことは昔と同じなんだ。


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インカム・アプローチ


次に「経済」

これがまた難題だったよ。何百人も入る大講堂で講義があるんだ。私は到着する頃には,部屋の7割以上が埋まっていました。座る場所が後ろだから,教師の喋っていることがほとんど聞こえないんだよ。60年近くも前のことだから,マイクもないしね。耳を澄ましてよく聞いていると,”インカム・アプローチ”という言葉だけが聞き取れたよ。マイクが無いんだから,浪曲で いう ”胴声” でやってもらはなきゃ困るよ。 

インカム・アプローチ,調べようにも,インターネットなどもない時代,どうにもお手上げだったんだ。

前の座席に座って聞いていれば,多少は理解ができたんだろうと思うけどね。

ある日,前のほうの席がいつも埋まっている理由がわかったんだ。

教室に入ると,教壇の上に,カバンが山積みされていたよ。当時は,学生は,生協で買った角帽をかぶり,同じく生協で買った黒い鞄を持ち歩いていたからね。

当時キャンパスには,高校の頃から使われている尞があって,そこに大勢の学生が住んでいたんだ。朝,朝食の前に,尞生たちはカバンをもって前のほうの座席に置き,後で悠々と講義室に現れて講義を聴いていたんだ。

以上が「カバン山積」事件の真相です。” ねずみ小僧 ” のような義賊の快挙だったよ。

義賊は,黒板に大きな字で 天に代わりて 不義を討つ と書き遺してその場を去ったんだ。

インカム・アプローチもやはり,意味不明のまま,試験を迎え,「社会思想史」の場合と同様,メチャメチャな答案を書いて,これも危うく”可”


天に代わりて 不義を討つ


日本の軍歌。大和田建樹作詞で1904年(明治37年)7月に発表されたんだ。一番から九番まであるよ。

作詞 - 大和田建樹
作曲 - 深沢登代吉


1.出征

天に代わりて不義を討つ

忠勇無双の我が兵は

歓呼の声に送られて

今ぞ出で立つ父母の国

勝たずば生きて還(かえ)らじと

誓う心の勇ましさ


昭和初期から第二次世界大戦の敗戦まで,出征時の壮行歌や凱旋時に必ずと言ってよいほど主に1番を中心に盛んに演奏され,歩兵の本領と同じく行軍中にも盛んに歌われたと聞いているよ。


ともあれ,文系の授業には苦労をしたよ。だけど,今頃になって,私の大いなる反省をもとにして言うけれど,理系の学生も入学直後の段階で,文系の話をしっかり聞くべきだと思っています。

60年後の今は,どうなっているのか知りません。英語ブームもいいけれと,人間の成長には,バランスのとれた食事,バランスのとれた教養が必須だよ。

英語については,そのうち書きたいと思っています。







回想のインカム・アプローチ

大石 泰彦さん(おおいし・やすひこ=東京大名誉教授)16日,心不全で死去,91歳。葬儀は近親者のみで行った。喪主は妻満智子さん。

専門は近代経済学。著書に「経済原論」など。

平成26(2014)年1月25日 朝日新聞朝刊 社会面 38面より
by yojiarata | 2014-01-03 20:33
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