如何なることがあっても,花の咲かない春はない。少なくとも,人類がこれまで経験してきた長年の歴史の中ではその通りである。 レンゲツツジの開花 東京都立総合芸術高等学校の前庭にて。画面に花芽も写っている。 平成23年4月30日撮影。 生物の体内の水の凍結は死を意味する。生物には,低温の環境を生き抜くさまざまな知恵が組み込まれている。 ここでは,植物の耐寒性について述べる。 5月になると,躑躅(ツツジ)が満開になる。気温が水の凍結点を下回ることがあっても,ツツジの花になる部分(花芽)は冬を無事に過ごし春を迎える。5月にはツツジの赤い花が咲くという当然とも思われるこの事実を現実のものとするために,ツツジを含めて植物には自らを寒さから守るさまざまな機構が備わっている。 温度の下降とともに花芽のなかで何が起こるのかを知るためには,組織を破壊することなく,花芽の内部を可能な限り詳細に観察する計測法が必要である。それには,現在,病院の放射線科で用いられている核磁気共鳴イメージング(MRI)の方法が役に立つ。この方法では,核磁気共鳴(NMR)を用いることによって,水の空間分布を画像化し,生体組織を非破壊的に観察する。花芽のような小さいサンプルを対象とする場合には,空間分解能が30ミクロン程度の画像が得られる。このような画像化の方法を NMR イメージングとよんでいる。 レンゲツツジ(ツツジ科)の花芽のNMRイメージングを測定すると, A:基部,B:皮層部,F:少花,LB:葉芽,P:花軸,Pith:髄,Sc:花鱗片,X:材。横バー:3mm。測定温度:+1℃。 花芽を破壊することなく,花芽の内部を観察することができる。NMRイメージングによって得られる画像では,液体の水は白く光って見える。しかし,氷になると画面から消える。すなわち,温度が下がるとともに,花芽の中で何が起るかを知ることができる。 レンゲツツジの花芽の場合には,-7℃で花芽の中の皮層部(B)と芽鱗片(Sc)がまず凍結する。これに対して,春になると花になる小花(雄蕊,雌蕊,花びら,萼)は,-21℃になっても,凍らないで水のままの状態が保たれている。 (A)レンゲツツジ,(B) サンシュ,(C) ナシ,(D) リンゴ 測定温度:(a)+1℃,(b)-7℃,(c)-14℃,(d)-21℃ よく見ると,温度の低下とともに,芽鱗片が速やかに凍結し,生成した氷が小花を包むことがわかる。この状況で,小花の部分は水であり続けるのである。こうして冬を越した花芽は,春になると花になる。この場合,凍結しているのは,大事な小花から離れた器官のなかの水である。小花の水は,-21℃までの温度範囲では,つねに水として存在し,春になると花になる。すなわち,小花を取り囲む芽鱗片部分が寒さに耐えるための砦になっている。肝心の部分(小花)を取り囲む組織に凍結が起こり,小花自身が凍結を免れるという意味で,器官外凍結 という。 小花が凍結すると,春になっても花が咲くことはない。サンシュユ(ミズキ科)は,-14℃までは,レンゲツツジの場合と同様,花芽の水は水として存在するが,花芽の水は-21℃ では凍結してしまい,花の命が失われる。 器官外凍結の結果,氷によって取り囲まれた小花の水は,過冷却状態で冬を越すことになる。別の言葉でいえば,水を水として保つ過冷却現象による「徹底抗戦」によって,花の命が支えられているのである。 小花の水には,さまざまな物質が含まれ,これが過冷却状態の維持に貢献しているものと考えられる。また,まわりを氷で囲まれているため,雪の室である「かまくら」の効果もあるのではないだろうか。 植物の耐寒性を支える機構は,他にも色々知られている。例えば,ナシやリンゴ(いずれもバラ科)の場合には,温度が下がると,図に示すように,花芽の全体からNMR 画像が速やかに消失する。しかし,この場合には,これまでに述べた器官外凍結の場合と異なり,春になると再び花が咲く。一般的には,この型の花芽の方が耐寒性が高いことが知られている。画像からは,温度が下がるとすべてが凍結するように見える。しかし,NMRイメージングでは,氷が生成して画像が消失したのか,あるいは単に水が失われて画像が消失したのかは区別することはできない。