五味康祐  剣 と 西方の音



ご隠居さん 今日は五味康祐の話ですか。

そうです。何故,五味康祐かは,長年の付き合いの君なら見当がつくでしょう。

何となくね。ご隠居さんが五味康祐のファンだと知っているからね。しかし,突然,五味康祐が登場するのは何故なの。

NHKラジオ第2で,毎週月曜日,「カルチャーラジオ」なる番組が放送されるよ。NHKに保存されている音源をもとに,過去に活躍した作家などの声が聴けるんだ。

宇田川清江さん(フリーアナウンサー)が進行係,番組の主役は,大村彦次郎さん(元・文芸誌編集長)です。大村さんの話が,毎回,実に面白いね。それぞれの作家にまつわる様々なエピソードの語り手をしては,大村さんは,余人をもって代えがたいよ。


今週の「カルチャーラジオ」には,五味康祐が登場したんだ。
2月6日(月曜日)20:30-21:00

直観的に,これは絶対に聞き逃せないと感じたよ。作品は繰り返し読んだけれど,声は聞いたことがなかったんだ。晩年はテレビによく出ていたそうだけど,私は一度も見ていません。

失敗しないように,慎重に録音しました。しばらく前に放送された「サトウハチロー」で大失敗しているからね。

番組を聴いて,今まで知らなかった五味康祐の姿が浮かんできたんだ。

ネットに記述されている諸々のことを含め,以下,順番に書いていきます。




五味康祐の生涯

大正10年(1921)12月20日生まれ
昭和55年(1980)4月20日没
享年 58

五味康祐は,本名は「やすすけ」だけど,大村さんのような専門の雑誌編集者を含めて,世の中では,「こうすけ」と発音しています。

学徒出陣で中国大陸を転戦し,敗戦後南京で捕虜として過ごした後,1946年に復員し,保田與重郎に師事する1947年に亀井勝一郎を頼って上京,東京都三鷹市に住み,太宰治・男女ノ川登三と共に「三鷹の三奇人」と呼ばれる。この頃,関西の出版社の社員として岡本太郎の前衛芸術運動「夜の会」に接近,多くの影響を受ける。

1948年11月,亀井勝一郎から破門を受ける。1949年,歌人前川佐美雄の妻の妹と結婚。

1950年には神戸で放浪生活を送り,覚醒剤中毒で入院。さまざまな職(神主さんのような仕事,学生のための お汁粉屋 もやっていたと大村彦次郎は語っている)を経て,1952年に再び上京,音楽を通じて知り合った新潮社の編集者・齋藤十一の紹介で新潮社の社外校正をしながら小説を書くが, ばかりであった。

その後,齋藤十一の推薦で,ドビュッシー「西風の見たもの」を聴いて着想した『喪神』が1952年12月号の「新潮」「同人雑誌推薦新人特集」に掲載され,1953年,第28回芥川賞を受賞。『喪神』はその年に大映で映画化される。

その後は,『柳生連也斎』など独特の時代小説を発表し,1956年,『週刊新潮』創刊から『柳生武芸帳』を連載して人気を博した。主人公の集団性,禁欲的な剣豪でなく,本能のままに生きる剣豪というとらえ方,そして日本浪曼派の影響の濃い,剣の達人の持つ精神性の表現と,格調高い文体で高く評価されている。色川武大に先んじて本格的な麻雀小説を書いた。

カーマニアとしても知られていたが,1961年5月に飲酒運転で逮捕。1964年1月31日には,三重県鈴鹿市富田町の国道1号で雪駄履きのまま自家用車を猛スピードで運転中にトラックと正面衝突を起こし内臓破裂などで一時重体となった。1965年7月24日には,脇見運転とスピード違反により,名古屋市で60歳の女性とその孫の6歳の少年を轢き殺し,逮捕される。このとき,志賀直哉,川端康成,小林秀雄,井伏鱒二,井上靖,三島由紀夫,柴田錬三郎,水上勉,亀井勝一郎,保田與重郎が連署で執行猶予を乞う上申書を裁判所に提出し,1966年,五味は禁固1年6月、執行猶予5年の有罪判決を受けた。贖罪の心の沈潜した『自日没』(にちぼつより)などの作品が書かれた。


