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第11代目金原亭馬生



10月2日NHKラジオ深夜便の[ミッドナイトトーク:私のグルメ考]に落語家 11代目金原亭馬生が登場した。

11代目は,10代目金原亭馬生に弟子入りした。10代目の馬生は,五代目古今亭志ん生の長男,次男は古今亭志ん朝。二人の息子はともに早世したのが惜しまれる。

五代目古今亭志ん生(享年83)
長男 10代目金原亭馬生(享年54)
次男 古今亭志ん朝(享年63)


11代目金原亭馬生の話に目が覚めた。三遊亭圓朝作品に挑戦していくという。

圓朝命日(8月11日)全生庵で谷中圓朝まつりが開かれる。その前の週 2部に分かれた奉納落語で,11代目は,今年は,『塩原多助一代記』を演じたとのことである。

志ん生さんは,昭和30年代の前半から,病に倒れる昭和36(1961)年暮れ」までの間,三遊亭圓朝(1839-1900)の作品を中心に,人情噺に積極的に挑戦している。

三遊亭圓朝は,新しい落語をつぎつぎに創作し,その ”速記本” が当時の新聞に連載されて大変な人気を博していた。そのなかで,『怪談牡丹(ぼたん)燈籠(どうろう)』(牡丹燈籠),『指物師(さしものし)名人長二』(名人長二),『安(あん)中(草三(なかそうざ)(をくれ)開榛名(ざきはるなの)梅香(うめがか』(安中草三牢破り),『鶴殺疾刃(つるころしねたばの)包丁(ほうちょう)』(御家安(ごけやす)とその妹),『塩原多助一代記』,『鰍沢(かじかざわ)』,『心中(しんじゅう)時雨傘(しぐれがさ)』,『怪談阿三(おさん)の森』,『文七(ぶんしち)元結(もっとい)』などを演じた志ん生さんの口演がCD(制作ニッポン放送,ポニーキャニオン)として残されている。圓朝の台本の題と,志ん生さんの録音の演題が異なる場合には,( )のなかにCD版に記された演題を記入した。人情噺に分類されるこれら一連の圓朝作品の録音は,志ん生さんが晩年に到達した話術の高い境地を後世に遺す貴重な文化遺産である。お父さんはテレビを見るほかは,よく本を読んでた。それも落語に関するものが多かったわね。昔のボロボロになった本まで引っ張り出した目を通してましたよ。ずっと手放さなかったのは『圓朝全集』。 ・・・・・ いつも枕元に置いてたんです。

あるとき,馬生(第10代,筆者注)が『圓朝全集』をちょっと貸してくれって頼んだらしいの。そしたら貸すには貸すんだけど,馬生が読んでる間,ジーッと見てて,読み終わったらひったくるようにして取り上げたんですって。それくらい大事にしてたし,息子とはいえ馬生にさえ噺家としてのライバル心もあったとおもうの。それもこれも,いつでも高座に上がれるようにという,お父さんの心づもりだったんです。

美濃部美津子『おしまいの噺』(アスペクト,2005,204-205ページ)(美濃部美津子さんは志ん生さんの長女,元ニッポン放送勤務)

志ん生さんは,人情噺といっても,圓朝作品なら何でも取り上げたわけではない。凄惨な人殺しの場面が延々と続く 『真景累ヶ淵』,また 『怪談牡丹燈籠』 でも,植木屋・伴蔵(ともぞう)が女房のおみねを殺す場面が入ったいる 栗橋宿の場以降,ほかに,師匠の絵師殺しの場面を含む 『怪談乳房榎』 も,少なくとも私の知る限り,録音を残していない。

圓朝作品の録音をまとめて残しているのは,六代目三遊亭圓生さんである。志ん生さんとの差は,収録作品の数が志ん生さんに比べてはるかに少ないこと,志ん生さんが意図的に避けた凄惨な場面を積極的に取り上げた点である。


【付記】

五代目古今亭志ん生さんについては,このブログの中で詳しく述べましたのでご覧ください。

古今亭志ん生さん 語りの藝術


【付記2】

番組を聞き始めて非常に気になったのは,アンカーをつとめた女性アナウンサーが,

「本日は,本来なら出演するはずの ”O女史” が都合が悪くなったので,代わりに,第11代金原亭馬生さんにお願いしました。」

と繰り返した。あなたは代役ですと明言するのは大変失礼である。少なくとも私だったら,非常に気を悪くするであろう。

誰かに注意されたのか,番組の後半では代役であるとの点に一言も触れなかった。
by yojiarata | 2012-10-05 19:00
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