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NMR50年 Ⅱ



日本におけるNMRの黎明期


電気通信大学UEC コミュニケーション ミュージアム 第7展示室 に1台の電磁石が展示されている。ウェブページに写真が掲載されているこの磁石が藤原鎭男,林昭一によって制作されたのは,電池通信大学開学当時の1949-1950年のことである。藤原鎭男林昭一はこの電磁石と手製の分光計を用いて,銅の核磁気回転比を測定,コバルトの原子核の共鳴周波数の値が化合物によって異なることを発見した。さらに,ヨウ素,フッ素,硫黄などについても 核磁気回転比 が測定されている。

その後,アメリカ・イリノイ大学 H.S.Gutowsky [ISMAR,1974,インドのボンベイ(現在のムンバイ)における講演]
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の研究室に滞在し藤原鎭男は,帰国後,Gutowskyの研究室で稼動していた 27 Mc/sec(当時は,MHz ではなくMc/secが用いられていた)高分解能NMR分光計(永久磁石)をひな型として,同型のNMR装置を製作した。この装置を使って実験した多くの研究者が,電気通信大学から全国の大学や研究所に移ってNMRの研究を発展させた。

昭和30年代の初め,毎週土曜日の午前中,電気通信大学で少人数の研究会が開かれていた。主催者は藤原鎭男,幹事は清水博

清水博は,
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東京大学大学院博士課程に在学中,その後のNMRの歴史に残る重要な論文をいくつも発表している。その中に,20年後に出現したTROSY の原点となる論文 H.Shimizu Theory of the dependence of muclear magnetic relaxation on the absolute sign of spin-spin coupling constant J.Chem.Phys. 40, 3357 (1964) が含まれている。

当時,スピン結合定数の絶対符合の決定に熟慮を重ねていた清水は,化学シフトテンソルと双極子相互作用テンソルのクロスタームが緩和にどのように影響するかを解析するかによって,絶対符号が決定できるはずだと考え,思考を進めたが問題の解決に至らなかった。しかし,この論文で詳細に議論された化学シフトテンソルと双極子相互作用テンソルの交互作用テンソルの緩和への寄与のなかに,20年後のTROSY 法開発の源流があった。この点については,スイスで開かれたスイス・日本の小さな会で私が指摘し,K.Wuthrich もその通であると認めている。

研究会の出席者は西岡篤夫中川直哉林昭一などの方々であった。筆者は清水幹事の紹介でこの会のメンバーに加えていただいた。この会は,新着論文の紹介,世界におけるNMRの動きなどに関する自由で楽しい雰囲気の勉強会であった。

つねに積極的に発言し,数式の物理的意味をトコトン問いつめ,全体を引っ張っていたのは幹事の清水博である。駆出しの筆者は,研究とは何かについて清水博から,一言では言い表せない多くのことを学んだと思う。

あの頃,中川直哉の逆転の発想にはしばしば感心させられた。中川直哉は,重い原子,例えばヨウ素が分子内に存在すると,化学シフトへの相対論的な効果が重要になると主張していた。半信半疑のままでその場は終わったが,中川直哉の業績は,現在では化学シフトにおける相対論的効果として世界で広く認められている。

1961年11月24日(金)-25日(土),「高分解能核磁気共鳴の化学への応用 第1回討論会」が日本化学会講堂で開催された。電気通信大学のNMR研究会で藤原鎭男,清水博が提案したと記憶している。要旨集の作成などは清水博が全て担当した。この討論会は,第2回以後は「第xx回NMR討論会」の名の下に現在まで続き,2011年には,第50回(横浜)を迎える。
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第1回討論会の講演要旨集の目次(清水博の自筆)
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を見ると,当時,NMRに興味をもっていた研究者の多くは有機化学者であったことがわかる。

筆者は,優秀な有機化学者の直感にはつねに最大限の敬意を払っている。有機化学者のなかでも,筆者の記憶に鮮明に残るのは,近代NMRの誕生を待たずに他界した通和夫
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である。“ビラ”全面に描かれた山のような化合物を見ていただきたい。スライドもパワーポイントもゼロックスも何も無い時代である。近代NMRを縦横に駆使する通さんの活躍ぶりを見たかったと懐かしくも惜しんでいるのは筆者だけではあるまい。





つづく

by yojiarata | 2011-04-22 17:20
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