● 五味康祐の人となり

大村さんによれば,文壇一の奇人・変人。奇想天外,放逸無頼ともいうべき天才作家のひとり。

中学生の頃から,ワインガルトナーのベートーベンを聴いていたというから,音楽のことを書かせたら玄人跣。実際,ゴロゴロいる音楽評論家の記事よりもはるかに面白いと評判だったようだよ。カラヤンが嫌いで,その演奏を酷評。

『西方の音 せいほうのおと 』(新潮社,1992年,14刷),『天の聲-西方の音-』(新潮社,1976年,2刷)が我が家の書棚にあるよ。表紙は前者はベートーヴェン,後者はワーグナー。

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改めて読み返してみたけど,五味康祐の面目躍如,素晴らしいよ。


● 芥川賞

昭和28年1月に開催された選考委員会で,松本清張と共に,受賞。
この時,
松本清張 43歳『或る「小倉日記」傳』
五味康祐 31歳『喪神』

時代小説が芥川賞の対象になったことはそれまでになっかこともあってか,選考委員は,五味作品に関心が高くなかったようだね。例えば,丹羽文雄は,決して悪い作品ではない。・・・ これは「時代小説の童話」だといったそうだよ。

しかし,佐藤春夫,坂口安吾の二人が,非凡な表現力とポエジーが素晴らしいと強く推した。

従来の剣豪小説と全く異なる新たな世界は,芥川賞受賞作『喪神』で始まったと言っても過言でない。  

1962年に初上映された『座頭市物語』(勝新太郎の代表作),黒澤明の『用心棒』などの作品は,五味康祐が描いた「剣の世界」に,大なり小なり影響を受けていると,不肖・荒田洋治は信じております。

五味康祐の『柳生武藝帳』は,人間関係が大変に複雑怪奇な長編で,初めから終わりまで辛抱して読んだ人はそんなに多くないと思います。私もその一人だけどね。 

映画化されたとき(稲垣浩監督,三船敏郎主演[1957年(昭和32年4月23日公開)]),脚本が簡潔に整理され,分かりやすい作品に仕上がったんだ。この映画を見た五味康祐は,

これで,この長編の筋書きがよく理解できた。

と,とぼけていたそうだよ。(長女の話)

娘さんといえば,五味康祐は,長女 ゆうこさん(漢字?)の手相を見て,こんなことを言ったそうだよ。(これも,大村さんの話)。

2本の平行線が狭い間隔で走っている。これは,ヒットラーの手相と同じ。お前は女に生まれてよかったよ。



● 五味康祐の肉声を聞く

録音で,五味康祐の声を初めて聴いたんだ。宇田川さんが

「優しい声」ですね。

仰っておられましたが,私もまったく同感。こんな声の人だったとは,全く想像できなかったね。例えて言えば,高校の歴史の先生。

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五味康祐(1921-1980)





● 五味康祐が切り拓いた「剣」の世界


戦前の剣豪小説と全く異なる新たな剣豪小説の世界は,芥川賞受賞作『喪神』で始まったと言っても過言ではありません。

次の二つの私の書いたブログの記事を読んで下さい。

櫻を斬る 五味康祐の世界




桜の季節になると,チャンバラの世界から,それまでに誰も描くことのなかった剣の世界を創りだした五味康祐が頭に浮かびます。何事にもすぐに感動してしまう筆者には,忘れることのできない宝物のような何編かの作品が 『五味康祐代表作集 第1巻』 (新潮社)に収録されています。


● 遅筆とオリジナリティ

大村さんによれば,五味康祐の遅筆は編集者泣かせであったという。

私は,個人的には,遅筆の原因は,五味康祐が無から有への実現しようと苦しんだ結果だったと思っています。この意味では,五味作品はいずれも,「作り出した」ものではなく,苦しみの結果「出来た」作品だったのではないでしょうか。


