O.J.Simpson事件  家庭内暴力の結末



1993年秋,事件は起きた。

この時点で,アメリカでは,子供から大人まで,O.J.Simpson を知らない人は誰一人としていなかったと思う。NFLフットボールのスーパースター。1968年,南カルフォルニア大学でハイズマン・トロフィー を受賞,バッファロー・ビルに入団後の8年間の活躍は目覚ましく,とくに1973年に達成した 2003ヤード,12 タッチダウンの記録は,今に至るも破られていない。

O.J.Simpson, 1977年,San Francisco・49ners に移籍後引退するが,その後,レンタカー会社のHertz の広告塔として大活躍,筆者がたまに渡米した時にも,テレビで茶色のビジネスバッグを持って走り回っている姿をよく目にした。そして,巨万の富を手にし,豪邸を建てた。

長身の美青年,国民的ヒーローの O.J.Simpson が手錠を掛けられてテレビに映った。全米を揺るがす大事件となった。

事件が起きた頃,たまたまアメリカにいた筆者は,テレビで毎日のように報道されるのをよく見た。どこかの空港の新聞売り場で購入したのが ここに写真を載せているペーパーバックである。


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O.J.Simpson (19歳)は,高校の同級生で才媛のMarguerite Whitly (18歳)と結婚するも1979年に離婚,その頃から,Nicole Brown (表紙の右下)と同棲。彼女はドイツのフランクフルト生まれ,アメリカ・カリフォルニアに移住し,1985年に18歳で O.J.Simpson と結婚し,2児をもうける。

結婚後,家庭内暴力が頻発するようになり,Nicole Brown の警察への通報により,O.J.Simpson が逮捕される事件が起き,結局,O.J.Simpson は Nicole と1992年に離婚する。

それ以来,嫌がらせを受け,”お前が別の男と一緒にいるところを見たら殺す” と脅されている。”可愛さ余って憎さ百倍” とはこのことである。O.J.Simpson のNicole へのストーカー行為がエスカレートし,1993年に事件が起きた。

6月12日深夜,ビバリー・ヒルズのすぐ近くのNicole の家の前で,彼女はボーイフレンドの Ronald Goldman とともに,血の海の中で殺害されているのが発見された。


裁判は1995年1月24日に始まった12人の陪審員の構成は,黒人8人,中南米系2人,白人1名,白人とインディアンの混血1人。陪審員は管区の人口動態比で決められるため,検察側は事件の発生場所である白人優位のサンタモニカを避け,裁判管区をロスアンジェルスのダウンタウンに変えた結果,このような構成になったのである。

腕利きの弁護士が介在し,1995年10月3日,陪審員は全員一致で無罪を評決した。


1996年10月に,Nicole と Goldman の遺族が起こした民事の慰謝料請求裁判が1997年結審。
O.J.Simpson は有罪となり,850万ドルの保障賠償支払命令,2500万ドルの懲罰賠償支払命令が出され,家財道具が差し押さえられた。なお,この裁判では,陪審員12人の構成は,白人9人,黒人1人,中南米系1人,黒人とアジア系の混血1名であった。


いまでこそ,ストーカーという表現は,世界中どこでも通用するようになったが,この事件の頃は,アリカでも日常的に使われていた表現ではなかったようである。あの頃,アメリカ CNN Larry King Live で取り上げられ,ストーカーの被害にあった女性に,ストーカーされる心境を Larry King が聞いていたのを観た記憶がある。なお,Merriam-Webster Onlineによると,ストーカーが今日のような意味につかわれた 最古の例 は14世紀 に記載されている。


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男性と女性がこの世に誕生以来,形は違っても結果においては同じことが延々と続いてきたに違いない。そして,これからも続くであろう永遠のテーマである。

文章としても多くの作品が残されている。歌舞伎,文楽,映画,・・・ 。

一例を挙げれば,『夜の鼓』1958(現代ぷろ=松竹)原作・近松門左衛門「堀川波鼓 (ほりかわ・なみのつづみ)」,橋本忍,新藤兼人脚色,今井正監督作品,三国連太郎,有馬稲子,森雅之

夫(三国連太郎)が鳥取藩から江戸勤務中に,妻(有馬稲子)は鼓の師匠(森雅之)と不義を働く。それを知った夫が激しく妻を殴りつける。可愛さ余って憎さ百倍,妻を斬る。映画は,夫が妻敵(めがたき)である鼓の師匠を成敗するシーンで終わる。この場面では,三国連太郎はジュラルミンの刀では迫力がでないといって,本身の刀を使ったという。

この映画を観たとき,三国廉太郎が有馬稲子をものすごい勢いで右手で殴るシーンがあまりにも真に迫っていて,ァ 可哀そう,だけど芝居だからいいか,と思った記憶がある。あれから 55年,ごく最近のNHKのラジオ番組に出演された有馬稲子さんは,昔を振り返り,三国さんに,あの大きな手で本気で殴られ,ひっくり返り,頭の中が真っ白になったと言っておられた。



【追記】(1/6/13)

『夜の鼓』 撮影にまつわる様々な事柄は,『有馬稲子 のど元過ぎれば有馬稲子 私の履歴書』 (日本経済新聞社,2012),佐野眞一『怪優伝 三国連太郎・死ぬまで演じつづけること』(講談社,2011) に興味深く綴られている。
by yojiarata | 2012-11-27 12:25 | Comments(0)
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