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ドイツ語の青春



大学に入り,最も熱心に聴いたのはドイツ語の授業である。試験の成績もまずまずだった。

英語の方はさっぱりで,成績はいつも,”良” あるいは ”可” 。君は高校で何を教わってきたのだと教師に皮肉を言われた。教育パワハラである。しかし仰る通りなので,これではいけないと反省し,力を入れて勉強を始めた。

野島先生のドイツ語の授業はいきなりファウストが出てきたり,さすがは大学だと感じた。授業がしばらく進んだ頃,野島先生が,「蓄音機」を提げて現れた。「蓄音機」といっても,今ではそれが何者であるか理解できる人は多くないかもしれない。手でぐるぐる回して,レコードを回転させるためのモーターの準備をする。レコードは78回転のSP。

演奏が始まった。曲はシューベルトの『魔王』,瀕死の我が子を抱いて必死に馬を走らせる父親,子供にしか見えない魔王の幻影。そして,子供は死ぬ。ゲーテの原作にシューベルトが曲をつけたものである。野島先生が詳細に解説してくださった。

この時の経験から,筆者はドイツ歌曲に強く惹かれることになった。それ以後,手あたり次第ドイツ歌曲を聴くうちに,作曲者はシューベルトとシューマン歌手はディトリッヒ・フィッシャー-ディスカウ,伴奏はジェラルド・ムーアに収斂していった。

今から思うと,野島先生が聴かせてくださった歌手は,ゲルハルト・ヒュッシュ(Gerhard Hüsch, 1901-1984)だったのではないだろうか。ゲルハルト・ヒュッシュは,若き日のフィッシャー-ディスカウが追いかけ,つねに比較された先輩のバリトン歌手である。
by yojiarata | 2013-02-11 23:03
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