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T細胞からiPS細胞へ 第5話



希少難病患者のiPS細胞を樹立

荒田

それでは,希少難病研究の基盤整備とiPS細胞の関わりについて,お話しいただけますか。

佐藤

希少難病研究の難しさは,情報がない,研究材料がない,という困難によるところが大きいと思います。例えば,SORDの副代表である中岡亜希氏は,ご自身が遠位型ミオパチーという遺伝性の希少疾患ですが,彼女の筋肉を採取するといってもきわめて限界があります。診断のために使うのが精一杯です。従って,病因の解明や治療薬の評価を行うには,動物モデルを立ち上げるというのが従来の発想であろうと思います。

そのためには,ゲノム解析から候補遺伝子を探索し,その遺伝子改変動物を作製する,という手順を踏むことになります。
 
ところが,iPS細胞の登場で,今ひとつ別の方法が可能になりました。

患者由来のiPS細胞を作製し,そこから,筋肉なり,神経なり,病態の現れる細胞を試験管内で誘導して解析,さらには治療薬の評価系に利用することも可能になります。

もとより試験管内でどれだけ生体を反映できるかは大いに工夫が必要でしょうし,限界もあると思われます。しかし,動物モデルが万能であると考える人もいないでしょう。

こういう次第で,SORDにより掌握された希少疾患患者の中からボランティアをつのり,血液を提供頂いてiPS細胞を樹立。将来的にはこれをバンク化して,多くの研究者に利用してもらうことを目指しています。

人手も足りない上いろいろと手続きが大変で,これまでにようやく三つの希少疾患の患者から血液を頂き,iPS細胞を樹立しました。

荒田

血液ですか? iPS細胞は皮膚の細胞から作るものと聞いていましたが。

佐藤

はい。山中博士のオリジナル論文は皮膚の繊維芽細胞を用いています。世界中の研究者がこれにならって繊維芽細胞からiPS細胞を樹立してきました。しかし,今回のように患者さんからiPS細胞を作るということになると,患者さんの負担の軽減が大事なポイントになります。皮膚の採取によって病状がいささかでも悪化するようではいけませんし,今回のSORDとの連携による希少難病患者のケースでは,患者が全国に散っているため,ハードルは低ければ低いほどよいと思いました。そういうわけで,プロジェクトの最初から血液から作らなければならないと考えていました。

その時点では報告されていなかったのですが,マウスではきわめて効率の悪かった血液細胞からのiPS細胞樹立が,ヒトでは存外にうまくいくことを知り,第1例からこの方法を採っています。今後は皮膚よりも血液から作製する事例が増えるのではないでしょうか。

荒田

血液細胞の種類は何でしょうか。

佐藤

T細胞です。私自身にとっても,もっとも親しみのある細胞ですね。はじめは,末梢血にわずかに含まれる血液幹細胞を用いるトライアルがなされていましたが,これでは血液を200ml も300ml も使わなければなりません。T細胞なら数ml あれば充分です。

今回のこの記事のタイトル,「T細胞からiPS細胞へ」は,私自身の研究の来歴を示すものであると共に,iPS細胞の作製法を示すものでもあります。

荒田

佐藤さんの役割は,希少難病患者のiPS細胞を樹立することに特化していると考えて良いですか?

佐藤

いいえ。せっかく作っても,研究に役立ててもらえなければ意味がありません。多くの研究者の方に役立てて頂きたいのですが,まずは私自身がこれらを用いて,何らかの研究成果をあげていくつもりです。他の方々による,優れた研究の呼び水になれれば幸いです。これまでにT細胞の分化研究で培った視点やオリジナリティが生かせればと思っています。

荒田

研究にかける佐藤さんの情熱がよくわかりました。

しかし,このプロジェクトを進めて行くには,困難も大きいようですね。

佐藤

SORDとの連携によるプロジェクトは次第に大きくなってきました。私達のように研究への道を拓こうとする動きと共に,遺伝子診療体制の連携,拡充によって,全国的に希少疾患の遺伝子診断を行う体制作りなども企画されています。

いずれにしても,SORDと私達のプロジェクトは,患者さんたちの声が研究者を動かし,手弁当で始まったというところが,しばしば予算ありきで組まれる大型プロジェクトと異なる点であるということを,私たちは密かに自負しています。

日本というお国柄は,何事もお上任せで,なかなか,こうした社会的活動が民間や市民から発展,展開していくことが少ないように思います。これを支援する社会的環境も,欧米に比べれば著しく立ち後れています。

ハンチントン病は重篤な遺伝性の神経疾患ですが,まだシークエンサーも,SNP等によるゲノム多型の解析方法も無かった1970年代に,この遺伝病の家系にある人たちの小さな一歩から研究が始まりました。はじめは週末の小さな研究会から始まったそうです。もちろん,国の予算などありません。1983年に原因遺伝子座の同定がNature 誌に報告された際,共著者に名を連ねたNancy Wexlerは,はじめの一歩を記した家族の一員でした。

ライソソーム病の一つであるポンベ病の場合は,患者の父親がそれまでの仕事を辞め,ポンベ病を治療するためのベンチャーを立ち上げたことが始まりでした。紆余曲折の末,治療薬の開発に成功した奇跡のような物語は,2010年,ハリソン フォード等により「Extraordinary Measures(邦題・小さな命が呼ぶとき)」という映画になっています。

患者さんやご家族と交歓した機会に,「今までほとんど顧みられることの無かった自分たちの病気を,予算もない中,研究しようとしてくれるクレイジーな先生がいることを知って嬉しい」という声を聞きました。私に出来ることはわずかです。一つの病気を克服するのにも,膨大な時間やお金,そして情熱が必要であることは,私はもちろん,患者さんご自身もよく承知しています。しかし少なくとも,希少難病の方たちに,“あなたたちは無視されているわけではない,何とか治してあげたい,希望を持たしてあげたい”と思っている人間がいることを伝えることは出来てきたかな,と思っています。

出来うるならば,少しでも私達の取り組みについて,多くの方に知って頂きたい,応援して頂きたいと切に願っています。

荒田

意義のあるお仕事ですね。ご健闘をお祈りします。

今回は,お忙しいところ時間をとっていただき,誠に有難うございました。



by yojiarata | 2011-12-26 15:40
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