荒田 研究室を移り,新しい研究室を立ち上げる経験をされている間,いろいろと苦労があったと思いますが。 伊倉 NIHで3年8ヶ月のポスドク生活を終えて,トロント大学,オンタリオ癌研究所に職を得ました。自分の研究室を立ち上げる日が来ました。 最初の数年はとにかく必死で研究室の立ち上げに没頭しました。研究室を立ち上げるとき,まずなさねばならぬことはショッピングです。空っぽの研究室を機能するものにせねばなりません。これには1年以上かかったと思います。NaClなどの試薬から一つずつ集めていかねばなりません。膨大なリストです。それに,大型機械の購入にはそれなりのプロセスがあり,簡単にあれがほしいから注文して,という具合にはいきません。日本でも同様とは思いますが,公開入札等の手続きを経て厳粛に選定せねばなりません。こういう事務手続きなどに使わねばならない時間が,若い私には無駄に思えて,ストレスがありました。 幸い数人の優秀なポスドクが参加してくれたことは私にとっては幸運でした。それから信頼できるテクニシャンがいたことも大きかったと思います。私は恵まれていました。ただ,そんな中でもいろいろと人の問題は起こりました。細かくは書きませんが,始めて研究室の長になり,人を雇う立場に立って始めて経験する悩みです。人間関係がうまくいかない場合も生じます。一人で他の人に悪影響を与える人がいると,研究室全体がおかしくなります。そういう人の問題は誰しもが経験することですが,私が最初に直面したときは大いに悩みました。 今ではできるだけそういう状況に陥らないように,リクルートに細心の注意を払っています。 荒田 その間,次々に大きな業績を挙げられ,自らの分野を開拓し,現在の地位に上られたわけですが,今振り返ってみた,そのための条件は何だったのでしょうか。 論文の数,投稿先,研究費の獲得,そのための人脈など,色々だと思いますが。仕事がすすめば,研究費が集まり,よいポスドクが研究室にきてくれるという図式は,つねに正しいですか。研究室を運営するに当たって,苦労された点は? 日本人であるが故の苦労もあったのでしょうか。 伊倉 私の二十数年を振り返って考えて見ますと,まず第一にいえることは,「前進あるのみ。」ということです。自分のやりたいことに向かって前に進む,これだけです。 具体的には,テーマ探索はPI(Principle Investigator)にとって大事な作業ですが,これには最新の情報収集が大事だと思います。すなわち,自分のアンテナをできるだけ研ぎ澄ましておくことです。それから,国際的な学会やシンポジウムなどで情報を持っていそうな人とできるだけ接することです。プライベートな時間を共有することは,情報の鮮度,議論の深さなどに大いなる貢献をもたらします。また,世界中のいろんな研究者と知り合えることは,研究者に与えられたこの上ない特権です。それを生かさないのはあまりにももったいないことだと思います。 研究の進路というのは面白いもので,いろんなことが左右すると思います。私の場合,おもいつきがかなり重要な部分を占めます。散歩をしていたり,車を運転していたりしたときに,ぱっとひらめくということがあります。時々忘れてしまうこともありますが,そういうアイデアをテーマ化することがあります。ひらめいたあと,直接担当のポスドクにすっ飛んでいって,そのアイデアを渡すということもあります。 最後に,もう一つ付け加えると,最近では研究の進路を考えるとき,社会的責任を考えるようになったことです。私は癌研究所に二十数年います。当初は癌研究などということは直接考えていませんでした。蛋白質の構造を解き明かせばいずれは薬の開発などに利用できる,というような大雑把な考えぐらいでした。それでグラントが取れればいい,というぐらいにしか感がえていませんでした。 しかし今は違います。社会的責任を強く感じています。もっと積極的に癌研究に貢献できるテーマを残りの研究生活でやっていきたいと考えています。そのために意識的に研究所内部での共同研究の促進にここ数年ますます力を入れています。今まで経験したことのない充足感を得ています。それは,もしかしたら今自分がやっている研究の先には癌患者を救える道があるのではないかと思えるようになってきたことです。まだまだがん治療への貢献となると,先は長いのですが,「前進あるのみ」の気構えで努力していきたいと思っています。 あれから三十数年の後,ようやく何かができそうだ,と思えるようになってきましたが,まだまだ先は長いように思われます。前進あるのみです。 荒田 一つうかがいたいことがあります。伊倉さんは,ポスドク3年余りで,ご自分の研究室をもたれたのですが,優秀な人なら,現在でも,このように出世が早い状態は変わっていませんか。 とくに日本では,ポスドク制度そのものが機能していなくて,50歳近くになってもポスドクに近い身分で留まっている研究者が少なくないという,深刻な事態に陥っているのですが,・・・・・ 伊倉 私が日本に居りました80年代には日本にはポスドク制度がありませんでした。当時博士号を取ったあと研究室に残って実験を続けている人たちをオーバードクターと呼んでいました。そういう状況からくらべれば,日本にもポスドク制度が導入されたことは歓迎すべきだと思います。 ポスドクという時期が研究者にとってかけがえのない重要な時期だと考えています。大学スタッフがやらされる雑用もなく,学生のように授業を履修する必要もなく,自分の研究に没頭できる研究者にとってはきわめて貴重な一時期です。それを生かすも殺すも本人しだいではないでしょうか? 50歳になってもまだポスドクというのはちょっと異常だと思います。自分の研究室を持つ気構えで本気でやれば3年から5年程度で,業績,能力,それに経験という観点からは独立できる力を備えられるはずです。私は現在大学と研究所の運営にも携わっているので,若い助教授を採用するための委員会のメンバーをさせられています。最近ではこちらでもポジションを取る前のポスドクの期間が平均的に長くなってきているという現状があります。それは,ポスドクの数に対して,助教授などのポジションの数が圧倒的に少ないという現実があるからです。これは科学技術予算の問題と密接に関係しますが,ここでは触れません。そういう委員会で,若くて優秀で元気のあるポスドクに出会います。光っている人は目が違います。本当に自分の研究を楽しんでいて,それに没頭している様子がうかがえるからです。そんな研究者でいたいものだと,私自身思います。 まとめますと,日本のポスドク制度は応援します。若い人たちには,その制度を生かして,自分を向上させる努力を日夜してほしいと思います。ポスドクほど貴重な時間はありません。それを生かしてほしいのです。また日本にこだわらず,海外へポスドクとして羽ばたいていくこともぜひとも一考してほしいともいます。一回だけの人生です。悔いのないように自分の道を自分で切り開いていってほしいと思います。
by yojiarata
| 2011-08-02 15:50
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