***



ブログの結びに,自然と剣の闘いを描いた 『柳生連也斎』 について書きます。

佐藤春夫,坂口安吾両氏が仰るように,非凡な表現力とポエジーが素晴らしいね。



柳生新影流五世・柳生連也斎と,新免武蔵直伝の見切の秘太刀を使う鈴木綱四郎光政が天白ヶ原で刃を交える。

連也斎の父 如雲の教え


「見切を制覇するには「影を斬るのじゃ」

「よいか,工夫は其方がする事じゃ。必ず,相手の影を斬れい」


***



・・・・・ 連也斎がひそかに工夫を重ねて尚解けなかったのは,父 如雲が教えた「影を斬れ」の謎である。 渠(かれ)は「影を斬る」この秘太刀が会得出来なかったので,池鯉鮒(ちりふ)に戻った時馬を捨て(三月廿日深夜),東海道を採らず当初は東郷から赤池の道を天白ヶ原への東口へ出るつもりで歩いた。東口からなら,太陽を背に受けて敵対する。この地の利を知らぬ武芸者もあるまいが,だから東口への道を連雲斎も採った。


綱四郎は朝陽を背に構えている。足元から影が連也斎の足元まで延びている。連也斎はその陰の先端を踏んでいる。太陽はわずかにわずかに昇る。影はちぢまっていくだろう。その太陽の昇るにつれて短くなる綱四郎の影の長さだけ,連也斎は進んだ。兵法者は進退に剣の一切を賭けている。武蔵の見切は,敵のそういう進退を見切るのである。 ・・・・・ 連也斎は,進退をただ天の運航に託したのである。太陽は昇りつづける。森羅万象は運行を偕(とも)にする。動かぬと見えて,影はすこしずつ縮まり連也斎は綱四郎に詰寄っているのである。

・・・・・

綱四郎はまっ青になり脂汗が顔面に流れた。時は容赦なく過ぎた。綱四郎は次第に追い詰められた。

・・・・・ 併し,・・・・・ 太陽が雲に翳れば森象の影の圧力も忽ちにきえる。剣技を無視した接近は,だから太陽を失えば一瞬にして復讐される道理である。この試合の勝負の鍵を握っているのは,あく迄も天体である。

・・・・・ この時雲が次第に太陽に近づいていた。雲は風で次第に動きを速めている。地上の二人の兵法者の間も殆んどもう一方の太刀が相手を斃す近さに接近していた。太陽がより早く昇れば連也斎が勝つ。より早く曇れば綱四郎が勝つ。・・・・・

わずかにわずかに太陽は昇った。雲は近寄った。太陽は照りつづけた。雲は近寄った。連也斎は青眼に構え,綱四郎は八双に構えていた。・・・・・

雲が太陽に追いついたと殆んど同じ瞬間,地上では二つの太刀が閃いたのであった。

綱四郎と連也斎はどちらもだらりと太刀を垂れ,身を接する近さで互いの眼と眼が睨みあっている。ずい分と長い間二人はそうしているように思えた。

やがて,一人の額から鼻唇にかけてすーっと一条の赤い線が浮上った。線から,ぷつりぷつりと泡が吹き出した。するとその武士はニヤリと笑い,途端に,顔が二つに割れ血を吹いて渠(かれ)はどうと大地に倒れた。

『柳生連也斎』はここで終わる。




***




五味康祐代表作集 第1巻(147-178 ページ)
『喪神 柳生連也斎』
新潮社(1981)

文庫版 『秘剣,柳生連也斎』 が新潮社から出版されている。文庫版は昭和33年の初版以来,版を重ね,筆者の手元にあるのは平成4年発行の第46刷である。いかに多くの人に読まれたがわかる。現在は絶版であるが,古書として,インターネットで入手可能である。


● 惜別

五味康祐は,1980年,肺がんのため死去。享年 58。墓は鎌倉市建長寺の回春院にある。

病床で最後に聞いた曲は,ベートーヴェンのピアノソナタ 第32番 作品111 だったという。五味康祐も,あのフーガに魅かれていたんだと思うと,上に書いた 「お汁粉屋」 の件を思い出し,懐かしさが増す。





未完

by yojiarata | 2017-02-11 17:22 | Comments(0)
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