このため,NMRイメージングの画像の解釈には,ほかの実験からの知見が必須である。 結論だけ書くと,ここで問題にしているナシやリンゴなどの越冬の場合には,温度が下がると,細胞の周囲が速やかに凍結することが知られている。この現象を 細胞外凍結 とよぶ。細胞外凍結の結果,細胞はすぐ外を氷で取り囲まれることになります。これは,器官外凍結の場合とは質的に異なる。細胞外凍結が起こると,細胞内の水が急速に細胞外に放出され,細胞が「しわくちゃ」の状態に変化します。ナシやリンゴなどは,こうして冬を越す。 細胞内の残った水が凍ってしまうと,それは花芽の死を意味する。失われる細胞内の水の量は,細胞内の残った水が,どの程度まで過冷却状態を保てるかによって異なる。実際には,与えられた条件のもとで過冷却を保てるよう,水の移動が制御されているといった方が正確である。細胞内は,さまざまな物質が存在し,その質と量によって,どの程度の温度まで過冷却を維持できるかが決まるのである。例えば,夏と冬では,花芽のなかの細胞に含まれる水溶液の性質が有意に異なること,夏の細胞は,低温に対する抵抗性が明らかに低いことが知られている。 これまで,「細胞内に残った水が凍る」と表現してきたが,これは正確には,「細胞内で氷が成長する」といいかえるべきである。氷結晶の成長は,細胞の生存を脅かす。氷がとがった針のように突き刺さって組織を破壊する可能性があるからである。水が氷ではなく,ガラス状態になって固化するなら,細胞への破壊ははるかに少なくなる。細胞の中には,多種多様な物質が含まれていて,これによって細胞内の水のガラス化を促進される。低温に晒された花芽内では,親水性の高い糖やタンパク質が緊急に合成され,水のガラス化を助ける。ガラス化によって固化した状態は,安全な仮死の状態であり,植物はこれによって無事に越冬することが可能になるのである。 生物の耐寒性は,単なる凍結の抑制であるだけでなく,ある場合には凍結の促進でもある。いいかえますと,凍結の促進と制御のバランスによって,開花が保証されているのである。器官外凍結においては,耐寒のための防波堤が器官レベルである。これに対して,細胞外凍結の場合には,細胞膜が防波堤の役割を果たしている。 ここで,茶畑の霜害について一言付け加えておきたい。 大阪から東京に向かう新幹線が静岡県を通過するとき,左側に広がる茶畑に,背の高い扇風機が並んでいるのに気が付く。この扇風機は,茶畑を霜の被害(霜害)から守るためのものである。 五月でも,晴れた寒い日には,放射冷却によって地表の温度が奪われて,地表近くの温度が氷点下になることがある。水は,‘芯’になるものがなければ,0℃に近い氷点下では,凍結することはない。水の過冷却状態である。ところがなぜか,5月の,夏も近づく八十八夜の頃,茶畑に霜が下りて,茶畑が全滅することさえある。この現象は,古来,八十八夜の別れ霜 とよばれてきた。辞書には,
とある。茶畑の場合,何が‘芯’になって,過冷却状態の水が凍結するかは,長い間解明されていなかったが,同様な霜害に悩んでいたアメリカの研究者が,霜害を受けた落ち葉の中から,氷核細菌とよばれるバクテリアを見つけた。今から 40年ほど前のことである。氷核細菌は,自分の背中に氷核活性物質とよばれるタンパク質をもっている。茶畑の扇風機は,冷たい地表と地表から離れた高さの暖かい空気とをかき混ぜて,お茶の葉の温度が下がるのを防いでいるのである。過冷却状態にある水から,氷が成長する過程は,雨を降らせるために散布されるヨウ化銀の働きとまったく変わりない。 なお,花芽のNMRイメージング の研究は,機能水研究所において,主任研究員 W.S.Price 博士 [現在 University of Western Sydney 教授,Australia ]を中心に行われ,数編の論文(英語)として公表されている。
by yojiarata
| 2011-04-29 16:56
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