1973年にアメリカから帰国した直後,日吉ミミと菅原文太に出会ってショックを受けた。日吉ミミについては,すでに書いた。 1973年に2年ぶりにアメリカら帰国した私には,わが母国日本では,男性の顔がなんだか優しくなった印象をもった。歌,とくに男性のうたう歌は,ナヨナヨと優しくなり,昔の日本ではなくなった印象であった。日吉ミミに出会ったのは,そんな時だった。 江藤淳(1932-1999)は,1974年3月,フィリピンルバング島から29年ぶりに帰国した小野田寛郎少尉について,日本人の忘れていた「顔」がそこにあるといった。 『仁義なき戦い』(深作欣二監督作品,1973)には腰を抜かさんばかりにショックを受けた。終戦直後から延々と続く廣島を舞台とする暴力団同士の抗争を描いたこの作品は,話題が話題だけに”文部省推薦”というわけにはいかないが,それにしてもショッキングにして忘れがたい映画である。 鮮烈な響きの音楽(津島利章),ダイナミックな映像(吉田貞次),語り手(小池朝雄)の声のトーン。暴力団と進駐軍の兵隊が闊歩する終戦直後の「闇市」の光景は,私が中学生の頃見た「闇市」そのものであった。それにもまして,いきなり登場する菅原文太演じる広能昌三,進駐軍を相手にして一歩も引かないその迫力,菅原文太の顔はわれわれ日本人が忘れていた,日本人の顔そのものであった。 広能は,刑務所に入っていた自分の保釈に手を貸してくれた親分に義理を立て続けるが,その間,仲間が次々に命を落としていく。長年苦楽をともにしてきた友が射殺されたとき,自らが義理を立てとうした親分が黒幕であることを知る。友の盛大な葬儀の場を訪れた広能は,”あんたこんなことをしてもろうても嬉しうなかろうが”と友の遺影に向かって銃を発射,続いて親分に向かって,”おやじさん,弾はまだ残っているがのう”と銃を向け,恐怖に震える親分を背中にその場をあとにする。 義理を立て続けた広能の顔がアップで映し出され,あの音楽とともに映画は突然終わる。 偶然か必然か,私は,1973年-1974に得難い経験をした。
by yojiarata
| 2011-12-03 15:30
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