究極の万年助教授



大森房吉(1869-1923)は,1890年,東京大学理科大学物理学科を卒業,1895年から2年間ヨーロッパに留学し,帰国後,1899年に地震学講座の教授に就任し,日本の地震学の礎を築いた日本における地震学の祖と称すべき学者である。関東大震災の年(1923年),脳腫瘍のため早世する。

大森の講座には,助教授の今村明恒がいた。今村は,今で言う「地震予知」の可能性を早くから主張していたが,「地震予知」は意味不明の星占いのようなものであり,世間を惑わすだけだと主張する大森とことあるごとに対立した。しかし,今村の予言通り,関東大震災が起こり,名誉回復し,その年創立された東京帝国大学の地震学講座の教授に就任する。


今村明恒教授

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これだけ書いただけでは,世間によくある主義・主張の異なる教授と助教授の「喧嘩話」になってしまうが,今村にとっては,23年間にわたる助教授生活はさぞ大変だったと思う。なにせ,23年間,助教授とは言いながら,給与はゼロ,軍の学校などで数学を教えるアルバイトをしていたというのだから。

昭和22(1947)年3月31日法律第26号によると,助教授は教授を助けることを職務とすると明記されている。私自身について言えば,1969年,講師から助教授に昇任したとき,教授から,あなたの役割は”私を助けること”ですと,釘を刺された記憶がある。結局,私の助教授生活は,昭和61(1986)年に別の学部から教授として招聘されるまで17年(講師の期間を含めると19年)に及んだ。しかし,この間,国家公務員(当時)としての給与をいただいたお蔭で,万年助教授という肩書きに少々のこだわりがあったものの,教授を助けないで過ごした研究生活は決して不愉快ではなかった。教授を助けなかった自分のせいだからである。

ちなみに,平成19(2007)年6月27日,学校教育法法律第98号が改正され,助教授が准教授へ,助手が助教と変更されたが,実体はこれまでと変わっていない。この法改正によると,准教授は,教授と独立であると書かれているが,研究費の点などを含め,准教授は助教授と何の変わりもないのが現実である。

私は,自身の万年助教授19年は”ベストテン”にはいる記録だと思っていたが,今村明恒助教授のことを知り,上には上があるものだとひどく驚いた。給料無しに23年の助教授生活を凌ぎきった今村明恒に,万年助教授の同士として,深く敬意を評したい気分である。
by yojiarata | 2011-12-05 21:50 | Comments(0)
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